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2013年3月17日 (日)

成年後見制度:違憲判決

病気や障害などで判断力が十分でない人に代わって財産を管理する成年後見制度で、東京地方裁判所は、後見人が付くと選挙権を失う公職選挙法の規定は憲法に違反するという判決を言い渡した。

成年後見制度について考えてみる。


成年後見人とは、法律行為 (売買や契約などの行為である) を行う意思能力に欠ける人がいたときに、社会的な弱者であるその人を保護し、相手に不測の損害を生じさせない為、つまり社会の円滑な活動を維持する為につくられた制度と言える。制限行為能力者と呼ばれ、未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人に分けられる。未成年者に制限が加わることはよく経験することで、ローンを組むとか、ゲームソフトを店に売るとか親の許可が必要になることは目にする。この二つ目が今回の裁判の対象である。
成年後見制度に変わる前の制度としては、禁治産・準禁治産制度があった。民法の1999年の改正により、禁治産・準禁治産制度が、名前が差別的であり手続きが面倒で費用も高額であって、あまり利用されていない状況を改める法律に改正した。名称は、成年後見制度として心理的な抵抗のない名称となっているのと、三つのの類型を設けて、柔軟で弾力的な対応を可能としている。禁治産制度は戸籍に記載することになっていたが、成年後見制度は新たに登記制度を設けて戸籍への記載を回避している。

過去の制度では、浪費者の家族の財産保護を目的として利用されることが多かった。浪費者に十分な判断能力があるかないかではなく、家族が浪費者に制裁を加える意味で使われることが多かった。田畑を売って、禁治産者になった(正しくは準禁治産者)というのは、小説の登場人物や、小説家に箔を付ける表現として昔あったが、最近はあまり聞くことはない。成年後見制度では浪費者は対象にしていない。金銭の使い方に裁判所が介入するのは不適切と考えているようだ。禁治産制度は家を基本にする明治の制度であるので、家族でないと請求できないという今日の状況に馴染まない制度になっていた。身寄りのない老人に補助したくても法的な代理人を行政機関や法人が請求できないから、大きな屋敷に住む身寄りのない老人を誰も救えない状態が発生した。(不動産所有により生活保護が適用されない。一方で誰かが勝手に処分する訳にもいかない) その当時発生していた問題に対処するよう改正を行った訳である。
1979年の民法改正前には、準禁治産者の対象者に聾者、唖者、盲者が規定されていたが、身体障害者の差別や取引上の不利益になるとして削除され、成年後見制度でも対象となっていない。単に聾者、啞者、盲者であるというだけで当然に準禁治産が宣告されるかのような誤解が世間一般に生じることを考えれば当然と言える。その結果これらの者が社会生活上で不利益を受けるおそれがあること、心神耗弱者概念の弾力的運用で十分に対応できることを考え合わせれば殊更に共闘する必要を失ったといえる。それで昔の法律が酷い差別をしていたと思うのは、現在少し差別が改善したことの証である。今でもその法律がまかり通っているなら違和感は小さかった筈である。

現在の成年後見人制度の問題点はいろいろあるようだ。この手の話につきものの、利益相反が生じることなどは典型例だろう。地方で後見人をお願いするのに人が限られる。高齢者の夫婦で共に問題を抱えて、子供は都市部に出ているといった場合に問題になる。地方と都市の問題としうか、地方のあり方の問題というのが共通した課題になっているようである。地方分権すれば解決というのは楽観的というより、何も考えていないようにしか見えないから、もう少し考えないといけない問題だと認識する。これは別の問題なのでここまで。
成年後見人を決定されると選挙権が無くなるというのが今回争われた。誰かの意見に影響されて本人の意思による投票がなされない可能性を考えたことのようである。選挙権を行使するか否かは本人が考えれば良いことで、本人が判断できない状況であれば投票しなければ良いだろうと思う。きっと立法府の先生方も同様に考えたいただろうと想像する。しかし、この一票が当落を決定する価値を持つ地方議会の議員選挙となると話は違う。十数年前の状況は今とそれほど差が無いと思いがちであるが、市町村議会議員の選挙は激しく、厳しい。これは都市部でも同様である。相対的に票と議員の数が増えるから薄まった気がするだけである。有権者数千人の町で、二十人の議員を選ぶ選挙は一票が重い。そこで成年後見人制度を利用している人を加えて良いかと迷う気持ちは分からないではない。しかし、同情するだけで賛成するきはまったくない。特定の候補に票を入れるように誘導することは、選挙人が誰であっても許されない行為である。実際に投票所に行くと、携帯電話で投票先を確認している人を見る。しかも、投票用紙を書く場所で。投票所の管理人は注意はするようだが、自発的に電話したことを違法行為と咎める規定がないようである。この手の行為をもっと厳格に行うのは法律の改正なしで可能であろう。その一方で、障害があることで投票が出来ない人への補助はしっかりできている。文字が掛けない状態や、読めないとしても何とかしてくれる。現在では投票所のバリアフリー対策も欠かせないようだ。(出来ない場所もあるだろうが、それ相応の対応で補っていることだろう) 誘導する行為を正しく規制すれば、法律行為に問題があっても投票行為は問題なく完了できるだろう。そもそも制度が法律行為について、公共の福祉の観点で制限する考えなのだから、私法である法律行為より上位にあると考えて良い基本的な権利に及ぶと考える方が不自然である。逆にそこに制限が及ぶとするなら、女性が地方議会への投票が出来ないとか、税金を納めていないと国政選挙に投票できないとか、不思議な法律が成り立ってしまう。日本で税金条件が撤廃されたのは1925年、女性の選挙権は1945年である。1999年の法律で制限を加えた感覚はやはり理解できないが、禁治産者 (選挙権は喪失する) が投票したいとは思っていない環境であったから、成年後見人でも同じだろうと思って、従前の法律に準じて改めなかったということだったと想像する。
投票行為という権利を放棄する人が半数近くいるなかで、投票する権利を制限しないでくれと主張する人がいる。獲得したものなら大切にするが、与えられたものは軽く扱うということなのだろうか。GHQが与えたと考えられないでもないが、そこへの道のりでは多くの人の命が失われている。獲得した権利として大切に扱わねばならないものなのだろう。


違憲判決に慣れるのは問題だと思う。

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