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2014年12月26日 (金)

タクシー減車で意見公募 国交省

国土交通省はタクシーの減車を強制できる「特定地域」の基準案に関する意見公募を12月26日に始めた。
 (1) 車両の稼働率を示す2013年度の指標が01年度より10%以上減った
 (2) 法令違反か交通事故の件数が全国平均を上回る
――など6要件を満たすことが条件。基準に当てはめると、札幌や仙台、横浜、大阪、広島、福岡など全国約30地域が対象になるとみられる。東京や名古屋は対象外になる見通しだ。
15年1月下旬まで受け付ける。16年1月にも特定地域に指定する。期限は最大3年で一度に限って延長を認める枠組みだ。(日本経済新聞:12月26日)


規制について考える。


役所が意見公募をするというのは、手続き上の形式的な作業であって、意見の集約によって結果が変わることはない。ところで6要件というのが分からないが、どうやらこのような内容が上に加えてあるようだ。順不同に示す。

 (3) 営業収支率100%を下回る赤字事業者の台数の合計が地域内の2分の1以上
 (4) 総実車キロが前年度比5%以上増加していない
 (5) 人口30万人以上の都市を含む
 (6) 協議会の同意がある

(5)は大都市部を対象にするということで、(6)の協議会というのは、とりまとめをする組織が存在しないで作業が出来ないという話だろう。(1)と(3)と(4)は類似した規定で(1)が最も厳しいという見方があるのだろうと想像する。
手続き上、合理性があるような説明をして、役所が独断で実施したのではなく、市民と業界団体の理解が得られて実施したのだという過程が、意見公募の役所にとって重要な事項なのである。反対する意見はもちろんでるだろうが、多数意見は支持することになるし、ならないようならなるように工夫するのが仕事になる。マスコミが結論ありきの公募だと批判することがある。ならば、結論ありきでない公募がどうやったら実施できるのか提示して貰いたい。意見が分かれないものなら公募はしない。公募などという手間の掛る作業を実施するのは、意見の集約を計る為である。集約するのに、集約する方向に役人が努力しなければ、職務怠慢の謗りを免れない。

役所には役所の仕事がある。新規参入を制限したり、減車を求めたりに反対が多いというのは理解できる。新規参入がなければ自由競争にならず、価格が高くなるという論理である。減車するというのは、現在仕事をしている人から職場を奪うことに繋がる。
自由競争が実現されれば価格が安くなるというのは間違った理解である。自由競争でない市場では、価格が下がり難いというのは事実であるから、自由競争にすれば安くなるという論理である。市場には、競争にさらされるものと、そうでないものとがある。地方の人口の少ない地域で、タクシー会社を行うとする。ここなら競争が生じる可能性は乏しい。そもそも事業が成立するか怪しい。価格決定が自由であるのだから、利用者が少なければ必ず価格は上がる。場合によっては撤退する。
新規参入制限は、既得権者の保護という発想である。新規参入が多いのは都市部で、この地域でのみ過当競争によってタクシー事業者の疲弊が生じる。既得権者だけで競争がなければ安定するというのは一面として正しいかもしれない。しかし、過当競争でなくても顧客離れが進めば事業は上手くいかないものである。既得権を与える者は、既得権者にそれが重要な権利であるように思い込ませるものだが、既得権者が困ったからといって権限を与える者が守ってくれる訳では無いことは、この業界の人が骨身に沁みて感じていることだろう。ある地方の業界新聞で、自動運転が実用化されてもタクシーの需要はなくならないというコラムを読んだ。この記事がどの程度の人に読まれるものかは知らないが、随分と先のことを心配しているようである。自動運転は過疎の村には危険が多すぎるだろう。

以前から、電力に関する話題で、発電と送電の分離を主張してきた。これは発電に競争原理が生じない欠陥になりかねないからであるが、分離すれば地方で電気が届かない事態が生じる可能性がある。あるいは、XX県の○○村への送電設備の更新に当たっては、各世帯から10万円を申付けます、という事態が容易に発生する。経済的に合わなければ価格が上がるし、それでも合わなければ撤退するというものである。供給責任に基いて要求することも可能であろうが、無期限の供給責任などということはこの国に馴染まない。結果として、競争原理が発生する都市部で安く、地方で高い電力価格が生じる方向に向かう。無論、都市部で電力不足になれば高くなる。
自由競争なら、供給停止が生じる可能性を回避できないのである。供給停止を避けたいのなら、高い電気を買うという話である。このデメリットは大きいが、競争もせず、安定した供給を変動なしに受けるのならば、高価格でない理由はない。原発を嫌うのは心情的に理解するし、部分的には賛同するが、送電線が近くを通るのも嫌だし、変電所などもっての外では仕方ない。原発嫌いといっても、天然ガスの受け入れ基地建設に賛成する自治体はそうはないだろう。サービスにはお金が発生する。この原理に従った行動を促したい。逆に、原理に背く動きは、どこかの国の政府や党のように腐敗が進行するものである。痛みの伴う原理主義的な行動を選択することは、病むよりもましである。痛みの緩和にはいろいろ方策を出せば良い。


都心のタクシー業務の方が、郊外より賃金が高いことを既得権者はどう説明するのだろうか。

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