2017年12月22日 (金)

斎藤ウィリアム浩幸氏、内閣府などの参与辞任 経歴訂正

内閣府と経済産業省で非常勤参与を務めていた斎藤ウィリアム浩幸氏が、それぞれの職を辞任した。内閣府が12月13日付、経産省が15日付。日本航空の非常勤執行役員も22日付で退任した。斎藤氏はネット上で経歴詐称を指摘されていた。斎藤氏も公表していた経歴に誤りがあったことを自身のブログで認め、謝罪した。
斎藤氏は米国出身の起業家。内閣府では2013年12月から、経産省では昨年10月から参与を務めた。世耕弘成経産相は同月の記者会見で起用の狙いについて「サイバーセキュリティー分野で国際的に活躍し、知名度も高い」と説明していた。斎藤氏は21日付の自身のブログで、「(米国の大学の)医学部を卒業し、医師免許を取得したという事実はない」と経歴を訂正。東京電力福島第一原発の事故原因を解明する国会事故調査委員会で「最高技術責任者」を務めたと称してきたことも、「いわゆる『システム部門』の担当者だった。このような肩書を用いることが適切といえたかと問われると、軽率だったと反省している」と記した。世耕氏は22日の会見で「仕事には一区切りついたので(辞表を)受理した。提出された経歴には虚偽に当たるようなことはなかったと認識している」と述べた。(朝日新聞:12月22日)


経歴について考える。


学歴はもっとも弱い資格であるが、単純すぎて信用される場合がある。記事の斎藤は、米国の医学部に入学したという痺れる情報を提供している。国内の医学部だと容易に調査可能だが、米国だから少し難しくなる。加えて医師をしていないで、別の業務をして成功したとスイッチする。スイッチを不自然に感じさせないのが詐欺師の手口である。詐欺は基本的にどう考えても怪しいと思えるものほど掛ると言われる。米国で医師の資格がありながら、IT業界で成功したというのは、不自然極まりないが、IT業界の成功者が不思議な経歴を持つ者が多いことから、優秀な頭脳の保証としての医学部卒と組み合わせると説得力が生じる。一部の人が信用すれば、その近くの人も信用する。学歴詐称に始まるわらしべ長者物語が展開していく。
政府機関ならチェックしそうだが、お友達枠のチェックは温いようだ。言った言わないの話ではない。粘って何とかなることもないから、見切りを付けたと言うところだろう。世耕が軽率だったとは認めないだろうが、認めてしまえば人生が軽率だと言われかねない。まあ、政治家などちょっとした勘違いでもなければならないものだろう。皆軽率なんだから、自分だけが責められるのはおかしいという論理を展開するのもありかもしれない。


家業で政治家しているのは、本人が軽率なのではなく、有権者が軽率なのだ。

2017年12月20日 (水)

豊洲市場開場、来年10月11日で決定 2年遅れで移転

東京都は12月20日、築地市場(中央区)の業界団体と、同市場を移す豊洲市場(江東区)を2018年10月11日に開場することで合意した。市場移転は小池百合子知事の判断で延期され、当初の計画から約2年遅れとなる。
都と業界団体が新市場建設協議会を開き、移転作業の日程確保などの条件を満たす日付として決めた。豊洲市場内の商業施設の開業が不透明な点などを理由に反発していた地元の山崎孝明区長も20日、「了承せざるを得ない」と述べた。理由について、移転後の築地市場跡地で計画されている2020年五輪の駐車場建設などを念頭に「(工事が延びれば)五輪がとんでもないことになる恐れもある」と語った。今後、追加の土壌汚染対策工事を来年7月末までに終え、安全確認や国の認可を経て開場する予定。豊洲市場は元々、昨年11月7日開場の予定だったが、同8月に都知事に就いた小池氏が安全性などを問題視し、移転を延期。その後、土壌汚染対策の盛り土がなかったり、地下水から環境基準値の100倍超の有害物質が検出されたりしたため、有識者会議による追加対策の提言を受けて、今年6月に移転を決めていた。(朝日新聞:12月20日)


政治について考える。


都知事選以降ブームになっていた市場問題も、既に過去の話題になってしまった。豊洲市場の問題で、議論の本質にあるのは、市場という機能をこの先どうするかという者である筈だ。しかし、市場機能については議論のないまま、土壌汚染とオリンピックの違う迷路にはまった。土壌汚染は必然で、蓋をするよりないという結論に決まっている。大規模な土地を探せば湾岸エリアなり、土壌に問題が無いところなど見付けようもない。少しマシはあるだろうが、それで良いとも言えない。食べ物をなんだと思っているのだという、日本人の信仰に近い観念は揺るぎそうにない。
オリンピックも同様で、日本人にとって命である。多分、日の丸命が本当なのだろうが、これだと極右のようだから、オリンピックと平和をセットにして和らげているのだろう。本質は日の丸である。だから、この国で軍事予算を拡大すれば、中国張りに拡張主義に走らないとも限らない。

小池も飽きた市場問題であるが、世間も忘れたようだから、都庁職員は片付けてしまおうと思ったとしても、それ自身責められる話ではない。しかし、この市場や、築地の市場の将来が明るい訳では無い。市場を通さない流通が広がり、市場の機能不全が発生している。別にそれでも良いという考えもあろうが、幾つかの大手流通チェーンに価格支配され、そこには怪しげな商品しか流れないと知ったら、食べ物信仰の門弟達は大騒ぎするだろう。もう少し考えたらどうだい、と思うのだが、大きなお世話だとも同時に思っている。


市場から首相官邸への道はないようだ。

2017年12月18日 (月)

日本、キャッシュレス化に遅れ 韓国は9割

世界ではキャッシュレス化が進んでいる。ニッセイ基礎研究所の調べでは、韓国は民間消費支出に占めるカード決済の比率が約9割。シンガポールなども5割を超える。日本でもキャッシュレス化は拡大しつつあるが、なお約2割と海外に比べて遅れている。
日本人がキャッシュ好きなのは「長引くデフレや、清貧を良しとする国民性も一因」(ニッセイ基礎研の福本勇樹氏)という。実際、世の中に出回る1万円札は増え続けている。9月末の発行残高は約93兆円で、半期として過去最高だ。博報堂生活総合研究所が日本国内で実施したアンケート調査では、キャッシュレス社会に「賛成」と答えたのは49%で、「反対」は51%。賛否が真っ二つに分かれている。同調査では女性の62%がキャッシュレス社会に「反対」。「浪費しそう」「お金のありがたみがなくなりそう」などの意見が多いという。男性も41%が反対する。「暗証番号や個人情報が流出して、犯罪が起きる可能性がある」との懸念が根強いためだ。キャッシュレス社会は経済成長のカギになるとの見方もある。米ビザによると、電子決済の利用が広がるとオンライン通販の拡大などが見込まれ、国内総生産(GDP)を押し上げる効果があるという。(日本経済新聞:12月18日)


キャッシュレスについて考える。


記事では日本でキャッシュレス化が進行しない理由を挙げているが、実は理由は他にあって、キャッシュレス化している国ではニセ札が出回っていて、現金の信頼が低い可能性がある。中国で急速に広まった理由は、ニセ札をつかまされる懸念を排除するのに有効ということもあるだろう。街の屋台でも利用可能であるという。そんな国にならなくてよかったとも思うのだが、近代化が進まない国民性という解釈も可能になる。
多額の現金を持ち歩くのは、治安上からすれば好ましものでもない。しかし、カード決算にしたところで盗難被害が無くなる訳ではない。少額の買い物ならサイン不要のところもある。該当するのは、スーパーやコンビニエンスストアのような店舗で、少額取引に限定ということだ。盗難使用を排除するように、通常利用と異なる状況が生じるとチェックされるとあるが、本当に効果的な監視が成されているかは分からない。この手の情報は公表されることがない。まあ、多くは支払い場所にカメラが設置されているから、一定の予防効果は予定されていると言える。
キャッシュレス社会が経済成長のカギというのを、信用取引を商売にしている米ビザが、電子決済の利用が広がるとオンライン通販の拡大などが見込まれて、GDPを押し上げる効果があると主張しても、我田引水の誹りを免れないだろう。現金取引に限定していては、経済成長に限界を感じるのは否定しないが、その程度の話である。便利なら使うし、危険なら使わないものである。経済成長の為に支払い方法を選択することがないのは確実である。


お金を見たことのない殿様の子供の話があったと思い出した。

2017年12月14日 (木)

BPO「放送してはならぬ番組放送したMXに危機感

沖縄の基地反対運動についての特集に批判が出ていた番組「ニュース女子」を放送した東京メトロポリタンテレビジョン(MXテレビ)に対し、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は12月14日、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表した。MXが番組内容を適正にチェック(考査)しなかったと指摘。中核となった事実に対しても「裏付けがない」などと判断した。
番組は、化粧品大手ディーエイチシーのグループ会社「DHCシアター(現・DHCテレビジョン)」が取材・制作。MXは制作に関与せず、DHC側から完成版の納品を受ける「持ち込み番組」として今年1月2日に放送された。委員会は、MXによる放送前の考査が適正だったか調べるため、MXの担当者らから聞き取りをした。同委が持ち込み番組の考査を検証するのは初めて。調査はBPOと放送局間の協定に基づいて行われるが、持ち込み番組について制作会社は協力する義務がない。委員会はMXを通じてDHC側に聞き取りを求めたが実現せず、書面で回答を得たという。(朝日新聞:12月14日)


放送局について考える。


MXの経営環境を考えれば、特別な意図を持って放送した訳でもあるまい。DHCが持ってきたから金を貰って放送しただけというところと思われる。過去のアニメを流す方が、自社で製作する番組より安く視聴率も高いと過去にあった。談志・陳平の言いたい放だいの終了時に、立川談志が話していたと記憶する。2008年のことということになる。5時に夢中!は2005年の放送開始だから、人気が出たのがもう少し後とは言っても、自社作成の番組を重視する雰囲気は継続している。もともと東京都の子会社だし、現在はエフエム東京が筆頭株主である。ラジオ局の子会社で、自主制作はラジオ番組の位置付けと理解して外れてはいないだろう。
問題の番組は、DHC経営者の思想が色濃く出ている内容に見える。この思想が放送法にある『政治的公平、報道は事実をまげない、意見が対立している問題はできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること(第4条第1項)』に抵触するかというところが、BPOの検証対象となる。少々の偏りはあっても、他の番組との組み合わせで全体としては中立と判定するのが、この検証機関の常ではあるのだが、そもそもチェックなしでの放送であるのだから、中立もなにもない。間違っているも正しいも、右も左も放送局は考えていないとなると、放送法の精神を否定する所業ということにまで至る。予定調和に至らない理由はこの辺りにありそうだ。

東京MXはタブーなしの自由な放送を行っているようだが、それでもBPOの支配範囲から外れた訳でもない。自民党の持ち込みも、共産党の持ち込みも同様に扱っている実績があれば良いが、左翼系の持ち込みなど聞いたこともない。電波のレンタル事業に枠を設けてた言うするという事業形態も成立するかもしれない。この番組の放送時には、持ち込みであることを示すクレジットを出せば良い。どんな持ち込みでも公序良俗に反しない範囲で放送するで良い。思想的な偏りや、事実関係の問題は製作者を明らかにして放送局は責任を負わない形にする。これで許されるものでもないだろうが、キー局が当たり障りのない表現に終始し、退屈と感じる視聴者がいるのだから、受け皿にはなるし、これで世の中が怪しげな方向に行くこともあるまい。


まあ、東京MXは放送する前に自社番組を観る必要があるということだ。

2017年12月12日 (火)

ゆりやんレトリィバァがV「女芸人No.1決定戦 THE W」高視聴率13.1%

今年新設され、ゆりやんレトリィバァ(27)が初代女王に輝いた12月11日のお笑いコンテスト「女芸人No.1決定戦 THE W 2017」(日本テレビ系、後8:00)の平均視聴率は13.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが12日、分かった。
瞬間最高は午後10時39、49、50分の15.3%。39分は、全ネタ終了後に副音声で大会を解説していたダウンタウンの松本人志(54)が総評を語った場面で、49、50分は最終結果発表が行われた時間だった。賞金1000万円を懸け、漫才・コント・一人芝居・モノマネ・パフォーマンスのジャンルを問わない「異種格闘技戦」に挑んだ。ニッチェ、アジアン、牧野ステテコ、まとばゆう、ゆりやんレトリィバァの5組がファイナルラウンドに進み、最終投票でダントツの201票を獲得したゆりやんレトリィバァが優勝した。審査員は柴田理恵(58)新川優愛(23)生瀬勝久(57))ヒロミ(52)吉田沙保里(35)若槻千夏(33)のゲスト審査員6人と、番組ホームページで募集した一般審査員395人の計401人。副音声は松本と放送作家の高須光聖氏(53)が担当した。(スポニチアネックス:12月12日)


効果音の様な笑い声について考える。


面白くもないところで、大きな笑い声が入る。声質からすると一人ではなさそうだが、数名いるという雰囲気ではない。録音の音声の挿入にしては仕事が雑だから、会場を盛り上げる為の笑要員であるのかもしれない。それでも、面白くもないところで大騒ぎするようでは興醒めではある。同じように感じる人がいるかなと、yahooのテレビ感想欄を見たら、同様に思っている人がたくさんいた。
名目上であるに過ぎないかもしれないが、賞の名前を掲げている以上は、テレビ局が仕込むとは考え難い。それでも、お笑いコンテストを持っていない日本テレビ系列であるから、なりふり構わず、という可能性も排除しきれないのだが、まあそんなこともないだろうと信じる。不自然な笑い声は、観客の笑いを削いでしまうのは、番組製作者なら誰もが経験していることである。おそらく一般の観客に、盛り上げよう (自分自身が盛り上がりたいだけか) と突っ走った人が何人かいたのだろう。制作側の対応としては、当該人物に注意をすることなのだが、そのようにはしなかったという結果が今回の放送である。出演する特定の芸人を推そうとするファンもあるだろうから、この手の目立つ行動は抑えるのが本筋だろう。

さて、優勝したのは、ゆりやんレトリィバァである。進行が遅くダレていたので、最初の方の演者に不利に働いた感は免れない。おまけに、ファイナルラウンドの出し物は、ドラえもんである。放送局の違いは気にしないにしても、賞を争うには馴染まない印象は残る。パロディを否定するつもりもないが、ドラえもんにもたれ過ぎている。まあ、物まね番組も好まない傾向があるという自覚からすれば、当然の感想ではあるかもしれない。問題なのは、それほど面白くもなかったことである。有力者が何人も出場を取り止めたいわく付きの番組である。来年以降も継続するのは難しいと思った。


権利関係の事前整理は、演者に委ねられるのだろうか。

2017年12月11日 (月)

仙台育英高の野球部員ら8人飲酒 うち1人アルコール中毒で搬送

仙台育英高校(宮城県)の硬式野球部員らが11月、仙台市内で酒を飲み、1人が急性アルコール中毒で救急搬送されていたことがわかった。同校は12月5日に県高校野球連盟に口頭で伝え、改めて書面で報告する。硬式野球部は今年の全国高校野球選手権大会でベスト8に進んだ。
同校によると、飲酒したのは3年生の元野球部員3人と2年生の現役部員3人、3年生の元剣道部員2人の計8人。公式戦でベンチ入りした野球部員も含まれている。8人は11月27日午後7~11時ごろ、仙台市青葉区の繁華街で酒を飲み、帰りにJR仙台駅で1人が倒れ、JRの職員が119番通報したという。同校は12月4日に報道機関からの問い合わせで事態を把握。生徒たちは飲酒を認め、大部分が喫煙もしたと話しているという。硬式野球部と剣道部は活動を自粛しており、真山晴夫副校長は「こういう事態が起きて残念だ。指導監督を継続したい」と話した。(朝日新聞:12月6日)


高校野球について考える。


高校野球の統轄組織は、公益財団法人日本高等学校野球連盟である。47都道府県の高等学校野球連盟が加盟している。野球以外のスポーツに関する組織として、公益財団法人全国高等学校体育連盟がある。野球だけの組織と、野球以外の多くのスポーツが所属している団体という違いがある。前者を高野連、後者と高体連と呼ぶ。高体連に属していない競技もあるが、競技人口の少ない競技が多いようだ。
高体連の上部組織に、公益財団法人日本学生野球協会がある。その上に社会人野球を含めた団体もあるが、野球は野球だけで、しかもプロ野球は入らないという組織になっている。このような事情が生じる理由は、戦前から現在の高校野球や大学野球に相当する大会が盛んであったことによる。春夏に甲子園で行われる大会は、毎日新聞社と朝日新聞社の主催による大会として注目されたし、神宮での六大学野球はプロ野球より人気があった時代が先にあった。この当時に高校スポーツの全国組織など存在しないから、先行した野球は、人気と繋がった既得権益があったということになる。これは現在にまで続く。

高校野球はテレビ中継などの効果を期待し、新興高校の宣伝活動として最良な媒体になった。それが宣伝活動であることなど地元の人は百も承知で応援する。そして、新聞社は純粋な高校生が、熱心に野球に取り組むという物語を書く。高校は宣伝を最大化する為に、野球をする為だけの生徒を集める。行き過ぎだと高野連が指導するが、行き過ぎなどという言葉はない。目立たぬようにしなさいという程度の話である。
小学生の頃から野球だけをやってちやほやされてきた子供の生末など決まったものである。非行に走るとなるが、非行を表にすることを高野連は極度に嫌う。新聞社から清廉であることを求められていて、それが資金を生み出す源である。許す筈ない。つまり、強豪校と呼ばれる高校は、非行少年を更生する施設になっている。更生が確実に成果をあげるとは限らないから、ときには失敗もある。今回の事件がその例ということである。

プロ化した競技は高校野球だけではない。ラグビーの大学日本一を目指すところは、大学生の資格を有するプロ選手である。期限が4年に限られているだけだ。正月に注目さえる陸上競技も似たようなものだろう。プロ化が進んでいるサッカーは、高校よりプロリーグの下部組織の方が評価が高いが、それでも高校に利権はあるだろう。人気があれば金になるということだ。

たかが高校生の遊びである。これを利用する方を批難するのが良かろうと考える。



仙台育英高校は、自らを更生施設だから、誰も処分しないと表明すると良い。

2017年12月 5日 (火)

皇室会議の議事概要、官房長官「発言者公表せず」

菅義偉官房長官は12月5日午後の記者会見で、天皇陛下の退位について意見集約した1日の皇室会議の議事概要について個別の発言者は公表しない考えを示した。「皇室会議でどなたがどのような発言をされたか明らかにするのは好ましいものではないと合意がなされた。結論と考え方を記載した議事概要を公表する」と述べた。
これに先立ち、菅氏は5日の閣議で陛下の退位日を2019年4月30日にすべきだとする皇室会議の意見を報告した。8日の閣議で退位の時期を定める政令を決める。皇太子さまの新天皇の即位と新元号の切り替えは同年5月1日となる。政府は年明けに菅氏をトップとする準備組織を設け、儀式などの作業を本格化させる。(日本経済新聞:12月5日)


皇室会議について考える。


皇室会議は皇室典範により、議員十人で組織される。衆参の議長、副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官とその他の裁判官一人、これに加えて、皇族二人である。皇族は、成年皇族の互選で任期4年となっている。現在の皇族の二名は、秋篠宮親王殿下、常陸宮親王妃殿下である。
ここでどのような発言があったかを公表しない理由は、特段無いように思える。どちらかと言えば、皇族二名を別にすれば、どのような考えで判断を下したかを明らかにする立場にある職責の者ばかりである。まあ、宮内庁長官は発言が憚られるとは思うし、最高裁判所の裁判官も、どんな思想を有するかを表にしたくないかもしれない。
裁判官が無色無臭であるから公正な判決が下されるというのは、とんでもない危険思想である。これがお好みなら判例を分析して学習させた人工知能のAI君が、最も優れた資質を有する裁判官になる。偏った思想を持っていても、特殊な信仰をしていても、それはそれとして公正な判決を下す者が優れた裁判官だろう。毎度おなじみセリフを繰り返す。偉い人は決して間違わないなどという滑稽な思想を笑い飛ばす。偉い人が間違える割合は少しマシだろうが、少しに過ぎない。結局偉いなどと言うのは、愚かな者達の内々で相対化された評価に留まる。愚かであることに変わりはない。
最高裁の裁判官になるなど、功成り名を遂げた御仁だろう。その上で権利を主張するのも笑ってしまうが、守ることが多いひとは失うことを恐れると言うことか。それを言ったら国の機関はどれも発言を躊躇るものばかりになる。まあ心配しなくても大丈夫だ。上昇志向の結果が地位であるのだから、自己顕示力が小さい筈もない。

発言が公表されることが好ましくないという建前は、皇族の発言に限られるだろう。実際のところ、皇族の発言以外に国民は感心を示さないことだろう。ということは、皇族に大きく劣るということを自覚するのが悲しいという、成功者たちの性の表れとも解釈できる。随分と慎ましやかな解釈ではあるが。


皇族が皇族の立場を発言することを、政治的なものととして制限するのは如何なことか。

2017年12月 4日 (月)

15歳で知的障害理由に不妊手術強制 「違憲」と提訴へ

旧優生保護法のもと、知的障害を理由に同意なく不妊手術を強制され、憲法の保障する幸福追求権を侵害されたとして、宮城県の60代女性が来年1月にも、国に謝罪と賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こす。原告側によると、同法による不妊手術の違憲性を問う訴訟は全国で初めて。
原告側によると、女性は幼い頃の麻酔治療の後遺症で重い知的障害が残り、不妊手術を受けさせられた。情報公開請求で7月に宮城県が開示した手術台帳には、「遺伝性精神薄弱」を理由に、15歳で県内の病院で卵管を縛る処置を施された記録があった。女性が事前に国や県から説明を受けた記録はないという。12月3日、東京都内であった障害者のシンポジウムで女性の60代の義姉が経緯を説明した。親族に障害のある人はおらず、「手術するために『遺伝性』という病名をつけたのではないか。納得できない」と訴えた。(朝日新聞:12月3日)


インターネットの書き込みについて考える。


記事の内容について記述する能力は有していない。しかし、この記事をニュースとして流すヤフーニュースのコメント欄に強い違和感を覚えたので扱うことにする。

コメントの代表例を示して進める。当時有効であった法律があるのだから悪くないという論理があった。この手の無理解は厭きれるよりない。原告が訴えている相手は国である。手術した医師や、手術に同意した親を訴えているのではない。これなら違法性はないで済む話だ。しかし、旧優生保護法が人権侵害を引き起こす欠陥のある法律で、それを放置したまま運用を許した国は、原告の幸福追求権を侵害したという論理で構成されている。重要なのは、旧優生保護法の目的として考えられていた、遺伝性の障害の拡散がないのに、それが懸念されることにしたと推定されるから訴訟を起こしたという事実である。それほど難しい問題ではない。この短い引用で充分表現されている。不足しているのは、一般法規と憲法を同列に理解するという拙さである。

障害があっては、子供を育てられないから、不妊手術は当然行われるべきことだというのも目に付いた。子供養育に国家資格が必要と考えているようだ。確かにコメントを読んでいると、そんな人物が沢山いる様な気になってくる。しかし、子供養育条件を満たす者などどこに居ようか。子供が生まれてから親になる。その前に何が分かるというのか。健康そうで、経済力もあって、それで子供を虐待する親を選別する手段でもあるのだろうか。
同様のコメントで、障害者が子供を産めば、税金で面倒を見るだけだから、社会全体として経済負担が増えるだけのお荷物だというのがある。今日、障害者の補助など、過去の手厚く扱われた時代に比べれば慎ましやかになったようだ。慎ましやかが妥当かどうかを知りたければ調べれば良い。実際のところ、苦労の多い生活を送ることを知るのはそれほど難しくもない。コメントは障害者の家族は、貧しい前提になっているようだ。平均より豊かな家庭もある。そちらの方が行政の支援は届き難くなる問題もあるのだが、まあ、ここまで複雑なことを考える者なら、不用意なコメントなんぞを書く筈もあるまい。

知的障害はあっても性欲はあり、本能のままに周囲を対象として、犯罪に繋がることがある、というのもあった。そのような事例もあるだろう。犯罪は処罰されねばならない。しかし、しそうだからと処罰する危険性について考えなければらない。準備罪とか予備罪とかいう呼び名の罪名がこれにあたる。先ごろ国会で話題になった、テロ等準備罪というのが代表的である。既にあるものに殺人予備罪がある。2年以下の懲役刑となっている。死刑または無期もしくは5年以上の懲役になる殺人罪との落差を感じよう。思想良心の自由に踏み込むことに慎重なのは、憲法に抵触する恐れも考慮されてのことだろうが、社会秩序からみて当然というのが今日の人権意識というものだろう。少数の例外で全体を代表させるという、大胆な論理展開である。


以前からこのブログで書いている様に、差別を嫌う立場を取っている。差別というのは、自分で決定不能な事実に因るものと理解する。学歴や職歴は自分の責任なので合理的な区別の範囲である。出身地や性別、年齢は自分で決めようもないから差別である。障害の有無も差別である。だから、心神耗弱や心神喪失で刑事罰を減じたり免れたりすることを許さない。少年犯罪の扱いも大人と同列で良いと考えている。障害や年齢は自己決定不能であるから、これを減刑の理由に用いれば差別に合理性を与える。少年犯罪を更生の機会を与えるなどというのは、子供を見下した主張と考えるのである。更生の機会を与えるのに反n対はしない。しかし、それは大人も子供も同列である。

分からないという事実に謙虚に向き合う姿勢がないのが、ネット空間でのコメントである。刹那的な思い付きで、他人を傷付けるのが好みの様だ。それで一向に構わないのだが、何かを考えるきっかけになるのならそれでも良い。それにしても、書き込み文章が似ているのはどういう訳なのだろうか。IDを取り換えて沢山投稿する者もあると聞くがご苦労なことだ。内容に乏しい者ほど激しく主張するというのは、国会で良く見られる光景ではある。国会議員が国民の代表である、つまり、ネットの民と同質であることを示している。ネットの民は、自分たちの代表が国会にいることに誇りを持つと良かろう。


障害者が何も出来ないという主張は、障害者を何も分かっていないという事実と驕りを示す。

2017年12月 1日 (金)

維新・足立氏、「犯罪者」発言を陳謝「深く反省する」

日本維新の会の足立康史衆院議員が11月15日の衆院文部科学委員会で自民党、立憲民主党、希望の党の議員3人を「犯罪者」と述べた問題で、足立氏は12月1日、委員会の理事会で陳謝した。冨岡勉委員長(自民)が明らかにした。与野党は議事録から該当部分を削除することで一致しており、協議を続ける。
冨岡氏によると、足立氏は「私の発言中、議員の名誉を傷つけるような不適切な部分があったことはきわめて遺憾であり、深くおわび申し上げる。深く反省し、二度とこのようなことがないよう十分注意する」と陳謝したという。立憲が衆院に出していた懲罰動議は、同日の議院運営委員会理事会の協議で懲罰が科されない見通しになった。足立氏は加計学園の獣医学部新設をめぐる審議で、一連の問題を追及してきた立憲の福山哲郎幹事長、希望の玉木雄一郎代表が獣医師会から献金を受けていると指摘。国家戦略特区で獣医学部新設を認める条件を閣議決定した当時の地方創生担当相だった自民党の石破茂氏も「何らかの権限がある」として、3人を「犯罪者だと思っている」と述べた。(朝日新聞:12月1日)


毎度おなじみの足立康史について考える。


通産省の役人から、みんなの党、日本維新の会と流れてきた政治家である。創価学会の家庭に生まれたことを、結果的に公表している (選挙の対立によって自らオープンにした) から、門外漢には公明党からの立候補が相応しく思うが、そんなに単純でもないのだろう。そもそも公明党は、この手の目立ちたがり屋を嫌う。宗教政党と言ったら叱られるのだろうが、宗教的なつながりを基本にすると、宗教活動で得たポイントで決まると思って、そんなに外れてはいないだろう。宗教には、布教は重要な活動だから、機関紙を販売するのも、家々を回って勧誘するのも、重要な修行のひとつと言える。これはどんな宗教でも同じだろう。手法と程度に少しの差はあるだろうが。
足立が公明党なら持て余すとして、日本維新の会ならどうかといえば、選挙目当てで集まった烏合の衆である。持て余すも何もない。目立つことは結構な話となる。政党もいろいろと都合がある。しかし、政治家の品位を汚す行動だと見做されれば、処分するよりないということになる。人気命の政党なら、それがより強く出る。国会議員を犯罪者扱いすれば、それは相応の処分が下るものだ。

謝って済ますというのが最初である。それでも、学習しない御仁であろうから、同様の行為を繰り返す。次は謝ってでは済まないが、もう少し重い処分を作り、その次は政党から除名することになるのだろうか。そんな内に選挙になり、落選してタレントになることだろう。毒舌政治評論家になる為の修行中ということと理解しよう。


タレントの席はキャンセル待ちもあふれていることだろう。

2017年11月30日 (木)

日馬富士「礼儀、直すのが先輩の義務だと」 引退会見

大相撲の秋巡業中にあった暴行問題で、日本相撲協会に引退届を出し受理された横綱日馬富士(33)=伊勢ケ浜部屋=が11月29日午後、九州場所の宿舎がある福岡県太宰府市で記者会見した。日馬富士は「世間を騒がせ、支えてくださった皆さんに迷惑をかけて本当に申し訳ない」などと語った。
会見の冒頭、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が日馬富士の引退について、うつむき加減で文面を読み上げた。「本日、横綱の引退届を提出しました」。伊勢ケ浜親方は肩をふるわせ、その声は時折、上ずった。横に座った日馬富士は正面を見詰め、涙を見せることはなかった。日馬富士は10月25日、鳥取市内の飲食店で同じモンゴル出身の幕内貴ノ岩(27)に暴行を加えたとされる。「貴ノ岩関にけがを負わせたことに対し、横綱としての責任を感じ、本日をもって引退をさせて頂きます」と日馬富士。師匠とともに30秒近く、頭を下げ続けた。(朝日新聞:11月29日)


大相撲について考える。


事件の詳細が明らかになっていないが、加害者である日馬富士が責任をとったことから、暴行傷害事件があったのは確定した。しかし、被害者である貴ノ岩の怪我の程度は分からないままで、素手で殴ったのか、道具を使ったのかが分からないままである。怪我の程度が酷くて、貴ノ岩の競技人生に影響するようなら、引退したから済ませて良いという問題ではない。この怪我は、巡業の土俵でも、稽古中に発生したものでもない。飲食店において発生した事案である。
貴ノ岩の親方である貴乃花は、沈黙している。この偏屈な元相撲取りを理解するのは難しいが、確実なのは世間の常識というものとは遠いところに暮らしてきて、それが許される環境であったことである。この少数派である価値観からすれば、土俵上で対戦する相手と飲食を共にするのが不思議なのだろう。報道では高校時代の恩師が関係しているという話であるが、この原理主義者に受け入れ難い環境にあったと推定される。原理主義者でなくとも、モンゴル人同士で星の受け渡し交渉をしていたと疑われても不思議ではない。もう少ししたら、大相撲の八百長問題が週刊誌で報道されることだろう。

日本相撲協会というのは公益財団法人である。引退した者が協会の構成員として残る手段は、年寄りになるよりなく、その為には現役時代に十両以上にならないとどうにもならない。つまり、子供の頃から相撲漬けで、勝つことで大きな収入を得ていた者の既得権のような椅子である。そこに公益性があると思うことをぶっ飛んだ発想だと思うが、歴史と伝統のある世界と繋がりがあることを、社会の中で生きる為の手段、乃至はステータスととらえる者、多くは政治家の類である、が多く存在していれば、身体の大きな相撲取りを引き連れていることで見栄を張る、少し前のヤクザと違うところはない。政治家が社会に求められたヤクザだと認識すれば、その行動原理が古典的な任侠や今日の経済ヤクザに近似的に等しくても不思議はない。これは批判しているのではなく、人の行動原理とはその程度のものと主張しているだけである。
土俵上での事故なら再発防止策を検討する案件であろうが、飲食店での騒動など、協会が再発防止策を立案するものでもない。もしその必要を社会が感じるとしたのなら、協会の構成員が世間の常識と乖離した価値観で行動する者で成立していることが根本的な問題である。外部の有識者などいう、タニマチ気取りをくっつけるのではなく、企業経営的な異分子が入らないことには変化しないだろう。それを伝統文化を破壊する行為だと否定するのは正しいと思うが、伝統文化で商売をする輩に、公益法人の看板を掛けさせる道理などないというのは、確実な真理であろう。


第二団体が出来て、日馬富士がビール瓶を、貴ノ岩が栓抜きを持って土俵に上がり、審判席の貴乃花にビールをつぐ。

2017年11月29日 (水)

自民の差別的発言を批判=「性」「アフリカ」めぐり―野党

自民党議員から性的少数者(LGBT)やアフリカに対する差別的発言が相次いだことについて、野党幹部は11月27日の記者会見などで、人権意識が問われるとして厳しく批判した。
先に自民党の竹下亘総務会長は、外国の賓客が同性パートナーを伴って宮中晩さん会に出席するのは「日本の伝統に合わない」と発言。山本幸三前地方創生担当相はアフリカについて「あんな黒いの」と述べ、後日撤回した。民進党の増子輝彦幹事長は「政治家は自分の発言に責任を持たなければならない。軽口か本心か分からない」と指摘。山本氏が以前に学芸員に関して「がん」と発言したことを踏まえ、「常習犯だ」と非難した。立憲民主党の長妻昭代表代行は国会内で記者団に対し、「看過できない。『魔の大臣経験者』という状況だ」と述べた。共産党の小池晃書記局長は「人権意識、個人の尊厳、多様性を全く分かっていない」と批判。「人種差別の発言(をした人)は米プロバスケットボール協会(NBA)では永久追放になった。自民党そのものが問われる」と語った。(時事通信:11月27日)


政治家の発言について考える。


保守政党を自認する自由民主党の議員である。従来型の価値観に合わない思想を排除するのが当然と考えているようだ。彼等にも思想良心の自由があるから、どんな考えを持っていようと構わない。しかし、公的な立場があるのだから、差別や排除に繋がる考えを外に発信しるには、一定の思慮が求められるものである。
おそらくマスコミから指摘されれば、軽口が過ぎた程度の問題として、お詫びして済ませることだろう。軽口ではなく本心で、この思想を支持する団体が背後に控えているのだから、詫びなどしない方が潔いと思うのだが、自由民主党が差別思想を応援していると表明するのは、国際的に具合が悪い部分がある。本音と建て前という話に行き着く。この二つの立場を高速に切り替えるのは、この保守政党の伝統芸である。

黒人差別思想は持っているし、LGBTなどゲテモノ扱いだろう。日本の伝統というのは、男尊女卑だし、家族制度の過度な重視というものと理解して良い。伝統と主張する割りに、その理想形は明治時代に行き着いたりするので、伝統といっても米国の歴史より短いのかとがっかりしないではない。まあ、政治家の子弟だけが、この国のかじ取りを担う資格があるというのが、政治家の既得権意識の根本にあり、そこに既得権益が潜んでいる(別に隠れちゃいない)というのなら、結構新自由主義的ではないかと思うし、もしかしたら、階級の固定化により国民を指導していくと言い出しかねないとも思われる。それなら、朝鮮半島の将軍様と相性が良さそうな気さえしてくる。


政治家がバカでも許すが、勉強しない態度は許せない。

2017年11月24日 (金)

現金封筒「なんやこれ」 自民議員側、議会で堂々手渡し

「なんやこれ」。衆院の解散総選挙が決まった直後の9月下旬、自民党の神谷昇衆院議員(68)側から地元市議に、現金が配られていた。大阪府和泉市では、市役所4階にある市議会の会派控室が現場に。「選挙前に堂々と議会で現金を配るとは」。ある市議はあきれたように、振り返る。
神谷氏と秘書が和泉市議会を訪れた時、市議会では会議があり、会派の控室で多くの市議が慌ただしくしていた。そのさなか、神谷氏が控室に突然現れ、立ったまま一人ひとりに、現金入り封筒を短時間で配り、去っていったという。 複数の市議によると、現金を渡される際、神谷氏や秘書は「(神谷氏が話す)演説会も、各先生方のところで開いて下さい」と話したという。市議11人が手にした封筒には、1万円札の束と、「自民党大阪府第18選挙区支部」の宛名が記された領収書が入っていた。
「まさか、そんなものを持ってくるとは思わなかったので、なんやこれと」
市議会の最大会派「明政会」(7人)の自民系市議は、公職選挙法の買収にあたらないかという、当時の不審の念を語る。控室では「『20万円や』『わしは10万円や』と声が上がった」。自民系市議4人には各20万円、他の市議には各10万円が配られていた。この市議は「これまで、神谷氏側から寄付を受けたことはない。選挙前に『お願いします』と言われたら、選挙で一生懸命応援してください、と受け止めるしかない」と話した。神谷氏や秘書からは「政治団体への寄付なので、受け取っても大丈夫。領収書を書いて下さい」などと説明があったという。しかし、別の市議は「選挙の時は神経質になるはずなのに、みんなの前でわざわざ大丈夫だと説明されると、グレーだと言われているようで、危険だと思った」。現金は、自民系市議がいない「五月会」(4人)にも渡った。この会派の市議の一人は「応援するわけがないのに、現金を配られても迷惑」「もらう理由がなく、こんな時にもらうとどうなるかわからない」と、口々に当時の戸惑いを語った。和泉市議11人は数日内に現金を返したという。(朝日新聞:11月24日)


選挙について考える。


現金を配るというのは、古典的な選挙協力依頼の手法である。同じ政党だから良いという認識なのだろう。結構な話である。これなら政党への寄付金の額で候補者を決定するのが、政党の透明性を高める行為ということになる。ぜひ大阪府の自民党には、この方法の採用を検討願いたいものである。
明政会と五月会は、和泉市の市議会の会派である。公明党と共産党と大阪維新の会が他にあるから、明政会が自民党系で、五月会が革新系というところだろう。会派の議員名を確認したので下に示す。

■ 明政会
  山本 秀明
  杉本 淳
  坂本 健治
            大浦 まさし
  スペル・デルフィン
  辻本 孔久
  友田 博文


■ 五月会
  関戸 繁樹
  森 久往
  浜田 千秋
            松田 義人


明政会にスペル・デルフィンなる人物がある。外国出身者が自民党系にいるのかと興味を持ったが、何のことはない覆面レスラーのリング名であった。本名は脇田洋人というそうで、妻はタレントの早坂好恵であった。
市会議員がプロレスラーであったも驚きはしないが、その手の議員に選挙協力を求めるのなら、現金を配るではないだろう。知名度の高さで議員になっているのだから、知名度を表に替えて協力して貰うのが通常の流れである。神谷というのは独特なセンスを有しているようだ。それにしても自民党系に20万円、その他に10万円というなら、共産党議員にも10万円だろうか。このくらい純粋に現金を配ると、法律に違反しない気持ちになるが、11人に配ったとあるから、残念ながら共産党には配らなかったようだ。頭のおかしな人の行動というより、少し配力欠ける人の行動という理解が正しいようだ。

神谷はこれを機会に、国会議員に競争入札による定数を設ける法案を提言して貰いたいものである。大きなお金を国家に払うというのは、国家に対する忠誠を示す行為である。そんな人物が国民の代表にならなくて、いったい誰が代表と言うのかと主張すれば良い。そこらの泡沫候補の政策との違いを示すことで、存在感を示すことになるだろう。


競争入札だと高須克弥に負けそうだ。

2017年11月22日 (水)

敗れた白鵬、土俵下で1分間アピール 立ち合いに不満

11月22日にあった大相撲九州場所11日目の結びの一番で、全勝の横綱白鵬が関脇嘉風に寄り切りで敗れた。しかし、白鵬は嘉風が勝ち名乗りを受ける土俵に上がろうとせず、首をかしげたり、腰に両手をあてたりして立ち合いが成立していないと約1分間アピールした。その後土俵に上がったが、嘉風が軍配を受けても今度は土俵を下りず、不満そうな様子を見せた。
嘉風はテレビのインタビューに対し、「横綱は『待った』と思って力を緩めたが、行司の『残った』の声が聞こえたのでそのまま続けた」と話した。白鵬は納得のいかない表情で土俵を後にした。支度部屋に戻った白鵬は、報道陣から「待ったという感じですか」と聞かれ「まあ、そんな感じだね。(ビデオで)1回でも見てもらいたかった。納得いかないわけじゃないけど、やっぱり呼吸が合わなかった」と語った。(朝日新聞:11月22日)


スポーツと審判について考える。


審判に抗議するのが大好きな競技に野球がある。その反対側に存在するのがラグビーということで良かろう。大相撲はラグビーに近い競技であったが、ビデオ判定が取り入れられたりと時代の影響を受けている。まあ、ラグビーも昔のままではないのだから、興業として見ると、観客の都合を取り入れない訳にはいかない事情もある。単純な分類としては、英国発祥の競技は審判が絶対で、新大陸系の競技は、絶対的な合理的判定を求める傾向が強いようだ。

さて、白鵬の態度である。微かな可能性として、土俵下の審判と同等の権利が、控え力士に与えられているから、土俵上の結果に物言いを付けることがある。白鵬は過去にこれを行ったことがある。これを横綱の特権と誤って理解し、土俵上においても適用されると信じたという仮説がある。まあ、ないだろう。
自分自身が競技者である場合に、判定に不服を申し立てるということは、どんな競技でも進行を停滞させること、もっと大きな問題として、競技の秩序を破壊させるという副作用があるから、許されないというのは当然である。よって、判定が確定した、というより、競技者に異議申し立ての権利などないのだが、競技者が不満を示すというのはあってはならないことである。
日本相撲協会は随分とこの大柄な横綱に気を使っていて、大した処分もしないようだ。まともな団体なら、出場停止処分にするところだろう。協会にそんな処分がないのだろう。仲良し倶楽部なのだから仕方ない。せめて、仲良し倶楽部の中では、もめごとは許されないことを横綱に教えておかないと、この先ややこしい問題が生じることだろう。


白鵬が行事を殴る日は近い。

2017年11月20日 (月)

沖縄米軍トップが謝罪 死亡事故、飲酒禁止指示も

沖縄駐留の米海兵隊員が那覇市で飲酒運転し死亡事故を起こした疑いで逮捕された事件で、在沖縄米軍トップを兼務するニコルソン在日海兵隊司令官は11月20日午後、沖縄県庁を訪れ、翁長雄志知事に「心からの謝罪」を伝えた。翁長氏は「米軍の対策は極めて不十分だ」と強く抗議した。
在日米軍司令部は同日、日本国内に駐留する全ての米兵に飲酒禁止などを指示したほか、沖縄に駐留する米兵には基地と自宅以外への出入りも禁じた。制限の期間は明確にしていない。冒頭、翁長氏に対し深々と頭を下げたニコルソン氏は「米軍を代表し被害者、そして遺族に哀悼と謝罪の意を表明したい。われわれの駐留の結果、事件が起き大変残念だ」と述べた。さまざまな再発防止策を講じてきたとした上で「努力が足りなかった。事件・事故削減への取り組みを強化したい」と強調した。これに対し、翁長氏は米軍の事件・事故が相次いでいるとして「再発防止に努めると言っても県民は疲れ果て、何ら信用できない。とても(米軍が目指す)『良き隣人』とは言えない」と厳しく批判した。事故は19日朝に那覇市の国道交差点で発生。米軍トラックが同市の男性会社員(61)の軽トラックと衝突し、男性は死亡した。那覇署は海兵隊員の男(21)を、自動車運転処罰法違反(過失運転致死)と道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで逮捕した。沖縄県警によると、男は逮捕前、任意の取り調べに「基地でビールを飲んだ」と話していたという。(共同:11月20日)


在日米軍について考える。


飲酒運転で軍人が死亡事故を起こしたことで、在日米軍トップが謝罪を表明したのだから、ある意味画期的な出来事と言って良かろう。そんな制限をいつまでも続ける筈もない。短ければ二週間、長くて一カ月というところで解除されることだろう。まあ、三週間というのが相場だろう。画期的な指示を出したことからすれば、それらしい言い訳は必要になるだろうから、兵隊に対する教育訓練の完了という言葉が付いて発表されることだと思われる。禁止の発表は大々的であったが、解除の方は静かに目立たぬように行われ、沖縄の地方紙のみが報道することになるかもしれない。いつもそんなものである。
ニコルソンは、説明で努力が足りなかったなどとほざいている。愚かな司令官である。兵士が非武装の民間人を殺したことを、努力不足と括るのなら、愚かな司令官の認識不足で部下の兵隊が大量に死亡しても、同じ言葉で括ることだろう。努力などという言葉は、目標を確定できない者が、道筋を描けないままに、不出来な結果に対して使う言い訳でしかない。自分の部下である兵士の生命を守ることを第一に考える司令官が口にする言葉ではない。司令官が部下に求めるものは、規律と訓練しかない。規律が崩れ果てているのなら、努力などという言葉で示される範囲で、効果的な対策など見出しようもないだろう。

アジアの下級民族を守ってやっているという意識であっても構わないと思う。しかし、規律も訓練も伴っていない兵隊組織など、ハリボテに過ぎない。役立たずの軍隊なら帰ってもらって結構だ。その先どうするんだという心配は、米軍が考える問題ではない。沖縄を自衛隊が守るか、あるいは中国人民解放軍に守って貰うか、朝鮮人民軍に駐留させるという選択肢を描くにしても、それは米軍ではなく、日本国民の判断することである。ネット上の右翼は、沖縄の問題を、マスコミが中国にコントロールされているというのが好みのご様子だが、右翼なら親米ではなく反米の方が潔い。米軍を追い出し、核武装して、北朝鮮はもとより、中国も韓国も蹴散らすと主張するのが良かろう。その上で、米軍が今度核爆弾を落とす場所が、名古屋か大阪か、あるいは東京かと考えるのが妥当な思考である。


宣戦布告して戦争を行う時代ではない。それでどうやって他国の領土に入るか考えよう。

2017年11月17日 (金)

ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)

政治家批判ばかり書いていても仕方がないと気が付いた。本当のところ、何も気付いた訳ではなく、単に飽きたというのが近いところだろう。まあ、本に八つ当たりするほうが、害が少ない気はする。著者には迷惑なことであろうとは思うが、そんな影響力のあるブログでもない。

本の作者は、篠田博之という人である。この手の本にありがちな、死刑廃止論者ということもなく、マスコミのあり方を問う仕事を行っている人のようだ。マスコミの役割を、犯罪報道を通じて主張するというところだろうか。本作では三名の死刑囚と、面接または手紙のやり取りを行った結果に基づくドキュメンタリーである。死刑囚は宮崎勤、小林薫、宅間守で、小林のみが出版当時確定死刑囚であったが、2013年2月21日大阪拘置所で死刑執行された。(出版年は2008年)
さて、死刑囚の話である。当然のことながら、死刑囚は最初から死刑囚であった訳でもない。 多くの場合には、犯罪者が死刑囚になっていく。この流れに、警察や検察、そして裁判所が関係し、容疑者や被告人、乃至は犯人と様々な呼称を使われながら、確定死刑囚になっていく。出世魚の類にしか思えないが、本の中に出てくる三名の思想にも死刑囚まっしぐらの気合いを感じるから、それほど外れたことでもないのだろう。
少し普通の話をしよう。死刑廃止論者と括られる人がいる。判決に間違いがあったら回復不能だと主張するし、そもそも、死刑という生命を奪う行為が国家に与えられていないという考えである。前者の間違いは、懲役1年の判決であっても許されないくらい、被告人の人生を大きく変えるものである。死刑だから回復不能というのは、生きていれば良いという思想のようだが、それで堅気のQOLが維持されるというものではない。ヤクザならという質問は想定していない。後者は思想良心の自由の範囲の話なので、否定はしないが、国家のありようなど、その国の国民が決めれば済むだけのことである。死刑は嫌いだと国民の多数が主張すれば法律の改正など簡単な問題である。海外の法律や、制度の辻褄が合わないことを理由に主張するのはレベルが低いと思う。海外の国は別の事情がある。イスラム圏の女性の活動制限をこの国で正しいとする理由がないのと同様に、逆もまた真というものである。サウジアラビアで女性の人権を叫ぶ、というのは、入国さえできないものだろう。嫌いだから制度を変えようでは、あまりに子供っぽいから、能書きを付けるにすぎない。
反対側に、死刑制度が犯罪抑止に貢献しているというのがある。そんなことはない。犯罪に手を染めて、捕まる可能性は、というより、逃げ切れる可能性を考えはするのだろうが、死刑になるか否かで犯罪を中断するなら、もっと早くに理性が効く。そうならないのは、理性が制御している範囲を超えたところにあるからだろう。この手の犯罪心理の報告は結構あるように思う。調べる気にならないから、放り出してしまう。
被告人の人権ばかり尊重し、被害者やその遺族の人権を軽く扱っているという主張もある。これは根本から間違っている。国が刑事犯罪者の人権を制限する(財産を奪ったり、行動の自由を制限したり、究極的には命を奪う)ことは、法律に明示しなければ憲法違反になる。ここにあるのは、国家と刑事犯罪者との関係についての取り決めを示しているに過ぎない。被害者の入り込む余地などどこにもない。新たに法律を作れば良いということになるが、犯罪者と被害者(遺族の場合もある)の間を調整するのは、民事訴訟しかない。犯人に殺された遺族が、犯人側と民事で示談が成立するというのは、刑事判決が出る前に発生するとはとても思えない。被害者遺族の感情を考えれば、などという言葉は、形式的には成立しても、裁判所の中で直接的な意味を持つこともないだろう。裁判官の心理的な言い訳に過ぎない。身内を殺された遺族が、犯人を殺したいと思ったとしても、この仕返しの代行業務を国は引き受けない。民事不介入というものである。この手の仕返しなら、中村主水やデューク東郷に依頼すべきことである。私なら、山田五十鈴に頼みたい。

てんで前に進まない。
三名の死刑囚である。三名に共通することに気が付いた。三名とも、あるいは著者も、死刑に対して純粋なのである。死刑という刑罰を恐れたり、あるいは逃げようとしたりするのなら、それはそれで想像の範囲にある。しかし、逃げないことで、犯罪者の品位が高いように考えているように見える。
彼等の期待に沿えないで申し訳ないが、死刑制度などというのは、人間が自分達の都合で拵えた制度に過ぎない。ここに神秘性など一欠けらもありはしない。ここに高潔な信仰心を向けると、高度に昇華されるということがあるのやもしれぬ。昔からこの国には、鰯の頭も信心からと言う。他人の思想良心の自由に踏み込まないというのを信条としているから、否定する訳にはいかないが、他人を殺しておいて、自分が特別な存在になるという思想など、ただただ醜いだけである。
自然科学的な神秘を見出しようもない死刑制度に、何を見出すというのか。人間の愚かさが導いた手法に過ぎないのに、そこに特別の価値があるように錯覚して、殺せ殺せを殊更に叫ぶさまは、生きたい生きたいと執着するのと違いなどない。社会からはじき出された存在であった者が、社内の内側の秩序としての存在である法律というプロセ スを経る間だけ社会の内側の存在になり、そして最後に再び社会の外に連れ出される手続きが死刑判 決である。外にあった者は外にしか帰られないとすれば、死刑は必然である。外にはじき出される過程に修正が掛けられれば、本人の更生と社会秩序の安定化に貢献するのだろう。しかし、死刑制度を 神格化している者に、その先の世界を示すヒントを与える能力はないようだ。

著者に望むのは、無理は承知で、教戒師へのインタビューを試みて貰いたかった。許されぬことであるのは承知している。


死刑判決の周辺の少しの時間だけ人間に戻れたとして、それで、と虚しくなる。

2017年11月16日 (木)

パナが高級ミラーレス一眼 10年目の節目に新戦略

パナソニックは11月16日、瞬時のピント合わせと強力な手ぶれ補正で機動性を高めたミラーレス一眼カメラ「G9PRO」を2018年1月25日に国内で発売すると発表した。価格は本体のみで21万円前後(税別)。パナソニックのミラーレスは高品質の動画も撮れる「GH5」が欧州や北米を中心に好調だ。18年はパナソニックがミラーレスの販売をはじめて10年の節目。静止画と動画の「2トップ戦略」で、次の10年のさらなる飛躍を狙う。(日本経済新聞:11月16日)


デジタルカメラについて考える。


カメラのデジタル化により、高級品であったカメラが消費商品へと移ったという話は何度も書いてきた。特にスマートフォンの普及により、カメラ機能の差別化が分かり難くなっているコンパクトデジタルカメラにおいては、商品ラインナップの縮小を余儀なくされている。それで高級一眼レフが売れているのなら、カメラメーカに不満はないのだが、そうもいかない事情がある。大きなカメラをぶら下げているのが、マニア臭が強くて抵抗を感じるということはあるのだろう。この隙間を埋めると、カメラメーカが期待する商品がミラーレス一眼レフである。CIPAが公表している統計で、データがある2012年以降の出荷台数、平均単価を四半期単位でグラフにしたのが下である。
M1
この期間全体の比較で、一眼レフは64.6千台、ミラーレスは28.6千台とミラーレスが少ない。平均単価も、一眼レフで30.1千円、ミラーレスで28.6千円と差が小さい。ミラーレスの位置付けは当初は、小型軽量の一眼レフ廉価版であったものが、廉価版が修正され高性能版に修正されたようだ。動画を扱える部分で、一眼レフとの差別化は可能であろうが、少々スマートフォンとの比較にとらわれ過ぎている気がしないでもない。まあ、コンパクトデジタルカメラの悲惨な状況からすれば、希望の星であることは間違いない。


カメラが沢山売れるのが幻像なのだが。

2017年11月15日 (水)

加計問題、論点深まらず 野党は追及継続へ

11月15日の衆院文部科学委員会の加計学園の獣医学部新設認可を巡る論戦は、問題の論点が深まらないままだった。野党は認可の妥当性についての説明が不十分だと繰り返し追及したが、林芳正文部科学相ら政府側は手続きは適切だったという説明に終始した。論点はなお残るが、野党が衆参両院の代表質問や予算委員会でどこまで具体的に究明できるかは不透明だ。
野党が今後も力を注ぐ方針なのが、今回の認可と「既存の大学・学部では対応困難」など学部新設4条件との整合性だ。政府が当初の原則を曲げ、恣意的に認可したのではないかと問題視する。だが、判断の妥当性を繰り返し強調する政府から、決め手となる答弁を引き出す戦略はみえない。野党側は認可過程の解明に必要だとして、文科省の大学設置・学校法人審議会の議事録を出すよう求めるが、政府側は議事録は作成しないとの立場だ。政府の情報公開姿勢も追及するが、世論に訴える新たな材料にも乏しいのが現状だ。もう1つの焦点と位置付ける安倍晋三首相の関わりも、これまでの論戦では具体的に示せないままだ。学園理事長の加計孝太郎氏は首相の友人。野党は加計氏の参考人招致で、首相に計画を伝えていたのではないかとただす構えだが、実現の見通しはない。仮に招致できたとしても、加計氏が否定した場合に、野党に反論できる材料があるのかは釈然としない。(日本経済新聞:11月15日)


国会審議について考える。


国会議員、特に大臣が、その職務権限を私的に使って、関係者に利益誘導するというのは、古典的な権力の濫用というものである。大学の許認可業務について、国会議員が関係していると疑われた時点で、濫用があったと推定するのは、一定の蓋然性があると信じる。これでは推定無罪の原則が損なわれるという指摘は当たらない。権力者にあるのは、推定有罪原則しかない。理由は単純で、権力は腐敗する、そして、必ず暴走するものである。これが動かせない以上、権力に対する監視は決して緩めてはならないのである。
反論として、権力者を陥れようと、マスコミを操作するものが生じるかもしれないというものがある。今回の問題も、この立場に立って、現政権、もしくは、安倍晋三に対する敵対心による情報操作だとする意見も見掛ける。そうである可能性は否定しない。しかし、安倍晋三の行動は軽率過ぎるし、安倍昭恵に至っては、はしゃいでいるとしか見えない。この夫婦はものを考えるという習慣が幼い頃から無いままに齢を重ねてきたように思える。行動に対する責任は取るというのが大人の作法である。躾のできていない子供には分からないかもしれないから、一縷の望みとして安倍洋子にでもお願いするよりないかもしれない。国難である。拒絶はしまい。

ご高齢の方に負担を掛けるのは忍びない。これらを横に置くとして、大学の認可が妥当なのかを検証するのは、国会の仕事として相応しいものである。地方のボロ大学が、県の資金を当てにして、新規学部を開設するというのなら、大学の運営に関してもう少し点検があって然るべきである。不認可になった大学として、幸福の科学大学というのがある。これはこの国の大学として不適切な大学であると結論するのに同意する。それなら、岡山理科大学はギリギリ妥当だとして、獣医学部として妥当なのかとすれば意見のあるところだろう。鳥インフルエンザなどの問題に関わる公衆衛生について、獣医の必要性が高まっているというのがあった気がする。獣医学科のコースで講義を設定するのが困難な代表例が公衆衛生である。少人数の学科に、専門性が高く、汎用性が乏しい講義を設定するのがどれだけ大変かを想像すると良い。公衆衛生の専門家になるのに、獣医学科のコースが最適でないが、この教育は欠くべからざるものである。国立大学で共同運営がなされている代表的な例である。獣医学に関わる直接的な教育人員が不足していることが原因ではない。
iPS細胞の実用化に向けて動物実験の環境整備が必要だという意見もあった。動物実験について、以前より厳しい管理が求められていることはどこに行ったのだろうか。新薬開発に用いる動物を使用するのに、慎重にならざるを得ない社会環境が発生している。動物実験反対運動は30年前にもあったと記憶するが、ここ十年位においては、毛皮コートに関する反対を欧米有名人がすることで注目が高まっている。iPSだけ特別という訳にもいかないだろう。単純に我が儘だというのは簡単だが、命を救う行為も、広義では同じである。

安倍晋三夫妻が関係したか否かを調査するのは大変だろう。国会の審議で、大学が必要な要件を満たしているのかくらいは明らかにしてもらおう。ロクでも無い大学があっても良いし、おそらく国家試験に合格する者も少ないことと思う。それでも、幸福の科学大学が認可されないのなら、この獣医学部も認可されなくて良いのではないかと思う。この間にどれ程の距離があるのかを示すくらいの責任は、行政機関にあると信じる。


この夫婦が入れる大学を設置基準にするなら、大学教育へのテロ活動だ。

2017年11月14日 (火)

プロ野球、日本版「チャレンジ制度」導入へ 来季から

日本野球機構(NPB)は11月13日、12球団による実行委員会を開き、審判の判定について異議がある場合に、監督がビデオ映像による検証を要求できるNPBリプレー検証制度を来季から導入することを決めた。大リーグで2014年から導入された「チャレンジ制度」の日本版で、日本での名称は「リクエスト」と決まった。大リーグと同様にストライク、ボールの判定以外の多くのプレーが対象となる。NPBは「一番大事なのはファン。正しい判定をすることがテーマで、審判員の威厳も保たれる」としている。
リプレー検証にはテレビ局の中継映像を利用するため、テレビで一般視聴者が見る映像と同じ。各球場に映像機器を設置して中継映像を録画し、「リクエスト」の際は審判団がその場で録画映像をチェックして判定する。確証のある映像がない場合は、審判団の判断となる。
監督が要求できる回数は1試合に2回まで。リクエストで判定が覆った場合は回数がそのまま継続される。延長に入った場合は回数がリセットされ、それまでの使用回数にかかわらず、延長で1回使えることとなる。ストライクやボールのほか、ハーフスイング、自打球、ボークなどの判定は対象外で、大リーグの運用と同じという。
日本では今季まで、リプレー検証として本塁でのコリジョン(衝突)を含むクロスプレー、二塁などでの併殺阻止の危険なスライディング、フェンス際への本塁打性の打球の三つを対象としていた。また、映像を確認するかどうかは審判員が判断していた。しかし、大リーグでは2014年からストライク、ボール以外のほとんどのプレーを対象にしたチャレンジ制度を導入。日本でも判定に対してより客観性を求める声が高まったことから、NPBのゲームオペレーション委員会では今年新たに「リプレー検証検討委員会」を設置し、制度導入を検討してきた。大リーグは莫大な費用をかけて全球場にカメラを設置し、すべての試合映像をリアルタイムで一括管理するシステムを構築。一方、日本では地方球場での試合開催など設備面が課題だった。ただ、日本でもCS放送などで全試合をテレビ中継しており、その映像を使うことで導入可能と判断した。(朝日新聞:11月13日)


プロ野球について考える。


スポーツで正しい判定がされることは、競技の安定性を高め魅力あるものにするだろう。さて、今回のチャレンジ制度である。審判の判定が間違っている可能性はいつでもある。その結果が勝敗を決定する要因になることも多いだろう。そこでビデオを用いて判定し、公正なゲームを実現しようという試みである。米国では既に実施されている。しかし、なんとも愚かな試みである。
リクエストは延長が発生しない場合には1試合2回までという。1回の確認作業で、5分は要することだろう。両チームが1回リクエストすれば10分となるが、きわどいプレーを扱うことを考えればもう少し伸びても仕方ない。愚かというのは、一番大事なのはファンとNPBは主張しているが、本当の思惑というのは、正しい判定が担保されるから、審判員が今以上に責められることはなく、負担軽減につながるということである。これを称して、審判の威厳もが保たれると主張している。

プロ野球の問題点として予てより指摘しているのは、試合時間の長さである。現状でプロ野球というのは、サッカーやラグビーに比べて試合時間が長い。相撲やボクシングと比べるのは違うだろう。同じ新大陸系の競技であるバレーボールが国際大会だと2時間を超えるのが普通になっている。試合時間の短縮を目的に、1998年にラリーポイント制の採用を行っている。競技を楽しむことに主眼を置くことが新大陸系の特徴である。それを人工的に感じるのだが、それで良いではないかと言われればそれまでの話である。感じているのは、楽しむことに重点を置けば、競技の頂点を目指す行為が軽くなるということである。
話を戻す。2017年の平均試合時間は9回試合のみの場合で3:08 (772試合)、全試合で3:13 (858試合) である。 過去20年の試合時間を下に示す。

■ 公式戦平均試合時間
    年        1997   1998   1999  2000  2001   2002  2003  2004  2005  20006
  9回試合のみ   3:09    3:14   3:12    3:14   3:15   3:08   3:13   3:19   3:13   3:10 
  (全試合)      (3:14)  (3:19)  (3:17)  (3:18)  (3:20)  (3:13)  (3:17)  (3:24)  (3:18)  (3:16) 


    年        2007  2008   2009  2010  2011  2012   2013   2014  2015  2016
  9回試合のみ    3:14   3:09   3:08   3:13   3:06   3:08   3:17   3:17   3:13   3:11 
  (全試合)      (3:19)  (3:13)  (3:13)  (3:18)  (3:08)  (3:10)  (3:22)  (3:22)  (3:19)  (3:17)


平均が3時間を切ることはない。18:30試合開始だと、21:30より遅い試合終了で、周囲は混むだろうから、電車で帰るようだと駅で乗れるのは22:00で、家に着くのは相応の時間ということである。つまり、子供を連れて野球の試合を観るというのは、ナイトゲームでは成立しない。家でテレビを観るにしても、小学生なら早い時間ではない。いい大人が、ビールでも飲みながらダラダラとやるのが、プロ野球観戦のスタイルということである。子供の野球離れが心配される。
ビデオ判定を1回いれれば5分は要するだろう。チームに2回の機会があれば、試合に合計2回発生するとすれば10分試合終了時間が遅くなる。興行として考える立場の人間が、これを気にしないで決定する様が滑稽である。
「一番大事なのはファン」とNPBは主張するが、NPBの相手にしているファンというのは、ごく少数の濃度の高い集団のようだ。正しい判定をすることが言うまでもないが、それを担保しないと審判員の威厳も保たれないとするなら、その程度に人格しか選手は持ち得ないということになる。
ラグビーのルールを引いてみよう。

「競技規則は、ゲームがラグビーの原則に従ってプレーされるのを保証するように適用されなくてはならない。レフリーとタッチジャッジはこれを、公平さと一貫性と繊細さと、そして最高のレベルにおいては、管理を通して達成できる。その返礼として、マッチオフィシャルの権威を尊重することはコーチ、キャプテン、そしてプレーヤーの責任である」

簡単な話である。レフリーが最終的な決定者で、それを尊重することを当然としている。野蛮な選手が、野蛮な競技をしていることが、ラグビーと決定的に異なるということだろう。どこを向いた運営規則の変更なのか、皆目見当が付かないのである。


不良学生の更生目的の競技の延長線上に、プロ野球があるように見える。

2017年11月 7日 (火)

トランプ氏歓迎の夕食会、元慰安婦招待 「独島エビ」も

韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が11月7日夜、トランプ米大統領らを歓迎するために青瓦台(大統領府)で催した夕食会に、日韓が領有権を主張する島根県の竹島の韓国名を冠した「独島(トクト)エビ」を使ったメニューが出された。夕食会には元慰安婦の女性も招待された。
大統領府の報道資料によると、「独島エビ」は春雨の炒め物の材料に使われた。竹島がある日本海で捕れたとされる。大統領府はねらいを説明していないが、米国側に竹島の領有権をアピールした可能性もある。夕食会に招かれた元慰安婦は、慰安婦問題をめぐる日韓合意の破棄を主張している李容洙(イヨンス)さん(88)。米国でも積極的に証言活動を行っている。夕食会でトランプ氏は李氏とあいさつを交わし、抱擁した。(朝日新聞:11月7日)


トランプ大統領のアジア歴訪について考える。


5日の午前10時過ぎに上空に大きな音がするので見上げると、そこにはいつもの軍用貨物機である C-130 の姿はなく、プロペラではなくジェットエンジンで、グレーの塗装ではなく、白地に青の塗装であった。トランプ号だ、と思ったが、それでない方であったかもしれない。羽田空港に降りることも交渉可能だろうが、米国のコントロール下にある飛行場である横田基地に着けるというのが米国の流儀である。東京周辺の上空の管制権はいまだ連合国軍最高司令官総司令部が担う状況にある。それでも少し日本に返還されたのではあるが。支配される国の国民は、空の上を行く支配国の飛行機をただ見上げるのである。念の為に記すと、連合国軍最高司令官総司令部は1952年に廃止され、現在では在日米軍になっている。
武器商人としてアジア各国に向けてセールスを行うトランプは、日本では北朝鮮の脅威を強調し、今回の韓国では北朝鮮と中国の脅威を理由に、もしかしたら日本の軍備強化への対応も含めたかもしれない、それで武器のセールスをしていく。この後の、中国では商機は乏しいかもしれないが、ベトナムやフィリピンなら中国の脅威が使える。武器が売れるなら、日本と韓国で違う話をするくらいなんとも思わない。そんなものだろう。

日本政府は随分とトランプにご機嫌伺いをしたようだが、韓国も負けてはいない。それでも、日本と彼の国とは習慣に差があり、主張の強さに差が大きくある。まあ、彼の国からすれば、この国の方が主張が激しいと批判される可能性もある。独島エビなる種類が存在するのを寡聞にして知らないが、報道によるとその場所で獲れたもの程度の意味ということだ。緩い定義であるが、過去から習慣化された言葉でなければ、間抜けな用法と笑われそうだ。この国ならと注釈を付けねばならないか。
元慰安婦を出すのは常習化している。人権問題として扱うべき事柄であるが、政治の道具として重宝している様子が見て取れる。日本軍の連行が事実でなく、朝鮮人が騙したという事実があったにしても、日本軍が横暴であったとする"事実"を動かすことはないから、韓国が歴史的な事実を調査することは今後も現れないだろう。歴史的な事実と異なるとする主張は、意味がない話である。朝日新聞の責任だというのも、局所的には正しくても、全体としてはさしたる意味など無い。韓国の都合に合った事実が重要で、朝日新聞の報道など傍証の一つに過ぎない。それなら何もしないでいるのかと主張する者もあるだろうが、声高に否定すれば悪さをした事実を隠そうとしていると主張するだけのことだ。静かに事実を調べ、公表する活動を継続するだけのことである。一般に、朝鮮語を操る日本人が少数しかおらず、軍人にそんな人物がどれほどいたか、いたとしたらどんな仕事に従事したかを想像すれば、朝鮮人の徴用など日本軍人が使いやすい朝鮮人に依ったものだと想像が付く。しかし、中曽根康弘が、「土人女を集め慰安所開設」と『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)と寄稿しているのだから、軍が何もしなかった訳でもあるまい。歴史調査というのは、自分にとって有利か不利かで取捨選択を行う種類の仕事とは決定的に異なるものである。


アメリカ人は随分と下品な振る舞いをする者を大統領に選んだものだ。この程度でも大統領になれると言う事実が、彼の国において大きな希望になっているのだら、よその国が批判する筋合いでもないが。

2017年10月27日 (金)

落選の希望・若狭氏、政界引退を表明 「年齢もある」

希望の党の小池百合子代表の側近で、今回の衆院選で落選した同党の若狭勝前衆院議員(60)は10月26日、BSフジの番組で「政治活動はいったんここで退く」と述べ、政界引退を表明した。
若狭氏は、小池氏が地盤としていた衆院東京10区を引き継いだが、自民党前職に敗れ、比例復活も逃した。若狭氏は「希望の党の後方支援をしていくが、年齢もある。元気でも65歳を過ぎたら若い人や女性に譲るべきだと考えてきた。(選挙がすぐにないことを考えると)自分は例外ですよとは、なかなか言いづらい」と述べた。若狭氏は検事出身。2014年の衆院選で自民から比例東京ブロックに立候補して当選。16年10月の衆院東京10区補欠選挙で当選し、今年7月の東京都議選で小池氏が率いる地域政党「都民ファーストの会」を支援することを理由に自民を離党した。(朝日新聞:10月26日)


希望の党について考える。


小池百合子の欲望の視線にあるのは、民進党の金と地方組織であった。そして、それは無残にも失敗した。若狭は小池の腰巾着であるのに、何を思ったか自発的な発言をして混乱を引き起こしている。小池は腰巾着以下にしか思っていない様子があったが、若狭はそれ以上と自認していたということだろう。この手の相互理解の乖離というのは珍しくない。そして、立場の弱い者は消え去ることと決まっている。

若狭が髭を剃ったのは、小池に叱られたのか、選挙戦略だったのか忘れたが、髭を剃ったらその前の顏は忘れたし、髭の無い御面相が貧乏臭かったのは覚えている。しかし、髭があってもうさん臭くはあった。どっちがというより、どっちもというレベルの話ではある。
古いところでは後藤田正晴が内務官僚上がりの政治家であり、亀井静香が警察庁出身である。若狭は司法試験に合格して検察庁を選んでいる。前の二人より頭が悪そうに見えてしまうのは残念だし、重みも感じられないというのも致命的である。若狭には亀井が見せる愛嬌も感じさせない。手ぬぐいを鉢巻にして頭に巻いて、「これでいいのだ」と叫ぶ器量があれば世間に見方も変わるのだろうが、私は頭が良いと主張している様は、ひどく滑稽である。そして何より、この滑稽さを指摘する友人がいないということが致命的である。

自分の時々の都合で、自民にくっついたり離れたりしていては、その先に明るい展望など描きようもない。弁護士活動をするより、テレビのコメンテータになりそうだが、それもすぐにネタ切れになりそうで残念な人である。


頭の良さに確信があれば、バカになれそうなものだが……。

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