文化・芸術

2017年10月18日 (水)

名残り火 藤原伊織

選挙中なので、離れた話にする。


藤原伊織は、1948年生まれの小説家で、東京大学文学部を卒業後、電通に勤務しているときに作家デビューしている。1995年に賞金1000万円を目当てに、『テロリストのパラソル』を江戸川乱歩賞に応募して受賞する。翌年、同作で直木三十五賞も受賞した。賞金でギャンブルでかさんだ借金を返済する為であるというのは、この手の小説家のイメージ作りである可能性もあるし、事実であるということもあるだろう。つまり、どうでも良い話である。本を手に取って貰う仕事をしている人には重要なことなのだろうが、手にした人間には無関係な話である。しかし、本を置いた後に誰かに話すときに役に立つかもしれない。それがどうしたではある。
電通を退社してから数年でガンになり、2007年に亡くなっている。多くの作品を残している作家ではない。そして、表題の作品が完成した作品としては最後のものになっている。正確に題名を記せば、『名残り火 てのひらの闇II』となる。1999年に発行された『てのひらの闇』の続編となっている。基本となる登場人物が一致するのは当然のことである。最後の完成作品としているが、月刊誌に連載されてものの全38章中第8章までは著者が加筆、改稿作業を完了していたという。つまり、改稿作業が済んでいない作品ではある。

この先は、内容に触れる部分があることを予め書いておく。
主人公の堀江の友人の不審死を明らかにしていくという物語である。女性は、死亡した友人の妻の奈穂子と、堀江の元部下である大原、飲み屋のナミちゃんというところである。藤原の作品で女性が魅力的に描かれているという批評を見掛けるが、女性の描き方としては下手な方だと感じている。藤原が描いているのは男だけで、そのコントラストで女が浮かび上がるという図式である。作品は違っても、多くの作品で男はいつも同じスタイルだから、この安定感が周辺を浮かび上がらせる。いつも同じと物語全体を括るのも可能だが、作家の描き切れる世界など幾つもあるものでもあるまい。
この作品では、大原がとても薄くなっている。主人公の近くにいる存在として女を浮かび上がらせるというのは、主人公の周囲も念入りに書き込まれなければならず、病気療養が続いたであろう藤原の体力の問題もあったのではないかと想像してしまう。命の長さを変えられないのなら、数カ月、一週間でもよい、藤原の体調が優れる時間があったのなら、もう少し完成度が高まったことだろうと、無い物ねだりをしてしまうのである。主人公の書き込みでなくても、大原に言い寄る軽い男たちをもう少しクリアーにすることで、大原の内面も浮かび上がったのかもしれない。少なくとも、女性のファッションで何かを語る作家ではない。

校閲でも気になることがある。ナミちゃんはサクソフォンを演奏する。サクソフォン、普通にはサックスだが、木管楽器であるから、所謂ラッパに括られることはない。少なくともサックス奏者が、ラッパと呼ぶことはない。また、経営者として成功した礼節を知る大人である三上が、各式の高い店の表現に、敷居が高いを使うことに違和感を覚える。堀江も同じ用法をしているが、こちらならギリギリ受け入れられる。堀江より一回りは上であり、世間で注目される経営者が台無しである。作家の問題でもあるが、別冊文春に連載されたことを考慮すれば、編集側にも責任がある。書いたものを活字に置き換える、現在では電子データであろうからレイアウトするかもしれない、だけで本ができる訳でもあるまい。


人はいつか死ぬという話に至ってしまう。

2017年3月31日 (金)

いすゞ、神奈川・藤沢に記念館 歴代の名車など展示

いすゞ自動車は4月11日、藤沢工場(神奈川県藤沢市)の隣接地に同社の記念館「いすゞプラザ」を開業する。トラックやバスの歴代の名車など約800台を展示するほか、工場の生産ラインの模型で忠実に再現する。子供向けのものづくり教室を開催するなど地域住民との交流を深め、トラックやいすゞの認知度を高める狙い。
11日に同社が創立80周年を迎えることを機に開設を決めた。記念館は3階建てで総面積は5884平方メートル。40台を超えるミニカーが街を走る巨大ジオラマを備える。創業当時のトラックを復元した車両に加え、船舶などに使われる産業エンジンも展示する。年間10万人の来場を見込む。(日本経済新聞:3月31日)


いすゞ自動車について考える。


いすゞ自動車は、1930年代から四輪自動車を生産している。戦前の自動車御三家として、トヨタ、日産とともに扱われていた歴史のある会社である。国産自動車の当初は、軍事利用が大きな用途になっていたから、大型車両用のディーゼルエンジン分野で国策企業 Zとしてリードしてきたと言える。戦後はイギリスのヒルマン (ルーツ・グループ=後の欧州クライスラー) のノックダウン製造を行うなど、乗用車分野でも一定の存在感を示したが、1993年に乗用車製造から撤退した。乗用車分野は長く不振であったという。
東京石川島造船所から続く歴史のある企業である。ホームページにある創業は1916年となっている。日産で快進自動車工場設立が1911年、トヨタで、自動車製作部門を豊田自動織機製作所内に設置したのが1933年である。スバル、ホンダ、マツダ、スズキの四輪車への進出は戦後のことである。ダイハツ、日野自動車戦前から四輪分野に進出しているが、御三家に比べれば遅い。日本の自動車産業の特徴もあるが、自動車産業というのは、欧州でも米国でも比較的新しい産業であり、急成長して巨大化したことで政府管理下で事業を営むという形式になったということからすれば、当然のことではある。
若い産業の特徴として、過去は振り返らず、自社の歴史に無関心な傾向がある。国産の自動車産業もこの例に入る。歴史の古い、欧州の自動車産業は、多くの企業が貴族向けの高級車の製造をしていたという歴史もあり、以前から自社の製品の保存に関心を示している。貴族が存在しない米国においても同様である。残念なことに、クライスラー博物館は2016年をもって閉館したが、保存は継続すると言う。会社がフィアットと統合されたことも影響しているのかもしれないが、運営が経営的に難しく2012年にも一度閉館していることを考えると致し方無いということになるのだろう。歴史的な資料を保存公開することで、利益が出るなどという事はまずない。自動車会社のテレビCMに掛ける費用と同じ、自社製品を使って貰うユーザへの宣伝活動と理解するのが妥当なところだろう。宣伝効果が乏しいと、広告代理店やコンサルタントに言われたとしても、この手の輩が十年先の会社のことなど心配などしないものである。この会社で働くと言うのは、この会社を離れた後でもその時代を思い描くものである。その部分で、外部と内部の差がある。

わき道に逸れた。いすゞの決断に賛同するが、年間十万人の来場というのは難しかろう。いろいろなアミューズメント施設でもそうだが、動くものや、体験するものがないと来場者が増えないのが今日の傾向である。見せるだけに留まらず、少しの工夫を付け加えることを期待する。


記事と関係ないが、日野自動車の日野オートプラザに行ってみようかな。

2016年10月12日 (水)

三浦九段、将棋竜王戦に出場せず 出場停止処分に

日本将棋連盟は10月12日、15日に開幕する竜王戦七番勝負(読売新聞社主催)で挑戦者になった三浦弘行九段(42)が、出場しないことになったと発表した。
挑戦者決定戦で敗れた丸山忠久九段(46)が渡辺明竜王(32)と対戦する。同連盟は12月31日まで三浦九段を出場停止処分にするという。(朝日新聞:10月12日)


将棋連盟について考える。


最初にこの記事を読んだときの理解は、三浦が何らかの理由で出場を辞退することを申し出たが、連盟側が認めず、その結果として三浦に処分が下されたというものだった。何だか変だし、それなら三浦の主張が表に出る筈だと考えれば、三浦の言動による連盟の処分というのが妥当な理解になる。連盟の最高峰のタイトルとされる竜王戦であるから、名誉とともに、対局料も高いことになる。つまり、辞退する理由など無い。その後、スマートフォンを利用したカンニングが理由であるということが伝わった。これも本人が認めた訳ではなく、疑わしき行動があったという。社会では疑わしきは被告人の利益にと決まっているが、限定された社会では疑わしきは罰するということになるようだ。
法律家がこの問題を扱って、法廷での判断となれば、三浦に不正があったことを示す責任が連盟側にあるとする判断になるのだろう。成文法に従うのが世の中であるから当然である。しかし、不文法が成文法に優先するのがギルドの掟というものである。これはどんなギルドでも同様だ。将棋の世界で最も高い掟は、他人に相談しないことである。タイトル戦で、他の部屋で検討をしている場所の近くを、たまたま指している棋士が通った場合には、直ちに盤面を崩すものである。対戦者に影響してはならないのである。それを当然として、連盟は一対一の対戦を維持することで価値を見出してきた。今日、コンピュータの処理能力の顕著な向上により、人間よりコンピュータの方が有利な部分が出てきているが、それをもって棋士同士の対極に価値が失われたと判断するなら、それまでの話であるし、それでも価値があるとするなら、コンピュータの排除をするだけのことである。排除の技術的な問題は、連盟が考えることであって、外部が四の五の言うことでもない。しかし、連盟は人間が将棋を指していることを生業にして、多くの資金を獲得している団体であるのだから、これを疑わせる行為があったのなら、疑わしきは連盟の利益となるのは当然である。個人の権利を尊重して、ギルドが破壊することは受け入れ難い。

東京の将棋会館は1976年、大阪の関西将棋会館は1981年と古い建物になっている。東京の方は耐震工事を行っているとのことだ。古いは伝統と重なるものだが、単純に古いに近い存在である。機関紙と言って良いだろう月刊誌の将棋世界の発行部数は、公称20万部であるが、いくら何でもこの数字は怪しすぎる。実数は十分に一に近いところだろう。タイトル戦の収入も増やせる状況にないようだ。新聞に囲碁将棋欄があると格式が上がると考えられた時期があったようだが、新聞が売れない時代にあっては幻想に過ぎない。必要ならネット経由で棋譜を確認できるようになっている。棋譜には著作権がないと考えて良いようだから、著作物である解説なしなら、公開しても問題はないということになる。もちろん、タイトル戦の最中に状況を無秩序に公表されては困るだろうから、タイトル戦との関連付けについては何らかの制限を加える必要が出るだろう。いずれにせよ、景気の良くない話であるのは明らかだ。こんな業界に、コンピュータ技術が挑戦するというのは、世間の注目を集めるところであるのだが、カンニングした方が結果が良いというのでは幻滅するということになる。挑戦者の入れ替えで対応したが、替えられた方が黙るとも思えないから、この後は禄でもない話が続くのだろう。


この後、盤上以外に知恵が回らない者の限界を見ることになる。

2016年7月25日 (月)

追悼番組と権利

7月19日に放送されたNHKのテレビ番組について考える。


クローズアップ現代+は、『“ともだち あなた 戦う心”~永六輔・最期の言葉~』であった。なんのことはない、追悼番組である。追悼番組になんのことはないこともないが、クローズアップ現代+に追悼番組が馴染まないのを、表題で折り合いを付けたということである。追悼番組は番組に関わりのない人物以外は、特番という流れになるようだ。NHKは他の時間に特番を放送しているから、重複を避けるということもあるのだろう。それほど厳密なレギュレーションでもないのだろうが、大きな組織を動かす秩序には細かな約束事が欠かせない。
番組の事情はどうでも良いことである。追悼番組であるから、過去の映像が沢山使われる。永六輔はラジオを中心にした活動に晩年はしているが、テレビ放送の始まったばかりの頃は
多くの番組に関わっている。しかし、古い映像というのは残っているものが少ない。大体残っているという状態になったのは1980年代後半くらいだろうか。永六輔がテレビにレギュラー出演していたのは1980年過ぎまでということになるから、テレビ放送への貢献として扱うには資料映像が限られるということになる。一方で、作詞家としての仕事の方は、歌手が出演する映像は相対的には多くある。文化的な価値があると思ったのだろう。資料を残すという点では、上書き可能な磁気テープというのは向かないところがある。
番組で永六輔の出演として放送されたものに、「ばらえてい テレビファソラシド」があった。NHKの女性アナウンサーが出演する番組で、後の女子アナブームにつながる番組とも言える。1980年前後に放送されたものであるが、若手のアナウンサーだと現在もNHK、またはNHKの関連会社に所属している者もあるのだろう。既にそれから外れている加賀美幸子、頼近美津子、村田幸子、広瀬久美子といったアナウンサーが出演する場面では、氏名の表示が画面にあった。
番組の著作権者はNHKであるが、肖像権というか、この場合には、パブリシティ権というのだろうが、この権利についてNHKが自由に出来ない。つまり、権利者への許諾が必要ということである。許可を取る必要のある出演者=NHKに現在所属していない人、については、氏名を表記するということになる。パブリシティ権は、1989年9月27日の東京地裁判決が日本で最初になる。つまり、平成になって権利がクローズアップされたということになる。番組はそれより前であるから、こんなことになるとは思っていなかっただろう。
ラジオの音源も使われた。TBSラジオの「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」である。スタジオ映像も流れたから、協力を得ての話である。2003年の音声であったと記憶するが、ラジオ放送が流れた。永六輔の相手をしているのは、TBSアナウンサーの外山惠理であった。しかし、画面上に外山の名前は出ない。音源の著作権者はTBSにある。パブリシティ権は音声には関係しないのだろうが、歌唱印税というのもある。朗読でもないし、放送局に所属するアナウンサーに著作権を主張する法的根拠もない。気になっているのは著作権の話では無い。アナウンサーが永六輔と同じくらい話しているのに、名も無き扱いにして良いのかということである。著作権を主張する根拠がないから、表記する必要性もないというのは、法律家なら当然下す判断だろう。しかし、NHKにTBSのラジオ番組の音源を使用するなら、誰が出演しているのかを表記するのは当然の行為だと思える。著作権者はTBSである。外山に特別な権利はない。しかし、NHKでその番組を流すのなら、著作権者はTBSで、出演者が永六輔と外山惠理であることを明らかにするのは決して間違ったことではないと信じる。


大橋巨泉が亡くなった。野坂昭如も昨年亡くなっている。人は死ぬ。ガタガタ言うなとは言えない。

2015年4月30日 (木)

JASRAC音楽著作権契約、「他業者の参入排除」 最高裁

テレビやラジオで使われる楽曲の著作権管理事業を巡り、日本音楽著作権協会(JASRAC)の契約方法が独占禁止法違反(私的独占)にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は4月28日、独禁法違反ではないとした公正取引委員会の審決を取り消す判決を言い渡した。「他事業者の参入を排除している」とした一審・東京高裁の判断が確定した。
公取委は改めて、JASRACが放送事業者と結んでいる包括契約について、独禁法違反の他要件を満たすかどうか審判をやり直すことになる。JASRACは、テレビ・ラジオ局が放送事業収入の1.5%を支払えば約300万件の管理楽曲を自由に使える包括契約を採用。放送向け音楽の著作権管理事業をほぼ独占している。公取委は2009年、独禁法違反にあたるとして排除措置命令を出したが、JASRACの不服申し立てを認め、12年に命令を取り消す審決をした。このため競合する著作権管理会社イーライセンス(東京)が審決を不服として提訴していた。東京高裁は13年11月の判決で「他の事業者を排除する効果がある」と認めて公取委の審決を取り消し、「公取委は改めて当否を判断すべきだ」と述べた。公取委側は最高裁に上告していた。(日本経済新聞:4月28日)


著作権管理事業について考える。


放送局がラジオやテレビで放送する前に、著作権者の許可を得る必要がある。包括契約を結ぶ事情はこのこともあるのだろう。そうはいっても放送事業収入の1.5%を支払えば自由に使えるというのが妥当かというと疑問も出てくる。JASRACに信託契約をしている著作権者への支払いは、放送回数に見合った金額なっているのだろうか。JASRACは、6% - 30%の管理手数料を収入から得ているという。金額が大きい割に、幅の大きさにおおらかさがある。
JASRACが放送に用いられた頻度に連動して支払いを行っているなら、金額は固定ではなく使用回数に従った金額が適当だろうと思われる。商慣習として行ってきたことを変更するというのは、部外者が思うより抵抗があるものなのだろう。現在のシステムからすれば、放送の楽曲の管理はそれほど大きな負担を掛けずに出来そうな気がする。これもまた、門外漢の想像に過ぎない。

99%の市場占有率があるというJASRACに比べれば、新規参入がなされない市場構造になっているという指摘は、独占禁止法を運営する側に伝わっているだろう。公正取引員会は改善を求めて当然のように感じる。定額の包括契約を結んでいるのに、イーライセンスが管理する楽曲を扱うと、新たな支出が生じてしまうという事情があるからである。結果として、イーライセンスに委託しようとしていた著作権者も、JASRACに流れてしまうという論理である。単純にその流れにならなかった経緯は、イーライセンスの管理能力上の問題もあるようだ。規模の小さな団体である事情も考慮しなければならないだろうが、それが仕事であるのだから一定水準の業務が達成されないのなら、参入する資格がないという結論も致し方ない。

包括契約をなくしてしまうと、放送事業に障害が生じることが予想される。現実的な解決策としては、放送事業者から放送事業収入の1.5%を得るところまではそのままにして、その先について、管理会社に楽曲の利用件数に対応した分配をするということを加えれば良い。これなら新規参入も可能になる。公平な新規参入ルールが実現されれば良い。厳密に楽曲の利用数が明らかになれば、1.5%ではなく交渉によって金額を決定する方式を採用する可能性も出てくるだろうが、分配するところから先の複雑さで交渉が複雑になるのは困るから、そのくらいは考えておいた方が良いだろう。


著作権権利団体が天下り先というのは良くない。

2014年2月28日 (金)

竹本住大夫引退へ:文楽の最長老、人間国宝

人形浄瑠璃文楽の最長老で人間国宝の太夫(浄瑠璃語り)、竹本住大夫さん(89)が、5月の東京・国立劇場公演「沓掛村」を最後に引退することが2月27日わかった。高齢に加え、2012年に発症した脳梗塞の後遺症が思うように回復せず、現役を退く決意を固めた。4月の本拠地・大阪での国立文楽劇場公演とともに引退興行とする予定。(2月27日:朝日新聞)

たまには文化に関することを考える。


1月26日に、大阪市の国立文楽劇場の2013年度の有料入場者数が10万1,204人(速報値)になったことが明らかになった。文楽がそこまで注目される理由は、偏に大阪市が文楽協会に対して運営補助金を減額すると報道されたことに尽きる。大阪市が2012年度に文楽協会に支給した補助金は3,900万円であるが、2013年度は、入場者数が9万人以下ならゼロ、それ以上なら1人につき約1,930円ずつ増額し、10万5,000人以上なら満額の2,900万円を支給するというものである。市はこの他、入場者数に関係なく衣装代などの活動補助費として別途1,000万円まで支給する。
過去10年間の平均入場者数は9万6,395人だというから、ハードルは結構高い。千秋楽が近づくにつれ入場者数が伸びてここまで達したが、運営補助金を満額支給する基準には達していないから、約730万円減額され約2,170万円になる見通しである。市は来年度も同じ制度で補助する方針というから、文楽も大変である。
少し前にも書いたが、何かがあると入場者が増える。閉めるとなれば思い出に浸って沢山のお客さんが来るし、役所が虐めたとなれば贔屓もしたくなる。役所の側が、最近悪役がすっかり板に付いた橋下である。文楽に関心がなくても集まる要素に事欠かない。しかし、それに頼っては文化を継承するのが難しい。お客商売は、お客を呼べなくなったらお終いにするよりないようだ。国立文楽劇場が不入りで閉めることになったら、名残惜しいと大入りになるのだろうが、それではいけない。観に来ないから閉めることになる。当然の道理が、感情に流されて本質から目を逸らす感じが気持ち悪い。人気がないから無くなったという事実を見つめれば、無くなって欲しくないものが残ることにつながるだろう。

人気がなくなると場所を失う芸能の世界には引退というのが似合わない。芸能は、消えるか死ぬかの世界である。人気と技量を保ったままで、健康上の若干の不具合はあったにせよ継続して活動が出来たというのは目出度いことである。引退興行は縁のある人が集まることだろうが、当人はその先もお客が来ることを喜ぶことだろう。引退といっても若手の指導は続けるとのことであるから、伝統の継承に力を発揮して貰いたいものである。
東京のラジオ番組に出演する為に大阪から移動していたので、大病していたとは思えなかった。AMラジオは高齢の人が多いが、どの人も音を聞くだけでは非常に元気に思える。本人としては、若い頃と違うとの思いもあるのだろうが。年寄りが元気なことは悪いことではない。長生きが悪いことのような国になってはならないと思う。


桂文楽は人形浄瑠璃とは無関係であった。勉強をし直してまいります。

2014年2月14日 (金)

日本将棋連盟

少し前に扱った日本将棋連盟について続いて考える。


将棋に関連する公益社団法人に、日本将棋連盟と日本女子プロ将棋協会(LPSA)が存在するということを前回書いた。LPSAは日本将棋連盟から独立した新しい団体である。社団法人であるので、理念や目的が掲げられている。日本将棋連盟から見ていくと、定款の第3条に目的としてこうある。

目的
本連盟は、将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与することを目的とする。


この後に第4条に事業が示されている。LPSAの協会理念はというと下記のようになる。

協会理念
 一 女性らしい感性を活かした日本の伝統文化である将棋の普及活動
   二 棋力向上のために対局を実施、棋道の研鑽に努め将棋発展へ寄与
   三 将棋の対局棋譜の提供及び解説・講評、ウェブ中継等の実施
   四 女の子たちが夢と憧れを持って女流棋士を目指せる育成組織の形成
   五 指導者を養成するための技術指導・マニュアル作成
   六 礼儀・作法を大切にする将棋を通した国際親善
   七 高齢者や身障者へ合わせた将棋の楽しみ方の構築、地域・社会への貢献


「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」によれば、行政庁が認定するとなっている。いろいろと条件を定めているが最初に、公益目的事業を行うことを主たる目的とすることを求めている。公益目的というのに最も整合するのが、伝統文化であるようだ。伝統文化に関係していなそうな競輪とオートレースでも、国民の健全なる余暇を推進する公益法人として公益財団法人JKAとなっているから、文化の香りは人によって受け止め方はそれぞれともいえる。JKAは特殊法人改革に関係しているという事情もある。日本赤軍のようなCMを流している中央競馬会は、政府が資本金の全額を出資する特殊法人である。儲かる方は特殊法人で、儲からないのは財団法人だという訳でもあるまい。
同じ趣旨の団体が複数存在するのを当局が認めるとは思えない。古い団体があって新しい法律に対応する計画である状態なら、新規の申請は進まないというのが役所のしきたりだろう。それでも新規の団体が認められたのは女性を重視した理念を打ち出し、日本将棋連盟から零れた部分を対象にしたからだろう。一方、日本将棋連盟の方はというと、公益社団法人に移行するのに、男女の平等や経営の透明性が求められるから、改革が必要となった。従来、女流棋士を会員として認めなかったことを改めなければならず、会員に固定的に支払われていた固定給は、組織から会員への利益供与となることから廃止しなければならないといった対応を実施した。2007年設立のLPSAに対し、女流棋士の流出防止をしなければならない事情は公益法人になる為に重要だったのだろう。それなら、分裂しない方法もあっただろうと思うのは外の人間だから思うことで、内部ではそうはいかないものなのだろう。社団法人にならないと税制上の優遇が受けられないから、切りつめないといけないと切羽詰まった話になる。選択しはないということである。結果として、新しい社団法人に移行してからは女流棋士も会員になった。理事に女流棋士が入った。外部理事に加わった。と、大きく変化した。棋士の固定給と賞与は廃止され、対局料に一本化された。これは配分の仕方の問題だから大きな変化は生じないのだろう。

さて、どちらの団体も普及を掲げている。アマチュア相手に重要となるのは、免状の発行であるがこれは日本将棋連盟にのみあるようだ。免状の発行が日本将棋連盟でも、新聞、雑誌、インターネットのサイトなどいろいろなところで段位認定をしている状況であるから、最後の発行の部分だけが日本将棋連盟に残っているということである。免状の発行収入は公表されていないが、2000年頃のデータとして収益が1億円を超えていたという。最新の金額で初段が3万円(+税)からで、六段だと25万円(+税)となる。数千人の人が免状を得ていたとしたらそのくらいの収入にはなるだろう。LPSAは2,700万円の収入しかない団体であるのだから、日本将棋連盟から三段以下、駄目なら初段以下の免状発行の権利を獲得する交渉をするのは価値があったことだろう。免状に書かれる署名が変わるから価値が下がると考える向きもあるだろうが、それはそれとして欲しいという人がいれば収入になる。若い女性向けに級位の免状発行に重きを置けば日本将棋連盟と差別化は計れる(級位:日本将棋連盟は印刷で三千円+税)。女性の地位向上を目指して、男性中心の団体の在り方を批判する考えの人がいても理解はするが、事業として継続しなければ現在に価値を打ち立てることにはならない。事業性に関する理解がないのは、どちらの団体にも共通する特徴と言える。

日本将棋連盟の収益がどのくらいあり、期末正味財産がいくらかをまとめた。この社団法人は情報公開を好まないようで、新しい法律に求められてからは行っているようだが、古いものは見つからない。ウェブ上で見つけたものを拾ってみた。結果を下に示す。

■ 日本将棋連盟収益状況推移 (単位:千円)
             収益合計      期末正味財産
  2006年3月                2,371,784
  2007年3月    2,139,230      2,324,387
  2008年3月    2,376,737      2,100,801
  2009年3月    2,336,786      2,057,034
  2010年3月
  2011年3月
  2012年3月    2,709,892      1,649,282
  2013年3月    2,636,731      1,675,699

収益は27億円である。新聞に掲載されるタイトル棋戦が収入の主なものだろう。新聞の部数が減少するなかでの対応である。新聞社のご苦労が察するよりないが、将来性はといえば明るくないだろう。注目すべきは期末正味財産である。2年のデータが無いのだが、だいぶ減少している。これを問題にしない総会というのも不思議なものである。普及や指導の重要度は高くなることになる。それなら、LPSAはそこに集中することが正しそうだ。そうしないで内輪もめしているのは、旧来の価値観で新しい団体も支配されているということだろう。


最強こそが価値だというなら、真剣師も参加する棋戦を最高棋戦にする必要がある。

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