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2012年12月23日 (日)

アメリカの銃規制

12月14日、コネチカット州ニュータウン町のサンディフック小学校で発生した乱射事件では、小学校1年生のクラス20人の生命が奪われた。事実関係に関しては、まだまだ不明な部分が多いが、そんな中、今度こそは銃規制論議を正面切って行うべきだ、という動きが出てきている。

そんな中、ホワイトハウスの歴史上、過去最多の署名を集めた電子陳情に応えて、オバマ大統領が銃規制に関する彼の今後の施策方針を語るビデオを、YouTubeにポストした。ふつうなら、ホワイトハウス詰めの記者たちと一部のメディアを前にした非公開の談話になるべきものだ。陳情が25,000の署名を集めれば、応答の対象になる。銃規制を求める陳情は、コネチカット州で発生した銃乱射事件から数時間で、このハードルを越えた。

合衆国憲法の修正第二条は個人が武装する権利を認めていると考えられている。米国には、銃を所有する根強い伝統があり、今日まで継承されている。自衛の目的が正当とする根拠であるようだ。しかし、社会の安全や治安の維持を行う為に警察機関が準備されている。個人個人が自衛の為にエネルギーを割くことより、専門の人間を特に選んで特別な権利を付与して集中して行う方が効率的である。その達成には、原初的な自衛権は制限をされることは必然的に発生する。というのが、社会の安全確保の発展の歴史と認識していた。少し違うようだ。
米国では銃規制は緩いが、ナイフは規制されている。花火が禁止されている州も多い。銃とナイフと花火によって社会がさらされる危険性を比べるのは、米国人の思考の基本から外れるようだ。花火は遊びで自衛目的と離れる。自衛目的で見ると、ナイフは高度な訓練によって有効性が高まるが、銃は低度の訓練で一定レベルの有効性を確保できると考えるのだろうか。遊戯性とか趣味性の高いものは規制対象にし易いのはどの国でおいても同様である。また、高度な訓練を受けた者以外が使用すると、危険性が高い物は規制される。これは反対が少ないだろう。銃について、サイズや性能によって、制限が掛けられる程度なら受け入れ可能と思ったが、譲れない話のようだ。
建国の精神なのだと言われれば、合理性ではなく信念の世界に入るから、他国に迷惑を掛けないでねとお願いするだけである。むしろ意外だったのは、この信念に合理性が乏しいと考える人が多いことである。米国では子供に対する親の保護義務の意識が高く、住民も目を光らしている。子供だけを家に残して親が外出することは犯罪になると聞いたことがある。この信念に忠実であるなら、子供が犠牲になる事態に対して、大人が対策を取らないのは犯罪になり得ると考えても良い。今回の動きが、共和党より民主党の党員の方が多いそうだ、というのが理由とするのは少々無理がある。子供にも銃を持たせろとは、全米ライフル協会でも言うことは無いだろう。
子供が死んでも規制しないのが建国の精神なら、同国民同士が打ち合ってノルマンディー上陸作戦で死んだ米兵を超えるか、あるいは、朝鮮戦争か、ベトナム戦争のそれに相当するところまで行けばこれではいけないと感じるのか。それでも何も感じないのか。近代人口国家は、素朴な課題に対して答えを出せないでいる。古い国が発展の過程で学んだことを、論理性という尺度のみで立ち向かおうとするから、ドンキホーテのような姿を見せる。もしかすると、クジラを保護するときに用いる、知性のある生物なる説明とつながる考え方かもしれない。王様が統治した経験をしていないことをもって幸福と考えてはいけないようだ。


適切な規制を期待するが、極東の島国の小市民のことなど眼中にない筈だ。

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