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2013年12月 4日 (水)

石破茂の発言と安倍晋三

自民党幹事長の石破茂は、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関して「絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」としたブログの記述について12月2日、「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と訂正した。


石破茂のブログでの発言が火に油を注いだようである。石破茂の発言とついでに安倍晋三について考える。


11月29日付けの石破はブログに以下の内容を書いた。

今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思います。


デモ行進をするのとテロとが同じだと言えば怒る人は沢山出るだろう。石破が腹に据えかねるほどうるさいと感じたか、虫の居所が悪かったか、そこらあたりは想像しきれないところではあるのだが、書いてしまった。記者とのやり取りでの発言なら訂正ということになるのだろうが、ブログへの書き込みという他人の影響がない環境で公表したとなると言い訳が難しい。現在騒ぎになている法律案と抵触する可能性のあるデリケートな話題であるので尚更である。法案潰しの自爆テロとも思えるが、潰すのも、自爆するのも、テロを起すのもいずれにも該当しない立場の御仁がする発言ではない。常識的な解釈としては、石破が壊れたというところだろう。
こうなると、火消しは早くするというのが延焼を防ぐ為の鉄則である。12月2日にお詫びと訂正と題してブログを公表した。

整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。
一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。
「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。
自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。

ということである。これで消えるくらいなら、そもそも燃えはしないということで、他からも消火活動は行われる。森雅子同法案担当相は12月3日の記者会見で「市民のデモは法案の『テロリズム』に当てはまらない。表現の自由は何より大切だ」と説明した。これで消える筈もなく、デモ行進の制限をもくろんだ法律だと別の方向へと流れていく。そもそも特定秘密保護法案でテロをどう定義しているかを確認する。第十二条のテロリズムという項がある。下に部分を抜き出した。

第十二条
テロリズム
政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。

又はという表現で、三つをつないでいるから、この内の一つでも該当すればテロリズムに該当することを法案は定義している。人を殺傷すること、または、物を破壊のはテロであるように思う。これは一般国民の理解と離れていないだろう。問題になるのは、他人にこれを強要という項目だろう。強要というのは受ける側の論理で動く部分があるから、後ろの二つの定義の確定度と比較すれば揺らぎが非常に大きい。というより、任意に解釈可能となる。そういう法律は駄目な法律であって、訂正されなければならないだろう。
法律家の話によると、A、B、Cという項目があってこれを論理和で結ぶ表現としては、A、B、又はCという表現が用いられるそうだ。上記の法案はその作法に従っていない。表現の細部など、制限する範囲が同じだから良いというのはアマチュアの考え方で、細部の揺らぎを極力排除した作法に則るのがプロフェッショナルの仕事なのである。法律が単独ではなく、他の法律に影響しつつ存在していること、長期に法律は存在し続けること、この二つを考慮すれば余分な揺らぎ要素は排除されなければならない。日本語の論理として通じるではなく、日本の法律表現として確定したものを用いるが正しい選択となる。揺らぎを排除しなければならないのならば、などという表現は法案に用いても良いが、中身に用いてはいけないものになる。これを考えると、この法案を作成したのは、法案作成の専門家ではなく、法案をつくりたいと思った役人であるのだろうと想像される。役人が予算要求する場合に流用可能とするように、などという表現を好むのは知られたところである。この流儀に似る。法案作成の専門家 (これも役人だが) は、揺らぎを嫌った表現を用いるのは、法律が数十年程度影響することに最大限配慮しなければならないのに対し、予算は基本として一年の話である。一年単位の仕事をしているものが、気分で作文する仕事ではない。

担当大臣の森の発言は、法案が論理和で結ばれているのに、デモを制限するものではないとしていて間違った解釈といえる。正しいのは法律家でない石破の最初のブログであり、弁護士の森の発言は法律を間違った解釈していると言える。森は抵触しないとしていても、法律が動き出したときの世の中は、この法律の条文に従って動くのであって、過去の担当大臣の答弁に縛られるものではない。
この法律が施行されたらデモをしていると逮捕されると心配する向きもあるだろう。現実に初の逮捕者を出すというのは、この完成度の低い法律では警察当局も動き難いことだろう。このような心配で抑止効果が出ることを当局は期待しているのかもしれない。この法律に反対する人は、施行後にこの法案に反対するデモを国会周辺でするのが良い。そして、デモ終了後に麴町警察署に自首することをお勧めする。逮捕者が出るまで待っては適用範囲が決まらないから、法律に求められないなら取り締まり担当者に聞くよりない。法律に違反する行為をしたときに、自首するのは警察からすれば好ましい行為であるし、犯罪をした容疑者からすれば刑が減じられることが約束されるから双方に助かる話だろう。デモを首謀した人や、他人に強要したという人は自首するのが良い。警察は犯罪者をそのまま帰す訳にはいかないだろうから、逃亡の恐れが無ければ氏名や住所の確認をすることだろう。逃亡や証拠隠滅の恐れがあれば留置場に入れなければならない。沢山だと麴町警察署の留置場には収まらないが、警察の方で適当な署の留置場に送ってくれることだろう。揺らぎのある状態で国民の活動を制限するのは良くない。制限は明確でなければならず、都合で動かしてはならない。これは現在のこの国の法律の基本原則である。

同じことを繰り替えだけの安倍についても書くつもりだったが、長くなったので次回に送ることにする。


森の様々な発言を聞くにつけ、弁護士資格をはく奪されるのではないかと心配してしまう。

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