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2014年1月19日 (日)

名護市長選から沖縄を考える

沖縄県の米軍普天間基地(宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設の是非が最大の争点となった名護市長選が1月19日に実施され、移設に反対する無所属で現職の稲嶺進氏(68)=共産、生活、社民など推薦=が、無所属新人で移設推進を掲げる前自民党県議の末松文信氏(65)=自民推薦=を破り再選を確実にした。
政府が提出した辺野古沿岸部の埋め立て申請について、沖縄県の仲井真弘多知事は昨年末に承認した。稲嶺氏が再選を確実にしたことで、移設への反対運動や抗議活動が激しさを増すとみられる。(日本経済新聞:1月19日)


沖縄の基地問題について考える。


沖縄で米軍の基地には反対が多い。そもそも本土から切り捨てられた形で米国統治下にあった歴史を持つ県である。基地関係の仕事もあるというが、これらの仕事に大きく依存しているという訳ではないようだ。
まず、敗戦後の日本に復帰した地域を確認する。敗戦により連合軍側に施政権が移ったのは、伊豆諸島、トカラ列島、奄美群島、小笠原諸島、沖縄県である。これらの日本への復帰した年は下記の通りである。

■ 本土復帰地域と復帰年
   地域           復帰年
  伊豆諸島       1946年 3月22日
  トカラ列島      1952年 2月10日
  奄美群島       1953年12月25日
  小笠原諸島     1968年 6月26日
  沖縄県        1972年 5月15日

伊豆諸島とトカラ列島は、サンフランシスコ条約での米国信託統治下に入る地域から外れているから、奄美群島以下の地域が米国の管理下にあったと考えてよいだろう。
奄美群島については、1950年に設立した群島政府が琉球政府が1952年に発足したことで吸収された。米軍が沖縄戦で疲弊した沖縄本島への資金集中させたことで、取り残された形になった奄美群島は、産業も乏しく生活は困窮を極めた。また、この状態では大学への進学もままならず、本土への復帰を求めることは大きかった。その結果、日本復帰を願う署名がわずか二カ月で14歳以上の住民の99.8%に相当する約14万人分に達した。この動きは東京や大阪にも波及した。米国は軍事基地の少ない奄美群島の統治を諦めるようになり、1953年12月25日に返還となった。米国政府は、日本へのクリスマスプレゼントと皮肉ったという。センスの欠片も感じられないが、その程度の人間が統治すると、こんな結果になるという理解で良いのだろうと思う。
小笠原諸島については、太平洋戦争の局面悪化により1944年、軍属等として残された825人を除く全島民を除く全島民6,889人は、強制的に本土へ疎開させられた。敗戦により、小笠原諸島は米国の占領下に置かれることなり、国の占領下に置かれることなり、国の占領下に置かれることなり、国の占領下に置かれることなり、1946年、欧米系の島民に限り帰が許されたが、他の大多数島民は故郷へ帰ることは許されなかった。
沖縄県は1943年末の人口が556千人であったものが、1945年末には327千人に減少している。(故きを温ねて~「1950年沖縄群島要覧」より) 沖縄戦の凄まじさをうかがわせる数字である。このもっとも面積と人口の大きな地域の返還が遅れたのは、地政学的な価値というか、軍事上の要所として沖縄を位置付けていたことがあるだろう。朝鮮戦争の休戦が1953年である。朝鮮半島の共産主義との対立、中華人民共和国と台湾(中華民国)との関係もあり、米国軍が沖縄から撤退するという状況は考え難かったといえる。現在の沖縄にある米軍専用施設面積は日本全体の3/4近くで、沖縄本島の二割近くを占めている。地政学的な有用性はあるとしても、沖縄は誰のものなのかと考えてしまう数字である。

ここで気になったことを調べた。米国統治下で医師の養成をどうしていたかということである。奄美群島には大学がなかったことは上で記した。沖縄には大学はあったものの、医学部はなかった。そもそも米国の法律の適用がなされる地域で医療行為をするということは、米国で求める資格を満たすことが必要となる。植民地などにおいては、現地の資格と統治している国の資格を両立させるのが普通に行われるようである。これで考えると、沖縄や奄美群島では日本の法律で資格を得ている者は、引き続き医療従事可能であり、米国の資格のある者も可能という運営が予想される。日本の有資格者が現地に入って仕事をするには一定の手続きが必要となるだろうが可能であったのだろう。
沖縄に医学部ができたのが1979年である。この卒業生が医師として活躍できるようになったのは1990年代になってからだろう。この間どうしていたのだろうか。日本の医師法は、医師を業務独占資格として規定している。日本で医師になるルートは、国の定めた医学部を卒業して国家試験に合格することが基本となる。大学のなかった米国統治下の沖縄や奄美で医師になるには、米国か日本に留学することしかなかった。貧しい産業の乏しい地域で医師を目指すというのは容易なことでないだろう。しかもどこの国でも、医学部は難しい。
戦争において、多くの医師が従軍して犠牲となった。もともと不足する医師がさらに不足することになったのである。しかも、貧しい地域に好んで行く医師も少なかった。正しくは、戦後の日本はどこでも貧しく医師が不足していたので、米国の管理下にある国に行くということを考える余裕がなかったというところだろう。実際沖縄の戦後の医師数は64名 (戦前の1/3) と言われる。戦後の医療壊滅状況を立て直す為に、医介輔制度が創設された。医介輔は、戦時中に衛生兵、医師の手伝いをした者、医学校の中退者などの医療経験者に1945年に医師助手の資格を与えて医療に従事させたのが前身で、1951年に資格試験により、沖縄、奄美で126人が医介輔に登録された。
この制度も本土復帰により廃止されることになる。1969年に医師助手廃止の法令が出され法的な根拠を失う。しかし、医師不足は何も変わっていなかった。法律に従えば無医村化する地域が出ることは明らかであった。そんな中、琉球政府は、限定した地域における一代限りの診療を条件に医介輔の存在を認めた。日本国でも1971年に介輔の医療業務が認められている。当然のことながら、新規の資格者がいないのだから人数は減り続け。平成8年(1996年)の資料によると、沖縄本島に8人、久米島、竹富島、黒島に各1人になっている。その平均年齢も80を超えている。最後の一人が活動しているという記事を確認したが、現在も活動しているかは分からない。それだけ戦争からの時間が経過したということである。参考の為に記すと、本土復帰前の医介輔の人数は、奄美で28人、沖縄で49人が活動していたという。奄美については、本土復帰二年で廃業となった。

選挙前から期間中において、自民党関係者の沖縄への経済援助の話が沢山出ていた。嫌な施設を受け入れさせる為に、札束で頬を叩くというのは、表現は不適切なことは百も承知で、正しい行為だと考える。正しくないが、これ以外の方法がないから、最後はここに行き着くと言っても良い。この行為を下品だと、忌み嫌う感性がこの国にはあったが、近年は経済行為としてそこまで忌避されないようである。しかし、数百億円の援助をしたとして、建物や道路を造っても、それっきりの話である。その後のことについて、永田町は責任を持たないようだ。沖縄の大手建設土木会社の國場組の売上高は400億円くらいである。大手ゼネコンの1兆円と超える会社と比較するのは意味はないが、それくらい規模の違いがある。つまり、大きな金額を単年度に投下されれば、沖縄の企業では捌き切れない状態がままあるということである。造ることより、造った後の効果が期待できる仕事が必要なのである。

国内の平均医師数は10万人あたりで200人強というレベルである。戦後の沖縄は20人レベルである。離島の多い地域でこの数字は少なさは想像を絶する。しかし、現在でも改善されたとはいえ続いているのだろう。何かと批判の多い徳州会だが、僻地医療については志の高い行為を行っていると言える。生命は平等だとするなら当然の行為ではある。病院建設に対して、暴力団を使うのも、政治家に献金するのも、今日の世の中の縮図でしかない。徳州会がそうしていると言っているのではないのを念の為に記す。
徳州会に頼むかどうかは置くとして、大規模な高度医療施設の建設を計画したらどうだろうか。都会の中にあるのと、南の島の風光明媚な地域にあるのとを比較すれば、後者の方が患者にとって優れるのは明らかである。都会に医療施設を置く理由は、医療側の都合によっている。先進医療には、製薬会社などの最先端の技術提供が必要で、それを高度に利用する医療従事者が必須だからである。これはもっぱら医療サービスの提供者側の論理であるのに気付く。患者の側からすれば、東京に出るのは大変だが、それでも治るならと一縷の望みを託して大変な思いをして向かうのである。東京が沖縄に変わったとしてどれほどの違いがあるだろうか。東南アジアの人が高度医療を受けたいというなら受け入れれば良い。こういうのを国際貢献というのではないか。富裕層が多いという批判も出るだろうが、何もしないことの問題に比べれば遥かに良いという事実は否定できまい。基地一個をどかしてもらって建設すればよい。
これをコンクリート主体の投資だという向きもあるだろう。エコロジーな向きに対応する方法として、北緯26度の地域であるのだから太陽熱発電を行えばよい。半導体を用いた太陽光発電は変換効率も30%以下だし、気温の高い地域では内部抵抗の増加を招くから太陽熱が適する。風力のような騒音もないし、平均化した電力供給も可能である。
命と向き合い、自然エネルギーを用いて、周辺地域との交流も目指すとしたら、反対する理由もないだろう。運営するのは非常に難しい課題があるだろうが、取り組む価値のある課題であるのもまた明らかである。ホラ吹きと言われるかもしれないが、このくらい大きければ尊敬されるかもしれない。
自民党の札束の使い方は実務的だが、大層下品であるということである。下品なりに知恵を使えばまだ良いが、育ちが悪いのか銭感情方向に行くのがこの党の近年の傾向のようである。


この国の政府関係者や、役人がこのブログを読むことはないだろうことは容易に想像がつく。

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