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2013年4月29日 (月)

靖国神社

靖国神社について考える。

クイズである。下記の人物で靖国神社に合祀されているのは誰か。
 広田弘毅 (外交官)
 東郷茂徳 (外交官)
 東條英機 (軍人)
 東郷平八郎 (軍人)
 乃木希典 (軍人)
 西郷隆盛 (軍人)
答は後で記すとして、靖国神社は1869年6月29日に東京招魂社として創祀され、1879年に靖国神社に改称され、戦後宗教法人になっている。戦前は国の管理下に置かれていた。伊勢神宮を本宗と仰ぐ宗教法人神社本庁(日本全国約8万社)の包括関係には属していない。
靖国神社の由緒を神社のホームページより引用する。
『靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。』
である。戦争で亡くなった軍人・軍属、戦争で傷付いてそれが理由で亡くなった軍人・軍属が多いだろうが、第二次世界大戦の国家総動員法に基づく徴用または協力者中の死没者も含まれる。よって、女子挺身隊員・報国隊員・日本赤十字社救護看護婦が含まれる。細かいところは専門の資料に当たって貰うとして省略する。
最初のクイズに戻ると、東郷平八郎と乃木希典は戦死していないので該当しない。西郷隆盛は政府軍側ではないので非該当となる。最初の三人が東京裁判のA級戦犯で、広田弘毅と東條英機は死刑判決、東郷茂徳は禁錮20年の判決を受けて獄中で病没した。よって何かと話題になるA級戦犯の合祀に当たる。

まず、戦犯の区分について整理する。A級戦犯、BC級戦犯の違いは、罪の重さや階級によるものではなく、裁かれる理由による区分である。戦争犯罪は、国際軍事裁判所憲章の第六条で戦争犯罪が定義される。ここで、新しい犯罪概念として平和に対する罪、人道に対する罪が定義された。ニュルンベルク裁判ならびに極東国際軍事裁判はこの憲章に基づいて裁かれた。
戦争犯罪類型
 C項 人道に対する罪
 B項 通例の戦争犯罪
 A項 平和に対する罪
日本人が関係する戦犯は、C級は少なくB級が多い。この都合で、BとCは一緒にBC級戦犯と呼ばれることになる。A級戦犯だけに注目しがちであるが、C級戦犯も問題がある。実行時に合法であった行為を、事後に定めた法令によって遡って違法として処罰するのは、法の不遡及として禁止するのが法の論理である。戦争をしてはならないという法律はなかったし、人道を外れてはならないという規制もなかった。そこに犯罪を構成しているとして訴追する行為は法律家でなくとも違和感を覚える筈だ。その代表例である東京裁判は、法律家からすれば、事後法で裁くことの法理的な矛盾に心理的な抵抗があったことだろう。A級戦犯として訴追された被告人を弁護するのも、戦勝国に楯突く行為となるから引き受ける弁護士は少なかったことだろうと思う。そんな法理に沿わない裁判は、政治もしくはショーであるから法律家が担うものではない。政治活動に法律家が加担することを潔しとしない者は多かったろうし、その程度の手続きに過ぎないと割り切る者もいたのだろう。そうはいっても裁判と名が付けば弁護士なしではやりようもない。清瀬一郎らの弁護グループは法理による主張をしたのだろうが、戦勝国の終戦処理としてのショーに過ぎないのだから結果は最初から分かっていたことなのだろう。外国人弁護士のみで裁判をすれば、有罪、しかも厳罰必然の裁判であるから公平性に欠けると言われるから、日本人の補佐弁護人を選定している。これもショーの演出でしかない。

東京裁判は勝った側が負けた側を、合理性を装って裁く儀式であったのだろう。敗戦国の国民に戦争の指導者は間違っていて、この国が戦った国は法律に基いて公正に裁いていることを見せる必要があった。つまり裁判ショーを行い、ショーが済めば役者の処理などどうでも良いことだった。終身刑となった16名で、最も遅かった佐藤賢了でも1956年3月には仮釈放されている。10年もすればショーの余韻はなくなったということだろう。終身刑となったのは下記の通りである。

■ 東京裁判で終身刑になった被告人
 荒木貞夫   1955年仮出所 (1966年死亡)
* 梅津美治郎  1949年服役中に獄中死
 大島浩      1955年仮出所、1958年赦免 (1975年死亡)
 岡敬純     1954年仮出所 (1973年死亡)
 賀屋興宣   1955年仮出所、1958年赦免 (1977年死亡)
 木戸幸一   1955年仮出所 (1977年死亡)
* 小磯国昭   1950年服役中に獄中死
 佐藤賢了   1956年仮出所 (1989年死亡)
 嶋田繁太郎   1955年仮出所、赦免 (1976年死亡)
* 白鳥敏夫   1949年服役中に獄中死
 鈴木貞一   1956年仮出所 (1989年死亡)
 南次郎     1954年仮出所 (1955年死亡)
 橋本欣五郎  1955年仮出所 (1957年死亡)
 畑俊六     1954年仮出所、1958年赦免 (1962年死亡)
* 平沼騏一郎 1952年仮出所 (1952年死亡)
 星野直樹   1955年仮出所、1958年赦免 (1978年死亡)
  * : 1978年に合祀された昭和殉難者

東京裁判を裁判として適正さに欠くという立場で批判する意見がある。裁判としてはその通りだろう。しかし、敗戦国の終戦処理をするのに、戦争指導者を何らかの理由によって処分して政治体制を変更する必要があるのはどの戦争においても同じだろう。戦時中にあったハーグ陸戦法規(日本も結んでいる)で規定する捕虜虐待による処分なら法理から外れることは無い。実行者と指揮官(監督責任)の責任を連帯させても政治指導者まで結び付かせるのは無理がある。それならでっち上げてでも罪を作らなければならない。それが連合国の都合だろう。
戦争を決定し拡大させた者は年寄りである。戦地に兵士を送ったのは中年のおやじたちである。そして、戦地で死んだのは若者である。戦争が終わって生きて帰っても、B級戦犯として死刑になった若者が多くいるだろう。年寄りは決して戦地に行かない。たとえ負けても法理に従えば訴追されることもないかもしれない。勝ったのならなおさらである。国は勝っても戦死する若者はいる。軍の指導者なら、その死を背負って生きていかなければならないと考える。だから、乃木希典が自殺するのは軍人として許されない。戦争は若者が死ぬことである。死ぬという現実から目を逸らさずに決断しなければならない。靖国神社に向かう政治家に信念があるのか。次の選挙目当てでないか。そこが気になる。
長くなったので、次回に続けることとする。

少しだけ余談を書く。
伯父は近衛兵としてフィリッピンに行き、終戦後しばらくして帰還した。家族は死んだものだと思っていたという。他の伯父は上海に行っていた。終戦後なんとか九州に着いたが、東京へ戻るのは大変であったようだ。どちらも生きて帰り、大きな戦傷を負うこともなかったが、同じ部隊でなくなった者は沢山いたと聞く。二人とも軍人恩給の年数には少し足りなかった。武官在職11年からが対象になるが、戦地戦務加算として外地に行っていた期間は3倍になるそうだ。二人とも届きそうだが、証明しないといけない。このころの話だ、書面の記録がない場合(ほとんどそうだ)は上官の証言でもよいという。しかし、上官が見つからない。(きっと死んでいる) 平均的な外地から戻った兵士の姿であろう。


勇ましい発言をすることが、勇ましく戦地に赴くことと等しいかは分からない。

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