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2014年4月22日 (火)

死刑制度の現状と死刑囚

死刑囚の状況について確認し、死刑制度について考えてみる。


1993年以降の死刑囚、死刑確定囚について確認した。現在、確定死刑囚は131人である。これには先に釈放された袴田巌は含まれない。最年少は29歳、最高齢は88歳で平均は56歳である。年齢分布を下に示す。

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高齢の死刑囚が少ないのは当然とも思われるが、高齢の死刑囚が存在しているということがどんな理由なのかが気になる。高齢での犯罪でも死刑判決が出る可能性はあるだろうが、その可能性は低いだろう。逆に高齢になってしまっては病気の発生が懸念される。病気になったから治療を受ける権利があるというのは、基本的人権に制限がない範囲では正当だろうが、死刑囚においては基本的人権に制限が加わるから当然とはいかないのだろう。死刑囚の場合であれば、刑務所長の判断となるが、この所長が病気で死ぬのもやむなしと判断するとは思えないからほとんどの場合には治療となるだろうし、実際そうなっていただろう。他に、裁判所の決定により病気の治療を行うというのがあるだろうが、手続き上の話で所長が治療を決定すれば、治療方法は医療刑務所に移るから、死刑囚の代理人が裁判所に治療を請求するという事態は起こりそうにない。
そうはいってもやはり問題はあるようで、死刑囚のケースではないが、無期懲役刑の受刑者が重度の病気である場合に、高度な治療を受けさせたいと弁護士から請求される場合があるようだ。医療を受ける適切な機会が得られなかったという話である。弁護側は無期刑が刑務所の管理者の手により実質死刑になるようにされていると主張する。こうなると話はかなり難しい。懲役刑という行動の自由を制限する刑罰が、健康で文化な生活を営む権利をどこまで制限してよいかという議論に移る。刑務所にいると最良の高度医療を受けられて、出所すると生活保護下での医療しか受けられない。まあ、生活保護だからといって高度医療が受けられないという訳ではないが、自由診療に相当する分は受け難いだろうと思うが、どうなているのかは分からない。いずれ考えることにしよう。
一般的な病気以外で、精神的な疾患により心神喪失状態になる可能性もある。この場合は死刑の停止要件になるようだ。心神喪失なら刑罰を受ける対象ではないという考え方なのだろうが、重度のうつ患者であって執行するかといわれれば難しいだろう。心神耗弱というなら同意できても、心神喪失となると判断が分かれる可能性もある。役所の特性としては判断しないという方向に流れそうだが、法務大臣が判断したとなれば執行することになりそうである。日本の役所であるのだから。
死刑確定から死刑執行までの期間を確認する。下にグラフでまとめた。対象となったのは、1993年以降に執行された死刑囚96名である。

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確定から平均で7年弱すると執行されるということであるが、ばらつきが大きい。再審請求を行った場合に配慮があるという場合もあるだろう。しかし、再審請求は刑が確定していれば執行の妨げにはならないということであるから、理由にするにはおかしな話である。一方で速やかに執行される場合もある。本人が争っていないかどうかというところなのだろうか。争えば執行を遅らせるというのも変な話ではあるのだが。
死刑執行時の年齢について確認する。

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執行時の平均年齢は54歳で、最年少が25歳、最年長が77歳である。25歳の事案は二十代での死刑執行が話題になった。1979年に正寿ちゃん誘拐殺人事件の死刑囚が29歳で執行されて以来で30年振りとなる。もう少しさかのぼると、1972年に25歳で執行された少年ライフル魔事件の死刑囚がある。どちらも少年犯罪である。例の如く、話が逸れた。
大阪市姉妹強盗殺人事件(2人死亡)が対象になっているが、少年時に母親を殺害して少年院に入り退院して二年後の犯行である。地裁で死刑判決となり、高裁に控訴するも取り下げて確定している。
次に若い33歳は熊谷男女4人拉致殺傷事件(2人死亡、2人ケガ)の死刑囚である。こちらも地裁で死刑判決となり、高裁に控訴するも取り下げて確定している。15歳と16歳の少年、少女が関係しているが5から10年の不定期刑となっている。この事件が再び注目されたのは、千葉景子法相が死刑執行に立ち会ったからである。千葉は死刑廃止を推進する議員同盟に所属していたから、死刑執行をしないと思われていた。執行するにあたって立ち会ったのは、死刑廃止への活動のきっかけになればと思ったのかもしれないが、法務大臣を引き受けないというのが最も妥当な選択であったと思う。大臣の職にありながら参議院議員選挙で落選している。議員バッジを失った後も大臣であったことを批判する記事もあったが、首相以外は議員であることを必要条件にしていないから適当にあしらえば良い話である。千葉が信任されていないという記事も読んだ記憶があるが、696,739票の次点である。一票の格差の是正の話なしに気軽に信任という言葉を使う理性が分からない。
千葉が法務大臣になったのは弁護士だからだろうが、法律実務家がこの職に最適なのかには疑問がある。人権を守るという意味からすれば、法律家の感覚を疑う人の方が適する場合もあるのではないか。まあ、ずいぶんと違う話になっているという自覚はある。それほど感覚は壊れていない。

いろいとと古い事件を読み返してみて、不快なことばかりであった。これなら死刑もやむなしとも思った。しかし、ネット上で散見される仕返しとも思える必罰感情は理解に苦しむ。人を殺したのだから死刑だという論理は、一見正しいようにも読めるが疑問がある。具体的な例で示そう。
80歳の女性が買い物に出掛けた帰り道に歩いていた。そこにバイクに乗った犯人が女性の財布の入った買い物を奪って逃げた。女性は倒れて骨折をした。犯人はたまたま近くで取り締まりをしていた警察に現行犯逮捕された。犯人の容疑は強盗致傷罪である。無期または六年以上の懲役となっている。裁判になればバイクの使用方法に道交法違反が組み込まれる可能性はあるから、懲役8年くらいになるだろう。民事で和解があればもう少し軽くなる可能性も出る。犯人の親族が資産家であれば和解を求めるかもしれない。
この80歳女性が母親であって、その後寝たきりになったとしたら、犯人は死刑にしてもおかしくないと考えるのが子供である。一方で犯人は80歳の老人だから示談金も安かったなどと考えられたら、決して示談などしないと思うことだろう。必罰感情というのはそういう範囲では当然のことと思うが、社会秩序に対して当然と掲げるのはいささか乱暴である。犯罪をしたらみな死刑で当然と感じるのが被害者の思いで、それでは世の中の為にならないと同時に考えるのが理性である。この国は理性的な国民で形成されていると思うが、厳罰化、死刑の執行を求めるのは分析が難しい感情である。
話が広がりすぎたので、いずれ扱うこととする。


韓国の大統領が、必罰感情の矛先をどこかに向けようとする姿勢はもっと批難されてよい。

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