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2013年12月27日 (金)

侵略だったとはっきり言うべき:橋下

日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は12月27日午前、安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐり「首相が戦争の評価について自分の考え方をはっきり述べないので誤解が生まれている」と分析した。そのうえで「先の大戦は『侵略だった』とはっきり言ったらいい」と注文を付けた。
安倍首相は4月の国会で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言している。橋下氏は「日本の国家運営の責任者としては、先の大戦の評価についてはあいまいにしてはいけない。東京裁判を受け入れると表明したうえで、英霊に尊崇の念を表するのは理解してほしい、と言えばすっきりするのではないか」と指摘した。大阪市役所で記者団に語った。(朝日新聞:12月27日)


安倍首相の靖国神社への参拝について考える。


橋下は問題になった慰安婦問題に関する発言の際に、第二次大戦で日本は侵略し、東京裁判は勝者が敗者を裁くだけのものであったことを主張している。その考え方は法律家の感覚としては合理性のあるものなのだろう。発言の整合性は取れているように感じる。しかし、政治家としてはどうなのだろうか。前の戦争で日本は侵略をしました。侵略は問題があるのでお詫びしますが、その後に行われた東京裁判は裁判の名に値しない勝者が敗者を痛めつける儀式に過ぎない。しかし、負けたのだから受け入れることにしよう。というような解釈で良さそうに思える。そうするとその先に来るのは、国際法に違反しないで戦争を起して、勝利して日本に従わせるようにしよう、と続くように思えてしまう。外国の関係者にそう思わせてしまう時点で国益を損なう発言であると言える。合理性に欠ける話なのかもしれないが、外交とは感情的な部分まで含めた交渉で利益を獲得する作業であるから、この不合理がルールと認識するよりない。法律に従う法廷とは決定的に異なる部分である。国会議員と地方の首長の決定的な違いとして、外交交渉の有無がある。外交は薄い紙を積み上げる作業で、気の遠くなるような仕事を継続することで成立している。大阪府ないし大阪市という規模の大きな行政の責任者であったにしても、外国との交渉はない。無論、法律家にも外国との交渉は無いだろう。(外国法人との交渉事は沢山あるだろうが別の話である) 外交交渉に関わる問題は、地方議会出身の陥りがちな問題であるのかもしれない。

もうすぐ政治家を辞めてしまうかもしれない橋下の話はここまでにして、現在首相の地位にある安倍の話に移ることにする。
安倍の靖国神社参拝後のコメントを引用する。

残念ながら靖国神社参拝が、政治外交問題化しているが、その中で、政権が発足して1年、安倍政権の歩を報告し、再び戦争の惨禍で人々が苦しむことがないようにお近い申し上げた。靖国参拝はいわゆる戦犯を崇拝する行為であると誤解に基づく批判があるが、1年間の歩みを報告し、二度と戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代をつくるという決意をお伝えするためにこの日を選んだ。

合理性のあるような気分になっている発言である。靖国神社参拝はもっぱら内政問題であるから、外国がとやかく言うのは内政干渉であるという立場のようだ。靖国神社は戦犯を祀っているのではないし、参拝の目的は不戦の誓いである。その証に鎮霊社にもお参りしている。さあどうだ、という主張である。
靖国神社はヒットラーの墓でもないが、アーリントン国立墓地でもない。靖国神社を戦没者慰霊施設であると主張するなら、千鳥ケ淵戦没者墓苑がそれに相応しい施設だと、少なくとも米国政府は反論するだろう。それが証拠に、2013年10月3日に、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が日米安全保障協議委員会のため来日のおり献花している。米国の認識はこの辺にあることを認識しなければならない。
米国の考え方についてもう少し述べる。第二次大戦で米国は真珠湾攻撃を受けている。先の大戦を米国は、民主主義、自由主義を守る戦いとして、ファシズムを淘汰したのである。つまり、真珠湾を攻撃した日本は、民主主義を脅かす存在であり、東京裁判はこの事実に決着をつける場であったと米国は考えていると理解する。千鳥ケ淵戦没者墓苑は1959年に造られた施設であるのに対し、靖国神社は1869年創建されている。戦前の体制を引きずる宗教施設に詣でるということは、戦前へ戻ることだと理解されよう。

安倍は鎮霊社に行ったことを殊更に主張するのは、平和主義であることのアリバイ作りなのだろう。なら、安倍が鎮霊社にのみお参りしたらどうなるかと考えれば、彼の支持者である右側に位置する人達から猛烈な批難を浴びる筈である。つまり、これは有り得ない。鎮霊社に行くことなど本当のところそれほど重要ではないのだろう。
安倍の近い親族に戦死した人はいないようだ。安倍晋三の母方の祖父である岸信介の兄の佐藤市郎は海軍中将だが退役している。父親の安倍晋太郎の兄弟にも軍関係者はいないようだ。もう少し古いところに軍関係者はあるようだが、戦死者は見つけられない。なぜこんなことを長々と記すかというと、安倍の靖国神社参拝時に神社で迎えた (のかどうかは分からないが、居合わせたので迎えたのかもしれない) 人達の中に尾辻秀久がいた。尾辻は、日本遺族会と、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会の会長である。派手な政治家ではないが、参議院の副議長をしていたし、厚生労働大臣も経験している。この尾辻の父親は、先の大戦で戦死している。海軍少佐であったという。尾辻が靖国参拝を首相の立場でしたのならどうだろう、その前の遺族会会長の古賀誠の父親はレイテ島で戦死している。古賀ならどうだろう。
不戦の誓いというが、言葉が軽く、薄っぺらな印象が離れない。自分の支持者というか、安倍家の周囲の信者の声に応える為だけ行動したのではないだろうか。信念があったようには感じられない。少なくとも、尾辻や古賀が靖国神社参拝を行う想いとは距離が大きい。尾辻はそれでも一歩前進と評価するかもしれないが、私には同意出来ないのである。

靖国神社を全否定するつもりはないのだが、信仰の自由が認められた世の中にあって、特定の宗教法人に祀られているという姿を全員に適用するというは、法的な問題になるだろう。また、国際的に戦没者慰霊施設として相応しかと考えれば疑問がある。国賓がお参りするに相応しい施設でないことは実績が示している。実際、アルゼンチン大統領が1961年に参拝した例が唯一の例である。(A級戦犯合祀は1978年) 外交とは法律ではなく、文化風習を含んだもので、それに歴史が降りかかる。薄っぺらというのは、文化や歴史に無頓着であるからである。侵略の定義が学術的にどうであるかより、その国の国民がどう理解するかの方が外交には重要である。学術的な議論を重視する考えなら、半世紀後の為の仕事と理解していなければならないだろう。

左側と言われるところでは大きな批判があるようだが、他は案外反応が薄い。中国や韓国は何をしても反発するのだが、距離の離れた欧州までも批判的になっている。これは日本が軍国主義的な行動を起すかもしれない不気味な国だと思われていることを示しているのではないか。こっちの方が国益を損なうように感じる。



ここらで動いても角が立たないだろうという安倍のムラ論理は米国には通じなかった。

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