« フジテレビ、「海猿」原作者と和解 著作権侵害を謝罪 | トップページ | ウイスキー「余市」「宮城峡」刷新 アサヒ、原酒不足に対応 »

2015年6月 9日 (火)

両陛下、桂宮さまの墓前で拝礼 三笠宮ご夫妻出迎え

天皇、皇后両陛下は6月9日午前、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、昨年6月に亡くなった三笠宮家の次男桂宮さまの墓前で拝礼した。三笠宮ご夫妻や、桂宮さまのめいにあたる彬子さまの出迎えを受けた後、墓前で玉串を捧げ一礼した。
10日に霊代が皇居・賢所の皇霊殿に移され、歴代天皇や皇族とともにまつられる。逝去から1年の8日には、皇族方が参列して一周年祭の儀が行われた。(朝日新聞:6月9日)


皇室について考える。


ときどき皇室の話を書いている。知識がある訳でもないのでたいしたことは書かないが、皇室ネタをお好きな人がいるようでアクセス数がそのページに多い。ニュースの大きさをマスコミの扱う量で判断すれば、天皇陛下が大きく、皇位継承順位に従って小さくなる。何事にも例外はあって、佳子内親王殿下の扱いは大きい。皇位継承順位第三位の姉という言い訳も出来なくはないが、それなら眞子内親王殿下も事情は同じである。所謂アイドル皇族なのだが、本人や所管する役所がそうしたい訳でもないので、困ったことだというところだろう。アイドル化は今日に始まった話でもないようで、不敬罪がない時代であれば制限のしようもない。つい最近結婚して千家典子になったが、高円宮家の第二女子である典子女王殿下と呼ばれていた時代にも、少しは話題になったがこれ程ではなかった。皇位継承順位第三位が何かとニュースになるから、露出が増えた結果と言えるかもしれない。高円宮家に男性の皇族が末にいたのなら、典子女王殿下の扱いは大きかったかもしれないし、事の真偽は知らないが何かとお騒がせであった承子女王殿下も、この程度の扱いで済まない状況になった可能性もある。まあ、仮定の話に価値のある結論もないので、妄想に過ぎないということである。

さて、一年祭の話である。皇室は神道なので、亡くなった直後のもろもろの仕事 (もろもろもないものだ) が済むと、御霊祭が十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭と続く。喪に服すグレードも段階的に解除されるのだが、皇室はレギュレーションが厳しい、とうより宗教の作法通りに執り行うから、正しく解除されていって、一年祭で完全解除になるという流れだろう。解除が武装解除にしか読めないが、慶事への参加が許されるのが一年祭という区切りとなる。
三笠宮崇仁親王殿下と百合子妃殿下は1941年に結婚している。二人の間には、男子三人、女子二人が生まれている。女子の方は、第一女子が甯子内親王殿下で、結婚して近衛忠煇夫人になっている。第二女子が容子内親王殿下で、こちらも結婚して裏千家家元・千宗室夫人となっている。少し情報を加える。妃殿下の父親は、子爵である高木正得である。戦前に皇室と結婚する相手は、華族 (貴族といっても良い) でなければならなかった。ならなかったという規則があったのではなく、それを当然とする雰囲気があったということである。書かれていないルールは最強だから、従うことになるのである。甯子内親王殿下の結婚は1966年であるが、相手は侯爵であった細川家の二男で、その後は母方の近衛家の養子となっている。近衛家も公爵であった。容子内親王殿下の結婚は1983年で、裏千家家元というのは華族と同じようなものだろう。皇室の婚礼を確認していくと、華族がうじゃうじゃ出てくる。地位の安定を示すことが、体制の維持に有用であるのだから当然ではある。立身出世というのは、偉くなるということと引き換えに、偉い人がはみ出す危険を生じせしめる。出世の範囲を小さく限定するのが、立場のある側には有益であったりする。制度というのはそういう側面があるものである。

どんどん逸れていく。桂宮殿下は結婚しておらず子供もなかったから、親である三笠宮殿下が喪主を務めることになる。なにぶんご高齢でもあり、寛仁親王殿下の第一女子彬子女王殿下がいろいろと担っている様子が窺える。寛仁親王殿下の薨去の後、三笠宮家に合流されることが決まっている。決定は一年祭より後のことであり、三笠宮殿下と寛仁親王殿下の対立 、堅気なら親子のケンカで済むものが皇室の在り方にまで及ぶからややこしい、があったと伝えられる。 彬子女王殿がここで公表した文章によると、父親が亡くなって、祖父母が支援してくれることに感謝しているし、御霊祭で近衛夫人、千夫人に助けれられたことが記されている。孫を助けるのも、姪を助けるのも普通であるが、身内に不幸があった時に感謝するのは、この普通の行動である。そして、公表された文章で母親について触れられていて、過去に話し合いをしたい旨を伝えたが、代理人を通じて拒否との回答であったという。子として母を許すかという問題は感情の入る話であり、外部に公表する性質ではないのだろうが、皇室の一員として行動するなら、三笠宮殿下、妃殿下に公務復帰の報告と無沙汰のお詫びをするものだというのは、理に適っているし、理性的な要求であると考える。皇室が発信するものは、いつでも理性的である。


6月8日に桂宮殿下の墓所一周年祭の儀が、東京都文京区の豊島岡墓地において行われた。ここには、皇太子殿下、妃殿下他、皇族方や親族など42人が参列している。明治以降の皇族の墓にならい円丘で、約9,600万円の費用で一年を掛けて作られた。天皇皇后両陛下は慣例に従って一周年祭の儀ではなく、別に墓地を訪れている。

皇室の在り方に対する考え方はいろいろあろう。しかし、費用を大きく削れば存在を否定することに繋がるし、全部を維持しようとすれば今日的でなくなるだろう。その間に解を求めるのだが、政治的な思惑が蠢いてようで不快極まりない。思想は自由だが、金儲けの道具に皇室の歴史を使うのはどんな論理だろか。保守政治家は、政治家について不敬罪を復活させればよい。法律を作るのに無理があるなら、政党の規約に設定するので構わない。宗教団体を支持母体に持つ政党には無理か。


皇室の言葉使いは難しい。多分間違っているだろう。なるほど、マスコミが怪しい言葉を使う訳だ。

« フジテレビ、「海猿」原作者と和解 著作権侵害を謝罪 | トップページ | ウイスキー「余市」「宮城峡」刷新 アサヒ、原酒不足に対応 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« フジテレビ、「海猿」原作者と和解 著作権侵害を謝罪 | トップページ | ウイスキー「余市」「宮城峡」刷新 アサヒ、原酒不足に対応 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ