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2017年2月28日 (火)

任天堂、カート会社提訴 「マリオ衣装貸し出し著作権侵害」

任天堂は2月25日までに、公道カートのレンタル会社「マリカー」(東京)が、「マリオ」などのキャラクターの衣装を貸し出した上で、その画像を許可なく宣伝や営業に利用し、著作権などを侵害しているとして、侵害行為の中止と1千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
任天堂が訴えたのは、マリカーと同社の代表取締役。人気ゲーム「マリオカート」の略称である「マリカー」を会社名に使用し、利用客にマリオなどの衣装を貸し出す営業行為が、不正競争行為や著作権侵害行為に当たると主張している。マリカーは公道を走れるように改造したカートを外国人観光客などに貸し出し、料金収入を得ている。任天堂の担当者は「数カ月前から警告していたが誠意ある回答を得られなかった」と話している。(共同:2月25日)


著作権について考える。


公道上でカートを走らせるのは、一定の条件を満たせば違法ではない。総排気量20ccを超え50cc以下、または定格出力0.25kWを超え0.6kW以下の原動機の四輪車である。法律は、シートベルトの着用義務も、ヘルメットも同様に求めていない。重量を大きくすると直ちに走行性能に響く事情があるから、運転者は生身がむき出しの状態で運転することになる。この公道カートのレンタル会社がビジネスとしているのは、東京という大都会を、小型のカートで、任天堂のゲームに出てくる衣装で走行できるということである。当然、外国人観光客を主なターゲットにしている。
営業行為として衣装の貸し出しをしているのだから、衣装が著作権に抵触するものであるとすれば、この営業行為が著作権侵害行為だとする論理は筋が通っている。一般論として、ゲームのキャラクターに似た衣装というレベルで、著作権に制限を掛けるというのは、少し行き過ぎがあるのではないかという心配はある。今回の訴訟には興味がそれほどないが、このビジネスには少し興味を持った。

東京と言う大都会を小型のカートで走り抜けるというのは、まさにゲーム感覚と言えるだろう。日本で暮らしていない人にとって、ゲームを生み出した国の都市で、ゲームさながらのスリルを味わえるというのが、宣伝に使っていないにしても、意図しているところであろう。
道路交通法で認められた車両であるから、走行するのは自由であるのだが、集団で走行するレンタル事業を行うのは如何なものかと感じる。都心で車高の低く安全基準の乏しい車両で、ゲームに出ている人物のコスチュームを身にまとい運転する。人間の動作に制限が加わる衣装であるし、そもそも加速性はもとより、減速性能も低い。そして、日本の交通事情に疎い外国人を主なユーザに想定している。
このようなビジネスを行うのなら、ヘルメットの着用 (フルフェイスである必要はない) 、車両の高い位置にブレーキランプなどの表示機器の設置くらいはして方が良い。そもそも、公道を走行させる意味が分からないのだが、クローズドのサーキットを準備しても誰も注目もしないことだろう。これでなければ商売にならないと主張することだろう。保険にも加入していると説明したとしても、ゲームのコスチュームで大きな事故が起きてしまっては任天堂のイメージが落ちてしまう。著作権の問題とは別に、任天堂に同情する部分である。大企業がベンチャーを苛めているという図式で見る向きもあるようだが、社会の迷惑になり得る存在で、その結果として連帯してイメージダウンを受けるというのはあんまりな話である。


警察も何かの法律で取り締まることを考えているだろう。

2017年2月22日 (水)

森友学園の幼稚園指導法、文科相「大阪府に報告求める」

大阪府豊中市内の国有地を、近隣国有地の約1割の価格で小学校用地として売却された学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐり、2月22日の衆院予算委員会の分科会で同学園が運営する大阪市内の幼稚園が取り上げられた。
民進の議員が幼稚園の指導のあり方についてただし、松野博一文部科学相は「大阪府に今どういった状況であるのか報告を求めていきたい」と述べた。 民進の玉木雄一郎氏の質問に答えた。玉木氏は21日にこの幼稚園の元保護者から聞いた話として、「パンツで(漏らした)うんちをくるんで幼稚園のバッグに入れて持ち帰らせる」「犬を飼っている子が『犬臭い』と言われ、勝手にリュックサックを捨てられた」などと例示。「児童虐待にもつながる」と指摘した。
「犬臭い」という発言などをめぐっては、元園児の保護者が損害賠償を求めて提訴し、大阪地裁で係争中。森友学園側は答弁書で「子どもに『犬臭い』と言ったことはない。両親に、園児の生活環境の改善などの必要性を伝える際に『犬臭い』という表現を使った」などと反論し、請求棄却を求めている。(朝日新聞:2月22日)


もろもろ考えることにする。


国有地の面積は 8,770平方メートルとされる。不動産鑑定士の評価額が 9億5,600万円で、売却価格が 1億3,400万円であるというから、差し引き 8億円余りが地中から出たコンクリート片や廃材などの撤去費用ということになる。特殊な産廃でもないようだから、除去の相場としては、1平方メートル当たりで1メートルの深さで除去すると5万円というところである。これは産廃ばかりの例である。実際に産廃を埋めるとなると、埋める作業上の制限から、全体の面積のうち五割程度だろう。だいたい周囲が山の中でもない。
仮に試算してみよう。除去する深さは2メートルとしてみよう。上の計算式に従うと、8770 x 0.5 x 5 x 2 = 43,850万円 となる。8億円には届かないから深さは4メートルレベルということになる。土地の様子を見ると、建物が建設されている部分があり、その部分に産廃が多く埋められていると、基礎の安定性が確保できないから、掘り起こすよりないのだが、それほど深く掘った様子もない。建物の部分には産廃がなく、校庭予定地に多いという説明をされたらそれまでだが。

学校法人の教育方針は、規律を重視したものであるようだ。幼稚園で規律を求めても、なかなか達成するのは困難だと思うが、そんな軟弱なことを言っているから、こんな国になってしまうと怒られそうである。入試時に軟弱だとする理由で落とされるかどうか知らないが、そんな子供がいたとしても不思議ではない。子供が理由ならまだ良いが、親が軟弱なのでという理由だと悲しくなる。要らぬ心配なのは重々承知している。
元園児の保護者が損害賠償を求めて提訴して大阪地裁で係争中というから、それだけでイメージ的には十分過ぎるくらい問題のある幼稚園である。学校法人側に主張もあるのだろうが、この手の仕事では裁判所に行ってしまっては駄目というのが、顧問弁護士の常識というものだろう。裁判になって、幼稚園児と学校法人の教育方針とを天秤に掛ければ、裁判官は弱い者を守りたいと心情的には思うだろう。事前に説明することで済むものもあるが、果たしてここまで攻撃的な教育方針の説明をできようか。犬臭いと言ったかどうかが裁判では大切なことになるのだろうが、生活環境の改善に適切な指導が実施されたかを争うことになれば、かなり旗色の悪いものであろう。学校法人側は和解に持ち込む流れだろうが、幼稚園児の保護者は既にこの幼稚園を離れ、恨みつらみしかないから結審を希望するという想像がされる。大きな土地を持っているから、支払い能力に問題はなさそうだ。

ほうぼう問題がある学校法人である。首相が自身または妻と関係あれば、首相も議員の職も辞するなどと強弁すれば、野党の心に火を付けることにしかならない。愚かな者は、興奮すると訳の分からない言葉を口にするものだ。法律に関わる表面上の問題など無いようにするものである。その程度をクリアーしていないのなら、国会議員に便宜を計って貰う資格がない。しかし、学校法人の方は叩かずとも埃がこぼれる体質のようだから、首相は無駄な言葉を足したということになるのだろう。


国の財産について、岸信介の孫は自由に処分して良い。

2017年2月21日 (火)

将棋界初の外国人女流プロ ポーランド出身25歳

外国人で初めての将棋の女流棋士が誕生した。ポーランド出身のカロリーナ・ステチェンスカさん(25)が2月20日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた対局に勝ち、正式なプロとして認められる女流2級になった。
対局を終えたステチェンスカさんは「今まで苦しかったが、プロになれてうれしい。ダイナミックな終盤戦に魅力がある将棋を、これから世界に広めていきたい」と笑顔で話した。日本の漫画「NARUTO(ナルト)」で将棋に興味を持ち、2013年に来日。山梨学院大で学びながら研さんを積み、15年10月に女流3級となって女流プロ棋戦に出場していたが、2年以内に一定の成績を上げなければ取り消される「仮資格」だった。この日の勝利で第44期女流名人戦の挑戦者決定リーグ入りを争う予選の決勝進出を決め、昇級条件を満たした。現役の女流棋士は現在約60人いる。(日本経済新聞:2月20日)


女流棋士について考える。


日本将棋連盟の中で、女流棋士の位置付けはお飾りのような存在であった。これは、プロ将棋棋士の存在価値は、技量が高い者であることであるという信念によっている。女性の棋士の存在を否定してはいないが、女性では奨励会で三段がいるから、将来女性棋士が実現する可能性はあるが、プロである四段になっても、真に価値があるタイトル戦への出場や優勝というのはその先の話である。
そんな将棋連盟、正式名称は公益社団法人日本将棋連盟という。この連盟の目的は、「将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与すること」と謳っている。本年は技術向上しかないのだが、それでは公益法人としての資質を問われることになるから、綺麗事が色々書いてある。しかし、四十年位まえには、全国への普及に随分と力を入れていたし、海外への展開を考えて行動していた様子があった。連盟の力が強かった訳ではないのだが、志は感じた。当時は、東京の将棋会館が完成し、関西の将棋会館を造る為に寄付を募っていたから、トーナメントプロだけで良いとは言い難い環境もあったのだろう。念の為年譜を確認すると、女流棋士制度が創設されたのが1974年、東京の将棋会館の竣工が1976年、関西将棋会館が1981年である。社会情勢が良く、企業からの寄付が期待できる経済環境であったとは思うが、それで簡単に賄えるものでもあるまい。なお、囲碁の日本棋院は、1971年に本院が市ヶ谷に建設された。何にも流行というのはある。
日本女子プロ将棋協会については過去に書いた。女流棋士を飼っていられなくなった連盟が、経費削減を計ったが、いろいろと問題が双方にあって、日本女子プロ将棋協会は風前の灯火となっている。仕事の進め方が致命的に悪かったと感じるが、連盟が筋の良い仕事をしていた訳でもない。世の中で良く議論されるプレーヤーが経営をすることの問題点が、思いっきり表に出ている例である。普及や指導を行うことを企画するのは、トーナメントプロの仕事とは別のものではある。しかし、相容れない課題でもないことが問題を複雑にする。
さて、ステチェンスカは連盟所属の女流棋士である。今更、日本女子プロ将棋協会を叩く必要もないだろうが、普及、特に海外について弱いという現実を大きく変える札にはなる。それを有効に活用できるような機転はこの連盟には期待しようもない。最強であることを最大の価値としてきた者達の集合体である。最強が半導体技術の進展と、プログラミングの最適化作業の結果として、人間の能力を超えたときに、その価値はコンピュータ技術に置き換わるのだろうか。それを否定して、自分たちのネグラに閉じこもるのも可能だが、それで誰から尊敬されるというものでもない。文化の向上、伝承に資すること、諸外国との交流親善を図ることは、コンピュータには期待できない。そちらを重視しなければならないということになる必然性は高そうだ。


日本将棋連盟の記事の扱いは、困った印象を受ける。

2017年2月16日 (木)

リクシル社長「放射能で大柄に」 不適切発言で謝罪

住宅設備大手、LIXIL(リクシル)グループの瀬戸欣哉社長は2月15日、山本公一環境相と環境省で意見交換した際、体格の大きさを指摘され「放射能の影響で大きくなりました」と述べた。記者が意図を尋ねると「冗談だった。不適切な発言だった」と謝罪した。
環境省は東京電力福島第1原発事故に伴う除染などを所管する。山本氏は意見交換後、瀬戸氏の発言に関する記者の質問に「気が付かなかった」と回答。瀬戸氏は「(スポーツをしていた時代に比べ)体重が増えたことの言い訳だった」と釈明した。意見交換は地球温暖化対策がテーマだった。瀬戸氏の発言に関し、福島県の内堀雅雄知事は記者会見で「放射能の問題について、誤解や偏見がないようにすることが大切だ。福島県は農産物や観光などで、いわれのない誤解や偏見により非常に苦しい思いをしている」と苦言を呈した。瀬戸氏は昨年6月、社長に就任。バスケットボールやボクシングの経験があるという。(共同:2月16日)


放射能汚染について考える。


放射線被曝の風評被害というのは、2011年3月11日の地震発生で原子力発電所が被害を受けて、発電に用いるものと二次的に発生する放射性物質が拡散したことによっている。放射性物質で、ウランやプルトニウムは比重が大きいことから、広い地域への拡散はないと考えれれている。それでも少し離れた地域でも検出されている。微量なので問題ないと言いきれないのが辛いところだが、健康被害への心配は小さいと判断するよりない。少なくともチェルノブイリ原発の事故による日本への影響と比較して、大きくないという結論は正しいとして良いだろう。
ストロンチウム90はカルシウムに特性が似るから、体内に入った場合、骨への定着が心配されていた。半減期は29. 1年である。他に話題になったものは、ラドン220 (半減期:55.6秒)、ヨウ素131 (8日)、セシウム134 (2.1年)、セシウム137 (30.2年)というものがある。半減期は放射性崩壊により原子が半分になる期間であるから、半分は残っているという解釈で問題ない。しかし、半減期が10回過ぎれば 1/1024 になるから、20回過ぎれば100万分の1にまで減少する。現在までの時間の経過により変化しているものと、大きくは変わらないものとがある。セシウム137はあまり変化はないだろう。人体への影響は、放射線の強さも考えなければならないので、そんなに単純に済ませられる話でもない。確実に言えるのは、半減期の長い放射性物質が拡散したことは、人間の一人の生命が存在する期間に比べ長い年月であるということである。薄く広まった原子を効率的に集める技術はないと言って良いから、拡散すれば手の施しようもない。

さて、LIXILの話である。政治家や経営者が、面白いと思って話すことの多くが、面白くもなく、ほとんど不快と感じることが不思議である。不快と感じるのを回避するなら、つまらないことに徹すれば事故は回避可能である。今回の発言の、身体が放射能の影響で大きくなったというのに、何が面白い、誰が楽しいと感じると、この社長は考えたのだろうか。環境大臣相手だったので、放射性物質の処理で困っているだろうから、良いこともあるのだと話そうと考えたということか。1960年生まれだから50代である人間が、放射線を浴びて成長するというのは、ある種のSFではあるのだろうが、ひねりに欠けた話である。1954年に登場したゴジラは、水爆実験によって発生したという設定であるから、この話を下敷きにしたという理解が良さそうだ。ゴジラほどは強く被曝しなかったので、この程度の成長で済んだということだろうか。LIXILの本社は東京であるから、特段、この社長が被曝したという理由も見出せない。やはり、どこが面白いかは分からない。
福島県知事は、ぜひLIXILの社長に、どのように面白い冗句を言ったのかを説明して貰うと良いだろう。偏見や苦しい思いについては別に対策するにしても、面白いと思ったことを知らなければ、発言者の精神構造に迫ることが出来ない。


LIXILの本社では、違法に放射性物質を保管している疑いがあるということか。

2017年2月13日 (月)

清水富美加さん、事務所との契約解除意向 幸福の科学へ

女優の清水富美加さん(22)が所属事務所との契約を解除し、信仰する宗教団体「幸福の科学」の活動に専念する意向を持っていることがわかった。関係者によると、本人が弁護士とともに所属事務所に対し、出家することを伝えたという。
所属事務所の関係者は「慰留しているが本人と連絡が取れない状態が続いている。公開前や制作中の作品の今後については全くの白紙状態」と語った。一方、幸福の科学は取材に対し「清水さんが出家したことは事実」と回答。現在は体調を崩しているといい、「予定されていた映画等の仕事については全うできなくなった。回復後は宗教家としての活動に移る」としている。体調が戻った後に同会制作の映画などに出演する可能性があるとしている。(朝日新聞:2月12日)


宗教団体について考える。


幸福の科学は、新宗教に分類される。近年、幸福の科学の政治団体である幸福実現党として、国政選挙に候補者を立てるなど派手に活動している。伝統宗教が間違っていないとする根拠も持ち合わせていないが、組織が新しい分、問題発生の頻度が高い傾向は否めないと感じている。問題が発生するのは、強引に寄付金 (適切な言葉が思い付かない) を募ったという内容である。資金の流れの完成度が低く、布教として資金を要する広報活動を行うと資金がいくらあっても足りない状況になるのだろう。
幸福の科学は、信者の数を1,000万人レベルで公表している。幸福実現党の国政選挙の獲得得票数が10~40万票であることからすると、有権者で10万人程度と見て大きくは外れないだろう。幸福の科学は、1990年代から活発になったから、この頃に入信した信者の子供、所謂二世信者がいる状況になっている。清水の場合も両親が信者であったという。

清水が事務所の方針と意見が合わず、仕事で疲労したことが原因で、芸能界からの引退を考えたというストーリーは理解できる範囲にある。信仰があったから、その宗教団体に奉職しようと思ったのは、精神的な疲労が大きければ選択の有力な候補になる。そこまでは必然であったとしても、事務所経由で契約している仕事を放棄してしまえば違約金が発生する。CMスポンサーは状況について理解する度量の大きさを示してくれても、差し替えの為に大きな費用が生じたものを請求しない訳にはいかない。出家と称する宗教法人での布教業務を担うにしても、数カ月を急ぐことでもないだろう。三カ月先に延ばして、仕事の整理をする相談くらいはして貰いたいものだと、事務所や仕事を発注した立場に置き換えて考えてしまう。
清水の待遇が悪かったことや、意にそわない仕事を強要された、などという話が出てきている。そんな部分もあるのだろうが、違約金は待遇のレベルとは大きくかけ離れた大金である可能性があるし、迷惑を掛けたスポンサーや製作会社へのお詫び行脚は、事務所社員にとって、降ってわいたような嫌な仕事を強要することになる。どちらも原因は清水である。そこまでしなくても、何とか折り合いを付ける方法があったろうにと思う。加えて、宗教団体も、俗世に疎いということもあるまい。これらの事情について配慮しつつ、適当な妥協点を見出すことも、結果として信者である清水を守ることに繋がるだろう。

マスコミは、いささか問題のある宗教法人が関係しているといっても、信仰の自由を制限するような言葉は使えない。タレント事務所とも問題をおこしたくない気持ちがあるのか、緩い表現を選択する傾向があるようだ。あっちにも、こっちにも気を使って、内容が何もないことを口にして時間を潰すのなら、何も話せないとする方が正しい選択である。話すを書くに置き換えても同様である。
清水は引退ではなく、幸福の科学の制作する映画などに出演するというが、これも布教活動以上のものなら、事務所は契約違反だと主張する内容である。いろいろ問題が多く、両者ともに法律家の意見を求めているのに、この体たらくというのは酷い。ということは、清水の行動が世間の標準から離れたものだということか。


信仰の自由は優先するが、経済的な損害は補填して貰うで良かろう。

2017年2月10日 (金)

眼鏡店が「万引き犯」画像 「返却せねばモザイク外す」

眼鏡販売店「めがねお~」の運営会社(東京都台東区)が、同区の店舗で万引きをしたとして、防犯カメラに映った男性客とみられる人物の画像をホームページ上に公開していることがわかった。顔にはモザイクがかけられ、3月1日までに警察に出頭するか、返却や弁償をしなければモザイクを外すと警告している。
画像や説明によると、2月4日、この人物が来店後に眼鏡7本(時価約21万円相当)がなくなったという。警視庁上野署に被害届を出したとして出頭や返却を求め「3月1日よりモザイクナシの動画をここに公開します」と書いている。同店の店長は9日、取材に対して「詳しいことはわからない。社長に聞いてほしい」と話した。万引きをめぐっては、コンビニエンスストア大手「ファミリーマート」の千葉市の店舗が、客の顔が映った防犯カメラの画像に「万引き犯です」と書き添え、店内に約2週間貼り出していた。外部から指摘があり、7日に取り外した。「セブン―イレブン」の神戸市の店舗でも、防犯カメラに映った客の画像を「万引き犯」とみて一時、店内に貼り出していた。8日に撤去された。(朝日新聞:2月9日)


画像貼り出しについて考える。


記事の眼鏡販売店の場合は、警察に相談するという、今日求められる手順は踏んでいる。それでも、この国では推定無罪の原則というのがあるから、逆に眼鏡販売店が刑事犯として取り締まりを受ける可能性が出てしまう要件である。記事の最後にあるコンビニエンスストアで同様の事案があった。万引き被害にあったフランチャイズオーナーが、独断で行ったことで、チェーン本部が詫びることになった。
万引きは現行犯でしか逮捕できないような話があるが、犯人であることが推定される有力な証拠があれば、現行犯でなくても逮捕が可能である。現行犯のみと思われる理由は、盗まれたとされる商品を持っていても、どこでも同じ商品が販売されていることから、他から買った、あるいは、同じ店で別の時間に買ったという説明を容疑者がした場合に、それ以上何も出来ないからである。商品を持ち出したことが特定できる写真とか、転売した商品がその店のものであると特定されることなどがあれば、逮捕することも可能になる。しかしこれだと、一般的な万引きのイメージより、窃盗に近いということになる。万引きも窃盗も盗むことに違いはないのだから、区別する合理的な理由もないと思う。

眼鏡販売店の場合は、被害金額が大きく、万引きというより窃盗と呼ぶべき事案だろう。万引きが日常品で、自己使用を目的にしている印象を持つが、眼鏡7本の窃盗には自分で使うのではなく、転売を目的にしているものだろう。店側が警察に相談したのは妥当な判断である。警察の捜査力を使って、転売先を抑えれば犯人が特定されることが期待できる。逆に、個人を特定する画像の公開があったとしても、店に詫びに来る可能性は低いだろう。この部分でも、日常品を生活圏内で万引きするという図式とは別のものになっている。
世間では、悪いことをしたのだから、公開されても仕方ないという意見もある。もっともな話とも思えるが、おかしなことだとも感じる。これは、殺人犯を市中引き回しの上、磔獄門にしたがるのと同じことである。こちらは警察や司法が関係した上での話だが、万引きの件は、個人が警察や司法の役割をしてしまっている。これはいけない。現状の制度に不満があっても、長い時間を掛けて完成度を高めようと努めてきた結果である。小さな不備を論うのは自由だが、不備を総合的に小さくしてきたのが歴史である。感情に流され過ぎるきらいがある。


犯人はすぐに捕まる事案だろう。

2017年2月 7日 (火)

裁判員候補名簿に死亡者記載 愛知、遺族が指摘

愛知県尾張旭市は2月7日、名古屋地裁に提出した裁判員候補者の予定者名簿に既に死亡した2人が含まれていたと発表した。古いデータを使ったミスで、通知を受けた遺族が地裁に指摘して分かった。
同市によると、2016年9月、市に選挙人として登録してある人の中から、無作為抽出で170人を選び、名古屋地裁に名簿を提出した。本来は最新の選挙人データを使う必要があった。誤って15年9月のものを使ったため、死亡者が含まれてしまったという。(共同:2月7日)


裁判員候補者について考える。


裁判員候補者の名簿は、選挙管理委員が持っている選挙人名簿と同じである。このリストの中から年に一回裁判員候補者を選ぶ。対象になるのが地方裁判所であるので、地方裁判所単位で作成されることになる。これは、くじによることとなっている。人数を地方裁判所が通知して、選挙管理委員が選ぶという作業手順である。煩雑な作業で、公平性を担保しなければならない事情があるので、最高裁から配布されたプログラムを利用していると言われる。別のソフトウェアでも可能だろうが、負担の掛る作業をわざわざする必要もない。
尾張旭市が選挙人名簿の中から、無作為抽出で170人を選んで、名古屋地裁に名簿を提出している。記事のミスは、一番最初の名簿が古かったという単純なものである。今回の指摘は、亡くなった人がいるという遺族の申し出で明らかになったが、引っ越した人が候補であったのなら、分からないままになってしまった、あるいは、そのまま放置されている可能性もある。余分に選んでいるから問題は出ないのだが、それで良いと言う話にもならない。


選挙人名簿の更新は緊張感を持っているだろう。ちょっと、他人事に感じてしまう。

2017年2月 3日 (金)

受刑者の手紙を無断廃棄、看守を停職処分 大阪刑務所

大阪刑務所(堺市)は2月3日、受刑者の手紙を無断で廃棄したなどとして、法務事務官の男性看守(37)を停職3カ月の懲戒処分にし、発表した。
大阪刑務所によると、男性看守は2015年6月ごろから16年3月にかけ、受刑者から頼まれた手紙11通や臨時福祉給付金申請書18通などを送らなかったり、受刑者のノート1冊などを無断で廃棄したりしたという。受刑者は20人に上り、男性看守は「事務手続きが面倒だった」と話しているという。渡辺昭太郎所長は「矯正行政への信頼を損ねるもので誠に遺憾であり、深くおわび申し上げます。再発防止に努めてまいります」との談話を出した。(朝日新聞:2月3日)


法務事務官について考える。


法務事務官というのは、法務省で働いている事務官のことを指す。刑務所で看守をしている職員は、刑務官ということになる。刑務官は、法務省矯正局の国家公務員で、当然のことながら7つの階級がある。看守とあるから、一般職員ということになる。この上に、主任看守という肩書があり、その上が看守部長となる。昇進は、それぞれ十年、十年というところだという。今回の看守は、高校を卒業して職に就いたとすれば二十年近くになる。主任の肩書が付いていなかったとすれば、勤務成績が良好ではなかったということになる。大阪刑務所は規模の大きな刑務所であるから、所長は刑務官の最高階級である矯正監となる。

大阪刑務所について確認する。刑事施設 (刑務所、少年刑務所、拘置所) には、収容分類級が設定されている。収容する受刑者を区分して、矯正の確実な実施を目指すということなのだろうが、主とした目的は、類似したグループを作って効率的に運用することになるのだろう。大阪刑務所は、B (犯罪傾向の進んでいる者)、F (日本人と異なる処遇が必要な外国人)、LB (執行刑期が10年以上である者で再犯受刑者) を対象にしている。外国人を扱う刑務所は少ないので別にすると、再犯者で刑期が長い受刑者、一般的には暴力団関係者などが収容される施設である。以前は、B、Fであったから、厳罰化の流れで、長期受刑者の増加があったということだろう。
刑務所の受刑者には当然のことながら制限がある。しかし、手紙の発受については、原則として誰とでもできることになっている。自由刑であるのだから、何も制限がないということもない。刑務所での制限について確認する。受刑者の優遇区分と関連付けられているので合わせて考える。下にまとめたものを示す。

■ 受刑者の優遇区分と制限
  分類    テレビの視聴         嗜好品(菓子)    集会     手紙の発信   面会
  1類      自由視聴         月2回自費購入可   出席可     10通/月    7回/月
  2類      自由視聴         月2回自費購入可   出席可     7通/月     5回/月
  3類    平日夜 休日朝・夜     月1回自費購入可   出席可     5通/月    3回/月
  4類    工場出役者のみ      購入できない     出席不可    4通/月    2回/月
  5類    工場出役者のみ      購入できない     出席不可    3通/月    2回/月
    ※  夜:18時~21時、朝: 8時~10時


優遇区分は、5段階ある。数字が小さい方が自由度が大きく、大きな方が制限が強い。受刑者は拘置所で刑が確定した時点で「暫定5類」となり、移送先施設での新入教育が終わると「暫定4類」になる。その後、半年ごとに実施される査定まで無事故・無違反だと3類になる。刑が確定したらすぐに移送されると思ったら、拘置所に半年以上いる場合もあるそうだ。刑務所に移って教育を受けると3類ということだから、基本は3類で懲罰を受けて下がるという理解で良いだろう。なお、3類から2類へ上がるには2年懲罰なしが求められるという。この手の話は、公式発表がないので、噂話以上の確からしさを求めようがないのだが、それ程間違った話でもなさそうだ。短期刑で懲役3年だとすれば、2類になるのと、仮釈放の検討がされる時期が同じくらいになる。つまり、2類というのは長期刑での話ということだ。噂話の続きとして、1類はほぼいないというのがあった。法務省では適切な運用を指導しているが、数値目標を設定している訳ではないし、受刑者の違いがあるから同一基準で語れない事情もある。保守的な運用がなされる機関であることも考慮すれば、1類がないというのは正しい気もしてくる。

大阪刑務所は外国人は横に置くとして、再犯者と長期刑の再犯者がいる刑務所である。受刑者の問題行動の頻度が高い可能性を否定はしないが、それで認められている手紙の発信が出来ないというのは問題である。臨時福祉給付金申請書は、税金を払っていない人に3千円が支給される制度に関係する。3千円に過ぎないと考えるのは間違いで、3千円あれば嗜好品の購入に充てられる。懲役で行われる作業の月給が千円に満たない場合があることからすれば大きなお金である。適切な作業を求めたい。


地裁での判決を不服として控訴する場合がある。刑事事件で八割は控訴棄却となる。控訴は無意味な作業、無駄なあがきに思えるのだが、意味がある部分があるという。地裁で判決が確定した場合に、刑務所はその地裁に近いエリアのものになる。一方、控訴すると高裁で審議され、確定したとなると、刑務所のエリアが異なる場合がある。待遇の違いが現実にはあるので、良い刑務所へ行けるように控訴するということである。有効になる場合は限られるようだが、藁にも縋るというのはこういうことを指す言葉ということだ。しかし、このような作業は無駄でしかない。刑務所の設備の新旧によるものは時間を要するにしても、刑務官の差による部分は努力しろがありそうだ。


厳罰化を求めても、刑務所の状況には無関心。それで良いのか。

2017年2月 2日 (木)

JASRAC、音楽教室から使用料徴収 反発も

日本音楽著作権協会(JASRAC)は2月2日、楽器を習う音楽教室から著作権の使用料を徴収すると明らかにした。楽器の練習や指導のために楽曲を演奏しており、音楽著作権管理における「演奏権」にあたると判断したという。使用料は受講料収入の2.5%とし、文化庁への届け出を経て2018年1月から徴収を始める考えだ。
JASRACはヤマハなどの音楽教室が全国に約1万1000カ所あると推計しており、まず大手が経営する教室から徴収を始める意向だ。これまでもダンス教室やカラオケ教室から使用料を徴収してきた。同様に音楽教室も徴収先に取り込む狙いだが、教室側は強く反発する見込みだ。「大学や専門学校は当面、徴収しない方針」(大橋健三常務理事)という。(日本経済新聞:2月2日)


著作権について考える。


日本音楽著作権協会の主張は、法律で認められている権利の行使ということになる。過去に、ジャズ喫茶やピアノバーを閉店させた実績がある団体だ。これも、適正な権利の行使によっている。CDの売上が減少し、放送局の売上も減って、それに連動して放送収入も減少するという図式がある。権利者の収入が減ることになれば、新たな創作意欲を削ぐことにつながり、芸術活動の停滞、ないしは衰退していくということになる。権利の範囲において、著作権使用料を求めるというのは、権利管理団体としては当然の行為という説明をするのだろう。日本音楽著作権協会の使用量徴収額の推移をホームページからの引用で確認する。結果を下に示す。

■ 使用料徴収額推移 (単位:百万円)
   年度      使用料徴収額
  2015       111,670
  2014       112,494
  2013       110,845
  2012       111,844
  2011       105,893
  2010       106,564
  2009       109,464
  2008       112,947
  2007       115,670
  2006       111,098


1,000億円規模ということで、伸びは認められない。CDが売れなくて、テレビの音楽番組が減って、BSでの音楽番組があっても、こちらは事業収入が少ないから徴収額が多い筈もなく、コンサートは活発であっても大きな伸びが期待されるものではない。最大の理由は、この国の人口が減る方向に動き出していることではある。何とかしなければならないと感じる気持ちは理解出来る。そこで、徴収額がどんな分野から来ているのかを確認する。これもソースは同じで結果を下に示す。

■ 2015年度の使用料等徴収額
  種目            徴収額(千円)
  演奏等           21,161,112
  放送等           31,512,963
  有線放送等         4,486,953
  映画上映            206,758
  BGM               503,326
  外国入金演奏         505,835
  -------------------------------

  演奏・合計         58,376,950
  -------------------------------
  オーディオディスク    12,815,605
  ビデオグラム        17,224,721
  外国入金録音         124,616
  録音・その他         2,010,370
  -------------------------------
  録音・合計         32,175,313
  -------------------------------
  出版               983,256
  -------------------------------
  貸与              3,248,766
  -------------------------------
  通信カラオケ         7,001,310
  インタラクティブ配信    9,844,330
  -------------------------------
  複合・合計          16,845,640
  -------------------------------
  使用料収入合計     111,629,928
  -------------------------------
  私的録音補償金        38,287
  私的録画補償金         1,825
  -------------------------------
  補償金・合計           40,113
  -------------------------------
  
総合計           111,670,041

放送等というのが、テレビやラジオで流されるもので、もっとも金額が大きく 315億円となっている。これに次ぐのが、演奏等でコンサートなどの音楽イベントが対象になり 211億円である。この後が、ビデオグラムというDVDやBlu-rayで動画を提供した場合に音楽を使用した場合で 172億円、オーディオディスクと総称しているCDやテープなどで音楽を販売する方式で 128億円となっている。外国入金録音という聞き慣れない項目は、外国団体との管理契約によるもので、海外で使用した場合に海外の団体を経由して入金されるという仕組みである。つまり、海外での音楽著作権使用料は1億円程度ということだ。これは今日の状況を考えると少ない気がするが、国により使用料の算出方式が異なるのかもしれない、と理解することにして先に進める。
営利目的で行われるイベントでは、著作権支払い義務が生じる。逆に、無料であれば徴収したくても出来ないが、無料イベントで使われた映像を有料配布すると、その時点で権利侵害が生じるというのが、この国の法律の解釈である。最初の方で書いたジャズ喫茶やピアノバーを閉店させたというのは、営利事業である喫茶店やバーで音楽を使用したから音楽使用料を払いなさいという話で、その金額が店を維持するのが不可能なくらい高くて閉店したという事例である。売上の何パーセントという計算式だから、零細企業である飲食店には負担が重いことだろう。大体、飲食を主な目的にしている事業と、音楽を鑑賞する目的のコンサートとで、算出方式が同等ではおかしいと多くの人は思うはずだ。飲食店なら計算式は同じであっても、支払額は1/100にするとかあってもよさそうに思う。ジャズ喫茶は実態として、音楽を聴く場所になっていると協会は主張するだろう。それなら、1/10でどうだとすれば、ドリンク付きのライブイベントは安くすべきかと訊かれることだろう。まあ、好きにして下さいという話である。売上額が小さいものから、大きな金額を徴収しようとする態度が正しくないと主張しているだけだから、心情的な方向に寄っているという誹りは避けようがないと自覚している。

記事の音楽教室の件は、学校での教育に用いるものには権利は生じない。学校教育が営利でないという建前であるから、必然的にそう解釈されることになる。学校法人はといえば、これも営利事業ではない。株式会社立の学校も同等と考えられている。大学や専門学校についても同様の解釈で成立している。音楽教室は学校法人ではなく、ヤマハのような音楽関係の大きな法人が、フランチャイズ契約をして個人事業主が運営しているというのが代表的な形になる。つまり、営利で音楽を使用しているというのが協会の主張である。事業所が1万あるというから、それぞれの売上高を1,000万円とすると、年間売上が1,000億円になる。受講料収入の2.5%だから、協会の徴収額は25億円となる。1,000億円規模の団体からしたら、新たな収入源が発生することが幸せな話である。

音楽教室で使用する楽譜は、正しく購入しているとされる。学校で使用する教科書や副教材でも有料であれば、楽譜などに権利が発生するのは同じである。これは妥当な判断で、まぎれが生じる問題でもない。
一方で、音楽教室で音楽を演奏するのは、外形的に必然の事実である。営利だから、権利が生じる。音楽を演奏して聴くという行為であるから、単純に売上高に係数を掛ける方式で問題なし、と言う判断である。
音楽教室側は、学校教育に準じたものだと主張するだろう。株式会社立の学校に権利が被せられ、専門学校や大学、私立高校へと拡大するのではないかという論理は、若干の飛躍はあるにせよ、心配される要件にはなる。協会の理事は正しく表明していて、当面、徴収しない方針、ということは、いずれは徴収することを検討するという話である。

音楽著作権協会は、音楽権利を守る団体ではあるが、音楽の普及を促さないことには、徴収額が増えないという事情も抱える団体でもある。その性格を理解すれば、教材への著作権支払いは必要だとしても、音楽教室の事業全体を徴収対象とするのは無理がある。そもそも、徴収されたお金は、手数料を引いて権利者に渡されるべきものなのだが、それが正しく実施されているかを検証する方法もない。放送関係や通信カラオケは、包括契約で処理される。通信カラオケの例では、通信カラオケの管理元にカラオケ装置の設置台数やカラオケ曲の曲目数を報告し、包括使用料を協会に支払う。支払われた金額から協会の手数料を引いて、通信カラオケ事業者から提供されたデータに基き権利者に支払われる (年4回)。
受講料収入の2.5%というのは、音楽教室が協会が管理している楽曲ですべてを使用している前提ということになる。ここで、著作権が切れている楽曲や、協会が管理されていない楽曲を用いた場合、もっと言えばそんな曲ばかり使用していても支払いを求めることになり、不当であるという主張が成立する。協会は98%をカバーしているから、という論理ですべて片付けるのは無理がある。発表会で用いる場合には、それが無料の会でも一定金額を支払う、ぐらいまでが妥協線であるように感じる。


優越的地位の濫用で、JASRACを叩くのが筋が良さそうだ。

2017年2月 1日 (水)

「森のくまさん」替え歌、訳詞者と販売元が「円満解決」

童謡「森のくまさん」に独自の歌詞や旋律を加え、無断でCDを販売するなどしたとして、販売元の「ユニバーサルミュージック」(UM、東京)とネタを作った芸人のパーマ大佐さん(23)に対し、抗議文を送っていた訳詞者の馬場祥弘さん(72)は2月1日、「円満解決した」と代理人を通じて明らかにした。
馬場さんは1月18日、「著作者人格権を侵害された」と主張し、販売差し止めと慰謝料300万円を求めていた。会見した代理人の三木秀夫弁護士は、UM社は日本音楽著作権協会(JASRAC)を通じて使用許諾を求めており、「双方の認識にずれがあった」と説明。「(UM社側が)誠意ある行動をしていたことがわかった」と理解を示し、詩を加えたと明記することを条件にCDやDVDの販売、ネット公開を容認することにしたという。金銭のやり取りの有無については「公表を控える」とした。馬場さんは米国民謡を訳し、「あるひ もりの なか くまさんに であった」の歌詞で親しまれている訳詞を1976年までに著作権登録。パーマ大佐さんは新たに「ひとりぼっちの私を 強く抱きしめた熊」などの歌詞や旋律を加え、昨年12月にUM社からCDとDVDを発売した。歌詞カードには馬場さんを訳詞者として記載し、改変したことは明示されていなかった。(朝日新聞:2月1日)


著作権について考える。


著作権問題が生じることは二つあり、一つは金銭の支払いに不満があるもの、もう一つは使われることを不快に思うものである。通常使用については、日本音楽著作権協会に管理を委託している場合なら、使用料の支払いを行う契約で済むものだろう。協会というのは、その手間を省く為に存在するのだから当然である。今回の件は、作詞 (実際には訳詞) に書き加えることで個性的な作品に仕上げたというものだから、後者の不快に思ったという側に属するだろう。オリジナルの歌詞を変えずに、付け加えている作品であるので、使用については通常のCD販売と同様と考えて作業したのではないかと想像する。
替え歌を生業にしている人は、変更について著作権者や歌っている人やその他関係者まで、承諾を得る作業をしているという。これに比べるとお気楽な作業であった印象は否めない。つまり、オリジナルは変更せず、書き加えただけだという認識があったうえで、歌詞に加筆する承諾を得たいという作業を念の為実施した (が、拒否された)。という想像である。CDの訳詞者が馬場のままになっていることが、UMの認識を示している。

結局のところ、加筆した事実を表記することに落ち着いたのだが (経済的な話は不明)、どちらかというと、裁判で争って貰いたかった事案である。日本の裁判所における著作権の考え方は、パロディの類にオリジナリティを一切認めないものになっている。これが権利関係を複雑にしている元凶になっている。とても、裁判所が判断できるものでもないのは承知しているが、海外の権利の状況と比較して日本が制限が強いのは事実だから、日本のまだ売れていない芸人の一人を人身御供にして争って貰いたかった。


UMの仕事はお粗末である。

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