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2013年9月27日 (金)

JR西歴代3社長に無罪 宝塚線脱線、神戸地裁判決

2005年4月に107人が死亡したJR宝塚線(福知山線)の脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代社長3人の判決が9月27日、神戸地裁であった。宮崎英一裁判長は「3人は事故の危険性を具体的に予見することはできなかった」と判断。3人に無罪(いずれも求刑禁錮3年)を言い渡した。 (朝日新聞:9月27日)


難しい裁判である。少し前の事件について振り返りつつ考えてみる。


まず、裁判に至る経緯を確認する。
被告の3人は井手正敬元会長(78)、南谷昌二郎元会長(72)、垣内剛元社長(69)である。事故発生の後、神戸地検が2度、3人を不起訴(嫌疑不十分)としたが、2010年3月に検察審査会が「起訴すべきだ」と議決した。指定弁護士は、3人がそれぞれ社長時代に行った

 (1) 1996年12月の事故現場カーブの急曲線化工事
 (2) 快速電車本数が増えた1997年3月のダイヤ改定に伴い、事故の危険性を回避する為ATSの整備指示義務を怠った

として、強制起訴した。 事故をめぐっては、急曲線化当時の鉄道本部長だった山崎正夫元社長(70)を神戸地検が同罪で在宅起訴したが、神戸地裁が昨年1月に無罪(求刑禁錮3年)を言い渡し、確定している。
JR西の歴代社長を記すと、 井手正敬(1992-1997 )、南谷昌二郎(1997-2003)、垣内剛(2003-2006)、山崎正夫(2006-2009) となる。括弧内は社長在職期間である。その後、会長職に就いた者もある。今回の3人は1992年から2006年までの社長である。有罪に持ち込みのは難しいという判断があっての検察審査会の議決だから、通常の裁判より無罪の可能性は高い。検察の通常作業として起訴された事故当時鉄道本部長だった山崎正夫が無罪になっていることを考慮すれば、今回の裁判で無罪判決が出ることは予想されたものであった。山崎について神戸地方検察庁は控訴を断念したため無罪が確定していることを考えれば、3名も控訴断念となる流れにある。
判決は、1996年にカーブの半径を304メートルに半減させたことについて「半径300メートル未満のカーブは珍しいものではない」と指摘した。また、3人がこのカーブに着目して具体的に危険性を認識することはなかった、と述べた。 その上で、脱線事故が起きるまでに、大半の鉄道事業者はカーブに自動列車停止装置(ATS)を整備しておらず、また、整備すべき法的義務もなかったと指摘した。
宮崎裁判長は言い渡し後、法廷内の遺族らに向かい「今も多くの人が苦しむ大変な事故で、誰一人刑事責任を問われないのをおかしいと思われるのはもっともです。ただ企業の責任ではなく、社長という個人の責任を追及する場合には厳格に考えないといけないので、こうなりました」と話し、2人の裁判官と約10秒間、深々と頭を下げた。

裁判官も忸怩たる思いがあるだろうが、法律に合わなければ判決出来ないのが彼等の業務である。勝手に死刑だといったら世の中の秩序が崩れてしまう。経営者を責める手段はないだろう。企業が起こした事故について、故意または過失によって事故を発生させた当事者と連帯して経営者が責任を取るというのは飛躍がある。経営者が労働者に無理を強いたことがあれば、労働災害における使用者責任を問うことが、民事でも刑事でも可能であろうが、それは線路のカーブの曲率や、安全装置の設置を理由にするには無理がある。むしろ日常的に行われていたという日勤教育について問うのが良さそうであるが、その日勤教育には別の裁判がある。
1996年からの10年間に日勤教育を受けたJR西の運転士と車掌の計258人が、日勤教育は違法と提訴した裁判で、大阪地裁は2011年7月27日、退職強要のほか、草むしりやトイレ掃除などが課された61人の日勤教育について「裁量権の逸脱、乱用があった」として違法と認定し、JR西に計620万円の支払いを命じた。その後、2012年9月6日、JR西が原告に解決金800万円を支払う内容で大阪高裁で和解が成立した。
これは民事である。経営者が適正な事業活動から逸脱した日勤教育を放置したことによって、今回の事故が発生したとう論理で、経営者を業務上過失致死を問うというのは専門家は採用しないだろう。経営者を刑事で問うのは難しく、刑事での対象は法人になってしまう。しかし、法人には罰金刑しかない。法人の無期懲役は無期限営業停止ということか。それならありそうだが、その法人を解散して、新しい法人を創設することに制限はない。やはり難しい。

刑法の規定を倫理規定のように思っている人があるようだが、刑法に限らず法律の規定など倫理ではない。身体的自由や財産を国家権力が奪うことをしないことになっている中で、そのような行為を行うことを明記しているのが刑法などの規定である。だから、書いてないことで処罰されることはないのである。結果として罪の重さがやってはいけないものほど重い傾向があるが、倫理上の重要度と同じだと考えるのは筋が悪い。それだと法律教の信者ということになるが、思想良心の自由があるのでその信者にならなくても良いことになっている。つまり、法律など人間が生きていくのに都合が良いように作った手段程度に理解するよりない。
歴代社長の4名についてこの国の法律は罪を問わないが、だからといって彼等が正しい仕事をしてきたとは誰も思うまい。彼等も日勤教育が行われる職場が正しいものとは考えない筈だ。正しい職場を作れなかった責任を感じてもらわねばならない。正しい職場を作ろうとしなかった経営者は、事故の被害者や遺族から倫理的な責めを負うことになる。この責めは何かの行動に移さない限りは、思想良心の自由の範囲の中であろう。
社長の年保など大卒新卒者の30倍程度で、それにあれもこれも責任を問われたらやり手がいないと言う人もいるだろう。鉄道事業者としての誇りより、企業での肩書を重視するならそうなるだろう。そこに本質的な問題があるのかもしれない。


2本書いたのは、調べ物の少ない内容だったからで、アクセス数が減っていることとは関係ない。

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