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2014年2月19日 (水)

衛藤首相補佐官:米政府批判の発言撤回し、動画も削除

衛藤晟一首相補佐官は2月19日、安倍晋三首相の靖国神社参拝に対する米政府の「失望」声明を批判した自身の発言を撤回し、動画サイト「ユーチューブ」から動画を削除した。菅義偉官房長官が同日、「首相補佐官は内閣の一員であり、個人的見解は通用しない」と取り消しを指示した。首相の参拝は中国、韓国だけでなく欧米にも懸念を広げ、政府や自民党は「不戦を誓うため」と今も説明に追われている。衛藤氏の発言はこうした「努力」を無にしかねず、安倍政権のダメージは小さくない。菅氏は19日午前の記者会見で「政府の見解ではないと明言したい。首相の靖国参拝については謙虚に、礼儀正しく、誠意を持って説明し、理解を求めていく」と衛藤氏を突き放した。その後、首相と対応を協議し、発言を撤回させることで一致。菅氏が衛藤氏に電話で通告した。
首相は昨年12月26日、参拝直後に発表した談話で「不戦の誓いを堅持していく決意を新たにした。中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない」と説明した。衛藤氏は今回、「中国に対していくら抑制的に努力しても、中国の膨張政策はやむことはない」との見解を示し、それが首相の参拝につながったかのように発言しており、菅氏も看過できないと判断した。政府関係者によると、この日、衛藤氏の発言を知った菅氏は「国会対応をどうするんだ」と激怒したという。
ただ、米政府の「失望」声明に対しては、首相官邸内で当初から、衛藤氏以外にも「こっちが失望した」という不満がくすぶっており、必ずしも同氏が突出しているわけではない。菅氏から注意を受けた衛藤氏は「同盟国として(事前説明を)これだけやっているのに『失望』と言われたのだから、私としてはあまりにもがっかりだねという皮肉の一つだ」と記者団に述べ、発言内容を正当化した。そのうえで「補佐官として言うべきではないというなら、申し訳なかった」と語った。菅氏は19日午後の会見で、今後の日米関係への影響を問われ「取り消したので、そこはないと思っている」と否定した。しかし、閣僚の一人は「(首相の周囲に)ちょっと自由に発言する人が多い」とあきれ、政府関係者は「身内から足を引っ張るなという声が出るだろう」と不快感を示した。在日米大使館の報道担当官は19日、毎日新聞の取材に対し「何もコメントすることはない」と述べるにとどめた。(毎日新聞2月19日)


政治家の発言について考える。


外国に対する発言が問題になるケースが最近多いようだ。相手国としては、韓国、中国が多くて、米国もあるようである。関係が深いほど問題は生じ易いという必然性はある。ギニアビサウ* の首相が靖国神社について言及するとか、ガイアナ** の外相が日本の歴史観を批判したとかいう話は出てこないだろう。関係が深いのは、物理的な距離が近いとか、貿易が盛んであるといった要件がある。韓国や中国はこの二つを満たす。米国は貿易に加え、先の大戦以降の復興に係わる歴史的な関係がある。日本が植民地支配されていないと考えるなら旧主宗国はないから、距離の離れた関係の深い国というのもない。

 *:  西アフリカの国。人口161万人。2010年の国の援助額は、日本が16M$と旧主宗国のポルトガルより多い。在留邦人数9人(2011年10月)=外務省HP。
 **: 南アメリカの国。人口76万人。南アメリカで唯一英語が公用語。在留邦人数12人(2011年10月)=外務省HP。


最近報道で扱われた発言は何をしたくて行ったものなのだろうか。考えられる可能性としては、
 (1) 他国を叩いて、日本の国際的な地位を高めたいと考えた。
 (2) 軍備拡充を実現する考えの本音がこぼれた。
 (3) 憂さ晴らし。
米国相手に憂さ晴らしもないだろうし、動画サイトにアップするのに本音がこぼれるというのも馴染まない話である。中国に関心が向いている米国に、こっちを向いてと駄々をこねていると解釈するのが、そうではない解釈は何があるのか思い付かない。思慮深い政治家には、きっともっと奥深い意味が含まれていることと想像するが、政治家が心の内を理解することを国民に求めるのも如何かと思う。言葉で説明するのが単純で、合理的な行動原理であろうと思う。

政治信条で発言するのを止める気はさらさらないが、有権者の支持を得られそうだと策として極端な発言をする政治家は信用する訳にはいかない。確固たる政治信条を吐露するならそれで良い。しかし、国益を損なうと指摘されたのなら、心情を修正するのではなく職を辞するのが正しい選択だ。職に未練たらたらであるのなら、しがみ付いて放さない為に黙っているという行動は、それはそれでお見舞い申し上げるよりない行動である。威勢のいい発言をして、幹部から叩かれると修正するというのは、政治家の品位が低いと指摘されても仕方ないだろう。
憂さ晴らしに他国を生意気だと批判するのは、ネットの住民には許されても政治家がとってよい行動様式ではない。政治信条は隠し、派手な言動ばかりを先に走らせる。都合が悪くなると撤回し、反省しているポーズを取ってはみても再び同様の発言をする。反省しろと反対側の住人は言うものであるが、反省の必要などひとかけらもない。必要なのは学習である。政治信条の修正などをするというのは、言ってみれば自己批判であり、自己批判して生き残れないのは極左の活動家に限った話ではない。政治信条はそのままに、その発言の影響を正しく学ぶことこそ重要である。学んでも反省しなければ役に立たないという意見もあるだろうが、反省するというのはもう一度することを確認するだけの情緒的な作業に留まる。学習はそうなることを認識する科学的な作業である。学んだ先に価値のあることを想像できるか否かはまた別の話となる。


正しい主張は小さな声でするのが、この国の伝統的な作法である。

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