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2014年1月20日 (月)

官房長官「イルカ漁は適切」 ケネディ大使に理解求める

キャロライン・ケネディ駐日米大使がイルカの追い込み漁に反対する考えを示したことに対し、菅義偉官房長官は1月20日の記者会見で「イルカ漁業は我が国の伝統的な漁業の一つで、法令に基づき適切に実施されている。米国に日本の立場を説明していく」と述べた。
イルカの追い込み漁は和歌山県太地町で行われている。ケネディ氏は18日、短文投稿サイトのツイッターで「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」と書き込んだ。(朝日新聞:1月20日)


イルカやクジラについて考える。


米国や豪州、ニュージーランドは日本の捕鯨やイルカ漁に批判が強いようだ。宗教的な理由ではなく、高い知能があるからとか、自然環境保護の観点からというのが代表的な理由のようである。宗教的な理由がないのなら、科学的な事実を積み上げる作業で一定の結論が出ると思えるのだが、そのような方向には向かっていない。その理由は、反捕鯨(イルカも含む)側は反対したいので反対するのに対し、捕鯨側は過去からの文化に関わる問題として反論するからである。反対したいので反対するというのは、鯨が知的な生物である、鯨を捕る方法は残酷だ、鯨を食する習慣は未発達の人のやる行為だ、といった心情に依るということである。一方の文化の話は、過去から連綿と続く風習を理由も無しに制限される謂れは無いという考え方である。
生物資源の問題であれば一定レベルの科学的な議論も成立するであろうが、それとて、人間が何かを捕れば環境に影響するのは必然なので、食物獲得行為の制限を厳しくするのは難しい。この流れに従えば、海洋生物における食物連鎖の後ろ側に位置する物は制限の対象になり得る。マグロがこれに近いところだろう。食物連鎖で判断するのは局所的な領域で閉じるのなら正しいと思うが、遠距離を移動する海水魚に適用するには判断するに相応しいデータを収集することが難しいだろうから誤った判断を出す可能性は高いと想像する。

知性があることを理由にするのに違和感を覚えるのだが、彼らには抵抗がないようである。日本では、鯨は駄目で、牛が良いとするのは理解できないとう意見が多くある。道に咲く草花にも鯨にも命があるという素朴な考え方によるものだろう。この考え方を原始的だと捉える向きが反捕鯨と重なるように思える。草花と動物を連続的な存在で考えるのは文化の問題である。一方、人間の快適性 (広義に理解されたい) の向上を目指したベクトルとしての文明は、科学との相性が良いが、文化か宗教とはあまり良くない。
米国の独立が1776年、豪州が1901年、ニュージーランドが1907年である。未開の地に立ち入った外国人が文明によって支配して、文明による国家を構築した例である。これらの国では、王様による支配を排除したり、制限するという歴史を踏まずに国が成り立っている。宗教としてはキリスト教の国家であるが、宗教よりも文明の進度が高いことこそが価値のあるものと信じることをより重視している。つまり、文明のレベルが高いとされる指標が明らかになれば、その丈の高さで比較できると信じる世界なのだろう。海でいるかいないか分からないで漁をする行為より、大量に牛を飼育して得る方が合理的だから優れるという考え方である。歴史が短い分、過去の風習の類は乏しいから、宗教上の制限に留まる。それとて、信仰の自由の名のもと、厳しすぎる戒律を他人に強要するのは憚られることになっている。そう、この近代国家は自由を重視するのである。それなら、鯨を食する文化を許容してもよさそうに思えるが、原始的な世界の習慣を忌み嫌うのだから両立しない。

イルカを追い込む行為が野蛮に見えるというのはもっともだと思う。しかし、牛の食肉処理が残酷でないという理由は、牛を食する目的の為に付けた理由に過ぎないだろう。ケネディは牛の食肉処理を見れば良いし、鶏ならご自身で処理することも可能だろう。(ベジタリアンではないようだ)
ケネディは皇居での信任状捧呈式に正礼装を着用しなかったが、自分が正しいとする価値以外のものは認めないようだ。文明の進んだ合理的な国家が最上とする思想であるのだろう。本当のところ、王室への憧れがあってケネディー家は米国の王室と自身としては信じているのかもしれない。ケネディーが駐日大使に着任して持ち上げて、日本人をチョロイ国民だと思ってはいけないだろう。皇室に対する敬意と異なり、この国の国民気質は非常に飽きっぽいことが特徴である。文明が進んでいることとは比較できても、文化を比較することは困難である。歴史のない国の出身者は、この国で文化の乏しさの悲哀を味わうことになるだろう。尊敬とはそんなに簡単に達成するものではない。江戸っ子と呼ばれるのだって三代掛る国なのだから。


外国で米国人を外国人が殺すのは許さない。米国で米国人が米国人を殺すのは気にしない。

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