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2016年10月27日 (木)

三笠宮崇仁さま逝去 100歳、天皇陛下の叔父

昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)さまが10月27日午前8時34分、東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられた。死因は心不全。100歳だった。急性肺炎のため5月から入院していた。戦時中は旧日本軍の大本営参謀などを務め、軍紀の乱れや残虐行為への反省を促す発言をしていたことが戦後に明らかになった。オリエント史の研究者としても知られた。
三笠宮さまの皇位継承順位は5位だった。2002年11月に三男の高円宮憲仁(たかまどのみやのりひと)さまが47歳で、12年6月に長男寛仁(ともひと)さまが66歳で、14年6月に次男・桂宮宜仁(よしひと)さまが66歳で亡くなり、男性のお子さまは全員鬼籍に入っている。皇位継承権のある男子皇族は、皇太子さま、秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さまの4人となった。(朝日新聞:10月27日)


皇族について考える。


宮内庁の会見で、名川弘一皇室医務主管によると、三笠宮殿下は最近は状態が安定していたが、午前7時40分ごろから心臓の拍動が徐々に遅くなり、同8時ごろに心停止となった。亡くなる際は妻の百合子さま(93)が付き添った。「急変といえる」と説明している。三笠宮殿下は5月16日に急性肺炎で入院して以降、6月中旬に心機能が低下したが、最近は血圧も安定し、ベッド上で手足を動かすなどのリハビリをしていた。関係者によると、肺に水がたまるなどして、何度か危機的な状況もあったという。
薨去という言葉が宮内庁発表で使われた。NHKなどのテレビ放送で字幕では、括弧で逝去としていた。宮内庁発表資料をメディア各社は確認しているのだから、薨去と使うことは可能であるのだろうが、分かり難いことと、皇室の現在の立場を考慮して、逝去を用いたということだろう。産経新聞は薨去を用いているようだが、政治家などのコメントでは表現を変える訳にはいかないから、稲田朋美が「三笠宮さまがお亡くなりになったことは大変悲しい」と表記することになる。中学生の作文みたいな表現が、殿下の薨去に関する記事の中に記されることになる。これは、産経新聞も稲田にも気の毒な話なのかもしれない。強いて稲田のコメントを掲載する必要もないから、使わないという理性的な対応も選択肢にはある。そうはしたくない気持ちの表れと認識するよりない。
皇室と縁続きである竹田何某が、薨去を用いないのを不敬だと言っていたようだ。今回も言っているかは知らないが、ファーストネームにさまを付けて敬称とする文脈には、薨去もないものだと思う。全体のバランスを考えれば、新聞なら見出しに用いる大きな字に薨去を用いることは可能だろうが、文に使うのは座りが悪い。不敬というのも、皇室を尊敬するのもしないのも自由な時代にあって、他人に押し付けるのも違和感がある。ということは、不敬の対象はメディアということになろうが、それでも、受け手が分からないのでは役をしない。竹田何某が、自分自身を特別な存在と思うのは自由だ。それは皇室が嫌いな誰かでも同じである。別に、生まれてすぐに七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して天上天下唯我独尊と言わなくても、自分自身を大切な存在と思うのは悪いことではない。そして、皇室を嫌うのは自由だが、妙な理屈を付けて悪く言うのも関心しない。逆に、皇族と縁続きであることで、自身を特別な存在とするのは、少々痛々しいものだとも感じるのである。

三笠宮殿下は、ご高齢でもあり、健康状態が優れない様子が報道されていた。加齢というものは、そういうものであるとも理解しても、残念な思いというのはある。今月22日にはご結婚から75周年を迎え、病室は看護師らによって飾り付けがされ、百合子妃殿下や娘たちが病室に集まってお祝いしたという。何か良かったことを探してしまうのは、報道機関だけでもない。


別の話をする。皇族にスポーツの話が付きものと言い訳をする。
昼にテレビを見たら、春日良一なるスポーツコンサルタントが、スポーツで世界平和が実現されるから、東京オリンピックの会場は立派なものにするのが良いと主張していた。春日は元JOC職員である。何か記憶にあると思ってしらべたら、水泳の長崎宏子の夫であった。結婚時にいろいろ問題があって話題になった人物である。スポーツが活発になると平和になるという考えを持つのは自由だが、これを手放しに主張するのは凄い。ある種の詐欺師は、大風呂敷を広げるから信じられるという。これに似た話なのだろうか。平和になるということからすれば、ある種の信仰の世界の話である。それならいっそのこと、春日は南スーダンを訪問して説いて回ったらどうだろうか。シリアでも良いし、マリでも良い。北朝鮮なら近くて良いだろう。
1984年のロサンゼルス大会で商業主義に舵を切ったオリンピックは、規模の拡大からそろばんが合わないものになってしまった。2016年リオデジャネイロ大会でも表れているが、途上国であるが故に許容されても、2020年東京大会では破綻が確実である。IOCは約束の確実な履行を求めるだろうから、それはそれとして対応するにしても、その先は深刻な状況が待っている。レガシーなどと競技団体がほざけば、大きな箱物が沢山できる。そして、それを維持するだけの集客力のある競技など何もない。つまり、国民一人に十万円をスポーツ振興に求めるというのを、誰も認めることはないだろう。一万円でも受け入れないものである。資金というのは、団体が自分で集めて足りない部分を国や地方に求める手番である。オリンピックを理由にすればなんでも通ると思うのはさもしい。
それこそ、ボート競技はテムズ川でやれば良いし、バレーボールはマサチューセッツ州の施設を探そう。自転車はフランスが最適だろう。それなら各種目の世界選手権と同じになると言われるだろうが、オリンピックは破綻しているのだから、もうなくなるのである。オリンピック期間に行われる大会をオリンピック、それ以外の大会を世界選手権と呼ぶだけのことである。そして、会場に資金の掛らない不人気種目、観客が少人数しか集まらないものだけを、どこかの都市で開催する。こんなマイナー競技は、オリンピックと冠しないと誰も注目しない。
水泳に客が呼べて、興行が成立すると思うか。体操ならどうだ。重量挙げは、フェンシングは。テコンドーと空手の違いを同一会場で行ったら難しいだろう。レスリングと柔道だって、ユニフォームの違いに近いものがある。
今の姿を維持し、現実問題として考えるなら、検討すべきは、開催期間を一週間程度に圧縮し、会場規模も数も減らすことにある。これなしにはオリンピックを開催する都市はなくなる。そう言う状況への危機感がない楽観的な主張には驚く。

三笠宮杯というダンス大会がある。殿下は造詣が深かったと聞く。慎ましやかに、それでいて力強く主張し、行動を継続する姿は尊敬を集め、協力者が出るのだろう。皇族が尊敬される源はその辺りにあろう。竹田何某のいう不敬の反対側に確実にあるものだ。すべての競技にそんな仕事があるとは思わないが、殿下の第三男子の高円宮殿下がサッカーに貢献したのも同様の話だろう。残念なことである。


つまらぬ話と関連付けてしまった。

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