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2013年4月30日 (火)

靖国神社-2

昨日に続き靖国神社について考える。


A級戦犯の合祀が国際的な問題になっているのであるが、なぜ合祀に至ったかを調べた。靖国神社は戦後、国の管理下を離れて宗教法人になっている。神社本庁の包括関係にないから伊勢神宮を本宗とする国家神道の流れとは別になるが、戦前においてはどちらも国教化した中に存在していたのだから同じだと思える。明治神宮は神社本庁に入ってはいないだろうと思ったら、2004年に神社本庁と被包括関係から離脱し、2010年に再び神社本庁と被包括関係になるという複雑な動きをしていた。戦後の公的な社格制度の廃止に伴い、神社本庁は伊勢神宮以外の神社は対等とする考えであるが、これでは不都合があるようで、別表神社という上のランクを定めている。神社の世界もいろいろと大変なようである。話を戻す。
靖国神社第六代宮司である松平永芳(1978-1992) のときに合祀がなされた。第五代宮司の筑波藤麿(1946-1978)は、合祀は検討するもののしなかった。つまり、筑波のときには合祀できる環境にあったことが分かる。この二人について確認する。
筑波藤麿(1946年1月25日-1978年3月20日)は、山階宮菊麿王と同妃常子(後妻)の第一王子(つまり皇族)であるが、身体が弱かったことで男子の皇族は軍人になるという慣習から外れて大学で歴史研究の道に進む。1928年願により臣籍降下が認められ、筑波の家名を賜り侯爵に叙せられる。臣籍降下以後は侯爵議員として1947年まで貴族院議員を務める。
松平永芳(1978年7月1日-1992年3月31日)は、父親は松平慶民(子爵)で、母親は男爵新田忠純の四女の幸子である。所謂、大名華族ということである。海軍機関学校経て、1944年海軍少佐に至る。戦後、1954年に陸上自衛隊に入隊し、1968年に1等陸佐で退官した。
筑波の前の第四代宮司の鈴木孝雄(1938-1946)は陸軍大将であるから、軍関係者か皇族関係でないと務まらない席のようだ。

当然のことながら、A級戦犯の名簿を靖国神社が独自に作成した訳ではない。この名簿は1956年に国が都道府県に事務協力を要し、都道府県の協力で戦没者の身元を確認した。それを厚生省援護局が靖国神社に送付した祭神名票(戦没者名簿)に基づき神社側が合祀した。戦没者の合祀は、通常、旧陸海軍の名簿を持つ厚生省側が祭神名票と呼ばれる書類に氏名や所属などを記載して神社側に送付して、これを基に、神社側で合祀基準に当てはまるかどうかを審査するという手順であったという。
東京新聞(2005.10.31)によると、厚生省内の決裁責任者は陸軍関係では調査課長、海軍関係では業務第二課長とされ、後に問題になったA級戦犯の場合も、一般戦没者と同様の手続きが取られていたという。祭神名票が送られた1966年2月当時特に厚生省内で議論はなかったという。つまり通常業務の一環なので、あらためて上司に説明したり、了解を取ったりする必要はなかったという認識である。援護局は旧陸海軍の流れをくみ、局次長を筆頭に軍出身者が多く在籍していた。特に調査課と業務第二課は、軍出身者が多い独特の部署だった。ここには、文官系統に話すと煩いから、軍出身者だけで済まそうとする意図があったことが窺える。軍出身者には、悪くないのに東京裁判で戦犯にされたのだから合祀すべきだという思いがあったというのは想像できる。この記事からすると、厚生省が提出したという表現には少々語弊があるようだ。
A級戦犯の合祀が一般に知られるようになったのは、1979年4月19日の朝日新聞の報道による。今日の感覚では、役所が宗教法人に協力するのは政教分離に違反すると思うが、戦争に関わる事務処理が沢山あった厚生省では、昔からの習慣が生きていたかもしれない。国会では、1952年から1955年に戦犯の釈放や赦免に関する決議がなされている。戦犯は国内法の犯罪者と同じ扱いとされる。戦犯で死刑判決が出た人には、軍人恩給の支給が支給されない。このことが赦免が行われた理由になっているだろう。犯罪者のままでは国が援助する訳にはいかないのだから。戦争で死んだ人の家族には国から支給があって、生きて帰って戦犯として捕らえられて死刑になれば何も支給されない。一家の稼ぐ者が拘束されてしまえば生活に困る。まして、死んでしまえば尚更のことだ。残された遺族や家族の生活が大変なまま放置されることは何とかしなければならない。軍の関係者が仲間を思っただけかもしれない。この国は貧しかった上に、戦争で負けたのだから助け合わないと生きていけなかったのは事実だろう。

筑波は、戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する為に、1965年に鎮霊社を建立している。しかし、名簿があったA級戦犯の合祀をしなかった。しないとは言わずに、慎重に判断するとしていた。身体が弱くて軍人にならなかったことも影響していると長男が述べている。合祀しないことに対する圧力は相当なものだったろう。圧力というより脅しと呼ぶ方が合っているかもしれない。松平が強い意志を持って行動したか、あるいは易きに付いたかはしらない。前任者ほどは慎重さは持ち合わせていなかったようだ。

厚生省が情報提供したのは部分的には正しいが、全て正しいのではない。中国や韓国が靖国神社への参拝を非難するのは、戦犯を合祀した後ではあるが直後ではない。日本国内の反応を見て動いた可能性がある。しかし、少なくとも中国は靖国神社の存在や、そこを参拝する国民を公式には非難してはいない。首相や主要閣僚の参拝を問題視している。戦争で自国を占領された国からすれば、国の機関が宗教法人に情報提供して、しかもそこがアジアの解放の為の戦争だったと主張する法人であれば文句を言うよりないだろう。これを内政問題だと言い切るのは難しい。
A級戦犯を合祀から外すべきだとしれば、BC級戦犯も同じだという主張もある。最もな話である。戦犯を含めて戦争で亡くなった方とすればその通りである。東京裁判が不当な裁判だと言う主張もある。これは裁判という名前を使っているがすべてが法律上の裁判ではない。終戦処理に必要な手続きでしかないだろう。この主張の先には、戦争は勝たなければならないという話しか出てこない。もう一度戦争をしたいのならそう主張すれば良い。しかし、その理由に先の戦争で亡くなった方達を利用してはならない。今の人の言い訳の為に死んだのではない。

戦争で亡くなった人を弔う場所は神聖でなければならない。神聖であることは、その時々の都合で利用されないということでもある。特の権力者が国民の視線を特定の方向に逸らす目的で使うことを、昔の言葉を使うならご先祖様に申し訳が立たないと言う。近隣の国が大きくなった目障りだと思って、あるいは、過去の話を持ち出して煩いと感じたのなら、人が死なない方法でやってもらいたいものだ。それを外交と呼ぶのだろう。


靖国神社をなくせと言うつもりはない。靖国神社を首相は公式参拝すべしとも主張しない。静にいつまでも靖国神社であり続ければ良い。それを希望する。よって、政治利用されることはあってはならない。これでも先祖が祀られている者なのである。その位の主張は許されるだろう。


男子の皇族は軍人になるというのは、noblesse oblige ということか。

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