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2015年2月 4日 (水)

後藤さんの行動「使命感あっても蛮勇」 自民・高村氏

自民党の高村正彦副総裁は2月4日、記者団に対し、過激派組織「イスラム国」がフリージャーナリスト後藤健二さんを殺害したとされる人質事件について「後藤さんが3度にわたる日本政府の警告にもかかわらずテロリスト支配地域に入ったことは、どんなに使命感があったとしても、蛮勇というべきものであった」と語った。
高村氏は「亡くなった方をむち打つために言っているわけではなく、後藤さんの後に続く人たちが細心の注意を払って、蛮勇にならない行動をしていただきたいと願うからだ」と発言の趣旨を説明。その上で「後藤さんは『自己責任だ』と述べておられるが、個人で責任をとり得ないこともあり得ることは肝に銘じていただきたい」と指摘した。(朝日新聞:2月4日)


自己責任について考える。


自己責任というのは後藤のビデオメッセージにある言葉である。最近の報道で聞いた気がして調べたら、バックカントリースキーで遭難した事件で使われていた。どっちも少し違う気がする。
スキーは娯楽として禁止されている危険な地域に踏み込み、地域の様々な関係者に迷惑を掛けている。一方、危険なシリア領内のイスラム国支配地域に、外務省の警告も無視して入り、テロ集団に拉致監禁され、身代金を要求され殺害されて、日本や関係国に迷惑を掛けたという解釈も成立する。前者は道楽で他人に迷惑を掛けるのに対し、後者はシリアにおける弱者救済を目的に迷惑を掛けたことで違うという考え方もある。スキー場で商売をしている地域なら事故が起きる可能性はあり、それが例えルール違反によるものであっても救済する責任はあると解すると、遭難の事故対応はその地域の『自己責任』となる。紛争地域に赴いて報道することで名声を得るというのは、ジャーナリストの出世街道と解すれば、そこで命を落とすことも『自己責任』となる。

『自己責任』の不快な印象がどこから来ているか考えたら、下野康史のブログに、自己責任というのは自業自得の柔らかい表現として報道が用いているというのがあった。自業自得は、もとは仏教用語で自分の行いに対する報いを自分が受けるということである、報いも仏教用語に近いが、ある行為の結果として身にはね返ってくる事柄として一般に使用される用語である。因果律を緩く、もしくは広く解釈して理解すれば、それ程突飛なことでもない。結果には原因があるものということである。
自業自得でなく自己責任が用いられるのは、仏教用語がマイナス要素の大きな印象を与えることにあるのだろう。仏教用語としての自業自得には、行為として善悪を限定していないから、悪いことだけに使われるということではない。これは報いにも言えて、当然の報いといえば悪いことをしていたことが前提である。これで彼の努力も報われると書けば、彼はその行いをした立場から既にないことが隠れている。仏教が葬式仏教化したのは最近のことではない。見舞いに病院に行ってでお経をあげたら他の入院患者は驚くだろう。お経と葬式が固く結びついていて、お経を結婚式で読むことを不思議に感じるだろう。病院でも結婚式でもお経を聞いた経験がないが、あったとしても驚きはしない程度にはなっている。
宗教系の用語で、本来の意味から離れてしまうことが多いというのは良く見られる。他力本願や三位一体は、説明は出来なくても間違った用法であることの推定は容易に可能である。報道する側が、ネガティブバイアスを回避しようと思うのは理解するが、本来ネガティブでないものを思い込みで避けるのはどうかと思うし、新たな造語が無色無臭で別の解釈を加え易いところにも問題はある。

用語の選択は置くとして、自己責任の背景には、ハイリスクハイリターンの経済原理が透けて取れる。紛争地域で報道すれば多くを得るのに対し、当然大きなリスクを背負う。リスクを個人の範囲に留めて、同じ国民に影響しないようにすべしという論理である。同じ国民にと回りくどく書いたが、国家にという表現で外れないだろう。それならアメリカ経由の大本営発表のみを報道すれば良い。アメリカ軍兵士の死傷は事細かに公開されて、イスラム国側の戦死者はひと山幾らの推定しかない。命の重さが等しくはないということだ。ついでに加えれば、テロ集団であるイスラム国が殺したシリア人の人数は、シリア政府軍が殺したシリア人に比べれば遥かに少ない。人殺しの程度を人数で計るのなら、シリア政府軍の方が悪いことになる。一人殺せば殺人者だが百万人殺せば英雄だというのは、シリア軍にもイスラム国にもアメリカ軍にも共通した認識だろうか。それなら、アサドは英雄の資格保有者かもしれない。
大本営発表に従って危険な地域に行くなというのは、政府に不都合のある報道はするなということに繋がる。これは最近国益を失するとマスコミが使うのを見るが、これは余計なことなどするなということである。余計な事とは、政府に不都合が生じることに等しい。

国会で、安倍の中東訪問と発表された声明について、時期と内容が適切だったのかという野党からの質疑があった。この議論がテロリストに手を貸すことになるのだという意見を聞いた。人道支援を継続することが重要だという話だったと記憶する。人道支援であっても、紛争当事国が本来負担すべき費用を日本に肩代わりさせて、余力を軍事に充てるということだから綺麗事に過ぎないという解釈も成り立つ。そうはいっても、人道支援を放置しないで優先的に実施するにはこの方法しかないというのもまた事実である。
安倍の訪問国がアメリカに近い国であったこと、既に身柄が拘束された人がいること (可能性) を知っていたこと、他にもいくらもあろうが、諸々の事柄を総合的に判断して行ったことであるのかは知りたいところである。アメリカに代表される今世紀の十字軍の中に日本が含まれるという理解を是とするなら良い。そうでないなら、考えなければならないことは幾らもあったと想像する。それらを考え合わせての行動であるというなら、それ相応の覚悟があったことだろう。野党が指摘すべき事柄は、この覚悟である。

外務省は行くなと言う。日本人の生命を考えれば当然のことである。高村の蛮勇という表現もこれに沿った話である。しかし、日本政府としては、危険な地域には行くな。行ったら守る方法がない。それでも不測の事態が生じたのなら、可能な限りの方法によって、救出を試みる。それは、自国民を守るのが政府の仕事なのだから。と表明するよりない。さて、この言葉の先に、自己責任というのが納まるのだろうか。


行動や発言に制限を求めると、自民党として表明すれば良い。

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