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2012年10月 7日 (日)

テレビの特別番組のスポンサー

テレビの番組変更時期には、特別番組が多く放送される。特に民放で顕著である。特番は通常放送の番組の時間拡大版である場合もあるし、全くの関係のない特番である場合もある。年末年始にはスペシャルドラマとして放送される番組もあるが、四半期の切れ目の番組ではバラエティー番組が多い。ドラマは製作費が大きくなることから、お手軽なバラエティーというテレビ局の都合もあるのだろう。

この特番で不思議なことは、通常バラエティー番組に出演しない俳優(男女とも)が多く現れることである。これらの出演者は、次の期(クルーと呼ぶらしい)から始まる自局のドラマの主要な俳優であったりする。番組宣伝、つまり番宣を目的とした出演である。バラエティー番組制作サイドは、番宣の出演者に出演料を払わないか、非常に安い出演料で済ませるメリットがあると言われる。 あまりこの手の番組に出演しない俳優を全面に出すことで、目玉にできるという有難味がある。

ここで不思議に思うことが幾つか出てくる。まず、この特番(民放であることを前提にする)は当然スポンサーが付いている。このスポンサーは番組に広告料を支払っているのだが、他のことを無料で宣伝することに不快感を覚えないのだろうかということがある。この特番のスポンサーとレギュラー番組のドラマのスポンサーが一致しているとは限らず、場合によっては競合する会社がスポンサーをしている可能性もある。A社が提供する番組で、競合するB社の提供のドラマの宣伝をするという図式は、ある種の利益相反にならないかと考える。それぞれのメインスポンサーでは競合関係が生じないような手当はしていても、全てを排除するのは難しいだろう。そもそも、今日のゴールデンアワーでCMを出せる会社は限られている。

ドラマ制作サイドからすると、主役級の出演料の高い俳優に、ドラマと関係のない番組での番宣依頼することで出演料が増えることになる。宣伝効果と視聴率のアップ(=スポンサー代金の算定基準の向上)が確実に連動すれば喜ばしい限りである。宣伝効果の評価は難しいものであるから、ドラマ制作の原理主義者からすれば、制作開始当初に無理やり時間を奪われることで、ドラマの質に影響を及ぼすことは本末転倒としないだろうか。そもそも製作費が抑制される中で、余計なことはしないで欲しいというのが本音であろう。

番宣に自局ドラマではなく、もうすぐ公開される映画の場合もある。本来、利益の主体が自局でないものの宣伝には、広告料が支払われるべきである。しかし、広告料は支払われていないだろう。なぜなら、映画の紹介をCMとカウントして場合には、一時間の10%を超えるCMを流したことになり違反となってしまうからである。テレビ局は番組制作に便宜は計ってもらっていても、CMとして流している訳ではないという立場であるはずだ。
つまり、実際にテレビで映画CMを流すと高い費用が生じるので、出演者がテレビ局行脚をして出演しているということであろう。もし映画製作の原理主義者がいたとしても、出演俳優は撮影を終了しているので不満はもたないだろう。テレビ会社制作の映画であったとしたら幾分問題の程度は小さいような気になるが、そうでない場合の方が多い。局の事情があったにしても、その番組のスポンサーは許してくれるのだろうか。まして、自局と関係のない映画会社の制作作品を宣伝するのは許されない行為ではないか。

古くからの商習慣に現代の事情が組み合わさった結果であるとは思う。しかし、少々古臭いし、最近の著作権や肖像権に神経質になっている番組制作と、随分と乖離した世界であると感じる。本人の許しを得ない肖像を出さない為に、画面の色々な部分をぼかす手法は道具が良くなって容易になったからである。スポンサーに話を付けるのは新しい道具がないから、古くからの商習慣に依存する。道具が無いからできないというのは、スポンサーとの話し合い能力は後退していることを示していると言えよう。

新しい道具を入れるのは容易だが、社員教育は容易でない。

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