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2013年3月13日 (水)

3月11日に寄せて-3

昨日から続いて、東日本大震災の後の東京電力について記す。

東京電力が地域独占であることで、電気代は高くて、他の企業に替ることもできない。それでも安全なら良いが、事故を起こしているようでは駄目だという論理で責めている。
電力を自由化すれば競争原理が働き、安い電気が供給されると主張する。比較に出される例は、電電公社(1985年民営化)、国鉄(1987年民営化)がある。しかし、国鉄は日本国有鉄道という正式名称を持つ日本国有鉄道法に基づき運営している事業体、つまり国の所有する会社であり、電電公社も日本電信電話公社関係法令による公法上の特殊法人で当然国有である。もっと時間を戻せば鉄道省と逓信省であるのだから当然である。一方、東京電力は第二次大戦中に国家総動員法と合わせて電気事業を国家管理下に置く政策が取られ、特殊法人の日本発送電会社になった時期を別にすれば民間企業である。戦争の後にGHQによる占領政策として日本発送電会社の民営化され、九電力体制(当時、沖縄は返還されていない)となった。九電力体制には松永安左エ門(戦前、電力を国家が管理することに激しく反対した)が関係している。要するに民間企業である。民間企業の営業について、政府が介入するには何かしらの法律が必要になるが、既得権を失わせる法律を制定するのは公共の福祉に反するという理屈がないことにはやり辛い。その程度の完成度のある国家運営がなされているのである。悪いことをしたから財産を全て奪ってしまえとか、日本から追い出せというような処置には、法律に裏付けられた理屈が必要なのある。時代劇や、特殊な軍事政権下の国と同じ仕事は出来ないのである。同時にされないのだから不満ばかり言ってはならない。

東電とは別の電力会社があれば競争が生じるという意見がある。これは正しい。しかし、NTTに回線を開放するように命令することと、東電の電線を開放するのは似ているようで異なる。NTTの回線は元をたどれば国のものだが、東電の電線はこの会社のものとしてあり続けている。この部分を切り離さないと既存電力会社の有利が動かないから競争が生じないことになる。発送電の分離はここに狙いがあるのだろう。これに反対するのは、長いこと地域独占をしてきた会社の既得権というのは、様々なところに張り付いているようである。この問題を解決して発電に新規事業者が参入したとしても、電力が安くなると考えるのは間違いである。電力は保存できないと考えて良い。よって、その時に必要な分だけ発電する。自由競争は需給のバランスによって決定される考え方だから、新規事業会社には一定量を一定価格で売ることしか事業競争力を得る方法はない。東電より安い価格で売るのだが、規模で劣る会社が送電線を借りて安く売るのは極めて難しい。唯一の方法は東電の価格を一定にすることで、簡単に値下げを出来ない仕組みにしなければならない。東電は総括原価方式を継続するだろうから、原油価格が上がれば値上げするが、逆に原油価格が下がったからといって安くするのは新規会社への圧力になるから許されないことになるだろう。自然エネルギーによる電気を高くても使いたいというニーズには対応できるようになるだろうが、安い電気を使いたいの希望を叶えるのは難しい。安定供給を犠牲にするという選択肢があれば違う状況が発生するかもしれない。しかし、それこそが電力会社が今日まで誇りを掛けて築いてきた価値だとすれば、選ぶことはないし、選んでしまえばこの国の産業全体を否定することにつながることだろう。

批判は東電社員の待遇に向けられた。総括原価方式でこんな待遇を実現する為に高い電気代を払っているという論理である。心情的には理解するが、それなら年収300万円の派遣社員が制御する天然ガス発電だと聞いたら、事故の不安で大騒ぎになるだろう。高い年俸の経営者を指摘するというなら、この難しい局面を経営していく者に、1,000万円というなら成り手がいない。東証一部上場の役員の平均年収は3,000万円程度という。優秀な経営者が欲しければそれ相応の待遇が求められるのは市場原理というものである。社員や役員の数が多いという指摘は考えなければならない。これも歴史が作ってきたものなのだろう。経済産業省にお伺いを立てる。主要なメーカに事情を説明する。エネルギー資源の調達について取引先と協議する。この作業の積み重ねがあれば不要と見える社員・役員も必要だったのである。人員削減を行って労組と摩擦を生じるより、総括原価方式だから大丈夫と安きに流れるものである。総括原価方式のチェック体制は重要なところといえよう。
電力会社が安定供給の達成の為に独占禁止法の例外として扱われていると考えると、電力会社が株式を公開している私企業であること、役所(経産省)が価格決定に関わること、これらを考慮すれば東電には一切の天下りは許されてはならない。特定の省庁と言わずにすべての役人としてよかろう。エネルギーはすべての人に影響する。また、政治家も関わってはならないだろう。政治献金やパーティー券の購入などもってのほかである。労働組合も上位の団体と一緒に政治活動することを制限されて然るべきだろう。これを少し緩めて、関係者全体でもたれ合っていたのが、事故発生までの姿ではなかっただろうか。

放射性物質の汚染について遅々として進まぬ状況があり、たびたびマスコミが取り上げている。何も報道しないより良いとは思うが、感情的な反応は意味を持たない。「直ちに健康に影響するものでない」というひと頃随分と聞いたフレーズがPM2.5で復活した。これを真実を隠しているとする愚か者がいる。世の中のすべてが分かっている訳ではない状況にあって、過去の様々な知見によって「健康に影響することが分かっている」こと意外を指すことばは、前記の表現以外にない。影響するといってもウソになるし、全く影響しないもウソである。分からないことを受け入れて、それを明日分かるようにしようとする行為を科学と呼ぶ。昨日の言葉により、今日も明日も語れると信じることを信仰と呼ぶ。報道に馴染むのは科学であり、信仰ではないだろう。

愚かな政治家を批判するのは、選んだ自分の愚かさを笑うのに等しい。制度の出来の悪さも否定することは容易だが、より良いものをつくるのは楽ではない。知らないことを認めるのには覚悟が要る。その覚悟を持って復興に臨むのは正しい行為である。
災害に傷付き、そのままの状態をさらす東北の土地を報道で知ることは、自らの無知を再認識して、その上で覚悟をもって歩を進める為に大切な行為なのだろう。ふわふわとした復興話は欲得に溺れた亡者の声に聞こえる。政治家達は無知を受け入れただろうか。国民はどうだろう。


一年に一日くらいは過去のことを考えるのも必要なのだと信じる。

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