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2013年7月19日 (金)

ダットサンの復活

日産自動車は7月15日、インドの首都ニューデリー近郊で、新興国向けに復活させた「ダットサン」の第1号モデル「GO(ゴー)」を公開した。同ブランドの復活は約27年ぶり。価格を約40万ルピー(約66万円)以下に抑え、自動車メーカー各社がしのぎを削る低価格車市場に投入する。 (時事通信:7月15日)

少々古い記事を扱ったのは、ダットサンの記憶が曖昧になっていたからである。ダットサンについて考える。


ダットサンは日産自動車のブランドである。ダットサンブランドが使われなくなったのは、石原俊が社長1981年である。ダットサンというトラックのイメージが付いたクルマは売れないとする意見もあったと記憶する。同じ頃、マツダは販売体制を5チャンネルにしようと動いていた。自社の製品性能が上がったら不足しているのは、看板だと感じたようだ。マツダの例ではオートラマではフォードを、ユーノスではシトロエンを、オートザムではランチアを扱っていたのだから日本の会社であることが嫌だったのだろう。マツダのこの体制は成功することなく終わりを告げた。もとが中古車屋であるような販売店が目についたオートザムでランチアを扱っても並行輸入業者にしか見えなかった。それでも良い影響はあって、イタリアのブランド名が広がる効果はあった。しかし、北米ブランドに比べれば浸透はしていないので、現在のランチアの輸入品はクライスラーのバッヂが付いている。マツダはこの頃、イタリアかフランスのメーカに成りたかったようだ。石原社長時代の日産も日本の企業ではなくなりたかったのだろう。その後、希望が叶ってフランス企業になったのだが。
石原日産は、イタリアのアルファロメオと合弁会社Alfa Romeo Nissan Autoveicoli社を設立 (1983) したが、プラトーラ・セラ工場は近代的な自動車工場としてフィアットグループで活かされている。プラトーラ・セラ工場はカンパニア州(Campania)のアヴェッリーノ県(Avellino)のPratola Serraにある。カンパニア州はナポリが最も有名な都市だろう。ローマのあるラツィオ州の南側の州である。北が稼いで南が使うというイタリアの南北格差の構造を是正する政策として、当時イタリアの国営企業であったアルファロメオは南に進出した。社名にロンバルディア州を示す言葉があり、ミラノ市章を含むエンブレムを使用する会社が南に工場を置くのも不思議な話ではある。国営企業というのは、文化や歴史を無視するのはどこの国でも同じようである。大阪発動機であるダイハツが千葉に工場を設けるようなものかと思ったが、例えになっていないと気が付いた。
石原は海外メーカとの提携に熱心だったようで、1980年にはスペインのモトール・イベリカへ資本参加 (現在は日産の商用車などを生産) しているし、ドイツのVWと提携してサンタナのライセンス生産を行った。後者は計画生産数に届かず失敗し1991年に終了している。1981年にはマーガレット・サッチャーとの間で現地への工場進出の建設協定に調印している。この工場は1984年に設立して、現在でも日産の欧州として機能している。ブリティッシュ・レイランド (BL) と組んで進出した方が良いという意見もあったようだが、こっちは1981年にホンダと技術資本提携している。BLはその後ローバーグループになり、1994年にBMWになってホンダとの提携が解消されてことをみると、自社単独での進出の方が良かったと言える。これは結果論に過ぎないが、BLはボロ会社であるというのが業界内の平均的な見方であったから、政府から良い条件を引き出せるのなら単独の負担の大きさはカバーできるというのが常識的なそろばん勘定だろう。結局、石原の海外企業との提携は見るべき成果はなく、いろいろなところにほころびが生じてルノー傘下となっている。石原は、現在では日産の社長でなかったような扱いのようである。
石原はグローバル10と称して拡大路線 (世界のシェア10%を目指すだったと思う) を社長になって推進した。日米の貿易摩擦が大きくなった時代でもあり、拡大志向はどこも同じであるが、国内シェアでトヨタに追いつくのが難しい日産は、海外進出に慎重なトヨタを抜くには海外進出だと思ったのだろう。ところが、日産は伝統的に強い労組があったから、海外進出で労働が機会奪われると労組叩きに出たというところだろう。自動車労連会長の塩路一郎をスキャンダルが週刊誌を賑わしたが、バブル期の日産の広告料は非常に大きかったからそれほど難しいことではあるまい。川又克二と塩路の労使協調路線の修正をしたかったのだが、経営がうまくいかない理由のすべてを組合に求めても何も生み出さない。日産がダメだったのは経営者がダメだったからである。石原は経営者として無能であったかもしれないが、それを無しが如く扱うのはこの会社の悪いところである。良くも悪くも歴史として受け入れ、それを発展させるとする信念がないなら、会社に伝統などない。自動車のような Heritage が重視される世界では尚更である。
もし、ルノーになってリセットされたと居直るつもりがあるなら、ダットサンの名称を使うのは止めた方が良い。1898年10月に設立されたフランスの会社の日本法人として活動すれば良い。そのうち、歴史に解を求めてプリンスの名称を使いかねないのだが、歴史への冒涜にしかなりそうにない。近場の銭勘定と、伝統を重視することは両立できると信じるが、前者を重視するものに後者の価値を理解させるのは容易ではないだろう。


ダットサンを小型車用に使うのに違和感がある。GMのコルベットを大衆車ブランドのシボレーで売り難いとは言わない。
Z-Car は、Datsunで安いトラックと同じだとは言わない。伝統は与えられるものではなく創るものだ。

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