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2014年1月27日 (月)

NHK会長の慰安婦発言「まさに正論」 橋下氏が評価

日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は1月27日、NHKの籾井勝人会長の発言について「まさに正論だ。反論できる人はいない。僕が言い続けてきたことと全く一緒だ」と評価した。大阪市役所で記者団に語った。
橋下氏は「似たり寄ったりのことは世界どの国もやっていた。戦争と性の問題はどの国も抱えてきた不幸な歴史だ」と持論を展開。「NHK会長でそれなりの経歴のある人が言われた。日本国民はしっかり考えないといけない」と語った。また、発言を批判する民主党に「もっと歴史を勉強すべきだ」と矛先を向け、返す刀で「自民党から批判が出るなんていうのは非常に残念だ」と釘を刺した。放送事業者に「政治的公平性」を義務づけている放送法との関係については「政治的に意味のない発言はありえない。権力を使って番組の編集権に介入することが政治的中立性を害するということだ」とし、籾井会長の発言は「問題ない」との認識を示した。(朝日新聞:1月27日)


久し振りの橋下発言から見えることを考える。


NHKの会長に就任した者が、それに関連する会見で発言したのであれば、私的な見解であると言い訳するのは醜悪である。会長にならなければ籾井勝人に対する会見など開かれる筈もない。会長であることとは無関係に私的な見解を述べて何が悪いと開き直るのは自由にして良いのだが、その程度の分別もわきまえないのならその職に就かないことが、自身にもその団体にも幸せな結果をもたらすことだろう。法律で規制が入っている団体は、その活動に制限が加わるものだから、その団体の責任者の席に座れる者には通常以上の制限が加わることは必然である。繰り返すが、嫌なら辞めれば良い。これを制限するものはなにもない。社会人として一定年数生きていれば、引き受けたくなくてもやらねばならない仕事もあるし、ひとたび引き受けたのなら投げ出すことが許されない事情もある。これらのことを重視するなら、私的な見解を吐露することにある水準の制御を掛けるのは当然のことと思う。
内容の妥当性ではなく、この手の発言をすれば物議を醸すことが分かっていて発言する態度が、団体の長に相応しくないという話である。団体に所属する人、そこに関連する仕事をする人、そのような人たちに無用な圧力が加わらないように考えて発言するのがその長のする仕事である。発言が正しいと信じるなら、つまらない言い訳などしないで信念を語ったまでとして、それが職に相応しくないと任命権者から判断されてのなら辞めれば良い。これは非常に単純な話である。もっとも理性的な判断は、会見の質問に答えなければ良かったのである。特に回答するような事柄はないと考えるとでも言ってあしらえば良かろう。しつこく質問されたとしても、その程度のことに耐えるのをこの団体の職員は日常的に行っていると思ったら、やり過ごせる筈である。このことから想像される結論は、この会長は所属している組織の人が適切な仕事を実現することより、任命権者の向こう側にいる人のご機嫌伺いをすることに優先度を置いているということである。
NHKの総督として、支配している植民地を適切に管理して、本国に貢物を献上したいということなのだろう。植民地の住人には優しく接して肩書きではなく名前で呼ぶようにしたりと、抜かりなく作業は進めている。団体関係者は、総督ではなく会長として、優しくなくて良いので適切な仕事をすることを希望することだろう。

ネットでこの発言に関する事柄を検索すると、当然のことを言っただけだという趣旨の書き込みが多い。この手の人が、偏向したマスコミが正しい報道をしないから、本当に知りたい情報が得られないというのだろう。自身が考えていることを支持してくれるような報道がなされないのは、報道する側が偏っているからに違いないというふうに読めるのだが、これは穿った見方なのだろうか。正しいと信じるに十分な裏付けがないと報道できないというのが、今日のマスコミの基本姿勢である。現在のNHK以外の報道機関は、商業報道として成立している。番組の広告料金を主な収入として会社運営がなされている。広告収入による最大の問題点は、スポンサーの批判が憚られることである。直接的な批判だけを制限するくらいならさしたる害はないだろうが、慮って自主規制を始めると歪みが生じる。多くの会社が広告主としてテレビCMを流すのは、この効果を期待しているのではないだろうか。少なくとも原発事故前に原発反対の番組制作するのは、東電のご機嫌伺いをする立場からすれば困ったものであっただろう。NHKはスポンサーに依存しない公共放送としての機能を期待するものである。それとて十分とは言えないが、少しはましだと思う。故に、政治的な中立性を疑われる発言をするのは、席に就くものに求められる姿とは異なる。正しいか否かの話ではなく、政治的な話題になっている問題に不用意に答えてしまう理性の乏しさが、職責を担うのに資質を欠くという話である。

橋下の発言に戻ろう。懲りもせず同様の発言を繰り返す。政治信条としているのだろう。ささやかな弁護をするなら、現在の価値観により、当時の行動を批判するのは陥りがちであるが、決してしてはいけないことである。現在の価値観として、女性の人権というか人権全般に配慮しなければならなくなっている。当時はそうでなかった。だから、今日の価値判断ですべてを片付けるのはただ乱暴であるだけである。戦時の事情を考えれば、橋下の主張も理解できる。
逆の見方をしよう。ある権利、基本的人権の何かでも良いし、選挙権でも労働組合に関する物でも良い、それらの権利を獲得するまでに多くの血が流された。その血が流される前ならないのが当然だったと簡単に括ってしまえば、この運動に関係した人の流れにある人なら不満を持つだろう。この権利に国の独立を含めてもよい。女性の人権が蔑ろにされた時代があったというまでは問題なくても、その当時どこでもそうだったと言ったら権利獲得の運動をしていた者を軽んずると指摘されて当然に思う。
橋下は政治家として歴史を語っているという立場なのだろう。そして、現在における権利を否定するつもりもなく、重要なことだと考えている。それを疑わないにしても、権利獲得に流した血の扱いが軽く、冷酷な印象が残る。保守政治家がお好みの靖国神社に祀られる英霊を大切にするという心情と、女性の権利獲得の為に流した血というのは、同質のものであり理解できると思う。保守政治家が個人の権利より国家のあり方に重きを置くという点で立っている場所はずいぶんと離れているのではあるが。橋下は、過去は歴史書の中の存在で批評可能なものと考え、現在は利益を最大にする時間と考えているのだろうか。過去と現在を分ける定義などどこにも存在しない。誤りだったと否定するだけで済むことではないが、肯定して主張すれば過去のある時点に戻るだけである。これでは現在と過去を行ったり来たりするだけでしかなく、未来を描きようがない。


ついでに書いておく。
領土問題の解決というのは、経済的な損得関係をバランスさせることでしかない。南の小さな島が住むには不適当で、嵐に遭った漁船の避難にも利用できないなら価値はなかった。そもそも海に対する権利などという考え方は東アジアに昔は存在しなかったのだろう。それが地下資源が出たり、経済水域の考え方が入れば話が変わる。それでも利害関係の調整に過ぎないから経済的に、つまりお金の払い方をどうするかで折り合いが付く可能性はある。
歴史問題というのがある。こちらは感情が関係する話であるから、領土問題のように金銭で片付ける性質のものではない。時間を掛けて進めるよりない。時間を掛けないのは不成立だし、進めないことには解決しない。実際にはこの両方を満たしてもいつ解決するか見当がつかない。優秀な法律家は時間を掛けるだけ無駄な労力だと考えるのかもしれないが、無駄な努力をそれと知っていつつ続ける姿で改善することもあるだろう。


無駄な仕事をすることが最短の道であることはままある。

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