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2017年4月 7日 (金)

終末期の望まない蘇生、救急隊員「医師確認し中止を」

自宅などで最期を迎えようとしている終末期の患者に対する救急隊員の対応について、各地の消防本部や救急隊員、医師らでつくる「日本臨床救急医学会」は4月7日、提言を発表した。心肺停止後の蘇生処置を望まないと事前に書面で残している場合、かかりつけ医に是非を直接確認した上で蘇生処置を中止するよう求めた。
総務省消防庁の基準では、生命に危険がある場合、応急処置を行うよう定めている。ただ最近は蘇生処置を拒否する意思を事前に表す人が増えている。こうした場合への対応は示されておらず、現場では救急の原則か患者の意思尊重かで対応に苦慮している。同学会は2015年4月に検討委員会を立ち上げ議論してきた。提言によると、患者が心肺蘇生を希望していない場合、家族は「119番通報をしないのが望ましい」としている。しかし容体の急変に慌てて救急車を呼んでしまうことがある。こうしたケースでは現場に駆けつけた救急隊員は、家族などから蘇生処置を希望しないとの書面の提示を受けたとしても、心肺蘇生を始めるべきだとした。その上で、かかりつけ医と連絡をとり、中止を指示されれば患者本人の意思を尊重して心肺蘇生を中止する。かかりつけ医と連絡がとれない時は、日常の救急業務で相談している医師を代役として指示を求めるべきだとしている。都内で記者会見した同学会の坂本哲也代表理事は「提言を参考に、地域の消防、医師会などが集まって運用をどうするか議論していただきたい」と述べた。(日本経済新聞:4月7日)


帰りの中央線は高尾行きだった。
比較的すいていて、座席に座ることが出来た。すると、なんだかデパートの一階の匂いがする。
右隣を見ると、ピカピカのメイクをした若い女性がいた。随分と赤い口紅は、会社帰りのOLには見えないが、水商売でもなさそうだ。お祝いに行く風でもない。膝の上に抱えた大きな紙袋のブランドは、残念なことに知らないが、紙質から想像するに高級ブランドだろう。綺麗に整えられた髪、整った肌の表情は、メイクだけの技量で補えるものでもあるまい。
お嬢さん、高尾山の自殺者は多いが、山岳信仰の対象であるから、自殺の場所の選択として最適ではない。そもそも、その踵の尖った靴は、山に入るには相応しくない。虫は少ない時期ではあるが、まだ少し寒い時期である。高い山でないとはいえ、少し薄着過ぎる。
それなら、終点の高尾駅で十分ほど待てば河口湖行きが来る。それに乗って、次の相模湖駅で降りれば、人造湖である。人間が近年造ったものなら、信仰の対象から外しても良いという考えも成立しそうである。しかし、それは新興宗教を伝統的な宗教より下に位置する考えと批判されるかもしれない。しかし、湖から上がった死体の損傷は激しいことが知られる。美しい仕上がりのメイクには惜しいところだろう。
他人を傷付けるのは、許されないだろう。しかし、傷付ける先が自分自身であれば、思想良心の自由となるのか。自殺を禁ずる宗教は多いが、宗教など興味がないとする思想もあろう。倫理的な考えを押し付ける根拠もない。ただ、自殺しようとしてしくじると、救命救急に関わる人達が、全力で究明しようとするだろう。つまり、失敗すると社会に迷惑を掛けることになる。

救急隊員の対応に新たな判断を持たせようとしている。まったくもって愚かである。救命の為の訓練を行い、鍛練を積む専門家の仕事には、救急救命の任務のみに限定されるべきものである。仮に何らかの事情により、患者が心肺蘇生を希望していないという錯誤が生じた場合に、救急隊員が批難されるに決まっている。これは理不尽である。このような小さな穴が鍛練を積むというダムを崩しさる。救急隊員は通常期待される仕事を迅速に実施すれば良い。患者が希望していないことや、患者の家族もそうであったにしても、救急隊員を呼んだからには途中で解約出来ないとすれば良い。それが、救急隊員の社会的な信用を貶めない為の策である。
救急隊員を惑わすような提言をするのか理解不能だ。救急隊員は命を救う為に最大の努力を行うだけで良い。それ以外の仕事は、別の誰かが担えば良い。現場の混乱への対策だとしているが、新たな混乱を引き起こす対策が、現場の負担軽減になる筈もない。


助けないことを是とする仕事に手を広げたら、葬祭場への移動までさせられそうだ。

2017年3月23日 (木)

政治家達の発言

森友学園問題で、安倍昭恵夫人がコメントを発表した。コメントは以下のとおり。


本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。

(1)寄付金と講演料について
私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。
本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。
また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。

(2)携帯への電話について
次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。
籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。

以上、コメントさせて頂きます。

平成29年3月23日
安倍 昭恵



細かいところに拘る一方で、大きな部分については触れないというのが、森友問題に関する関係者の対応である。大きな話というのは、国の財産が特定の誰かに特別扱いをして有利に譲渡されたこと、この特別扱いに政治家が直接乃至は間接に関係していること、といったものである。一方で、細かな話は、講演料だとか、寄付をしたとか、公務員が秘書として帯同しているとか、携帯電話での通話があったとかである。
大きな問題は、直接的に政治家が金品を受け取り、尚且つ、役人に働きかけをしたということなら、刑事犯罪を構成するが、これはないというのが関係者の主張である。刑罰があるのだから、ありますということもない。安倍晋三には黙秘権があり、発言は有利にも不利にも証拠として採用される可能性があることを、野党は告知しなければならない。野党が細部に拘るのは、細部にウソがあり、このウソを付いた理由が明らかになれば、大きな問題があぶり出されると考えているからである。与野党のどうでも良い話をグダグダしているというのは、国の財産の処分に不適当な力の介入があったという大きな事案をあぶり出すのに必要なのだろうが、少し回りくどいし、スピード感に欠けると言える。
籠池の証人喚問に成功した野党は、安倍昭恵を引っ張り出すのは容易だと考えたが、さすがにそうはいかなかった。安倍昭恵のノーガード戦法は、記憶力がないし、理性的な判断は出来ないし、金の価値など分からない、とないないずくしで構成されている。証人喚問に引き出せば泣きだす可能性さえあるが、支離滅裂な怪しい女なら何をしでかすか分からないと国民が思ってしまうことになり、これは困るというものである。逆に、知恵を付けて正しい筋道を発言させるという方法も考えられるが、何せこのお嬢様は何に価値があるかを判断できないから、危険過ぎると考えたのなら、自民党の政権幹部は理性的な対応である。
安倍昭恵は学生時代勉強もせず、バブル時代を謳歌して、系列の大学には進まずに親のコネで大企業に就職し、当然のことながら、有名人と結婚したという、大企業の経営者の子弟の典型例の履歴を持つ。結婚した相手が政治一家であり、選挙に強い地方議員であれば、選挙は番頭任せで、その妻など綺麗な人形飾りの類に過ぎなかろう。結婚前も結婚後も学ぶことをしてこなかったが、歳を取って自信の学びの乏しさを感じたか、立教大学の修士に進んでいる。社会人が大学院に進むのは、比較的容易である。特に私立の社会科学系においては、政治家の関係者はフリーパス状態になっている。ある種の学歴ロンダリングであるが、この学歴が不適切に利用されないのなら良いのだが、選挙活動に活用される状況では問題なしとはしない。それでも、学ぶことは良いことである。
どの年齢においても、大学で学ぶことの価値は、自分自身の能力の低さを実感することと、それでも価値のある仕事をしようとファイティングポーズをとることの二つにある。安倍昭恵は、能力の低さを実感するレベルにすら達せずに、後者の自分の価値を過剰に感じてしまうのではないかと想像する。価値のほとんどすべては、元首相夫人で片付けられるものであった筈だ。その肩書を外して、何ができると自身に問うて、何も出来ないと感じるところがスタートとして然るべきであった。そうしなかったことが、今日の状況である。
典型的な例が、居酒屋経営である。安倍昭恵が人を呼べる理由はない。安倍晋三夫人だから価値がある。その認識がない。そして、それを指摘する者がいない。あるいは、聞かない。


私人か公人か分からない人に、公務員を付けるのも不思議だ。公務員が付いた時点で、公人相当とする判断を出せば良いだけの話である。予算を付けておきながら、都合良く私人に変身する解釈は見苦しい。
そもそも森友問題で集中砲火を安倍が浴びた理由は、、「私や妻は一切関わっていない。もし関わっていたら間違いなく、首相も国会議員も辞任するということを、はっきり申し上げる」などと発言したからである。私はともかく、妻の行動など掌握していた筈もないのに、妙な虚勢を張るのがこの御仁の特徴である。結果、野党はこの挑発に乗るよりない。与党は正しく潰さねばならないのに、制御不能な籠池一家や、発言に安定性の欠ける稲田や、制御も予測も不能な政府公認私人の安倍昭恵と危険材料に事欠かない。
これでは収めようもない。籠池一家は経済的に破綻するのは必定で、潰れれば見捨てられるだけだ。籠池一家は、経済右翼であって、右翼思想を広めようなどとは思っていない。これが金になるからという理由である。これは、稲田にも安倍にも共通している。右翼は怒った方が良い。

政治家の言葉が軽くなっている。何を言っても許されると思っているということは、何を言っても批判されるというのと等価である。唇寒しとなる日も近いということだ。


政府公認私人の選定基準を閣議決定して貰いたいものだ。

2017年3月21日 (火)

稲田防衛相、教育勅語の復活「全く考えず」

稲田朋美防衛相は3月21日の参院外交防衛委員会で、自身が「その精神は取り戻すべきだ」と評価した教育勅語について「戦前のように教育の唯一の根本理念として復活させるべきだとは全く考えていない」と強調した。共産党の井上哲士氏が「重大事態があれば、天皇のために命を投げ出せ」との趣旨も取り戻すべきかと質問したのに答えた。
教育勅語を巡っては、大阪市の学校法人「森友学園」が運営する幼稚園で園児に暗唱させていた。稲田氏は8日の国会答弁では「教育勅語自体が全く誤っているというのは私は違うと思う」などと発言していた。(日本経済新聞:3月21日)


教育勅語について考える。


教育勅語の問題点は、明治時代に天皇制などしらない国民に、天皇という存在と、それを中心とする道徳制度を広めたということに尽きる。 親孝行しろ、兄弟仲良く、夫婦仲良く、友達は信じ合えなどと、12項目にわたって徳目を掲げる、これも当時としたら当たり前の話である。当たり前の話を強いて広める理由は、当たり前でない天皇を広く知らしめる為であった。悪いことが書いていないと主張する者は、この部分の理解が乏しい。
もう少し分かり易い話にしよう。道徳というのは、法律より上位の概念として考えられる。人を傷付けないのは、法律に罰せられるからではなく、道徳的に行わないということだ。明治の法律は、道徳を法律の下の概念として捉えている。ここにこそ問題があり、戦後処理として、天皇を家長とする国体を否定するのと同時に、教育勅語は廃止された。問題は精神性にはない。

ものを深く考えない性質の稲田朋美は、教育勅語の精神は取り戻すべきだと勘違い発言をするが、周囲の役人から歴史的な位置付けをアドバイスされ、否定する発言に翻ったということである。考えないのだから、変更するのも容易である。グダグダと法律のどの条項に関連するのかと騒ぐを週刊誌に書かれていたが、そんなことをしているようでは大臣の仕事は出来ない。行政官を束ね、その職務の特性から、自らの命の危機も顧みずに、危険に立ち向かう命令を出す立場である。そんな立場の人間が、天皇陛下の為に死ぬのは当然だとする思想に感化されているのなら、自衛官やその家族がおちおち眠れまい。職務を確実に実行するのを求めるという枠をはみ出してはならないし、枠に届かないのも許されないという仕事である。お気軽に北陸の法律家が、私は法律の専門家よ、などと口にして出来る仕事ではない。部下が死ぬことになる命令を下す立場を認識していれば、法律に詳しくなくとも良かろう。この愚かな女は、大臣として無能だが、政治家としての資質に疑いもある。法律家としての能力も知れたものなんだろう。


選挙区で仕事をしないと、次がない。

2017年3月17日 (金)

日産、超小型EVでカーシェア開始 横浜市と共同事業

日産自動車は3月17日、2人乗りの超小型電気自動車(EV)を使ったカーシェアリング事業を横浜市と共同で始めた。市中心部の14カ所からEVを借り、市内の観光などに活用できる。
専用サイト(https://nissan-rentacar.com/choimobi-yokohama/)で会員登録し、使いたい時間の30分前から予約できる。走れるのは横浜市内の一般道のみ。基本料金が200円で、15分ごとに250円かかる。日産は2013年秋から2年間、借りた拠点と別の場所に乗り捨てもできる形で超小型EVによるカーシェアの実験を進めた。今回は借りた場所に返却してもらう形式で、今後2年間、事業を進め、本格的なサービス拡大の可能性を探る。トヨタ自動車もコインパーキング大手のパーク24と組み、超小型EV「i-ROAD(アイロード)」を使ったカーシェア事業に取り組んでいる。(朝日新聞:3月17日)


カーシェアリングについて考える。


カーシェアリングにおけるEVは、小型軽量を目指しているようだ。4人乗りである必要もないから、駐車スペースでも有利で、短距離移動と低料金を成立させるには2人乗りは最適な選択になる。適度に荷物も積めるが、大きな荷物を持ち歩くならタクシーを使うだろうし、お土産物などで少々持ち歩くには不便な状況というのは、想定し得る環境と言える。しかし、自動車メーカがこのようなニッチ市場のレンタカー事業に興味がある訳ではないだろう。自動車と二輪車に関する法制度が、二輪車、軽自動車、普通自動車となっていて、都市部の移動用途に適すると考えられる、小型の自動車が軽自動車カテゴリーになってしまう。都市部では四輪車は車庫証明が必要となことは、i-ROADでもレクサスでも同じである。これでは普及しない。つまり、軽自動車未満のカテゴリーを設定し、新たな市場を喚起する為に、市場があることを国に認めさせる手続きだと理解するのが当たっているようだ。
問題になるのは、免許制度と税金である。二輪にすると税金が安くなるが、これだと圧倒的多数の普通免許では乗れない。四輪にすれば、最小サイズであっても軽自動車扱いになる。ここは、二輪四輪は問わずに、電気自動車の環境性能制限の縛りを掛けて、二人乗りの小型サイズというカテゴリで、自動車免許( 中型以上の二輪免許を加えても良い )で乗れて、税金は中型二輪くらい、車庫証明はサイズにより都市部でも不要としたら良い。電気自動車で野ざらしには出来ないから、違法駐車による社会への迷惑の可能性は低いだろう。二人乗りにするのは、あまり小型にすると、自動車運転に慣れた人には違和感があり、二輪乗りには大きい方向の違和感があるだろうと想像される。i-ROADでは小さすぎる。日産の二人乗りの方が適当だろう。現実には、前後に荷物スペースを設けることが必要だろう。街では衝突がないとはいえない。日産のモデルでサイドが簡易ドアにするのは良くない。デザイナーのスタディーをそのまま当局に提出すれば、安全上の問題を指摘されるのは必定である。

カーシェアリングをするのは、当局が動かないならだろう。そもそも当局は動かないものである。自動車会社が売りたいのなら、様々な活動を通じて社会にアピールし続けるよりない。その先に何か解があるかもしれないし、政治家が動く可能性もある。どうせなら、炭素繊維でも使えば良いのにとさえ思う。新たな挑戦とはそんなものだろう。


自由に移動する価値をアピールしなければ、自動車会社は滅ぶ。

2017年3月 7日 (火)

自民たばこ議連、禁煙義務化に反発 分煙維持の対案発表

厚生労働省が検討している受動喫煙防止策を罰則付きに強化する法改正案をめぐり、自民党の「たばこ議員連盟」(会長=野田毅・前党税制調査会長)は3月7日、飲食店は禁煙・分煙・喫煙から自由に選べ、表示を義務化する「対案」を公表した。「世界最低レベル」(世界保健機関)とされる日本の現状を追認する内容。政府・与党内の調整は見通しが立たず、厚労省は法改正案の10日の閣議決定をひとまず断念した。
同議連は、たばこ業界の発展と販売者の生活を守るため、衆参約280人の国会議員が所属、この日の臨時総会には100人以上が参加した。議連案は基本理念として、「喫煙を愉しむこと」「受動喫煙を受けたくないこと」はともに国民の権利だとして分煙を推進、小中高校や病院でも喫煙専用室を認めている。厚労省案は小規模なバーなどを除き、飲食店は原則屋内禁煙だが、野田会長は「(厚労省案を)このまま通すわけにはいかない。生計の基盤を損なわれてしまいかねない関係者は多い」と話した。
たばこ議連の対案公表を受け、厚労省は同日夕、会見を開いた。担当者は「対案では対策は不十分だ。子どもや、がん・ぜんそくの患者、国民の8割を超える非喫煙者の健康が、喫煙者の喫煙の自由よりも後回しにされている現状が変わらない」と訴え、「(厚労省案を)ご理解をいただけるようにしっかりと説明をしていきたい」と話した。(朝日新聞:3月7日)


たばこ議員連盟について考える。


受動喫煙の健康への影響が問題になり、タバコに関する規制が強化されてきている。喫煙者でないので気にはならないが、少しヒステリックな印象は持っている。適切な分煙は進めて欲しいし、路上での喫煙に制限が掛るのは当然だとは思う。喫煙の権利を主張するなら、禁煙の権利の主張も正当だろうと思うし、道路は灰皿ではないし、群衆の中を火を振り回して良い理屈もない。
さて、禁煙側から見て行こう。禁煙側の論理として、健康被害に関する事柄が目立つ。吸わない人が巻き添えをくうのはあんまりだから、分煙の必要性については合意する。喫煙者の健康被害については、自己責任に留めて良い気もする。癌の発症リスクが高まることで、健康保険料の組合側 (すべて組合として進める) が支払う費用が増大するとする論理もある。これは少し疑問がある。癌になって、発症後長く生きなければ保険負担は限定的になる。一方で、癌にはならなかったが寝たきり状態で生きている期間が増えれば、健康保険料は少なくすむこともあろうが、介護保険料の支払いは大きくなりそうである。何を言いたいかといえば、癌になってもならなくても、いずれは死ぬのだから、健康保険組合の負担が大きいか小さいかは、費用を要する治療が実施されるか、長期の入院がなされるか、という点による。癌になって、発症したが手の施しようもなかった、という事例であれば、相対的には健康保険組合の負担は小さいことになる。ということは、喫煙者には、健康診断の受診などせず、健康に不安があるような症状が出ても病院には近付かず、どうにもならなくなったときに病院に行くと、医師が手遅れですと言うのが費用抑制効果が最大化することになる。癌の発症リスクは高まるが、認知症などで寝たきりになる可能性が極端に低いというなら、このストーリーに当てはまることになる。なんだか、大麻解禁の話と似ている気がしてきた。覚醒剤だって、他人を傷付けることがないなら、自分の勝手という論理に近付いてきている。他人に迷惑を掛けるのだから、この論理は成立しないのだが。医療費の増大の論理は、手遅れ状態ではなく、治療可能な状態で見つかる例が増えれば医療費が増えるという単純な論理で理解するのが良さそうだ。癌が治療可能な病気というのは、医療機関で見掛けるポスターであるが、そうは言っても5年生存率が高い数字で示されるのは、初期で見つかった例に限定されるという事情はある。発症後の治療により寛解と称される状態になるのが、医療提供者側からすれば良好な結果であるのだろうが、再発のリスクは、癌になっていない人に比べて高いと推定される場合が多いようだ。医療機関がQOLという言葉を出すときは、どのあたりで折り合いを付けるか、つまり、何を我慢するかのステージであるということだ。死ぬよりタバコを喫いたいと患者が言ったら、何と答えるのかという疑問は残る。
一方で、喫煙側の論理は旗色が悪い。たばこ議員連盟が発足したときの報道を確認すると、参加した議員の発言として、以下の様な言葉が紹介されていた。

「昨今、たばこがいじめられている。販売店は高齢化している し、応援団を作らなければならない」
「弱者の立場で仕事をする…、今のたばこ業界がそれだ」
「たばこ業界がこうなってしまったのは、政治による“政策的な構造不況”であり、これ以上の規制をやるべきではない」
「地方自治体に とって、たばこ税のありがたみは身にしみて理解している。地方でも分煙できる仕組みをしっかり作ることで、全国に浸透させたい」


販売側の論理と、税収の問題としてとらえているようだ。販売側が芳しくないのは、喫煙者数が減少しているからで、喫煙者が増えないのは規制のせいだという論理は、無理筋というものだ。喫煙と健康の因果関係はWHOも認めていることであるから、相応のデータで論理を固めなければ破壊する。税収に関していえば、健康であれば死んでも良いという信仰に身を捧げる者たちには、税収の為に死ねと言うのかと爆発の導火線に火を付ける行為である。
おとなしく、国内の生産状況から確認する。全国たばこ耕作組合中央会の資料から、葉たばこ生産に従事する人、耕作面積、販売量、販売代金の推移を確認した。2000年以降は発表の数字をそのまま引用し、それ以前はグラフの数字を用いた。結果を下に示す。

■ 葉たばこ生産状況推移 (全国たばこ耕作組合中央会)
   年     人員(人)    面積(ha)   販売重量(t)  販売代金(百万円)
  1989     44,300     30,700     74,396     135,900
  1990     42,200     30,300     80,544     149,300
  1991     39,400     29,400     69,897     130,800
  1992     35,700     27,600     79,365     156,300
  1993     33,700     27,400     67,430     128,200
  1994     32,000     26,700     79,503     155,400
  1995     30,400     26,200     70,391     136,600
  1996     28,800     26,100     66,031     123,600
  1997     27,500     25,800     68,503     130,200
  1998     25,800     25,500     68,959     118,500
  1999     24,400     24,900     64,727     121,600
  2000     22,864     23,991     60,803     117,124
  2001     21,668     23,411     60,565     114,776
  2002     20,758     23,038     58,174     109,260
  2003     19,897     22,507     50,662      93,164
  2004     18,727     21,538     52,659      98,074
  2005     14,878     19,071     46,828      84,320
  2006     14,417     18,512     37,739      68,591
  2007     13,696     17,669     37,803      69,279
  2008     12,981     16,778     38,484      69,404
  2009     12,169     15,769     36,601      68,051
  2010     11,437     14,980     29,297      54,171
  2011      9,480      13,016     23,605      44,029
  2012      6,094      8,956     19,673      38,497
  2013      6,059      8,846     19,844      39,285
  2014      5,911      8,564     19,980      39,337
  2015      5,788      8,329     18,687      36,885


四半世紀で従事者は1/10に減少してしまった。国内の割高な葉たばこが、輸入品の安い葉たばこに競争するというのは難しい。耕作面積は1/10になっていない。生産量が1/4レベルということは、小規模農家が止めたということで、大規模農家が残って集約してるということになる。見かけ上重量単価は下がっていない。これで農家が楽になったという結論が出せれば、たばこ議員連盟のいう弱者に農家は含まれないことになる。農家は、生計の基盤を損なわれてしまいかねない関係者ではないということだ。葉たばこ農家の現状が良くないことは、過去に書いた気がする。読み返すのも面倒なので、そう思っただけかもしれない。確実に言えることは、たばこ議員連盟が期待する票数は、四半世紀で1/10になったということである。
票が期待できない仕事を議員がするのは不思議な話である。志をもって行動し、立候補することはままあるだろうが、現行の選挙制度で勝ち抜くには、その道のプロであることを求められる。つまり、選挙プロであることが最初に求められるから、志などどこかに置き忘れてしまう代表的な品目である。選挙プロは得票が期待される行動を議員、議員候補者に求めるものである。珍しく、志の問題かと言えば、単純にタバコを喫いたいに留まるのかもしれない。この欲望丸出しの行動をほほえましく思う。妙な理屈を付けずにそう言えば良いのにと思うが、いくばくかの羞恥心というものを国会議員にもなって持っているのかと、ひどく感心するのである。


タバコを暴力団が扱う日が近そうである。

2017年2月28日 (火)

任天堂、カート会社提訴 「マリオ衣装貸し出し著作権侵害」

任天堂は2月25日までに、公道カートのレンタル会社「マリカー」(東京)が、「マリオ」などのキャラクターの衣装を貸し出した上で、その画像を許可なく宣伝や営業に利用し、著作権などを侵害しているとして、侵害行為の中止と1千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
任天堂が訴えたのは、マリカーと同社の代表取締役。人気ゲーム「マリオカート」の略称である「マリカー」を会社名に使用し、利用客にマリオなどの衣装を貸し出す営業行為が、不正競争行為や著作権侵害行為に当たると主張している。マリカーは公道を走れるように改造したカートを外国人観光客などに貸し出し、料金収入を得ている。任天堂の担当者は「数カ月前から警告していたが誠意ある回答を得られなかった」と話している。(共同:2月25日)


著作権について考える。


公道上でカートを走らせるのは、一定の条件を満たせば違法ではない。総排気量20ccを超え50cc以下、または定格出力0.25kWを超え0.6kW以下の原動機の四輪車である。法律は、シートベルトの着用義務も、ヘルメットも同様に求めていない。重量を大きくすると直ちに走行性能に響く事情があるから、運転者は生身がむき出しの状態で運転することになる。この公道カートのレンタル会社がビジネスとしているのは、東京という大都会を、小型のカートで、任天堂のゲームに出てくる衣装で走行できるということである。当然、外国人観光客を主なターゲットにしている。
営業行為として衣装の貸し出しをしているのだから、衣装が著作権に抵触するものであるとすれば、この営業行為が著作権侵害行為だとする論理は筋が通っている。一般論として、ゲームのキャラクターに似た衣装というレベルで、著作権に制限を掛けるというのは、少し行き過ぎがあるのではないかという心配はある。今回の訴訟には興味がそれほどないが、このビジネスには少し興味を持った。

東京と言う大都会を小型のカートで走り抜けるというのは、まさにゲーム感覚と言えるだろう。日本で暮らしていない人にとって、ゲームを生み出した国の都市で、ゲームさながらのスリルを味わえるというのが、宣伝に使っていないにしても、意図しているところであろう。
道路交通法で認められた車両であるから、走行するのは自由であるのだが、集団で走行するレンタル事業を行うのは如何なものかと感じる。都心で車高の低く安全基準の乏しい車両で、ゲームに出ている人物のコスチュームを身にまとい運転する。人間の動作に制限が加わる衣装であるし、そもそも加速性はもとより、減速性能も低い。そして、日本の交通事情に疎い外国人を主なユーザに想定している。
このようなビジネスを行うのなら、ヘルメットの着用 (フルフェイスである必要はない) 、車両の高い位置にブレーキランプなどの表示機器の設置くらいはして方が良い。そもそも、公道を走行させる意味が分からないのだが、クローズドのサーキットを準備しても誰も注目もしないことだろう。これでなければ商売にならないと主張することだろう。保険にも加入していると説明したとしても、ゲームのコスチュームで大きな事故が起きてしまっては任天堂のイメージが落ちてしまう。著作権の問題とは別に、任天堂に同情する部分である。大企業がベンチャーを苛めているという図式で見る向きもあるようだが、社会の迷惑になり得る存在で、その結果として連帯してイメージダウンを受けるというのはあんまりな話である。


警察も何かの法律で取り締まることを考えているだろう。

2017年2月22日 (水)

森友学園の幼稚園指導法、文科相「大阪府に報告求める」

大阪府豊中市内の国有地を、近隣国有地の約1割の価格で小学校用地として売却された学校法人「森友学園」(大阪市)をめぐり、2月22日の衆院予算委員会の分科会で同学園が運営する大阪市内の幼稚園が取り上げられた。
民進の議員が幼稚園の指導のあり方についてただし、松野博一文部科学相は「大阪府に今どういった状況であるのか報告を求めていきたい」と述べた。 民進の玉木雄一郎氏の質問に答えた。玉木氏は21日にこの幼稚園の元保護者から聞いた話として、「パンツで(漏らした)うんちをくるんで幼稚園のバッグに入れて持ち帰らせる」「犬を飼っている子が『犬臭い』と言われ、勝手にリュックサックを捨てられた」などと例示。「児童虐待にもつながる」と指摘した。
「犬臭い」という発言などをめぐっては、元園児の保護者が損害賠償を求めて提訴し、大阪地裁で係争中。森友学園側は答弁書で「子どもに『犬臭い』と言ったことはない。両親に、園児の生活環境の改善などの必要性を伝える際に『犬臭い』という表現を使った」などと反論し、請求棄却を求めている。(朝日新聞:2月22日)


もろもろ考えることにする。


国有地の面積は 8,770平方メートルとされる。不動産鑑定士の評価額が 9億5,600万円で、売却価格が 1億3,400万円であるというから、差し引き 8億円余りが地中から出たコンクリート片や廃材などの撤去費用ということになる。特殊な産廃でもないようだから、除去の相場としては、1平方メートル当たりで1メートルの深さで除去すると5万円というところである。これは産廃ばかりの例である。実際に産廃を埋めるとなると、埋める作業上の制限から、全体の面積のうち五割程度だろう。だいたい周囲が山の中でもない。
仮に試算してみよう。除去する深さは2メートルとしてみよう。上の計算式に従うと、8770 x 0.5 x 5 x 2 = 43,850万円 となる。8億円には届かないから深さは4メートルレベルということになる。土地の様子を見ると、建物が建設されている部分があり、その部分に産廃が多く埋められていると、基礎の安定性が確保できないから、掘り起こすよりないのだが、それほど深く掘った様子もない。建物の部分には産廃がなく、校庭予定地に多いという説明をされたらそれまでだが。

学校法人の教育方針は、規律を重視したものであるようだ。幼稚園で規律を求めても、なかなか達成するのは困難だと思うが、そんな軟弱なことを言っているから、こんな国になってしまうと怒られそうである。入試時に軟弱だとする理由で落とされるかどうか知らないが、そんな子供がいたとしても不思議ではない。子供が理由ならまだ良いが、親が軟弱なのでという理由だと悲しくなる。要らぬ心配なのは重々承知している。
元園児の保護者が損害賠償を求めて提訴して大阪地裁で係争中というから、それだけでイメージ的には十分過ぎるくらい問題のある幼稚園である。学校法人側に主張もあるのだろうが、この手の仕事では裁判所に行ってしまっては駄目というのが、顧問弁護士の常識というものだろう。裁判になって、幼稚園児と学校法人の教育方針とを天秤に掛ければ、裁判官は弱い者を守りたいと心情的には思うだろう。事前に説明することで済むものもあるが、果たしてここまで攻撃的な教育方針の説明をできようか。犬臭いと言ったかどうかが裁判では大切なことになるのだろうが、生活環境の改善に適切な指導が実施されたかを争うことになれば、かなり旗色の悪いものであろう。学校法人側は和解に持ち込む流れだろうが、幼稚園児の保護者は既にこの幼稚園を離れ、恨みつらみしかないから結審を希望するという想像がされる。大きな土地を持っているから、支払い能力に問題はなさそうだ。

ほうぼう問題がある学校法人である。首相が自身または妻と関係あれば、首相も議員の職も辞するなどと強弁すれば、野党の心に火を付けることにしかならない。愚かな者は、興奮すると訳の分からない言葉を口にするものだ。法律に関わる表面上の問題など無いようにするものである。その程度をクリアーしていないのなら、国会議員に便宜を計って貰う資格がない。しかし、学校法人の方は叩かずとも埃がこぼれる体質のようだから、首相は無駄な言葉を足したということになるのだろう。


国の財産について、岸信介の孫は自由に処分して良い。

2017年2月21日 (火)

将棋界初の外国人女流プロ ポーランド出身25歳

外国人で初めての将棋の女流棋士が誕生した。ポーランド出身のカロリーナ・ステチェンスカさん(25)が2月20日、東京都渋谷区の将棋会館で行われた対局に勝ち、正式なプロとして認められる女流2級になった。
対局を終えたステチェンスカさんは「今まで苦しかったが、プロになれてうれしい。ダイナミックな終盤戦に魅力がある将棋を、これから世界に広めていきたい」と笑顔で話した。日本の漫画「NARUTO(ナルト)」で将棋に興味を持ち、2013年に来日。山梨学院大で学びながら研さんを積み、15年10月に女流3級となって女流プロ棋戦に出場していたが、2年以内に一定の成績を上げなければ取り消される「仮資格」だった。この日の勝利で第44期女流名人戦の挑戦者決定リーグ入りを争う予選の決勝進出を決め、昇級条件を満たした。現役の女流棋士は現在約60人いる。(日本経済新聞:2月20日)


女流棋士について考える。


日本将棋連盟の中で、女流棋士の位置付けはお飾りのような存在であった。これは、プロ将棋棋士の存在価値は、技量が高い者であることであるという信念によっている。女性の棋士の存在を否定してはいないが、女性では奨励会で三段がいるから、将来女性棋士が実現する可能性はあるが、プロである四段になっても、真に価値があるタイトル戦への出場や優勝というのはその先の話である。
そんな将棋連盟、正式名称は公益社団法人日本将棋連盟という。この連盟の目的は、「将棋の普及発展と技術向上を図り、我が国の文化の向上、伝承に資するとともに、将棋を通じて諸外国との交流親善を図り、もって伝統文化の向上発展に寄与すること」と謳っている。本年は技術向上しかないのだが、それでは公益法人としての資質を問われることになるから、綺麗事が色々書いてある。しかし、四十年位まえには、全国への普及に随分と力を入れていたし、海外への展開を考えて行動していた様子があった。連盟の力が強かった訳ではないのだが、志は感じた。当時は、東京の将棋会館が完成し、関西の将棋会館を造る為に寄付を募っていたから、トーナメントプロだけで良いとは言い難い環境もあったのだろう。念の為年譜を確認すると、女流棋士制度が創設されたのが1974年、東京の将棋会館の竣工が1976年、関西将棋会館が1981年である。社会情勢が良く、企業からの寄付が期待できる経済環境であったとは思うが、それで簡単に賄えるものでもあるまい。なお、囲碁の日本棋院は、1971年に本院が市ヶ谷に建設された。何にも流行というのはある。
日本女子プロ将棋協会については過去に書いた。女流棋士を飼っていられなくなった連盟が、経費削減を計ったが、いろいろと問題が双方にあって、日本女子プロ将棋協会は風前の灯火となっている。仕事の進め方が致命的に悪かったと感じるが、連盟が筋の良い仕事をしていた訳でもない。世の中で良く議論されるプレーヤーが経営をすることの問題点が、思いっきり表に出ている例である。普及や指導を行うことを企画するのは、トーナメントプロの仕事とは別のものではある。しかし、相容れない課題でもないことが問題を複雑にする。
さて、ステチェンスカは連盟所属の女流棋士である。今更、日本女子プロ将棋協会を叩く必要もないだろうが、普及、特に海外について弱いという現実を大きく変える札にはなる。それを有効に活用できるような機転はこの連盟には期待しようもない。最強であることを最大の価値としてきた者達の集合体である。最強が半導体技術の進展と、プログラミングの最適化作業の結果として、人間の能力を超えたときに、その価値はコンピュータ技術に置き換わるのだろうか。それを否定して、自分たちのネグラに閉じこもるのも可能だが、それで誰から尊敬されるというものでもない。文化の向上、伝承に資すること、諸外国との交流親善を図ることは、コンピュータには期待できない。そちらを重視しなければならないということになる必然性は高そうだ。


日本将棋連盟の記事の扱いは、困った印象を受ける。

2017年2月16日 (木)

リクシル社長「放射能で大柄に」 不適切発言で謝罪

住宅設備大手、LIXIL(リクシル)グループの瀬戸欣哉社長は2月15日、山本公一環境相と環境省で意見交換した際、体格の大きさを指摘され「放射能の影響で大きくなりました」と述べた。記者が意図を尋ねると「冗談だった。不適切な発言だった」と謝罪した。
環境省は東京電力福島第1原発事故に伴う除染などを所管する。山本氏は意見交換後、瀬戸氏の発言に関する記者の質問に「気が付かなかった」と回答。瀬戸氏は「(スポーツをしていた時代に比べ)体重が増えたことの言い訳だった」と釈明した。意見交換は地球温暖化対策がテーマだった。瀬戸氏の発言に関し、福島県の内堀雅雄知事は記者会見で「放射能の問題について、誤解や偏見がないようにすることが大切だ。福島県は農産物や観光などで、いわれのない誤解や偏見により非常に苦しい思いをしている」と苦言を呈した。瀬戸氏は昨年6月、社長に就任。バスケットボールやボクシングの経験があるという。(共同:2月16日)


放射能汚染について考える。


放射線被曝の風評被害というのは、2011年3月11日の地震発生で原子力発電所が被害を受けて、発電に用いるものと二次的に発生する放射性物質が拡散したことによっている。放射性物質で、ウランやプルトニウムは比重が大きいことから、広い地域への拡散はないと考えれれている。それでも少し離れた地域でも検出されている。微量なので問題ないと言いきれないのが辛いところだが、健康被害への心配は小さいと判断するよりない。少なくともチェルノブイリ原発の事故による日本への影響と比較して、大きくないという結論は正しいとして良いだろう。
ストロンチウム90はカルシウムに特性が似るから、体内に入った場合、骨への定着が心配されていた。半減期は29. 1年である。他に話題になったものは、ラドン220 (半減期:55.6秒)、ヨウ素131 (8日)、セシウム134 (2.1年)、セシウム137 (30.2年)というものがある。半減期は放射性崩壊により原子が半分になる期間であるから、半分は残っているという解釈で問題ない。しかし、半減期が10回過ぎれば 1/1024 になるから、20回過ぎれば100万分の1にまで減少する。現在までの時間の経過により変化しているものと、大きくは変わらないものとがある。セシウム137はあまり変化はないだろう。人体への影響は、放射線の強さも考えなければならないので、そんなに単純に済ませられる話でもない。確実に言えるのは、半減期の長い放射性物質が拡散したことは、人間の一人の生命が存在する期間に比べ長い年月であるということである。薄く広まった原子を効率的に集める技術はないと言って良いから、拡散すれば手の施しようもない。

さて、LIXILの話である。政治家や経営者が、面白いと思って話すことの多くが、面白くもなく、ほとんど不快と感じることが不思議である。不快と感じるのを回避するなら、つまらないことに徹すれば事故は回避可能である。今回の発言の、身体が放射能の影響で大きくなったというのに、何が面白い、誰が楽しいと感じると、この社長は考えたのだろうか。環境大臣相手だったので、放射性物質の処理で困っているだろうから、良いこともあるのだと話そうと考えたということか。1960年生まれだから50代である人間が、放射線を浴びて成長するというのは、ある種のSFではあるのだろうが、ひねりに欠けた話である。1954年に登場したゴジラは、水爆実験によって発生したという設定であるから、この話を下敷きにしたという理解が良さそうだ。ゴジラほどは強く被曝しなかったので、この程度の成長で済んだということだろうか。LIXILの本社は東京であるから、特段、この社長が被曝したという理由も見出せない。やはり、どこが面白いかは分からない。
福島県知事は、ぜひLIXILの社長に、どのように面白い冗句を言ったのかを説明して貰うと良いだろう。偏見や苦しい思いについては別に対策するにしても、面白いと思ったことを知らなければ、発言者の精神構造に迫ることが出来ない。


LIXILの本社では、違法に放射性物質を保管している疑いがあるということか。

2017年2月13日 (月)

清水富美加さん、事務所との契約解除意向 幸福の科学へ

女優の清水富美加さん(22)が所属事務所との契約を解除し、信仰する宗教団体「幸福の科学」の活動に専念する意向を持っていることがわかった。関係者によると、本人が弁護士とともに所属事務所に対し、出家することを伝えたという。
所属事務所の関係者は「慰留しているが本人と連絡が取れない状態が続いている。公開前や制作中の作品の今後については全くの白紙状態」と語った。一方、幸福の科学は取材に対し「清水さんが出家したことは事実」と回答。現在は体調を崩しているといい、「予定されていた映画等の仕事については全うできなくなった。回復後は宗教家としての活動に移る」としている。体調が戻った後に同会制作の映画などに出演する可能性があるとしている。(朝日新聞:2月12日)


宗教団体について考える。


幸福の科学は、新宗教に分類される。近年、幸福の科学の政治団体である幸福実現党として、国政選挙に候補者を立てるなど派手に活動している。伝統宗教が間違っていないとする根拠も持ち合わせていないが、組織が新しい分、問題発生の頻度が高い傾向は否めないと感じている。問題が発生するのは、強引に寄付金 (適切な言葉が思い付かない) を募ったという内容である。資金の流れの完成度が低く、布教として資金を要する広報活動を行うと資金がいくらあっても足りない状況になるのだろう。
幸福の科学は、信者の数を1,000万人レベルで公表している。幸福実現党の国政選挙の獲得得票数が10~40万票であることからすると、有権者で10万人程度と見て大きくは外れないだろう。幸福の科学は、1990年代から活発になったから、この頃に入信した信者の子供、所謂二世信者がいる状況になっている。清水の場合も両親が信者であったという。

清水が事務所の方針と意見が合わず、仕事で疲労したことが原因で、芸能界からの引退を考えたというストーリーは理解できる範囲にある。信仰があったから、その宗教団体に奉職しようと思ったのは、精神的な疲労が大きければ選択の有力な候補になる。そこまでは必然であったとしても、事務所経由で契約している仕事を放棄してしまえば違約金が発生する。CMスポンサーは状況について理解する度量の大きさを示してくれても、差し替えの為に大きな費用が生じたものを請求しない訳にはいかない。出家と称する宗教法人での布教業務を担うにしても、数カ月を急ぐことでもないだろう。三カ月先に延ばして、仕事の整理をする相談くらいはして貰いたいものだと、事務所や仕事を発注した立場に置き換えて考えてしまう。
清水の待遇が悪かったことや、意にそわない仕事を強要された、などという話が出てきている。そんな部分もあるのだろうが、違約金は待遇のレベルとは大きくかけ離れた大金である可能性があるし、迷惑を掛けたスポンサーや製作会社へのお詫び行脚は、事務所社員にとって、降ってわいたような嫌な仕事を強要することになる。どちらも原因は清水である。そこまでしなくても、何とか折り合いを付ける方法があったろうにと思う。加えて、宗教団体も、俗世に疎いということもあるまい。これらの事情について配慮しつつ、適当な妥協点を見出すことも、結果として信者である清水を守ることに繋がるだろう。

マスコミは、いささか問題のある宗教法人が関係しているといっても、信仰の自由を制限するような言葉は使えない。タレント事務所とも問題をおこしたくない気持ちがあるのか、緩い表現を選択する傾向があるようだ。あっちにも、こっちにも気を使って、内容が何もないことを口にして時間を潰すのなら、何も話せないとする方が正しい選択である。話すを書くに置き換えても同様である。
清水は引退ではなく、幸福の科学の制作する映画などに出演するというが、これも布教活動以上のものなら、事務所は契約違反だと主張する内容である。いろいろ問題が多く、両者ともに法律家の意見を求めているのに、この体たらくというのは酷い。ということは、清水の行動が世間の標準から離れたものだということか。


信仰の自由は優先するが、経済的な損害は補填して貰うで良かろう。

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