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2017年7月13日 (木)

2人の死刑執行 金田法相では2度目 1人は再審請求中

法務省は7月13日、1990年代に女性4人を殺害し再審請求中だった西川正勝死刑囚(61)と、2011年に元同僚の女性派遣社員を殺害した住田紘一死刑囚(34)の死刑を執行した。金田勝年法相の執行は昨年11月以来、8カ月ぶり2度目(計3人)。再審請求中の死刑囚への執行は異例で99年12月以来。住田死刑囚は裁判員裁判で死刑判決を受けた確定者として、3人目の執行となった。
12年12月の第2次安倍内閣発足後では11度目、執行は計19人になる。同省によると、これで確定死刑囚は125人となり、うち92人が再審請求中となった。再審請求中は死刑を執行しない傾向があった。法務省には「執行を引き延ばすために、同じ理由で再審を繰り返す人がいる」との見方もある。一方、一家4人殺害事件で死刑判決が確定した袴田巌さんは再審開始決定で釈放され、昨秋には日本弁護士連合会も死刑廃止を宣言する中、波紋を呼びそうだ。金田法相は13日午後、臨時記者会見を開き、「いずれの事件も裁判所で十分審理した上で死刑が確定した。慎重な検討を加え、死刑の執行を命令した」と述べた。再審請求中の執行については、「再審請求を行っているから執行しないという考えはとっていない」と答えた。(朝日新聞:7月13日)


死刑制度について考える。


西川正勝死刑囚の主な容疑は、1991年のスナックママ連続殺人事件 (警察庁広域重要指定119号事件) である。被害者を下に記す。

  12月12日 兵庫県姫路市のスナック経営女性(当時45歳)を殺害
  12月21日 島根県松江市のスナック経営女性(当時55歳)を殺害
  12月26日 京都府京都市のスナック経営女性(当時55歳)を殺害
  12月28日 京都市のスナック経営女性(当時51歳)を殺害

手口に共通性が見られたことから広域重要指定されている。1992年に強盗容疑で逮捕されている。裁判で検察が主張した罪状は、強盗殺人(3件)、殺人、窃盗、強盗殺人未遂、強盗致傷である。再審請求を行っていたとされるが、過去の裁判を確認すると、第一審では全面無罪を主張した。二審では、姫路の事件についてのみ罪を認めたが、「人格・精神障害に加え、飲酒で異常酩酊下にあった」とし、責任能力を否定している。その他については無罪を主張した。最高裁の最終弁論で弁護側は、姫路の事件については認めたが、島根と京都の計3件について全面無罪を主張し、大阪の事件(強盗殺人未遂)については殺意を否定した。
判決はどの裁判でも、全面的に被告人の犯行として、死刑判決としている。被告人は犯行時35歳であったが、18歳の時に鳥取市内のスナックで女性経営者を包丁で殺害し、10年間服役している。その出所後まもなく、強盗致傷事件を起こし、また服役した。つまり、18歳から35歳までの17年間に、社会に出ていたのは5カ月に過ぎないという。
生い立ちにいろいろと問題があることを弁護側は主張している。情状を酌む為ということだろう。しかし、18歳以降の問題を考えると、更生の可能性を見出すのが難しい。それなら、むしろ刑務所の更生プログラムに問題がある事例だと主張する方が合理性を感じる。
最高裁の判決は、2005年6月7日である。その後も何度か再審請求を行っていたとされる。再審請求が、刑の執行を停止する要件には成り得ないというのが、法務省の立場である。死刑制度反対の立場からすれば、何をしても問題があるということになる。しかし、死刑制度を一定の合理性があると考える立場からすれば、制度の機能停止を狙った行為となる。法律を国民が支持しているという前提に立てば、違法行為でないにしても、法律を壊すことを狙っているのだから、道義的な犯罪だと言われよう。
裁判所が決して間違えないとは到底思えないし、検察は思い込みが激しそうだし、警察となると、ノルマ達成の為に無茶をするように感じる。狂暴罪じゃなかった共謀罪なる新たな取り締まり可能な便利なおもちゃを、警察に渡せば遊ばない訳がない。権力は暴走するものだし、確実に腐敗することになっている。偉い人は決して間違わないというのは、この国におけるある種の美徳として語られるが、現実社会ではこの美しさは失われている。そもそもないものをあると信じていただけかもしれない。現実主義者は、間違える可能性を排除してはならないのである。
しかし、この事件に関しては、間違いが入る余地が乏しい印象である。仮に姫路の事件だけで他は無罪と判断したとしても、死刑で良いのではないかという被告人ではある。こんなに雑に判決することはないだろうが、なんともやるせない仕事ではある。

三審制だから正しいという主張は、お止めになった方が良い。事実審を二回して、法律審を最高裁で一回するのが刑事事件の最大ということになる。法律審は、原審(控訴審)が認定した事実が、そのまま判決の基礎となる。殺人事件のような事案で、最高裁に持っていっても変わることが見出せないだろう。被告人が、東京近郊の刑務所や拘置所に入りたいという希望を叶える手段にはなる。
事実審二回もドラマのような展開には、なかなかならないようだ。刑事事件なら、検察の求刑に七掛けで結審に近い印象だが、判事が正しく判決文を書こうとしても、他の事案との公平性を無視することが出来ない事情があるから、結果は似たものになる。4人殺して、殺人の前科があるという被告人に、死刑の判決文を書けないのなら、弁護士に転じるのが良いということになる。


住田紘一死刑囚は、元同僚の女性を殺害した容疑で起訴されている。罪状は、強盗殺人、強盗強姦、死体遺棄・損壊、窃盗となっている。この被告人は犯行時29歳である。前科もない。裁判で事実関係を争うことはしていない。量刑だけが争点になっている。裁判の当初は、他にも女性を強姦しようとしていたとか、過去に交際した女性が結婚した相手を殺そうと計画したなど、心象を悪くすることばかり口にしたが、途中から反省を口にしている。永山基準からすれば、最高裁まで争われて不思議はない案件なのだが、地裁判決後に即日控訴したものの、その後被告人は控訴を取り下げ、確定している。
困った問題は他にもあって、この裁判は裁判員裁判で行われている。裁判員裁判の場合に、厳罰化の流れが出来てしまっている。これはプロの法律家である裁判官の判決と、裁判員裁判の判決が合致しなければならないという立場の人には具合が悪かろうが、判決方式という法律が変更されたのだから、その影響が判決に出るのは必然である。法律に違反していないのなら、それはそれで尊重されるべきことだと考える。それでも、裁判員裁判の判決が正しいか否かを、最高裁で憲法判断するのは有益であったと思う。しかし、被告人以外に利益を受ける者 (普通には不利益である) がいないから、裁判をすることが出来ない状態になった。この手の問題を、不利益を被る人以外が被告人席につけないことを考えると、最高裁とは別に法律や行政行為の憲法判断をする裁判所が必要な気がしてくる。
住田紘一死刑囚の事件は、遺体をバラバラにして遺棄するなど残忍なものであるが、その割に話題にならなかった。そちらの方が不思議ではある。この事件には、表に出来ない事情でもあったのだろうか。


法務大臣は、「人の命を絶つ極めて重大な刑罰。慎重な態度で臨む必要がある。裁判所の判断を尊重しつつ、法の定めに従って慎重かつ厳正に対処するべきだ」と述べている。法律が死刑制度を求めているのだから、法務大臣が個人の信条を理由に仕事を停止してはならない。役所が書く公式見解である。当然のことだろう。また、マスクをした役人が後ろにいたのだろうか。マスク不要になるよう、法務省の役人は、いっこく堂のところで修行をするのが良かろう。師匠と大臣など似たようなものだろう。


再審請求中を意識するなら、死刑執行に関して、裁判所の許可を求めるとでも言うのか。

2017年7月 6日 (木)

「ミサイル、私なら原発より東京」 規制委員長が発言

原子力規制委員会の田中俊一委員長が7月6日、関西電力高浜原発がある福井県高浜町を訪れて地元住民らと意見交換し、北朝鮮のミサイルの脅威について、「(原発を狙うより)東京都のど真ん中に落としたほうがよっぽどいいんじゃないか」と述べた。「不適切だった」と後に釈明した。
田中委員長は、高浜原発3、4号機の再稼働を受けて、国の原子力災害対策指針などを説明するため、初めて同県を訪問。高浜町民約30人との質疑応答で、「ミサイル攻撃への対策は」との質問に、「原子力規制の範囲を超える」としつつ、「(敷地内での)大型航空機落下についての対策があり、相当の対応はできる」と説明。そのうえで、「小さな原子炉にミサイルを落とす精度があるかどうかよく分からない。私だったら東京都のど真ん中に落としたほうがよっぽどいいと思う。もう何万人、何十万人と住んでいるから」と述べた。田中委員長はその後、報道陣に「不適切では」と問われ、「戦争は絶対避けて欲しいが、戦争状態になったら原子炉だけの問題じゃないということ」「例えが不適切でないかといえば、不適切だった」などと釈明した。(朝日新聞:7月6日)


原子力規制委員会について考える。


田中俊一は9月に任期を迎えて退任すると先に報道があった。後任は山中伸介が予定されている。電子力発電に関する人選が、所謂原子力ムラの内輪で回していて、風通しの悪い組織運営と、利益誘導や都合の良い結論に導く傾向を指摘するむきがある。原子力発電所は扱っているモノがモノだけに金額で算出すれば大きな産業であるが、産業規模の広がりという面で見るとそれほどではない。そして生産するものは、電力でしかなく、産業廃棄物が放射性物質として国が管理する物であるから、自由競争というこの国を支配する経済原理から最も遠いところに位置している。
一度も官営になったことのない電力会社が、これだけ縛りのきついエネルギーで発電する理由が分からない。経営判断として、原子力発電を国に売って、民間企業としては化石エネルギーによる発電と送電で事業を構成するというのが、リスクを一定以上に大きくしないという理性というものだろう。百歩譲って原子力発電に可能性を見出すにしても、リスクヘッジをしなければならない。国か都道府県との合弁による発電会社までが妥協点である。事故があった場合に、企業が倒産することが決まっている仕事を、株主が承認する気持ちが理解出来ない。事故発生に関する保険を、ロイズが引き受けてくれるとも思えない。引き受けるのなら、日本国政府の裏書きは必須要件ではないだろうか。
誰も責任を問わない状況のまま、日本では原子力発電が稼働開始していく。稼働停止の判断は、民間企業である電力会社に致命的な経済負担を強いることになる。電力の安定供給を実現するには、原子力発電なしには達成し得ないという結論ということだ。しかし、事故が起きては手に負えないので、規則を明確にしようというのが、原子力規制委員会という組織の役割である。

北朝鮮のミサイルが落ちて良い日本の領土などある筈もないのだから、あっちよりこっちの方がましの発言が許されることもないのは、東京大学では学ばないかもしれないが、人生のある時期に学ぶものである。大学時代に学ぶかもしれないが、大学のカリキュラムには載っていないようだ。もしかしたら、Fラン大学と称される大学では、特殊教育として実施されている可能性もある。ビジネスマナーなぞという科目が単位になっている。田中俊一は学んだ方が良いことが沢山あると認識しなければならない。


知らないことが沢山あることを無視するのが、ムラ人の特性である。

2017年7月 3日 (月)

自民支持層、4分の1が小池知事派に都議選出口調査

安倍政権への批判が高まる中で、自民は支持層自体がしぼみ、「都民ファーストの会」など小池百合子知事の支持勢力が自民支持層からも票を取り込む――。7月2日に投開票された東京都議選で朝日新聞社がテレビ朝日と共同で実施した出口調査で、有権者の投票行動から「自民離れ」の実態が浮かんだ。
学校法人「加計学園」をめぐる問題など、安倍政権への批判が続く中で実施された都議選。出口調査のデータから、自民への逆風の強さがはっきり表れた。自民を支持すると答えた層の割合は全回答者の26%。自民が大勝した昨年夏の参院選で実施した出口調査での36%と比べると、約1年で大きくしぼんだ。それでも支持層の割合では都民ファの24%と互角だった。ただ、実際の候補者への投票行動でみると、小ぶりになった支持層すら固められていない実態が浮かぶ。自民支持層のうち、自民の候補者に投票したのは67%と、7割を切った。4分の1は、都民ファや公明など、小池氏の支持勢力の候補者に投票していた。
一方、小池氏支持勢力の候補者は、都民ファ支持層をほぼ固めたうえ、無党派層(全体の21%)の過半数の52%を取り込んだ。無党派層の投票先を候補者の政党別にみると、都民ファ35%、共産17%、自民13%、民進10%、公明8%の順。無党派層に限れば、共産の候補者は、自民を上回る支持を得ており、安倍政権も小池知事も支持しない層の受け皿になっている様子がうかがえる。民進支持層も参院選時の18%から7%に大きく減ったが、無党派層の一定の支持を受けた。
今回の都議選では、自民との選挙協力を打ち切り、小池知事の支持に回った公明の支持層の票の行方が注目された。公明の候補者が出なかった21の選挙区で、公明支持層がどの政党の候補に投票したかを見ると、都民ファなど小池氏の支持勢力に77%、自民候補は17%にとどまった。共産候補、民進候補にはともに2%だった。年代別で、自民候補に投票した割合が特に低かったのは50代の11%、60代が12%だった。男女別では男性の15%、女性の20%が自民候補に投票した。1人区をみると、都民ファの候補者は中央区で公明支持層の81%、昭島市でも83%の票を集め、自民候補に大差をつけた。2人区でも、渋谷区で都民ファ公認候補と都民ファ推薦無所属候補に公明支持層票の38%ずつが配分され、ともに当選。選挙協力は功を奏し、自民候補を下した。
1999年に自民と公明が連立政権を組んで以来、各種選挙で公明支持層は自民を強力に支援してきた。東京都内はもとより、全国の衆院小選挙区で公明支持層の7割前後が自民候補に投票するのが常態であり、自民候補がそんな「高げた」を履くのが当たり前のような選挙が続いた。今回、その「高げた」が消えたばかりか、相手候補に渡ってしまった。公明の候補者が出なかった21選挙区で、自民は前回22議席を獲得していたが、それが7議席に減った。公明依存の選挙を続けた自民は大きなツケを払わされた。(朝日新聞:7月3日)


都議会議員選挙について考える。


過去の選挙結果を確認することにする。投票率と、主要政党の獲得議席数の推移を下に示す。

■ 都議会議員選挙投票率と政党獲得議席数推移
  投票日   投票率   自民  共産  都ファ  公明  民主  民進  ネット  諸派   無所属
  1989年   58.74%   43    14   ―    26
  1993年   51.43%   44    13   ―    25
  1997年   40.80%   54    26   ―    24    12    ―    2     1     8
  2001年   50.08%   53    15   ―    23    22    ―    6     1     7
  2005年   43.99%   48    13   ―    23    35    ―    3     1     4
  2009年   54.49%   38     8   ―     23    54    ―    2     2     2
  2013年   43.50%   59    17   ―    23    15    ―    3     7     1
  2017年   51.28%    23    19   49    23    ―    5     1     1     6


1989年と1993年の政党は、古い名前でその後統廃合があったので省略した。1997年以降の諸派はその他の政党の意味で、無所属は政党系のものもあるが、選挙時の扱いのままになっている。
組織力のある支持母体は、公明党や共産党に代表される。自民党支持者も組織力は高いだろう。一般に、新党が風に乗って高く上がる場合には、支持母体のしがらみの乏しい、所謂無党派層の投票が重要になる。つまり、組織力に優る政党は、投票率が低いと有利であるということになる。公明党の獲得議席数は安定していて、創価学会の政治の本丸が東京都にあると認識されているのだから、強いのは当然と言える。共産党は投票率が低いときに有利にも見えるが、そうとばかりは言えない結果になっている。共産党が評価される時期というのもあるようだ。一方、自民は投票率の低い1997年、2013年に大勝している。何だか分からなくなったので、42選挙区について、最下位で当選した候補者と、次点になった候補者の政党でまとめた。結果を下に示す。

■ 最下位当選と次点候補の政党
    政党名        最下位当選    次点
  自由民主党           15        29
  都民ファーストの会       7        1
  無所属              6        5
  日本共産党           8        2


最下位も次点も自民党が多い。前回大勝しているから、候補者を絞ることも出来ない事情もある。そこに逆風要因に事欠かない状況が発生すれば、自民党候補が複数ある選挙区で共倒れのケースも出てくる。都議会議員選挙が選挙制度の複雑さから、政党選挙である部分と、そうでない部分とが同居している。
自民党の次点がすべて当選すれば、52人当選となるのだが、最下位当選も自民党のケースがあるから、理論上の話としても破綻している仮定になる。単純な議論が可能な7つの1人区について確認してみる。自民党は、前回の選挙で7勝したのに対し、今回は1勝しかできなかった。長くなるが結果を下に示す。

■ 1人区の選挙結果
  千代田区
     ひぐちたかあき  都民ファーストの会     14,418
     中村あや      自由民主党          7,556
     須賀かずお    無所属             2,871
     ごとうてるき    国民ファーストの会       602
  中央区
     西郷あゆ美    都民ファーストの会     25,792
     石島ひでき    自由民主党          17,965
     森山高至     無所属             8,736
     立石はるやす   無所属             6,842
     さいとうかずえ  希望ファーストの会     1,347
  武蔵野市
     鈴木くにかず   都民ファーストの会     27,515
     松下玲子     民進党             22,493
     島崎よしじ     自由民主党          14,443
  青梅市
     森村たかゆき   都民ファーストの会     31,603
     野村有信     自由民主党          19,948
     つるた一忠    無所属             5,433
  昭島市
     内山真吾     都民ファーストの会      24,639
     中村たけし    自由民主党          12,544
     奥村ひろし    日本共産党          5,897
  小金井市
     つじの栄作    都民ファーストの会     16,039
     漢人あきこ    無所属             13,531
     広瀬まき     自由民主党          11,293
     朝倉法明     無所属             4,879
     うちこが宏     無所属             1,242
  ☆島部
     三宅正彦     自由民主党          8,804
     山下崇       都民ファーストの会     4,100
     綾とおる      日本共産党          1,225


今回の選挙で、公明党は都民ファーストを応援する立場を取っている。前回まで自民党に流れていた票が、そのまま都民ファーストに流れたことになる。1人区での公明党の票数は5,000票と考えると、自民党と都民ファーストとの差が1万票差なら、公明党との選挙協力が反転すると逆転ということになる。
それぞれの区議、市議の公明党の割合を確認すると、
  千代田区  2人 (定数25)
  中央区    4人 (定数30)
  武蔵野市  3人 (定数26)
  青梅市    4人 (定数24)
  昭島市    5人 (定数24)
  小金井市  4人 (定数24)

となっている。中央区と、青梅市、昭島市、小金井市は公明党の動きが違えばひっくり返りそうな印象である。この手の IF に意味がないのは承知しているが、確実な事実として、自民党の組織力が低下し、公明党との選挙協力を失うと、当落線上であった候補者が、泡沫候補に近い位置まで下がるということである。公明党側でも、自民党のタカ派的な政策に協力することで、公明党の周辺に多くある所謂F票を失ってきたデメリットもあるだろうが、政権与党であることの利権に関わるというメリットの大きさを考慮すれば、埋め合わせして余りがあるというのが現状分析であろう。つまり、自民と公明の選挙協力による利点を失わせると、結構自民は厳しいという現実が計らずも提示されたということである。
国政では自公の体制は変わらないということになっているが、内閣にすり寄るより生きる道がなかった議員が、それでは助からないと悲鳴を上げて流動化する可能性があるのだろう。それの良し悪しは予測不能なのだが、選挙命で生きる人達の価値観を理解しない者には、余りに難解な問題であるということは容易に想像が付く。


都民ファーストが国政に進出となれば、維新の会と同じように失敗するのは確実だ。

2017年6月30日 (金)

「落とすなら落としてみろ」 二階氏、相次ぐ問題発言

自民党の二階俊博幹事長は6月30日、東京都議選の応援演説で、自らの差別的な表現が報道されたことなどを念頭に「言葉ひとつ間違えたらすぐ話になる。私らを落とすなら落としてみろ。マスコミの人だけが選挙を左右するなんて思ったら大間違いだ」と述べた。問題発言や不祥事が続けて報じられ、都議選が自民逆風となっていることへの責任を報道機関に転嫁する政権幹部の発言が続いている。
二階氏は29日の応援演説で、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を「きちがいみたいな国」と表現した。精神障害者に対する差別的な表現で、直後に記者団に「表現として必ずしも適切でないものが一部あった。注意したい」と釈明。読売新聞など各紙がこの発言を報じた。稲田朋美防衛相も27日の応援演説で「防衛省、自衛隊としてもお願いしたい」と発言し、30日午前の閣議後会見で撤回とおわびに追い込まれた。二階氏は同日夕の国分寺市の演説で、自身を含む政権中枢の発言を伝えている報道機関に矛先を向け、「マスコミは偉いには違いないが、偉いと言っても限度がある。あんたらどういうつもりで書いているのか知らんが、我々はお金を払って(新聞を)買ってんだよ。買ってもらっていることを、やっぱり忘れちゃダメじゃないか」と述べた。安倍晋三首相も30日夜、小金井市での応援演説で「色々な報道によって、政策がなかなか届かなくなってしまっている」と報道への不満を漏らした。(朝日新聞:6月30日)


落とせるものならというのは、と考えてみる。


北朝鮮に対して、ミサイルを打ってみろと挑発している和歌山の田舎議員の戯言と思ったら、ごく普通にマスコミ批判をしている自民党の幹事長であった。順に振り返ってみる。
「きちがいみたいな国」という表現は、私的な会合で口にするのも憚られる表現である。二階は日常的に使っている様子が想像される。結構差別的な思想の持主かと思ったら、なかなかユニークなエピソードが紹介されている。大下英治の『小説 二階俊博』の中で、中学時代に外郭団体の主催する弁論大会のメンバーに選ばれた二階が、差別問題を主題とする島崎藤村の社会小説「破戒」を引用し、人権問題について演説したという。関西では同和問題に対する教育が丁寧に実施されていたというから、年齢からすれば差別問題を扱う環境に合っただろうと言う推定は正しいだろう。自民党系の同和団体というと自由同和会ということになるが、和歌山の役職に二階の名はなかった。自民党幹事長と兼務は無理がある。二階の子分が関係している様子は見えてくるが、それが批判されるものでもない。しかし、差別問題を中学生の頃に扱ったというエピソードを後生大事にする理由が分からない。政治家は選挙命であるから、これが票になれば消す理由がないという理屈には同意する。
そんな人権意識の高い国会議員が、「きちがいみたいな国」と口にしている。この言葉が成立するには、「きちがいみたいな人」か、「きちがい」という存在が不可欠で、文脈からすれば、この手の人は社会として迷惑な存在であるという意識がある。人権意識と相容れない思想と思えるが、差別でも同和問題に関心があり、障害者には無関心と理解するとしよう。
稲田朋美の発言は、違法性が指摘されるものである。マスコミの責任というより、発言者の問題として処理するのが妥当なところだろう。これで選挙結果に影響が出ても、稲田が発言しなければ報道されようもない。発言内容に問題があるから報道し、その結果として、選挙結果に影響した。それだけの話である。

「マスコミは偉いには違いないが、偉いと言っても限度がある」というのは、マスコミは偉くない。偉いのは選挙を勝ち抜いた議員であるということを、言っている政治用語である。故に、後半部分は、偉くもないのに不埒であると主張していることになる。大西英男が、「自民党に反対するような新聞、テレビには広告を出さないよう経団連に頼んでやる」という発言と同じことを、買っている人の言うことを聞けと主張している。経済原理主義ということである。興味深いのは、政策がなかなか届かなくなってしまうの内容である。政策が実施されたのに、知られないと言う意味なのか、良い政策であるのに、国民が知らないので実現されないのいみなのだろうか。どちらも困ったら、大本営の御用達である読売新聞に頼むのが良かろう。自由民主やりぶるを読売新聞の折り込み広告にしたら良いと思うが、そんな提案は二階からは出て来そうにない。


偉い人は決して間違えない。二階は信じているようだ。

2017年6月27日 (火)

大本営発表:プレミアムフライデー、3人に1人が参加

大本営発表を意図通り紙面に展開する読売新聞に、「プレミアムフライデー 定着の兆し」との見出しで、一面を埋め尽くす記事が出ていた。電車の中で、他人が読んでいるのを覗き見たという、極めて礼儀知らずな情報の入手方法であった。その後、少々足を延ばして、図書館で確認すると、全面広告であった。大本営も読売新聞ではなく、赤旗にでも掲載してくれれば、容易にこれは広告と理解できるのだから、随分といけずである。

プレミアムフライデーは、消費喚起策で今回(6月30日)で5回目である。経産省が経団連などと連携して推進している。月末の金曜日に早帰り可能と思うのが凄い。営業関係なら売上の集計があるだろう。何としてでも売上を達成しろという外勤者の場合もあるし、週明けの会議に報告出来るように資料作成する内勤者もいそうだ。経理関係で経費の取りまとめというのも、容易推考といえる。そもそも土日休みの暦で働いている人のみが対象であるから、ざっと3人に1人は非対象ということになる。
さて、御用記事ではなく広告を確認する。紙面には「3人に1人が"プレ金"に参加」という小見出しがある。テレビのインタビューでは、早く帰れないというのがほとんどであったが、それは番組をつくる側の都合が入っていると主張することは可能である。
プレミアムフライデー推進協議会がアンケート調査に準備した設問が分かる。それは、「いつもより早く帰ったかどうかに関わらず、普通の週末にはできない過ごし方ができましたか?」である。おや、プレミアムフライデーの本来の趣旨は、「15時に仕事を終える」であったのではなかろうか。宗旨替えをしてしまったのだろうか。しかし、何とも、この手の操作をやってしまっては、アンケート調査の意味が無くなる。
第1回のプレミアムフライデーだった2月24日の直後に行われた調査がある。ここで、実際に「早く帰った」人はわずかに3.7%どまった。(株式会社インテージ調査速報値) この調査で、実施・奨励されなかったという回答が九割近くあった。1回目の状況が4回までに大きく変化したのなら価値のある結果である。というより、むしろこちらの方が価値がある。価値があると言ってくれ読売新聞。

上に広告とあるから間違えないと言えば、その通りではあるのだが、大本営の発表を掲載する新聞なのだから、広告ではなく、政府発表として貰った方が理解し易い。政府だと都合が悪いのなら、内閣府でも良いし、官房機密費を使って官房長官がオーナーになったって良い。定着の兆しなどという広告は本来ない。定着したプレミアムフライデーで楽しい週末を過ごしましょうでなければ宣伝にならないではないか。広告にならない、しかも事実とは異なる内容をねじれた情報で発表して何が楽しいのか。それなら、アベノミクスは大成功、黒田バツーカ炸裂とか、広告を打たなければならない話には事欠かない。


首相の通院の為、金曜日は早めに引き上げます、というのなら説得力はある。

2017年5月23日 (火)

大西議員 がん患者に「働かなくていい」暴言、謝罪も撤回せず

自民党の受動喫煙対策に関する会合で、タバコの煙に苦しむがん患者に関し「(がん患者は)働かなくていい」との趣旨のヤジを飛ばした大西英男衆院議員(東京16区)が5月22日、党本部で会見を行い「私の発言でがん患者や、元患者の気持ちを傷つけたことを深くおわびします」と謝罪した。会見では神妙な顔で失言だったことを認めたものの、傷つける意図はなかったとして発言の撤回は「ありません、ありません」とした。
大西氏の発言を受け、がん患者団体が一斉に猛反発。「全国がん患者団体連合会」はホームページに、大西氏を名指しはせず「国会議員の発言」とし、「がん患者の就労のみならずその尊厳を否定しかねないもの」と批判する文書を公表。別の患者団体も会見で怒りをあらわにした。
身内からも批判が相次いだ。自民党の下村博文幹事長代行は大西氏と党本部で会い、厳重注意した。また、同党の二階俊博幹事長は記者会見で「大いに反省させることが大事だ」と強調した。問題発言があった党部会は15日に行われた。出席した三原じゅん子参院議員が、職場でタバコの煙に苦しむがん患者に言及した際に、大西氏が「働かなくていい」とヤジ。三原氏は子宮頸がんを克服し、参院議員になったがんサバイバーだけに、その日のブログには「仲間であるがん患者の皆さまに謝罪の気持ちを持ってもらいたい」と記し反省を促していた。(スポニチ:5月23日)


ヤジについて考える。


大西は日頃から問題発言をしている人物である。大西の問題は、責任のある場所での発言ではなく、それ以外の場所で注目されることにある。もちろん、議場でも問題のある発言をしているのだが、議場は何を言っても良いところである。大西の不規則発言の例としては、「まず自分が子どもを産まないとダメだぞ」、「巫女のくせに何だと思った」、というのがあった。何をしたいのかが分からない。訴えたいことがある訳ではなく、自分が偉いと主張したいだけのようだ。
大西の特性をそのように推定して今回のヤジを振り返る。三原の健康への影響を心配しているという内容の発言に対して、そんなに心配なら、ガン患者はそんな環境の職場で働かなければ良い、という趣旨であったろうと想像される。十分な分煙対策を講じることと、労働環境について事前に周知する必要があるということ、それらが一定水準達成されるのなら、発ガン性に関して必要以上に神経質になるのは行き過ぎだという考えはあるだろう。これとて、いかに上手に発言したところで、今日の環境では否定的な意見で叩かれるのが必定である。
大西は正式には発言する機会ではなく、会議のヤジとして匿名を良いことに騒いで、その後、自身の発言だと特定されると判断するに至り詫びることになった。

ヤジは嫌いである。最も嫌いなのが、発言する機会の与えられた側が発するものである。大西は自民党厚生労働部会において発言可能な立場か否かについて知らないが、発言機会の可能性がないということもあるまい。党内の部会である。正式な手続きにより可能になるものだろう。正式な手続きで排除される可能性も、もちろん大いにあるだろうとは想像されるのではあるが。
ヤジで攻撃する手法は、発言している者を遮ることが目的になっている。よって、大西の目的は三原がガンの経験者であり、社会的な弱者ぶって発言しているのだから、そんなに弱いのなら外に出るなという方向性にあるのだろう。つまり、ヤジである以上、言葉に論理的な解説を加えたところで、差別的、排除的な色は残るというものである。

本当の関心は別のところにある。自民党厚生労働部会が非公式な場であると認識されて、三原は部会長から、この問題について表だって言及することを控えるよう求められたという。おかしな話である。部会長は誰かを調べたら、どうやら渡嘉敷奈緒美であるようだ。過去に不倫疑惑で有名になった人だが、薬剤師でもある。都議会議員選挙への影響を心配してのことだろうが、発言したのだから、その責任は負わねばならない。要らぬ配慮である。そんなことばかり気を使っていると、部会長は仕事をしないで良いと言われそうだ。そもそも、大西は仕事をしていなさそうだが。


私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。(Voltaire)

2017年5月22日 (月)

毎日新聞の陛下発言報道を否定

天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議のヒアリングで、保守系の一部専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が不満を漏らしたと毎日新聞が報道したことについて、宮内庁の西村泰彦次長は5月22日の記者会見で「陛下が発言をされた事実はない」と否定した。
毎日新聞は21日付朝刊で「陛下 公務否定に衝撃」「『一代限り』に不満」との見出しで報道。保守系の専門家の指摘に、陛下が「批判をされたことがショックだった」と話したことなどを紹介した。毎日新聞社は社長室広報担当名で「十分な取材に基づいて報道しております」とのコメントを出した。(ロイター:5月22日)


天皇陛下の発言について考える。


天皇が宮内庁以外の役所に要求を言えば、憲法に抵触すると問題になる。その自覚を持ち、自身の意見を公表する方法を役人と一緒に検討するのが皇族、特に天皇家の手法である。それ以外の方法は考えられないということだろう。
このような事情を考慮すれば、毎日新聞の記事で、宮内庁経由で官邸に意見を発信したというのは、事実であるか疑わしいところである。官邸に向けて発言することもあるだろうが、それは決して漏れてはならない発言として扱われるものである。それ故、毎日新聞の報道を誤報とは思わないが、すべてまとめて真実と思うには躊躇いを感じるのである。

電車に乗っていたら、記事の内容について、人権問題だと言う人がいた。皇族に人権など無い。選挙権はないし、職業選択の自由もない。宗教選択の自由もないし、結社の自由もない。かろうじて学問の自由は許されているとも言えるが、受け入れ先の都合という理由で差別されても文句は言えない。そもそも、この国にあって、唯一門地による差別が法律で認められている存在である。
東京大名誉教授の平川祐弘や上智大名誉教授の渡部昇一らが、「天皇は祈るだけでよい」と発言したとされる。公務の負担軽減を考えて、国事行為以外を切り離しで、残った部分を国民に向けるのなら、確実に肉体的な負担は軽減されようという発想なのだろう。アサハカである。
象徴天皇制の制度化の皇室の在り方について、最も真剣に考えて来た者の一人は、今上天皇であることは疑いようがない。この制度を将来も維持することを前提にしたときに、広義の公務を遂行出来ない状態が生じれば退くものだとする指標は、この先にも必要になるものと信じたとしても不思議はない。一代限りでは、個人的な我が儘に見えるし、そもそも、皇族という存在に我が儘という言葉が近しいものだとは到底思えない。

保守系の専門家と称する者は、天皇制を維持することが、日本のプレゼンスを高めるのに効果的であり、特に外交交渉について顕著である、などとする経済中心の思想によって判断しているのだろうか。天皇制など経済原理で計測するものでもあるまい。象徴天皇制は戦後のものだし、帝国憲法下での天皇の地位にしたって、それ以前のものと連続性が十分にあるというものではない。だから、続いていることだけに価値があるというのなら、経済原理として正しいのだろう。しかし、保守政治家などと称する者たちに主張に従えば、具体的には自民党の憲法草案に見られるように、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」の頂点に位置するのが天皇家というものだろう。これを激しく批難するが、思想良心の自由は保障しよう。それなら、天皇家の地位についてのありようを真剣に考えろと言いたい。
今日において金銭というのは、欲望の数値化に過ぎない。天皇制の経済効果を算出して、損得を出すのは自由であるが、それだけですべてを決められるものではない。最近の保守政治家やその取り巻きという輩、失礼、方たちは、新自由主義経済に毒された天皇制を掲げるとウケが良いとして、便利に用いているだけの存在ではないか。



天皇家に、祈るだけのよく、続いているだけで価値があるというのは、本気で絶倫パンダとして保護するつもりのようだ。そもそも基本的人権が無い存在であるのだが、許されるものとそうでないものがある。ワシントン条約で保護する対象にすると同時に、エセ保守政治家を特定外来種として駆除の対象に指定したらどうだろうか。絶倫パンダに害はないが、特定外来種はこの国の国土を荒廃させてしまう。

この国の文化としての天皇制について、国民が自由に判断し、総意をいかにまとめるかという課題である。特定のお友達の利益で動かす話題ではない。それだけの話を、どうして歪めるのだろうか。



皇族に被選挙権を与えたらどうか。法的には嫁に出れば立候補可能ではあるが。

2017年5月17日 (水)

眞子さま婚約へ 大学の同級・小室さんと

宮内庁は5月16日、秋篠宮家の長女、眞子さま(25)が国際基督教大(ICU)在学時の同級生だった小室圭さん(25)と婚約されることを明らかにした。小室さんは横浜市在住。東京都内の法律事務所に勤務し、一橋大大学院にも在学している。一般の結納に当たる「納采(のうさい)の儀」を経て結婚される見通しだ。
16日夜に取材に応じた宮内庁の山本信一郎長官は「しかるべき時期に宮内庁から発表するべく計画を進めていた。お二人の準備が整えば婚約内定を発表したい」と述べた。正式発表の時期は未定という。皇室典範の規定により、眞子さまは結婚後、皇族の地位を離れられることになる。(日本経済新聞:5月17日)


皇族について考える。


秋篠宮家に男子が生まれてから、女性宮家の話は下火になった。女性天皇に抵抗の少ない民主党から、反対意見を持つ者を支持者とする議員が存在する自民党に政権が移ったことも影響していよう。男系に限るとする原理主義者も、制度の手直しなしでは、今上天皇の孫の世代に男子が一人のみである状況からすれば、制度の維持が難しいことは理解していよう。現行の制度変更なしで、制度は維持するというのなら、この原理主義集団は、リスクは信念で回避可能であるというアンティークな思想で支配されているファンタジーな世界に暮らしているということだ。

原理主義者の主張を支持しないでもない。男系皇族に限定している制度を維持し、もし該当者が存在しない状況になれば、制度を閉じるという考えである。天皇家に伝わる様々なものは、国の財産と認定されているようだから、国宝が失われる心配はない。物質としての文化財にダメージはないということである。国の行事に関わる事柄については法律の改正が必須であるし、憲法の改正も当然求められる。それは戦後の様式美の類と割り切ればなんとでもなる。天皇家の儀式の在り方については、その後も宮内庁で儀式を継続すれば良い。弘法大使が入定しているのだから、それと同じような発想であっても構わないだろう。真言宗の方に怒られるのは承知しているし、いやはや何とも不敬罪である。

制度維持に関するリスクを理性的に捉えれば、男系を継続するとなると過去に皇籍離脱した男子を皇籍復帰させるということになる。昭和22年10月14日の皇籍離脱者の男系子孫が対象となるが、現在二十歳前後である対象者はどれくらいいるのだろうか。少なくとも、結婚していては配偶者を皇族に迎え入れるという作業に障りがあろうから、独身であることが必要となるだろう。皇籍離脱者の対象になったのは11宮家であるが、想像されるほど該当者は多くないようである。一般の国民を公表する必要性も感じないが、該当者がどのくらいいるのかくらい示しても良いと思う。これとて、該当者に皇室に移ることを強制できる筈もない。百人の該当者がいても、受け入れる人が一人もいなければ成立しない。適切か否かについては該当者のリストアップから始めるよりないが、その先の道筋が描けない。

天皇制を維持継続するとなれば、女性天皇を認めるのが現実的な解になるのは分かる。しかし、既に皇室を離れた紀宮清子内親王(黒田清子)、高円宮家の典子女王(千家典子)が近くにあり、他の女性皇族との不平等とする意見がある。制度変更による不平等は避けられないから、ここでは議論しないことにする。
過去に寬仁親王が、自身の二人の子 (ともに女性) に対し、いずれ皇室から離れることを前提に躾けているという趣旨の発言をしていた。親としては当然だろうが、それを理由に法改正が出来ないという話でもない。情緒的には惹かれるが、論理的には汲む余地もない。また、寬仁親王の発言について、マスコミから憲法上の制約を受ける立場であるので、控えるのがよろしかろうとする報道もあった。今上天皇が発言するのはまずかろうが、他の宮家なら皇室制度に対する発言くらいあって良い。不必要な配慮である。

基本的な立場を明らかにしておこう。皇室の在り方は国民が決めれば良いと考えている。止めても良いし、継続しても良い。外交上の利点は多くあるから、経済的には負担はあっても継続するとリターンも期待されるという見方も成立しよう。しかし、それが継続する理由であってはならない。文化というのは、経済活動ではない。
最も問題なのは、皇族の立場である。皇族は法律で基本的人権が激しく制限される立場である。逆な見方からすれば、憲法で門地による差別を認められている立場である。こんな制限を受ける立場は、極めて限定的でなければならないし、制限も小さくしていくのが良いと考える。それでは皇族ではないという意見もあろうが、歴史に裏打ちされた制度は、そんなに脆弱ではない。もし脆弱性が心配されるのなら、国民からの尊敬の念の方である。こっちが失われるのなら、制度を取りやめにして、文化財になるか、宗教法人になるかすれば良かろう。繰り返す。国民が決めることである。
ということをまとめると、女性宮家の創設ということを選ぶことになる。一般の環境の中で二代に渡り生活したのなら、それから皇族になっても主体的な立場で行動することもなかろう。女性皇族に、元皇族の子孫を配偶者に迎えるというのは、現実的な妥協点になるのかもしれないが、発言不可の皇族に押し付けるのは忍びない。本件に関して発言を解除する法律を作りたいと思うが、発言しないものなのだろう。

不敬罪を承知で言えば、男性皇族に、和歌山の絶倫パンダのようになることを期待するか、サラブレッドでも禁止している人工授精で大量に子孫を増やすか、という非常識なことが解決案になるのだろうか。個人的な家庭の問題であれば、成り行きで仕方ないで済ませれば良いことではあるが、法律で規定される立場というのは制度維持と直ちに関係するから困る。現在の法律では皇室を離れるのだから、婚姻により離れるで良い。それが国民から祝福されるのなら、なお良い。


ヤクザ政治家に忖度が向けられて、皇族に忖度が向かわない。何たることか。

2017年4月28日 (金)

東京・杉並の違法建築マンション 不動産業者に賠償命令 東京地裁

東京都杉並区のマンション敷地内に戸建て住宅が新築され、マンションが違法建築となった問題で、住民1人が不動産業者3社に住宅の撤去などを求めた訴訟の判決が4月28日、東京地裁であった。谷口安史裁判長は「住民に対応を検討する十分な機会を与えなかった」として戸建て用地を販売した「フロンティアライフ」に33万円の支払いを命じた。撤去請求は退けた。
建築基準法は敷地に建てられる建物の延べ床面積(容積率)の上限を規定。マンションが建築確認の際に申請した敷地内に新たに住宅が建つと、土地の「二重使用」となり、マンションの方が違法建築となる。マンションは底地と駐車場部分を敷地として建築確認を申請。敷地全体の所有権を取得したフロンティア社が駐車場部分を転売し戸建て6棟が建てられた。判決はフロンティア社に「住民が駐車場を敷地として利用できるよう協力する義務があった」と判断した。(産経新聞:4月28日)


建築基準法について考える。


駐車場をマンションの用地に含めて申請したが、その後、駐車場を分譲してしまったという話である。建物の建蔽率や容積率は、この土地の面積を基礎として算出する。分譲する大型マンションの場合には、この基準の最大を守る数字で建設するのが普通だから、土地が切り離されると不都合が生じる。不都合というのは、建築基準法違反の建築物になるということである。
違反建築の場合にどのような対応が取られるかを考える。マンションは既に分譲され、住人がいる状況であるので、このようなケースで行政による是正措置が命じられる可能性は低いと言われるが、まったくない言い切れるものでもないようだ。事情があったことを考慮すれば、ないと思って良さそうだ。
マンションを建て替えようとした場合はどうだろうか。建物自体を建て替える際、容積率・建蔽率・斜線制限に違反していると、元と同等の規模の建物にすることは出来ない。しかし、マンションの建て替えは大変なことで知られているから、現実的な問題として発生するかと言えば、可能性は低い。もしするなら、容積率違反分部屋を減らすということになる。大きな資金が動くから、実務担当者には作業負担が増えるが、やるだけのことである。
もう少し現実的な例を考えよう。マンションは晴れて違反建築と決まったので、売ってしまえと思う人もあるだろう。このマンションの売却は可能である。しかし、違反建築物であるという旨を重要事項説明として伝える必要がある。報道されて有名になっているからこれ自体は少しのマイナス要因に過ぎない。しかし、購入予定者が住宅ローンを組もうとすると問題になる可能性が出てくる。住宅ローンの審査基準に、建築基準法に適合しているかという項目があるからである。築物が許容範囲外の違反であった場合は、融資対象外となる。結果として、価格を抑えて売却しなければならないということになる。これは実際的な問題である。それでも、すでに住宅ローンの審査を通っている人に影響することはないから、売却しなければ良いというだけの話である。

問題が生じることを考慮すれば、6棟分譲した土地をマンションの管理組合で購入すれば済んだ話である。google Map で当該地域を見ると、マンションの大きさに比べて、小さな分譲住宅である。買って駐車場として貸し出せば良いだけのことである。マンションが比較的新しく、管理費の積み立ても乏しく、土地購入という大きな負担は受け入れられない事情は容易に想像が付くが、それをしないから違法建築になってしまった。
不動産業者に支払いを求めた判決は、不動産会社に一定の説明責任を求めたものであるが、建物の撤去などの原状復帰にまで及んでいない。つまり、マンション住人にも、一定の注意義務はあったという判断なのだろう。自分の財産である。そのくらいは求められるだろう。見えないところで、家ができた訳でもない。

問題のマンションは、第1種低層住居専用地域にある。建蔽率60%、容積率150%となっている。都市部といっても商業や政治の中心からは少し離れている。このくらいという数字である。日影規制値種別は(二)とある。これは、5mを超える範囲:4時間以上、10mを超える範囲:2.5時間以上、測定水平面:1.5mということだが、内容はサッパリ理解出来ない。普通の場所に、少々大き過ぎる建物をつくったということのようである。


容積率が200%になれば、違法建築でなくなる。だれか忖度してくれないか。

2017年4月 7日 (金)

終末期の望まない蘇生、救急隊員「医師確認し中止を」

自宅などで最期を迎えようとしている終末期の患者に対する救急隊員の対応について、各地の消防本部や救急隊員、医師らでつくる「日本臨床救急医学会」は4月7日、提言を発表した。心肺停止後の蘇生処置を望まないと事前に書面で残している場合、かかりつけ医に是非を直接確認した上で蘇生処置を中止するよう求めた。
総務省消防庁の基準では、生命に危険がある場合、応急処置を行うよう定めている。ただ最近は蘇生処置を拒否する意思を事前に表す人が増えている。こうした場合への対応は示されておらず、現場では救急の原則か患者の意思尊重かで対応に苦慮している。同学会は2015年4月に検討委員会を立ち上げ議論してきた。提言によると、患者が心肺蘇生を希望していない場合、家族は「119番通報をしないのが望ましい」としている。しかし容体の急変に慌てて救急車を呼んでしまうことがある。こうしたケースでは現場に駆けつけた救急隊員は、家族などから蘇生処置を希望しないとの書面の提示を受けたとしても、心肺蘇生を始めるべきだとした。その上で、かかりつけ医と連絡をとり、中止を指示されれば患者本人の意思を尊重して心肺蘇生を中止する。かかりつけ医と連絡がとれない時は、日常の救急業務で相談している医師を代役として指示を求めるべきだとしている。都内で記者会見した同学会の坂本哲也代表理事は「提言を参考に、地域の消防、医師会などが集まって運用をどうするか議論していただきたい」と述べた。(日本経済新聞:4月7日)


帰りの中央線は高尾行きだった。
比較的すいていて、座席に座ることが出来た。すると、なんだかデパートの一階の匂いがする。
右隣を見ると、ピカピカのメイクをした若い女性がいた。随分と赤い口紅は、会社帰りのOLには見えないが、水商売でもなさそうだ。お祝いに行く風でもない。膝の上に抱えた大きな紙袋のブランドは、残念なことに知らないが、紙質から想像するに高級ブランドだろう。綺麗に整えられた髪、整った肌の表情は、メイクだけの技量で補えるものでもあるまい。
お嬢さん、高尾山の自殺者は多いが、山岳信仰の対象であるから、自殺の場所の選択として最適ではない。そもそも、その踵の尖った靴は、山に入るには相応しくない。虫は少ない時期ではあるが、まだ少し寒い時期である。高い山でないとはいえ、少し薄着過ぎる。
それなら、終点の高尾駅で十分ほど待てば河口湖行きが来る。それに乗って、次の相模湖駅で降りれば、人造湖である。人間が近年造ったものなら、信仰の対象から外しても良いという考えも成立しそうである。しかし、それは新興宗教を伝統的な宗教より下に位置する考えと批判されるかもしれない。しかし、湖から上がった死体の損傷は激しいことが知られる。美しい仕上がりのメイクには惜しいところだろう。
他人を傷付けるのは、許されないだろう。しかし、傷付ける先が自分自身であれば、思想良心の自由となるのか。自殺を禁ずる宗教は多いが、宗教など興味がないとする思想もあろう。倫理的な考えを押し付ける根拠もない。ただ、自殺しようとしてしくじると、救命救急に関わる人達が、全力で究明しようとするだろう。つまり、失敗すると社会に迷惑を掛けることになる。

救急隊員の対応に新たな判断を持たせようとしている。まったくもって愚かである。救命の為の訓練を行い、鍛練を積む専門家の仕事には、救急救命の任務のみに限定されるべきものである。仮に何らかの事情により、患者が心肺蘇生を希望していないという錯誤が生じた場合に、救急隊員が批難されるに決まっている。これは理不尽である。このような小さな穴が鍛練を積むというダムを崩しさる。救急隊員は通常期待される仕事を迅速に実施すれば良い。患者が希望していないことや、患者の家族もそうであったにしても、救急隊員を呼んだからには途中で解約出来ないとすれば良い。それが、救急隊員の社会的な信用を貶めない為の策である。
救急隊員を惑わすような提言をするのか理解不能だ。救急隊員は命を救う為に最大の努力を行うだけで良い。それ以外の仕事は、別の誰かが担えば良い。現場の混乱への対策だとしているが、新たな混乱を引き起こす対策が、現場の負担軽減になる筈もない。


助けないことを是とする仕事に手を広げたら、葬祭場への移動までさせられそうだ。

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