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2014年3月17日 (月)

反捕鯨団体の監視いまも 和歌山・太地町、漁師ら困惑

和歌山県太地町で、海外から来た反捕鯨団体のメンバーがイルカやクジラ漁の監視を続けている。キャロライン・ケネディ駐日米大使が1月、イルカの追い込み漁を「非人道的」と批判した際には、漁協にファクスが殺到した。漁師らは困惑を隠せない。
午前9時半、太地漁港。黒いパーカを着た2人の外国人が双眼鏡を手に立っていた。200メートル先には、2月末までの漁期に捕らえたイルカのいけすがある。「コーヴ・ガーディアンズ」(入り江の番人)を名乗る反捕鯨団体シー・シェパード(SS)のメンバーだ。2003年ごろから訪れるようになり、映画「ザ・コーヴ」が2009年に公開されたのを機に監視を強化。近年は毎年のように来ているという。
今期もイルカの追い込み漁が始まった昨年9月ごろから訪れ、ホテルに宿泊。数人~十数人が、沖合が見渡せる燈明崎(とうみょうざき)やイルカを追い込む畠尻(はたけじり)湾などで監視し、写真や動画をネットに掲載してきた。「殺し屋たちがイルカの虐殺を続けている」。フェイスブックにはそんな言葉が並び、活動資金の寄付を募る。イルカ漁の終了後も、県が4月末までを漁期と定めている「ゴンドウクジラ類」の漁の監視などを続けている。
トラブルを避けるため、常時4人程度の警察官がメンバーを警戒している。元捕鯨船乗組員の70代男性は「ものものしいと思う人は多いだろうけど、もう見慣れた」と話す。SSの現地リーダーを務める米国人のメリッサ・シーガルさん(38)は「虐殺を終わらせることがゴール」と意気込む。大使の発言で「より多くの日本人が問題を知るきっかけになり、私たちの活動に賛同する人が増えた」と話した。
一方、大使の発言後、太地町漁協には「犯罪」と書いたり、三軒一高町長の顔写真を「×」でつぶしたりしたファクスが数百枚送りつけられ、漁協はファクス番号の変更を余儀なくされた。賛否の電話も10件ほど寄せられた。職員の一人は「根本的な価値観が違うから不毛な論争。粛々と漁を続けるしかない」と話す。(朝日新聞:3月17日)


捕鯨反対問題である。


前にも書いたし、新しいこともないのだが、攻撃するのは相も変わらず続いているという状態である。クジラ (イルカを含めてこう呼ぶ) が知的な生物で、それを殺す行為は許されないという思想に基いているようだ。知性ことが価値であるという思想は、科学至上主義のひとつの形態なのだろうが、この二つには大きな違いがある。科学至上主義ならば、現在の時点で科学的に正しいとされることも否定されることがあるという考えでなければならない。そうして科学というのは進歩してきた。一方で、知性こと価値があるという考えでクジラには知性があるということが確定していたとしても、この将来において決して否定されるものではないと保障されたものではない。もしかしたら来年あたり、クジラにあると思われていた知性はちょっとした誤解であると説明されるかもしれない。善し悪しの判断を固定的に決定するのは信仰によるものであった、科学の取り組み方ではない。クジラに知性があることのみで、反捕鯨を主張するのは科学を騙った信仰の形態に過ぎない。
捕鯨反対を唱える人たちの主張は理解するが、行動の乱暴さが売れ入れ難いものであるのが困ったことである。クジラもイルカも食べることはないし、好んで食べたいという考えは持たないが、過去には食べたこともあるし、今でも出されれば食べるだろうと思っている。確実に反捕鯨ではない。

一見、理性的に行動しているような反捕鯨団体も、少数民族の伝統文化として鯨漁をしているとなると反対し難くなるようである。少数民族というのが曲者なのだが、仮に和歌山の記事にある地域が日本における少数民族で差別されているという事実があったとしてら (誤解なきようにあえて書き加えるがそんなことはないのである) 、反捕鯨活動の活発な地域でも報道しないか、扱いが大きく変わることだろう。つまり、差別を助長するような行動をしてはならないという考えは重視されているのである。和歌山県の南の地域に暮らす千人の住人が日本における少数民族で、社会的に弱い立場にあるならば合法で、日本国の大多数を占める民族が行うと非合法だというのは合理性がない。彼らが好む多様性の尊重(Diversity Management) としては、少数なら目をつむり、多数なら批難するになろうが、鯨漁の根本を否定する根拠にはならない。
日本は小さな国ではないが、文化や風習、宗教が欧州の西側を起源にする国とは大きくことなるので扱い難いということが根本にあるのではないだろうか。それこそが多様性の否定である。彼らは自分と異なる価値観を排除しようとしているように見える。

反捕鯨団体の主張で唯一考える必要があると感じるのは、調査捕鯨は実質的に商業捕鯨であるという部分のみである。これを全部肯定しないが、鯨肉の処理に調査でなく商業臭さを感じるから、工夫の余地はあるだろう。それ以外は理解不能である。彼らの思想の外にいるのだから仕方がないので反論する気もないが、彼らが多様性を主張するなら反論しなければならない。
『殺し屋たちがイルカの虐殺する』という表現には、この漁を古より継続してきた民族の文化に対する敬意の欠片も感じない。自分たちの価値観から外れたものは抹殺されてしかるべきだという、驕りしか感じない。つまりここの漁師はイルカより存在価値がないのである。まるで、アボリジニを殺害するのと同じではないか。

キャロラインの父親は、カトリック教徒でアイルランド系である。米国で現在どの程度の価値があるか分からないが所謂 WASP からは外れている。米国の大統領の上にローマ法王があってはいけないという価値観が近代合成国家にはあるのかもしれない。伝統に対する理解を深めなければならいのは、日本の政治家だけに限ったことではないようである。


誰が資金提供しているのかマスコミは興味をもたないのだろうか。

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