自民・石破氏、天皇退位「全議員が意見すべき」
自民党の石破茂前地方創生相は1月26日、天皇陛下の退位に向けた法整備を巡る党内論議に疑問を呈した。役員会のメンバーで議論することについて「一部の人間がクローズでやることが『静かな議論』ではない」と批判した。所属議員が政府の有識者会議の論点整理への意見を1月末まで書面で執行部に提出できることに関しては「全議員が出すべきだ」と語った。(日本経済新聞:1月26日)
国会の議論のあり方について考える。
国会での党派が党議拘束を掛けるのに疑問を持っている。日本の選挙制度では、党で指名されて当選する議員が存在するから、党の方針に従うのが当然のこととして求められる。ある程度、それで仕方ないとも思うのだが、その状況であっても、予算関係の審議を除いては、議員ひとりひとりの判断に任せて良いと主張している。国会議員は国民の代表であって、政党は国民の代表ではないからという、単純な原理主義に因っている。まあ、少数意見であろう。
天皇制のありかたについて、国会審議をするのに、党議拘束する必要もなかろう。議員が個人として判断すれば良い。議員の思想良心の自由は認められているし、政党といっても、政治信条が一致している集団でもあるまい。逆に、完全な一致がある政党には恐ろしさを覚える。完全ではなくても、類似している程度が高くなれば、結構怖いと言えよう。
国会議員が自分自身で判断できないと嘆く声もあろう。それはそれで良い。分からないことを明らかにすれば良い。国民が投票して選ばれた代表が、この程度であるということは、即ち国民もその程度であることを示している。国会議員の勉強不足を指摘しても意味は無い。参議院の予算員会がテレビ中継されると、質問者の後ろに八紘一宇が、分かっているのかいないのか、不思議な表情で映っている。見場の良い議員の露出を増やしたい政党の都合もあろうが、この手の活動、あざといと言って良かろう、が高い頻度で出現する。議員ひとりひとりに問うてみることで、議員の資質があぶり出されるなら、価値の無いものではない。
石破の特定の者だけが、密室で協議して決定することに反対するのは正しいと言える。静かな議論というのは、党利党略に従った動きを指し、闊達な議論というのは、個人が真剣に考えて意見を闘わせることを言う。政党から剥ぎ取り、個人が自信の良心に従って議論するのが正しかろう。現政権は、そろばん勘定に走り過ぎている。
安倍家より天皇家の方が、由緒正しいというのは門地による差別だろう。
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