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2015年1月16日 (金)

「娘を誇りに思う」 女児の臓器提供で両親

大阪大病院で脳死と判定され、肺と肝臓、腎臓を提供した6歳未満の女児の父親が1月16日、中部地方で行われた女児の葬儀で「(娘を)誇りに思う」とあいさつした。葬儀後、母親が報道関係者に「多くの友だち、支えてくれた方々に温かく送り出してもらえることに感謝の気持ちです」と話した。脳死で臓器提供した子供の家族が提供直後に公の場で発言するのは初めて。
日本臓器移植ネットワークによると、女児は昨年4月の入園後、心臓の筋肉が薄くなり、機能が衰える拡張型心筋症であることが判明。心臓移植を希望して補助人工心臓を付けて待機していた。だが、心臓でできた血栓が脳の血管を詰まらせる心原性脳梗塞となり、13日に臓器移植法に基づく脳死と判定された。(共同:1月16日)


臓器移植について考える。


臓器提供者が情報発信する機会は限られるというより、ほぼないと思って良いようだ。臓器移植に反対する考えの人もいるし、ましてや今回は子供からの臓器提供であるから過度に刺激する可能性もある。ネットワークや医療関係者が抑制した対応を求めたとしても、不測の事態を考慮すれば当然である気もする。
今回、家族が発言したかった背景としては、亡くなった子供が臓器移植を希望していたこと、子供に最適な補助人工心臓が国内で認可されていないことがあるだろう。それは残念なことだと思う。それでも、適切な医療機器の承認や認証がなされずに被害が出ることより、慎重な作業により救えない人が出てしまうことを優先するという結論は出ない。海外の国で認可されていることを理由にしても、人種による違いがある以上は致し方ない。少しでも早める努力は大切であるが、これまでの経験で得た知恵を否定する理由を心情的な話に求めてはならない。
恐らくこの父親にインタビューするジャーナリストが出てくることだろう。その結果、一定の匿名性を維持して公表されることになる。早く医療現場の状況を知らしめたいという父親の心情は理解する。しかし、他の関係者に迷惑が掛る可能性を考えれば自制を求められるところなのだろう。父親の行動は単独の話に留まらず、将来発生するであろう新たなドナーの家族にも負担を強いることになることに注意しなければならない。

感じたことを少し記す。臓器を運ぶ輸送車をカメラが追うのは愚かなことである。命のリレーなどと美辞麗句を並べるなら、そこに運ばれるものは命だと認識しなければならない。行動と言葉の不一致は見苦しい。
マスコミが報道しない臓器移植の問題について考える。脳死判定が適正になされているのかという議論は、2009年の臓器移植法改正以降聞かれなくなった。判定が適正に実施されるようになったのが理由というより、流行らないということのようだ。最近のマスコミの傾向として、分からない話になると諦めるようだ。STAP細胞の胡散臭い会見に疑問を持たなかったのは、諦めであったのではないだろうか。まあ、裏書しているメンバーが大看板であったからというのもあるが、それなら、理化学研究所が東京大学や政権与党であっても、決して文句を言わないということだろうか。
情緒的な批判は止めよう。マスコミに期待するのは臓器移植を受けた患者のその後である。もっとも拒絶反応が少ない角膜移植において、30年角膜が透明を保ったら話題になるくらいである。強い拒絶反応で失敗する例も多くあるようだ。移植に成功しても免疫抑制剤を使う必要がある場合もある。ステロイド系の目薬をさすことで対応する場合もあるが、白内障の発生が心配される。必要性は患者によって異なるので、専門知識のない者が気軽に書ける話ではなが、免疫抑制剤の単価が高いが知られている。一番実績が高い臓器移植の例をもってしてこの程度である。
希望者の多い腎臓ではどうだろうか。移植した臓器が機能している状態を生着率と呼ぶそうだ。東京女子医大の腎臓移植の結果を見ると、15年生着率は50%を下回っている。(1983-1988年:43.5%、1989-1995年:49.6%) 改善傾向にあるものの、その程度である。移植したから健康な人と同じになるというという理解は誤りで、臓器に寿命があり医療行為によりそれは短くなる傾向にあると考えるのが合理的だろう。腎臓の提供を受けた患者 (おそらく子供だろう) の腎臓の寿命は15年程度と見積もられることになる。移植医療というのは、10歳の臓器移植を受けなければ1年程度しか生きられない患者に臓器移植を行うことによって、生命の停止を1年からもう少し先に延ばす行為といえる。すべての人間に寿命があるのだから、医療行為というのは、全て生命停止を先延ばしする行為である点で共通していると考えて、このことは見なかったことにするというのはひとつの知恵かもしれない。見ないことで、この医療行為がより陰気なものになっていくというのもまた事実である。

どんな病気でもそうだが、大きな手術をして5年持てば成功と呼ぶようだ。5年より先のことは、個別の事情によって大きく変わるので分からないという考え方もあるだろう。それでも、その程度しか臓器が持たないこと、生きていても生活レベル(QOLと称する)が著しく低下する場合があること、大きな経済的な負担が術後も継続すること、これらのことは報道されてよい。
移植医療を推進したい立場であっても、陰気な医療行為に留めたままではドナーが増えない。反対する立場であれば、医療の実態を示していかなければ、個人の思想の問題に留まってしまう。情緒的なお涙ちょうだいをしていても詮無い話になる。医学の現状を追う姿勢をなぜ示さないのだろうか。移植医学の状況の確認として報告するのは立場を横に置いて正当な行為ではないだろうか。


正しい現状認識なしに、明るい未来もないだろう。

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