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2013年8月 6日 (火)

短期大学について

大学の数が多いと言う話に短期大学 (短大) の話が出たので、短大について考える。


短大が成立した背景について確認しておく必要があるだろうと考え、文部科学省の学制百年史を参考にした。
旧制の高等教育機関としては、大学、高等学校、専門学校および高等師範学校、女子高等師範学校、師範学校、青年師範学校などの複数の系統による教員養成諸学校があった。これらの機関は、その目的、性格に従い高等教育機関としての役割を果たしてきた。
連合国軍の占領統治の下で、日本国憲法制定後の議会であった第92回帝国議会 (1946年12月28日-1947年3月31日) によって、学校教育法は教育基本法などとともに制定された。
この学校教育法は、これら旧制の高等教育諸機関をすべて単一な四年制の新制大学に再編して、学校体系の民主化、一元化の原則を貫いた。学校教育法の高等教育関連の以前の法律には、学制、帝国大学令、大学令がある。複雑な方式になっていたのは、日本で時代の変化が激しかったことも要因であるだろうが、大きな構成を描くのが苦手なことがあるようだ。苦手の主体が国なのか、役所なのか、国民なのかは判断が付かない。
一方の連合国軍というより、米国の単純で素朴な考え方からすれば、複雑怪奇な教育制度を直さなければならないと考えたというのはそれほど飛躍してはいまい。
学校教育法で、大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする、とあるから旧制度の延長線上と考えてはいけない。別物になったと考えるのが良い。新制大学の特色としては、
 (1) 一般教育を重視して、人文・社会・自然の諸科学にわたり豊かな教養と広い識見を備えた人材を養成することを眼目としていること
 (2) 学間的研究とともに専門的、職業的訓練を重視して、しかも両者を一体化しようとしていること
にある。すなわち、新制大学は、一般的、人間的教養の基盤の上に、学問研究と職業人養成を一体化しようとする理念を掲げている。旧制の高等教育機関が、普通教育を施す機会があまりに少なく、その専門化があまりに狭すぎ、そして職業的色彩があまりに強すぎると米国教育使節団報告書が指摘している事項を修正したといえる。
これだけ大きな変化があると、大学設置を認可するための基準について、新しい基準を設ける必要が生じた。文部省は、昭和21年(1946)11月大学設立基準設定協議会を設け、基準の改正に着手した。そして、昭和24年から新制度で大学運営が開始された。実際には旧制度下での在学生の処置といった、制度変更の狭間にあたる学生の対応を考慮しなければならず複雑な作業であったことが想像される。これには大学にもあって、旧制の専門学校の大部分は四年制大学への転換を目指したのだが、そのうち約50校は、教員組織、施設・設備等が不十分であると判定され適わなかった。旧制学校をそのまま存続させることは出来ない相談であるから、急遽二年生の大学を設置することを検討した。文部省は、昭和24年(1949)5月学校教育法の一部を改正し、暫定措置として修業年限2年または3年の大学を設け、これを短期大学と称することとした。
このような経緯で設定された短大は、暫定的なものとして考えられていたこともあって、学校教育法上の規定も四年制大学の修業年限の特例として扱われ、目的・性格もきわめて曖昧なものであった。
短期大学は暫定的な制度として発足したにもかかわらず、その後15年間に著しい発展をとげ、わが国の高等教育機関として独自な重要な地位と役割を占めるに至った。その理由としては、
 (1) 四年制大学に比し、父兄や学生の経済的負担を軽減される
 (2) 短期間における実際的な専門職業教育を施される
 (3) 特に、女子の高等教育の場として適切である
ことなどがあげられる。まだ貧しい状況である中で、子供の教育への必要性を感じる親たちに対する最も現実的な解になっていたといえる。
当然、短大を実態に即応した明確な目的・性格をもつ恒久的な制度として学校体系の中に正当に位置づけるよう各方面の要望が年々強まってきた。昭和37年(1962)度より工業技術者の養成機関として工業高等専門学校制度が創設されるに及び、短期大学制度恒久化の要望はますます強くなった。このような事情にかんがみ、文部省は昭和39年(1964)3月第46回国会に学校教育法の一部改正法律案を提出し、同年6月その成立により短期大学は恒久的な制度となった。
改正の骨子としては、
 (1) 暫定措置の規定を削除し、短大の目的、修業年限および学科組織等に新たな規定を設け、恒久的な制度とする
 (2) その目的は、深く専門の学芸を教授・研究し職業または実際生活に必要な能力を育成すると明確化する
 (3) 修業年限は、2年または3年とする
 (4) 学部を置かず学科組織をとることする
 (5) 短期大学を卒業した者は、4年制大学へ編入学することができることとする
というものである。

教育機会を全国で与えることになったのは短大の大きな意義であったと思う。しかし、女性、地方、職業教育に重点を置いた結果、その後の発展の余地が無くなったというのも事実である。社会情勢の変化として、交通網の発達により地方と中央の距離が縮まったこと、男女雇用機会均等法の成立やIT技術の大規模な導入による仕事の変化、国内から海外を含めた事業への体制の見直しが生じたこと、これらの要素は1950年には想定できなかった内容である。しかし、半世紀後には現実のものとなった。一方で、短大卒業者の大学への編入を文科省は推奨しているが現実には拡大しているとはいえないようだ。これは役所の考え方というより、大学という組織が旧態依然としていることに原因があるように思える。社会人の受け入れ (聴講生を含む) を活発に行うことは大学が学ぶ場所を提供するという意味で理に適っていると考えるのでが、現実にある多くの大学のありようは、就職予備校でしかない。のこの国の教育制度も、就職予備校制度と考えられなくはない。短大の歩んできた歴史を数字で振り返り引き続き考えることにする。


学校教育は、戦後の問題と思ったら、ずっと問題を抱えていると思えてきた。

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