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2014年3月 9日 (日)

佐村河内守報道を考える

「全聾の作曲家」として活動しながら、楽曲を別人に代作させていた佐村河内守さん(50)が3月7日、東京都内のホテルで記者会見し、「私のうそで迷惑をかけた」と騒動を謝罪した。聴覚障害に「該当しない」とする医療機関での聴力検査の結果も公表し、障害者手帳を横浜市に返納したことも明らかにした。 手話通訳に続いて会見場に現れた佐村河内さんは、これまでの長髪から短髪にして、ひげもそり、サングラスをはずしていた。100人を超える報道陣を前に、「このたびは多大なご迷惑をおかけして、まことに申し訳ありませんでした」と話し、用意した紙を見ながら、CDを買った人や演奏会に行った人、関係各社や関係者の名を個別に挙げて謝罪した。(朝日新聞:3月7日)


報道から見えてくることを考えてみる。


記者会見が2時間半行われたことも驚きだが、その後のマスコミの取り上げ方も凄い。原爆被害者二世で、聴覚が後天的に不自由で、サングラスと髭、黒ずくめの服装と杖、と人相風体が特徴的で、ついこの間まで現代のベートーベンと呼ばれて持ち上げられていた。ベートーベンは1770年-1827年とあるから、二百年前の作曲家で晩年の15年は全聾であったそうだ。楽聖と並び称されるとは名誉な話である。
NHKと特番で取り上げていたし、民放でも同様である。雑誌はいろいろで扱われ、米国のTIMEでも記事になっている。有名なのは交響曲第1番(HIROSHIMA)という2008年に発表されたCDで、最近のクラッシックでは成し得ない十万枚以上の販売を達成したことで知られる。

今回記者会見するに至った理由は、新垣隆 (1970年生まれ=見た目より若い) が、2月6日に記者会見で佐村河内のゴーストライターであったことを明らかにしたからである。(当日発売の週刊文春にインタービュー記事が掲載されている=神山典士) 新垣が記者会見した理由は、高橋大輔がソチオリンピックでのショートプログラムで「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使うことから、この曲も新垣作なので事前に真実を知ってもらいたかったということである。この記者会見の記事を読み直してみたが、これも動機が理解できなかった。
二人の間で、金銭面のトラブルがあったのではないかという想像が第一に思い付くが、双方とも金銭問題を表にはしていない。記者会見は自分に都合の良い話をするものだから、欲望を全面に出すなどということは起こる筈もない、二人の揉め事は、二人で片付けるか、二人の問題として裁判所に行けば良い。公表する謂れはない。

記者会見で質問するマスコミ関係者は、正義の名の下に責め立てている。正義は何かというと、以下のような問題のようだ。
  ・ ゴーストライターを使っていたこと。
  ・ 聴力障害があると偽ったこと。
  ・ 過去の経緯を偽っていたこと。
ゴーストライターを使ったことは好ましいこととはいえないだろうが、社会的に批難されるような話ではない。盗用したと事実が明らかになったのなら分かるが、そのような事実はないことが両者の会見で明らかにされている。過去のイメージの引用の指摘はある。
今回の会見で、佐村河内の聴力障害は回復して難聴レベルになったという診断書が提示されている。これで、回復した事実は検証しようがないが、現在難聴であることが確定したことになる。
過去の話、生い立ちや、楽曲の制作過程といったところが事実と違うという話である。これは虚偽であったということだろう。お詫びしているので追求するということにはなっていない。
つまり、彼らの (女性もあったようだが) 正義は、聴覚障害者を偽ったことに帰結するようだ。障害者のいろいろある手当を受ける目的であれば犯罪性は明らかになるのだが、一部不正受給の疑いのある項目もあるようだが、全体としてこれが目的ではなかったような表現になっている。医学的な見解としては、臨床例としてここまで回復することはほとんどないということだが、絶対にないということを言い切る要素もない。その程度の証拠しか持ち合わせていなくて公開の場で責めるというは、何に自分自身の社会的な役割を見出しているのだろうか。
障害者に対するいわれのない差別を生む行為であるとか、障害がある少女の音楽を続ける意欲を失わせたとか、CDを買った人たちを裏切る行為だとか、いろいろな言い訳が付いて回った。マスコミは自己弁護が上手である。
新たな差別を生むというなら、難聴者が手話を通して質問を確認するのを、やれ聞こえているの、手話より前に答えただの、これは公開処刑でしかない。私は佐村河内を怪しいとは思っているが、それでも障害者差別をなくそうと真に考える者なら許されない作業であると考える。偽って障害者手帳を取得したというならその行為を批難すべきだが、そう主張するには何も証拠がない。仮定の話で、偽ったと決めつけ責め立てることを公開の場でやって良かろう筈もない。あるいは、障害者に対する社会福祉の在り方に否定的である立場で指摘するというのなら、対象は佐村河内に留まらない。障害者全体か、この国の福祉制度になる。それなら、個人を責めてはならない。しかし、そこまで主張できるマスコミもいないだろう。差別を扇動するメディアなど今日生き残れない。
障害のある少女が音楽を続けるのに嫌気がさしたという。少女の家族がなじるのは当然であるが、マスコミが少女に代わって暴れる理由などない。
CDを買った人に対する話はお気に入りのフレーズになっているようだが、このことは音楽には興味がないがその背景に興味があるということを主張しているということか。それなら、CDと書籍とテレビ番組のDVDをセット販売する方が良いだろう。少なくとも抱き合わせ販売はしていないようだから、そこまで責めを負う理由にはなるまい。クラシックCDの購入者の大半は、その背景に引きずられた者だと断定するつもりか。

ことここに至って仮の話をしても仕方がない気がするが、記録を残しておくことにする。もし、佐村河内と新垣が著作権の譲渡に合意していたとしよう。佐村河内は楽曲のプロデューサーのような役割で、新垣が作曲部分を担当して、佐村河内名義で発表することに合意していたとする。著作権の譲渡は認められた行為であるから、ここに違法性はない。先日、新垣が公表したのは秘密保持契約 (があったとする) を反故にする行為だから、レコード会社からの弁済を負うべきは新垣になる。(佐村河内にも道義的責任はあるだろうが) 佐村河内の行動で問題があったとすれば、聴覚障害が改善して難聴レベルになっていたにも拘らず、この情報を自身の不利になる情報と判断して隠した事実だけになる。
前提条件を一つ加えるだけで結論は違ってくる。二人の間ですべてが公開されていないのに、それが総てであるかの如く結論を出す態度が解せない。佐村河内を追求するマスコミは、ついこの間まで奇跡の作曲家と持ち上げていた集団と実は等しいのではないだろうか。それなら、佐村河内を道具にして商売をしているだけに過ぎないのだから、もう少し商売道具には優しくした方が良い。陰で取引している可能性がない訳ではないのであるが。

この国は背後の物語に頼りすぎる。オリンピックメダリストが競技資金に事欠いてアルバイトしている話や、親や兄弟の不幸な話、子供のころの出来事、競技について解説できないから情に訴えるのだろうが、これを易きにつくというのではないだろうか。


読者が求めているという言い訳は、公開処刑の正義に成り得るのか。

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