書籍・雑誌

2016年5月10日 (火)

悲素の感想

連休中に長い小説を読もうと、帚木蓬生の悲素を読んだ感想を書く。内容に触れるので、適切に判断願いたい。


小説の体裁を取っているが、1998年7月25日に起きた和歌山毒物カレー事件に基いている。大学の医学部教授である沢井が、事件が砒素中毒によるもので、過去の事件との関連性も明らかにしていくというストーリーである。事件捜査と裁判に関係する物語であり、過去の毒物事件を紹介するという事件報告のような要素も入り、長く複雑であり、専門用語も多く出てくる。そうは言っても、推理小説のようなものではなく、単純に砒素による保険金詐欺と、殺人事件を医学的見地から明らかにすることを積み上げるだけの作業なので、歴史的な事実の紹介を軽く流せば単純化される。
現実の和歌山毒物カレー事件は、最近では冤罪の疑いが語られるようになっている。指摘される内容は、保険金詐欺を行っている元被告人には、無差別殺人を行う動機が無い。毒物をカレーに入れた証拠、目撃者が無い。亜砒酸の分析結果に疑いがある。といったところのようだ。実際の事件について言及するつもりはないので、ここまでにする。

話を戻す。物語は沢井が砒素中毒であることと、砒素の摂取がいつ頃行われていたかを患者の診察と、過去のカルテをもとに行うことで展開される。物語に出てくるのは、事件のあった和歌山の警察署の刑事である光山が狂言回しを担っている。他に、大学の研究者がそれぞれの専門分野で、警察と検察関係者が数人、砒素中毒患者が山ほど出てくる。
物語のテーマは、科学の進歩が社会の秩序作りに貢献するということなのだろう。治療に関する医学ではなく、予防医療と犯罪の立証が結びついたところが新しいと言える。専門家が専門領域で高いレベルの仕事をするという話である。しかし、科学の勝利と高らかに宣言するには、若干の破綻を感じないでもない。科学の勝利の前提にあるのは、高度な専門性を持った人達の仕事と、その連携ということになる。当然、他人の専門領域に素人が口を挟むことなどしない。無関心なのではなく、高度な専門性の結果という理解で良い。しかし、作品の中ほどで、沢井は科学警察研究所の副所長からの電話に、「それでは、裁判になったとき、負けます」と言わせてしまう。過去の被害者の臓器がホルマリン漬けになって保存されていた。その臓器の砒素濃度を判断するのに、同じ期間ホルマリン漬けになった他人の臓器を対照群として測定する必要があるとする沢井の主張に、副所長の国際基準によるデータで十分としたことに対する反論である。沢井は、カレー事件への協力を降りるということになった。警察の幹部が詫びを入れることで、降りることは無くなったのだ。どれだけ気位が高いのかと思う。沢井の方法が正しいように思うが、裁判は無関係である。科学的に正しい手法が好ましいというだけの話である。
裁判で証人として出廷し、弁護側の質問に飽き飽きする場面がある。刑事裁判の弁護側の仕事というのは、検察側の主張に瑕疵が無いかを探る作業しかない。グダグダと裁判を長引かせるような質問をしたとしても、国が個人の自由や財産を奪う、ましてやこの事件は死刑判決の可能性の高い裁判である、それは当然の仕事である。急性砒素中毒患者を扱った回数が少ないこと、症例自体が少ないことは事実である。しかし、少数でも診察経験がある医師が存在しないのだから、最も有力な証人でもある。少数を不適切な理由にする弁護側も正しいし、少数の経験を重視した検察も正しい。加えて、裁判官からの質問に、よく勉強しているも大きなお世話である。沢井が明らかにするべき責任とは、急性砒素中毒に関する症例を明らかにするという専門領域の仕事である。
最も問題なのは、終盤で沢井が被告人が毒物を盛ることに、精神疾患状態であることを分析することである。毒物中毒が専門である医師が、精神科の領域の話を気軽にするのは如何かと思う。モデルの井上尚英は、毒物中毒を専門とする前は、神経内科であったのだが、それを専門性に加えると、専門性の壁が緩くなり、純度が下がる。その程度のことは知って当たり前とするのなら、砒素の成分分析に素人同然であることの温度差が不思議に感じる。結局、作者の帚木が精神科医であるから、沢井を借りて語ったということである。

帚木は、和歌山カレー毒物事件について、過去の保険金詐欺に関わる殺人、殺人未遂容疑が一部有罪の判決で、証拠としては同等レベルと考えられる和歌山カレー毒物事件事件が有罪という判決に納得していないようだ。裁判という制度が、科学的な事実を明らかにするプロセスというより、現実の社会に折り合いを付ける手続きとして成立しているのだから、疑わしきは罰せずは正しい。よって、検察側には事件を明らかにする責任が求められるのだが、時間が経過していた保険金詐欺に関わる要件は横に置かれている。
過去の保険詐欺に関わる事件をまとめれば、それだけでも無期懲役にはなる案件ではある。保険目的であることの悪質性を考慮すれば死刑でもおかしくはない。砒素を盛ったのは科学的に明らかであっても、誰が持ったかは明らかではない。保険金を得たことが動機になるから、その人が関係しているだろうが、特定の誰かが分からない。複数の共同正犯としての犯罪とすることも考えられるが、それでは裁判を維持するのは難しかろう。
検察は社会的な関心の高い和歌山カレー毒物事件で起訴し、動機に欠けることを補充する目的で過去の保険金詐欺事件を扱ったのだろう。社会正義の観点からすれば、被告人の両親の不審死も扱うべき事案だが、証拠に乏しいのではやりようがない。つまり、多額の保険金を得ている不審人物がいるのに、何も捜査しなかったことに行き着くことになる。

実際の事件では砒素 (亜砒酸) の成分分析に不確かさが疑われている。カレーに入れたとされる容器についても、杜撰な捜査だと弁護側は主張する。科学の勝利とするには、基礎が怪しげではある。
帚木の言う、被告人は次から次に人を殺すことを真実とするなら、精神科の領域で被告人の分析を加えることが科学だろう。小説なら、こっちの方に興味が向く。


たくさんの人が亡くなったから大きな事件、重要な事件と警察が思うのは危険だと感じる。

2013年7月28日 (日)

火車 - 宮部みゆき -2

火車の続きで、今回は小説の内容を記す場合があるので、好まない人は先に進まないように。


小説は作り物であるから、現実的でないことは構わないのだが、現実的でない中での整合性を保っていて欲しものだと考える。殺人事件が非日常であるのは当然で、それを受け入れるということは読み物の前提にあるのだが、だからといって無暗に殺害されるのは困るということである。ひとつの非現実の作り事を、現実的なものでその周りを支えるというが多くの小説が行っている約束であるのだと思う。長くなればひとつの非現実が複数に膨らんでいく。それなら、約束が守られた世界を維持できる短い物のほうが良かろうと考えている。
さて、火車の話に戻す。主人公の周囲の人物から記す。

  本間俊介   42歳捜査一課刑事。主人公。休職中
  本間 智   10歳、俊介の息子。ただし、養子であり、そのことは12歳になったら伝える予定
  本間千鶴子 俊介の妻、故人。交通事故で死亡
  井坂恒男   50歳。本間家の隣人。内装業の仕事をしていたが理不尽に追われ、家政夫をしている
  栗坂和也   29歳、千鶴子のいとこの息子。人探しの依頼人。銀行員

作者はカード破産に関する情報から作品ヒントを得たとあるから、主人公の設定は警察官になるだろう。警察は人探しをしてくれないから、休職中の刑事にしたということだろう。カード破産のイメージに、人探しの探偵だと軽いだろうから妥当な線である。子供の智は養子である。30歳くらいの夫婦で養子をもらうのは無くはないだろうが、実子であっても問題はないような気がしたが読み進めたが、特段の事情はなかった。特別養子制度で戸籍に子供の実際の親の表記がないことを、戸籍制度の話の導入にしたかったのだろうが気の利いた話にはなっていない。妻の千鶴子が自動車事故で亡くなっているが、自動車事故が誰でも被害者にも加害者にも成り得るということを、自己破産でも同様であることを弁護士が語るからそこに関連させたいようだ。井坂が理不尽に仕事を追われたことも、警察は民事不介入であることの導入であるようだ。この辺は作者の好きな人には良く作り込まれていると思われるのかもしれないが、無理がある前提の長い言い訳に聞こえる。装飾過剰だと感じる。
このあたりまでは許容範囲であった。人探しの依頼人である栗坂和也については理解できなかった。婚約者が失踪したから探して欲しいと、親しくもない親戚に頼むのは分かる。そこまでして探したいのだから、捜索に架かる費用は支払うとしている。しかし、婚約者が他人の名を騙っていたことが分かると依頼を打ち切る。内容はウソだと言って、他で探すと出ていくのだが、その後再び現れることはない。それまでの調査費として3万円払って出ていくのが、最後の出演になっている。そこまでして探し出したいと思ったのに諦めが良い。酷い女であることに気が付き後悔することもあるだろうが、それなら謝りの連絡があるだろう。二度と出てこないから分からないのだが、通夜や告別式にも出ていない従姉の配偶者に頼みごとをするというのが、義理を欠いた人への依頼となり具合が悪い。探偵事務所に頼むより効果的であるか、安く済むかを期待してのことだろう。前者であるなら結果に怒って投げ出すのが理解できないし、後者であるなら実費を払うというのが惜しくなったということか。いずれにせよ、この先に出てくることが自分にとって好ましいものでないことから止めることにしたのだが、諦めの良さと依頼することの敷居の高さがバランスしない。この義理の従弟が諦めたにも関わらず捜索を継続するのも不思議である。大阪や三重にも行っている。泊りもあることからすれば10万円程度は直ぐに行きそうな話である。事件として扱われても、後で捜査費用を計上するのは規則で認められないだろう。こんなどうでも良いことに目が行ってしまうのは、実費を払うと言ったり、3万円を投げ出したりするからである。細かいやり取りに凝って、全体の雰囲気が乱れてしまっている。

実際のところ上記は大した話ではない。細かな言葉のやり取りに光る部分があるから目くじら立てる程でもない。本当の問題は、関根彰子を調べて延々とカード破産について買い手も、関根彰子は探していた名前ではあっても人物ではない。カード破産する人は特殊な人ではなく普通の生活をしている真面目な人だと弁護士の説明も、実際に探したい人物である新城喬子には関係ない。新城喬子は親の破産によって追われる身になったのだから、普通であるか真面目であるか以前に該当しない。弁護士の言葉を恐らくそのまま使うようにしたであろう結果、その部分は経済的な問題として優れた読み物になっているが人探しの話とは文脈が異なってしまった。新城喬子の親もカード破産ならつながりは出来るが、ヤクザ者に追われる身の上になるには最終的には闇金に手を出すことしかないだろう。新城喬子の母親は売春組織で覚醒剤中毒になりボロボロになって逃げてきたとある。子供が二十歳くらいの親だから四十代だろう。それでも金にする為に使う。冷酷なヤクザ者を表現したかったのだろうが、そのヤクザ者に売られた二十代の美人は逃げている。商品価値の高い者を逃がしては間抜けなヤクザになる。運が良かったと片付けると、母親は運が悪かったになる。母親のお骨の軽さの話や、新城喬子の逃げてきた姿を表現することに注力して乱れが出ている。
ラストシーンがこの作品に対する議論の中心になっているようだが、ここには違和感を覚えない。作品では、関根彰子も新城喬子も間接的な証言としてしか現れない。その表れない二人を様々な人の証言によって輪郭を示すことがこの小説の新しさである。関根彰子には幼馴染が出てくることや、弁護士による自己破産のやり取り、母親の葬儀のときの証言などで随分と輪郭がクリアーになっている。一方、新城喬子は他人を乗っ取る為の作業に関する証言しかなく人物が見えてこない。小説のひとつのハイライトになっている夫の倉田康司と借入金の処理をしようとして、必死に父の死を願いつつ官報のページをめくる。この形相に、倉田康司が初めて「浅ましいと感じて」しまい、それが離婚することを決意する。この部分以外に感情が表に出てくる証言がない。弱い光を浴びてぼんやりと浮かび上がる輪郭が、やがて強い光でくっきりと姿が想像されるという手順が新城喬子にはない。ここが決定的に弱い。他人に入れ替わることは実際には出来ない。どんなに臭いを消し去っても臭いの無いことが新たな特徴を生む。自分では居られない人物が、誰かに置き換わろうとしても新たな問題が生じてしまう苦悩が見えてこない。新城喬子を冷酷な殺人マシーンにしてしまうには、上の官報をめくることと矛盾する。

日本では何か文学賞を取っていると売れるようである。新潮社は山本周五郎賞を創設した甲斐があったというものである。検索すると感想も沢山あったが不思議と似ていた。読者は固定的なのだろうか。するとそこに向けた書籍を出せばよいのだが、購買力が減衰傾向だと同じ客層のみを狙っても仕方ないのだろう。難しいものである。
新潮社の売上を昨日書いたが、雑誌の発行部数と定価を示す。発行部数は日本雑誌協会に依った。価格は通常の価格か、最新刊の価格を採用した。月刊コミック@バンチが発行部数不明で載せていない。結果を下に示す。

■ 新潮社の雑誌発行部数と定価
   週刊新潮   58万部   340円 (週刊)
   新潮       1万部   900円
   芸術新潮       4万部  1,500円
   nicola          22万部   480円
   ENGINE     3万部   980円
   新潮45      3万部   700円
   小説新潮    2万部   900円
   波 PR誌        5万部   100円
   ニコ☆プチ  12万部   480円 (各月)

波は販売用とは言えないだろうから、これを除いて年間売上は131億円となる。どこで所有権の移転があるかが分からないが、小売価格の六割だとすると80億円となる。ということは売上の1/3程度が雑誌と推定される。マンガ雑誌を抱えると売上が違うようだ。本の感想など慣れないことするより、こっちをまとめれば良かった。


宮部みゆきはとっても人気あった。バブル女だと思ったらその位の年齢ではあった。当ることと当らないことがある。世の中そんなもんだ。

2013年7月27日 (土)

火車 - 宮部みゆき

感想文をブログに書くつもりはなかったが、やらないことにはある価値があるということである。


小説は短編小説が好みで、長編は作り物の印象が強くなって好まない。ノンフィクションは事実に基いているから、冗長な部分は我慢できる (無論そうでないこともある)。簡単に括れば出来不出来の話になってしまう。それなら長編小説も同じではないかと思えるが、長い出張のときには読むことがあると言う程度である。宮部みゆきの初期の短編小説集を読んだので、長いものも読んでみようと思った次第である。
さて、火車は、宮部みゆきの代表作で、山本周五郎賞受賞作品である。1992年の月刊誌に掲載後に単行本として発行されている。山本周五郎賞というのはすごいなと思ったら、1988年に創設されている。すごいというのは、山本周五郎が直木賞の決定後の唯一の辞退者であり、賞を貰うことを拒んでいるのではないかと思っていたからである。山本周五郎賞は新潮社が後援しているが、純文学の三島由紀夫賞と物語性を有する小説などに贈られる山本周五郎賞がセットになって創設された。前身は日本文学大賞である。簡単にまとめれば、新潮社が文芸春秋の芥川賞と直木賞に対抗してつくったと言う話である。文学賞の権威は誰が決めるか分からないが、芥川賞の三島賞だと新潮社に分が悪いが、直木賞と山周賞なら直木三十五と山本周五郎の現在の知名度からすれば新潮社に有利な面がありそうだ。芥川賞と直木賞の受賞者はニュースとして扱われるから、商売上手な菊池寛は将来を見る目があったようだ。
文芸春秋社と新潮の企業比較を行っておく。

■ 出版社の経営規模の比較
      社名         資本金      売上高        従業員数
    文芸春秋社     1億4,400万円    256億円        348名
    新潮社        1億5000万円     211億500万円    548名
       ※ 売上高は2012年3月期

二社は同じくらいの規模である。出版の売上規模でみると、集英社が1,318億円、講談社が1,219億円、小学館が1,111億円が上位である。(いずれも2011年の決算) マンガ雑誌を発行している会社である。木曜日に発売される雑誌の出版元は同じくらいの規模で、月曜日に発行される会社も同じくらいの規模であるということだ。部数の減少が止まらず大変な様子であるが、本日の話題は出版業界ではなく、小説の感想である。

冒頭の書いた短編小説を好む故に、最近読んだ宮部の小説は、『返事はいらない』であった。短い作品は無駄が無いのと、少々の無理があっても短いことを理由に許してしまえる。気の利いたセリフはこの作者の得意とするところのようで、設定の妙と組み合わせて作品のレベルを上げている。そんなことを感じたので代表作とされているものを読んでみようと思ったという訳である。、『返事はいらない』のすべてが良いと感じたというのではなく、もやもやした不快感が実はあった。それはバブル期の浮かれた感じがそこかしこに感じられることである。弾ける前にほぼ完成されただろうから、あの頃は良かったという部分はないが、(これがあったら本を閉じるだろう) 欲望が溢れて、誰でも幸せになれると信じていた時代が透けて見える。時代の影響を受けない作品はないが、その時代を好まないのだから仕方ない。ということは作者の責任ではなく、こっちの理屈とも言える。
火車の新潮文庫の内容紹介によると、
『休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。 』
とある。
自己破産に関する内容は良く調べられている。自己破産に関する仕事をしている弁護士の協力もあったとある。途中に出てくる弁護士の言葉が、作者の言葉と離れた表現に見えるから、弁護士の言葉をそのまま活かしたのだろうと思う。言葉の変更を最小限にして作品の中の登場人物を合わせたということか。それで構わないが、経済小説のような体裁であるかと思ったら、その先は少し違った。予想外というより、この部分の据わりの悪さを感じてしまう。
小説の核心部分に触れるのは明らかにしておくのがマナーだろうから、次回そこについてかくことにしよう。


他人の言葉を借りると説明が長くなる。自説を話すの場合は短い。

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ