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2016年3月31日 (木)

隔離法廷、最高裁謝罪へハンセン病めぐる検証

かつてハンセン病患者の裁判を隔離された療養施設などの「特別法廷」で開いていた問題を検証している最高裁が、4月中に公表する報告書の中に、「深い反省の上に立つ」などと謝罪を盛り込む検討をしていることがわかった。裁判所が過去の司法手続きについて、誤りを認めるのはきわめて異例。近く裁判官15人で構成する裁判官会議で、報告書を決定する。
ハンセン病患者への隔離政策に対しては、2001年の熊本地裁判決で「憲法違反だった」とする判決が確定。政府や国会は直後に謝罪し、検証を始めたが、裁判所は動かなかった。特別法廷の問題点は、国の検証会議が05年にまとめた報告書でも指摘されていた。最高裁が近くまとめる報告書では、ハンセン病を理由とする特別法廷は、最高裁の事務総局の判断で事実上一律に許可されていたことを認める見通し。「感染の恐れや患者の状況などを個別に考えて、より慎重に判断すべきだった」などとして、判断が不適切だったと認める方向という。
一方で、憲法の保障する「裁判の公開」については、一部の療養所などの正門に開廷を知らせる掲示があったとの記録や、入所者が傍聴した例を記した資料などを根拠に、一定の公開が守られていたと結論づける見込み。「裁判官の独立」の観点から個別の元患者の裁判には踏み込まず、「違憲性」については明言を避ける見通しだ。また、特別法廷の根底に司法の差別意識があったことを認めた上で、裁判官の人権面での教育プログラムに力を入れるなど、こうした事態を繰り返さないための対策を打ち出す。(朝日新聞:3月31日)


裁判所について考える。


裁判所が誤った行動をとったときに、それを誰が正すかというと難しい。裁判官は先輩の下した判決を修正するのに抵抗を覚える人種に仕上がってくるようだ。これはかなり危険な考え方ではある。単純な原則の話である。裁判官の独立という考えがある。これは、裁判の厳格・公正を保つ為に、司法権は他のあらゆる権力から独立していなければならないという原則である。権力者による恣意的な裁判や裁判に加えられる不当な圧力・干渉を排除することを目的にする。法による裁判の原則とともに、近代国家において制度的に確立されている。上級裁判所の意思や、先輩の裁判官の判断を必要以上に重く受け止めるということは、最高裁判所長官の意思がもろもろ反映するということになる。日本の司法制度は最高裁判所長官がお導きになるというのは、中国共産党や朝鮮労働党が国民を指導するという考え方と似ている。最高裁判所長官は将軍様というコードネームがあるのだろうか。

日本の司法制度は三審制であると口にするコメンテーターがいる。学校でそう習うし、間違いでもないのだが、最高裁判所は法律審で法律問題だけを判断するから、事実審に限定すれば二回だけということになる。凶悪な事件で高等裁判所の判決の量刑が不当だとしても、最高裁に上告しないことが発生するのはこれである。民事で事実認定に誤りがあると高等裁判所の判決に不服があっても、最高裁判所で取り扱ってくれる可能性はほぼないという。事実審が二回あるという理解で良い。
三審制 (事実審の二回でも良い) で担当者を変えて判断しているから間違えないというのは、一回でも間違わないことに高い蓋然性がある場合にのみ成立する。裁判官の間違え率はごく小さいという認識に立つことになる。間違えない前提に立ってしまえば、何度繰り返しても結論は変わらない。百回やって一回違った判断をしたから、そちらを採用するということはない。まな板の上に乗る食材は同じで、調理手法も同等であれば、たかだか二回の料理の味など大きな差は生じないというものである。将軍様の名の元に判決を出すというのなら当然である。将軍様というのは表に書かれていないから、法律と良心にのみ拘束されるという表現になっている。法律には、国会で議決を経て制定される成文法と判例ということになる。判例というのは、先輩の裁判官の判断ということだから、長幼の序を思い浮かべるが、そういうことではないとたしなめられることだろう。良心というのは、世の中に存在しないものを表現する為の表現手段である。スピリチュアルな問題は、実務とそりが悪いので無視して良い。


記事に戻る。特別法廷は、大災害で裁判所が使えない場合など「最高裁が必要と認めれば別の場所で開ける」との裁判所法の規定に基づき、裁判所外で開かれる法廷である。1948~1977年に113件開かれた。国の隔離政策によって、ハンセン病患者の出廷を理由にしたものは、このうち1972年までの95件である。各地の裁判所から96件の申し出があり、撤回された1件を除くすべてについて最高裁が設置を許可していた。
最高裁が必要とした根拠は、1953年に制定されたらい予防法と同じ考え方になるのだろう。ハンセン病はらい菌の感染による。国立環境研究所のホームページによると、国内の新患発生数は1981年で50人を切っており、過去10年以上20名以下であり、そのうち半数以上を在日外国人で占められる。ハンセン病は感染力が非常に低く、治療法も確立している。1943年のプロミンに始まる化学療法剤の効果によって、確実に治癒するようになったとされる。治療方法が確立される時期に法律が作られ、それと同じ考え方に立って、最高裁も隔離する必要性を是としたという話である。
1996年にらい予防法は廃止される。1998年のらい予防法違憲国家賠償請求訴訟で、熊本地裁は原告勝訴の判決を下し、国は控訴しなかった。これに続いて、内閣総理大臣談話、衆参両院で謝罪決議、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律成立、和解に関する基本合意書締結、厚生労働大臣、副大臣が各療養所を訪問し謝罪するということを行うことになる。隔離政策の必要性はなかった時期に、行政府は正しくない仕事をしたことを詫び、立法府は差別的な法律を放置したことを詫びて、賠償に関する法律を整備した。司法は特別法廷で差別しておいてどうしますか、というのが今回の話である。

予想される結論は、詫びるポーズを取ることで済ますことである。難しい試験を通って、その選ばれし者の中の競争を勝って得た地位である。間違える筈もないやんごとない最高裁の裁判官が詫びるというのだから、受け入れて当然だということである。随分と司法の内向きの論理であるが、裁判所など内側にしか向いていない。
国民への人権侵害があったときに、救済を求める唯一の場所が裁判所である。実際に救済されるか否かより、救済する場所であると看板を掲げているからこそ、尊敬され世の中の秩序が維持されるというものである。お詫びで済ませるというのは、先輩がしでかした不始末を認めて、裁判の結果にまで触れると、無尽蔵に作業が増えてしまうことを恐れるからであるし、選ばれし者達に自己批判は馴染まないのである。それで良いんですかい、と市井の誰かに問われて、胸を張って正しいと答えるのなら、そいつの良心は腐っていると、どこぞのスピリチュアリストが判定してくれることだろう。なんなら受け持っても良い。
最高裁を縛る機関は事実上存在しない。良心が腐るより、自己批判する方が良いと思う。自己批判した左翼のセクトだって、その後転向するものである。


最高裁の主体思想というのを近日聞ける。

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