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2012年11月 8日 (木)

国籍とは

アメリカの大統領選が終了した。オバマが接戦を勝利した。再選のスピーチで考えた。

オバマは、冒頭に、
『元植民地が自分たちの宿命を自ら決める権利を勝ち取ってから200年以上たったこの夜…』
とある。植民地が独立したのは事実だし、そこでアメリカ市民は自由を獲得したのだろう。しかし、もう少しさかのぼって、新大陸と称した植民地に欧州から移民した人達が現在の支配している。新大陸は誰も住んでいなかった場所ではなく、勝手に誰も住んでいないことにしてしまった場所でしかない。たった二百年しか歴史を持たない人口近代国家は、人が獲得した知恵を唯一の柱として成立している。その柱のひとつが、自由である。自由を愛する国民によって構成される国として合衆国がある。
その後に、
『我々が個々に個人の夢を追求する一方で、我々はみな同じアメリカの家族なのだと。我々はひとつの国、ひとつの国民として一緒に浮きも沈みもするのだという、信念のことです。』
が出てくる。彼の国の基本は、Family の延長線上に国という制度があるようだ。
米国は自由主義国の雄である。共産主義国家が倒れてなくなった中で、自由を全面に出すのは結構アンティークに見えてしまう。Familyも自由も少々古めかしいようだが大事なことである。

米国人とは米国籍を有する人であるとする。国籍てはなんだろうか。国籍の変更は多くの国で許されている。その国の国民になる条件として、その国に忠誠を誓うことを求めることもあるだろう。ならば、その国で生まれて、親もその国の国籍を有している場合、つまりもっとも一般的な国籍取得のときに、その国に忠誠を誓うことを国は求められるのだろうか。そうだとすると、『私は日本人です』の短い文章には、『私は日本を愛しています』とか、『この国の為に命を投げ出す覚悟があります』を意味するのだろうか。日本では、思想良心の自由が保障されている。それと同じような国は多くあるだろう。新たなに加わる国民には国への忠誠という踏絵をさせる一方で、大多数を占める自然発生として国籍を取得した者には忠誠を求めない。この国を嫌う人がその国の国籍を持つ理由はないから、求めるのは当然というか、不良外国人を国民に加えない安全上の理由として合理性はある。国籍変更者には愛国を求めて、最初から国籍を有している者には愛国を求めない。これは差別か。

どこの国籍を持たないことは制度的に許されないのは当然である。いずれかの国に属するが、その国に違和感を覚える場合もなくはないだろう。その意味では国は変更できないとされた方が受け入れ易い。これが定めと考えれば、受け入れ難くともそれしか無いだけの話である。出生地主義を取る国と、血統主義の国での解釈の違いが法的な国籍の解釈が違うから、実務で問題は生じる。

米国のあり方は合理的で正しいやり方に見えるが、歴史の裏付けの薄さは否めない。たかだか二百年の国は、知恵という判断基準によってのみ決定されるようだ。クジラを食することを野蛮と考える国と、道端に咲く花にも命があると考える国の違いである。知恵の尺度は重要であるが、文化の高さも重要である。米国人が世界で一番バカな国と呼ばれたら戦争を起こしかねない。イタリアなら抗議しつつ、半ば認めて笑うことだろう。日本であっても苦笑することだろう。国の文化の厚みの問題だ。


米国は、思想の差別(共産主義を排除)をし、人種差別がまかり通る野蛮な国かもしれない。

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