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2013年4月22日 (月)

英国経済を振り返る

「鉄の女」として知られた英国初の女性首相、マーガレット・サッチャー氏が4月8日に脳卒中のため死去した。87歳だった。故レーガン元米大統領とともに自由化と規制緩和を柱にした新自由主義経済を推進し、旧ソ連には断固とした姿勢で臨み、冷戦終結の立役者の一人となった。

マーガレット・サッチャーは歴史上の人物になってしまった感がある。その時代の英国を考える。

この時代の英国を考えるのに思い付くままキーワードを上げてみる。
 ・ 英国病
 ・ 石油危機
 ・ 山猫スト
 ・ 北アイルランド紛争
きっと識者と違うだろう。北アイルランドではなくで、フォークランドをあげるだろう。新自由主義として国営企業の民営化だったりするのだろう。多数意見に近くなったのは理性的になったと言えるかもしれないが、平凡になったとも解釈できる。多数意見が近付いてきたときは、主流になったのではなく、価値が無くなったともいえる。そんなことはどうでもよくて、上記の解説から進める。

■ 英国病
経済が停滞していた1960年代以降のイギリスにおいて、充実した社会保障制度や基幹産業の国有化等の政策によって社会保障負担が増加し、同時に国民の勤労意欲が低下し、既得権益の発生等の経済・社会的な問題が発生した現象を言う。

■ 石油危機
・第1次石油危機
1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発し、10月16日に、石油輸出国機構加盟産油国(OPEC)のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ引き上げることを発表し、その後1974年1月より原油価格を5.12ドルから11.65ドルへ引き上げる、と決定した。
・第2次石油危機
1978年秋のイランの政変により、石油需要が逼迫した。OPECは1979年の原油価格を四半期ごとに引き上げる方式を決めた。同時にOPEC加盟国は、自国の状況に応じてマーケットプレミアムを加えることができるようにした。その後、加盟国は一方的にプレミアムを付加した為に、無秩序状態になって原油価格は暴騰した。1979年6月には販売価格が18ドルに、同年の11月には24ドル、1980年1月に26ドル、4月に28ドル、そして8月にはついに30ドルを超えた。

■ 山猫スト
一部の組合員が組合指導部の承認を得ず、独自に行うストライキ。Wildcat Strikeを直訳した語で山猫争議ともいう。日本の場合には、正規の争議行為としての刑事上、民事上の免責を受けないと理解して良い。また、後日、労働組合の正式機関が、組合ストと追認しても、違法な争議行為が適法なものになるものではない。(福岡地裁小倉支部 S25.5.16)

■ 北アイルランド紛争
北アイルランドでは、1960年代からカトリック教徒が被っていた就職や住居そして政治上の差別撤廃に関心が高まった。血の日曜日事件(1972年1月30日)では、公民権運動デモ行進中の北アイルランド、デリー市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊第1大隊に銃撃され、14名が死亡、13名が負傷した。市民は非武装で、5人は背後から射撃された。
その後、イギリス政府は、北アイルランド政府に解決能力がないと判断し、ストーモント議会を廃止し北アイルランドはイギリス本国政府の直轄統治下に入れられた。 北アイルランドでは、攻撃やテロが相次ぎ、それはイギリス本土やアイルランドにも伝播することになった。1986年にはイギリスとアイルランド政府がアングロ・アイリッシュ協定を調印し政治的な解決を模索し、イギリスとアイルランド間のベルファスト合意(1998年4月10日)で和平合意が結ばれた。


第二次世界大戦以降のイギリス首相と、政党名、在任期間を示す。

代 政党名     首相名                 在任期間
61 保守党 ウィンストン・チャーチル        1940/5/10 - 1945/7/26
62 労働党 クレメント・アトリー             1945/7/26 - 1951/10/26
63 保守党 サー・ウィンストン・チャーチル    1951/10/26 - 1955/4/7
64 保守党 サー・アンソニー・イーデン      1955/4/7 - 1957/1/10
65 保守党 ハロルド・マクミラン           1957/1/10 - 1963/10/19
66 保守党 サー・アレック・ダグラス=ヒューム 1963/10/19 - 1964/10/16
67 労働党 ハロルド・ウィルソン          1964/10/16 - 1970/6/19
68 保守党 エドワード・ヒース            1970/6/19 - 1974/3/4
69 労働党 ハロルド・ウィルソン          1974/3/4 - 1976/4/5
70 労働党 ジェームズ・キャラハン        1976/4/5 - 1979/5/4
71 保守党 マーガレット・サッチャー        1979/5/4 - 1990/11/28
72 保守党 ジョン・メージャー            1990/11/28 - 1997/5/2
73 労働党 トニー・ブレア              1997/5/2 - 2007/6/27
74 労働党 ゴードン・ブラウン            2007/6/27 - 2010/5/11
75 保守党 デーヴィッド・キャメロン        2010/5/11 - 在任中

戦後の1945年の選挙では、戦争を勝利に導いたチャーチル率いる保守党が勝利すると思われたが、福祉の充実を訴えた労働党が初めて過半数の議席を獲得して勝利した。なお、参考の為に記すと1945年の選挙は7月に行われたが、ドイツが降伏していたことからヨーロッパ戦線は実質的に終戦していた。この二つの選挙の間に選挙制度が大きく変わった。1948年の国民代表法で、大学卒業者に与えられていた大学選挙権と、一定以上の不動産を有する者とその妻に与えられていた選挙権(複数選挙権)を廃止して、一人一票の原則が確立されている。毎度余談が多い。話を戻す。
労働党の選挙公約であるゆりかごから墓場までと呼ばれる社会保障制度の確立と基幹産業の国有化は、労働党アトリー内閣によって進められた。ゆりかごから墓場までについては、国民が原則無料で医療を受けることが出来る国民保健サービス法、国民が老齢年金と失業保険を受け取ることが出来る国民保険法、政府が生活困窮者を扶助する国民扶助法、政府が青少年を保護する児童法が制定されていった。国有化政策として、1945年から1951年の間に石炭、電力、ガス、鉄鋼、鉄道、運輸などの産業を国有化していった。ただし、国有化政策については、保守党政権下で民営化され、労働党政権下で再び国有化されると揺れ動くこととなる。しかし、福祉政策は保守党政権下においても継続された。
アトリー内閣下の1946年から1947年にかけての冬は、欧州にとって厳冬であり、とりわけ英国に影響を及ぼした。1947年1月21日以降、英国は複数の寒波に見舞われ、道路や鉄道が遮断された。発電所への石炭供給が困難になった為、多くの発電所が燃料不足で操業停止を余儀なくされた。更にニ月末に至ると、供給が停止し野菜が地中で凍結してしまうとして、食料不足も懸念された。三月中旬になると、英国に暖気が訪れ、国中に積もった雪を融かし、大規模洪水を引き起こした。この年の工業生産は約10%減少し、穀物とジャガイモの生産は10~20%落ち込み、羊の1/4が失われた。そして、与党労働党は国民の支持を失い、1950年の選挙で保守党に負けた。その後、第二次世界大戦で被災した欧州諸国の為に、アメリカ合衆国が推進した復興援助計画であるマーシャル・プランを受け入れることとなり、超大国の地位から転落した。
1945年と1951年のイギリス総選挙での保守党と労働党の獲得議席数と投票率を示す。

選挙年    1945  1951
保守党    197    302
労働党    393    295
その他     50    28
-------------------------
議席数    640    625
投票率       72.8%   82.6%

海外の植民地も失い、戦争で疲弊した国土を復興するのは大変な作業である。その時に福祉政策の充実を全面に出して選挙に勝てば、そうしなければならない理由になる。そんなことが出来る環境にないのだが仕方がない。保守党は貴族の党であり、育ちが違う。福祉政策に頼らなければならない国民のことなど本当のところ知らなかったのではないか。哀れな国民に与えようという発想は、貴族のスノビズムではないだろうか。一方の労働党はというと、これも労働貴族の代表の党であって、既得権の拡大、即ち、労組の拡大にしか関心が向いていなかったのではないかと思えてしまう。
税率が高く労働意欲が下がれば、競争力の高い製品・サービスを提供することはできない。ストライキが正当な権利の主張の手段として行われる分には秩序は壊さないが、ストライキが目的化すれば労働ではなく、それは政治活動に変わる。そんな職場で競争力のあるものが生み出される筈もない。過去にあった植民地という資源を失い、国内の労働環境が国際競争力を奪って、既得権にしがみつく二つの種類の貴族が変化を拒んでいる。そんな国を何とかしようと考えたなら何をするのだろうか。そのひとつがサッチャーの答であるのだろう。長くなったので、続きは次回とする。


基礎的な調べが膨らむのは知識が乏しいからである。こんなとき、学生の時に学んでおけば良かったと思うのである。

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