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2017年11月17日 (金)

ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)

政治家批判ばかり書いていても仕方がないと気が付いた。本当のところ、何も気付いた訳ではなく、単に飽きたというのが近いところだろう。まあ、本に八つ当たりするほうが、害が少ない気はする。著者には迷惑なことであろうとは思うが、そんな影響力のあるブログでもない。

本の作者は、篠田博之という人である。この手の本にありがちな、死刑廃止論者ということもなく、マスコミのあり方を問う仕事を行っている人のようだ。マスコミの役割を、犯罪報道を通じて主張するというところだろうか。本作では三名の死刑囚と、面接または手紙のやり取りを行った結果に基づくドキュメンタリーである。死刑囚は宮崎勤、小林薫、宅間守で、小林のみが出版当時確定死刑囚であったが、2013年2月21日大阪拘置所で死刑執行された。(出版年は2008年)
さて、死刑囚の話である。当然のことながら、死刑囚は最初から死刑囚であった訳でもない。 多くの場合には、犯罪者が死刑囚になっていく。この流れに、警察や検察、そして裁判所が関係し、容疑者や被告人、乃至は犯人と様々な呼称を使われながら、確定死刑囚になっていく。出世魚の類にしか思えないが、本の中に出てくる三名の思想にも死刑囚まっしぐらの気合いを感じるから、それほど外れたことでもないのだろう。
少し普通の話をしよう。死刑廃止論者と括られる人がいる。判決に間違いがあったら回復不能だと主張するし、そもそも、死刑という生命を奪う行為が国家に与えられていないという考えである。前者の間違いは、懲役1年の判決であっても許されないくらい、被告人の人生を大きく変えるものである。死刑だから回復不能というのは、生きていれば良いという思想のようだが、それで堅気のQOLが維持されるというものではない。ヤクザならという質問は想定していない。後者は思想良心の自由の範囲の話なので、否定はしないが、国家のありようなど、その国の国民が決めれば済むだけのことである。死刑は嫌いだと国民の多数が主張すれば法律の改正など簡単な問題である。海外の法律や、制度の辻褄が合わないことを理由に主張するのはレベルが低いと思う。海外の国は別の事情がある。イスラム圏の女性の活動制限をこの国で正しいとする理由がないのと同様に、逆もまた真というものである。サウジアラビアで女性の人権を叫ぶ、というのは、入国さえできないものだろう。嫌いだから制度を変えようでは、あまりに子供っぽいから、能書きを付けるにすぎない。
反対側に、死刑制度が犯罪抑止に貢献しているというのがある。そんなことはない。犯罪に手を染めて、捕まる可能性は、というより、逃げ切れる可能性を考えはするのだろうが、死刑になるか否かで犯罪を中断するなら、もっと早くに理性が効く。そうならないのは、理性が制御している範囲を超えたところにあるからだろう。この手の犯罪心理の報告は結構あるように思う。調べる気にならないから、放り出してしまう。
被告人の人権ばかり尊重し、被害者やその遺族の人権を軽く扱っているという主張もある。これは根本から間違っている。国が刑事犯罪者の人権を制限する(財産を奪ったり、行動の自由を制限したり、究極的には命を奪う)ことは、法律に明示しなければ憲法違反になる。ここにあるのは、国家と刑事犯罪者との関係についての取り決めを示しているに過ぎない。被害者の入り込む余地などどこにもない。新たに法律を作れば良いということになるが、犯罪者と被害者(遺族の場合もある)の間を調整するのは、民事訴訟しかない。犯人に殺された遺族が、犯人側と民事で示談が成立するというのは、刑事判決が出る前に発生するとはとても思えない。被害者遺族の感情を考えれば、などという言葉は、形式的には成立しても、裁判所の中で直接的な意味を持つこともないだろう。裁判官の心理的な言い訳に過ぎない。身内を殺された遺族が、犯人を殺したいと思ったとしても、この仕返しの代行業務を国は引き受けない。民事不介入というものである。この手の仕返しなら、中村主水やデューク東郷に依頼すべきことである。私なら、山田五十鈴に頼みたい。

てんで前に進まない。
三名の死刑囚である。三名に共通することに気が付いた。三名とも、あるいは著者も、死刑に対して純粋なのである。死刑という刑罰を恐れたり、あるいは逃げようとしたりするのなら、それはそれで想像の範囲にある。しかし、逃げないことで、犯罪者の品位が高いように考えているように見える。
彼等の期待に沿えないで申し訳ないが、死刑制度などというのは、人間が自分達の都合で拵えた制度に過ぎない。ここに神秘性など一欠けらもありはしない。ここに高潔な信仰心を向けると、高度に昇華されるということがあるのやもしれぬ。昔からこの国には、鰯の頭も信心からと言う。他人の思想良心の自由に踏み込まないというのを信条としているから、否定する訳にはいかないが、他人を殺しておいて、自分が特別な存在になるという思想など、ただただ醜いだけである。
自然科学的な神秘を見出しようもない死刑制度に、何を見出すというのか。人間の愚かさが導いた手法に過ぎないのに、そこに特別の価値があるように錯覚して、殺せ殺せを殊更に叫ぶさまは、生きたい生きたいと執着するのと違いなどない。社会からはじき出された存在であった者が、社内の内側の秩序としての存在である法律というプロセ スを経る間だけ社会の内側の存在になり、そして最後に再び社会の外に連れ出される手続きが死刑判 決である。外にあった者は外にしか帰られないとすれば、死刑は必然である。外にはじき出される過程に修正が掛けられれば、本人の更生と社会秩序の安定化に貢献するのだろう。しかし、死刑制度を 神格化している者に、その先の世界を示すヒントを与える能力はないようだ。

著者に望むのは、無理は承知で、教戒師へのインタビューを試みて貰いたかった。許されぬことであるのは承知している。


死刑判決の周辺の少しの時間だけ人間に戻れたとして、それで、と虚しくなる。

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