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2013年7月 9日 (火)

福島第1原発の吉田昌郎元所長が死去

東京電力福島第1原発事故の際、収束作業を指揮した元所長の吉田昌郎(よしだ・まさお)さん=執行役員=が7月9日、食道がんのため東京都内の病院で死去した。58歳。葬儀は未定。
大阪府出身。東京工業大大学院で原子核工学を専攻し、1979年、東電に入社した。本店原子力設備管理部長などを歴任。一貫して原子力の技術畑を歩いた。2010年6月に第1原発所長に就任した。(毎日新聞:7月9日)


思いのほか、扱いが小さい気がする。それで良いのかと考えることにする。


吉田は2011年3月11日の福島の事故発生以降、所長として現場を指揮した人である。病に倒れ12月に職を離れたが、それまで幾多の危険な状況を凌いで時の人となった。現場の責任者が亡くなったことで、事実とデマがまぜこぜとなった報道がなされることだろうと思っていた。おそらく、現在の世の中の流れは原発再稼働に傾いたようだから、前所長をスケープゴートにするような記事があることを想像した。予想は外れて、功績を褒め称えるとまではいかないが、現場の指揮官として事故の収拾に尽力したというまとめ方をしていた。亡くなった人を悪く言うのを好まないというこの国の習慣、美風といって良いのだろう、がそのような流れになったのかもしれない。しかし、報道されている内容を眺めてみると、事故を風化させたいのではないかと思えてしまう。
事故直後、関東は危険だと言っていた人はその後どうしたのだろう。食べ物の産地に注意して、魚は上がった漁港しか情報がないから西日本でないければ食べないと言っていた人は今でもそうしているのだろうか。マスコミは知りたいことを流さないから信じないと主張していた人は、今でも何も信じられずにいるのだろうか。いっとき、周囲に同調して大騒ぎして、熱がさめると何もなかったのように振る舞う。小市民だからそれで良いというのももっともな話であるが、小市民は黙って潰されていくのだろうか。

マスコミは正しい情報を報道していないというのが流行っていた。正しいを欲しいに置き換えた言い方もあった。欲しい情報というのが、自分にとって都合が良いものであるのは明らかである。それが事実であることを示すものなど何もないのに、そうであったら面白そうなのか、あるいは悪意のあるそうに違いないという決め付けて"事実"をつくってしまう。典型的な例は、原発ムラの人は原発を動かすことばかり考えているから、安全のことなど横に置いてしまって、すでに危険であるのに安全であると発表している、というような文章に表れる。これに従えば、吉田の死が原発の放射線漏れとは無関係とする東電の発表はウソだということになる。吉田の居た環境は一般的な放射線被爆と発ガンの関係を超えた領域であり、強いストレスと過酷な労働条件が身体に良く働く要素でなかったことは明らかである。それでも、科学的な因果関係が明確でない場合には、無関係と推定されると発表するのが科学である。これを隠蔽と呼ぶのは子供の我儘に等しい。

福島の事故発生時のオペレーションは、東電本店は福島の事実確認を行い政府に報告する業務をする黒子に徹する必要があった。しかし、組織の平時の指揮系統に従った命令を下したがる無能な経営者と、有事に弱さをさらけ出した国の高級官僚の指揮系統の乱れが混乱を拡大し、国民の不安を増大させた。
マスコミは政府の無能ぶりを叩くが、大臣が無能であるのはある意味当然である。無能であることと有害であることは違う。無能な大臣に何かを期待すれば有害な事象が生じる。無能であることを自覚し、その上で職責として決断しなければならない事項について命令を下すのが任務である。専門家がどちらにするか決めかねる状態であった場合にしか、大臣が決定することはない。どちらかに大きく有利な場合は決断を求めないで、状況報告だけするものである。専門家は素人の口出しを面倒臭がるから必ずそうする。つまり、どっちにしたらよいか決めかねるほど難しい状態、逆に言えばどっちに行っても変わらないくらいの接戦で判断を求められる。素人の大臣は右か左かを決定するが、この判断が重要ではなく、決定したことを正しい判断だったとさせるように指揮することこそが重要となる。
民主党が無能であったのは事実だろうが、自民党でも共産党であったとしてもそれほど結果に差は出ない。先々差は現れるだろうが、有事の規模が大きければ中央が制御できる範囲は自ずと限られる。中央の指揮が混乱する中で、現場が崩壊しないよう差配した指揮官は重責であったと思う。原発屋は原発を動かし電力を供給する仕事で、原発で人に迷惑を掛ける仕事であってはならない。それを矜持に危険な作業を粛々と行った多くの作業者、その多くは名前が表に出ることはないだろう、が安定したとは言い難い状況ではあるが、危険を少しだけ遠ざける仕事をして少し達成され、これからもう少し達成されることが期待されている。
原発屋の仕事は利権にまみれた原発のムラ住人と似て非なる者である。この違いは、科学技術により無尽蔵なエネルギーを利用したいと願う者と、なんとなく事故を無かったことにしたい者の違いである。

吉田氏のご冥福をお祈りするとともに、科学的な事実を集め記録することで将来に活かすことを切に希望する。


選挙期間中を意識したら書き難くなった。

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