2017年9月21日 (木)

野田聖子の夫は「元暴力団員」報道 ネットでは賛否両論

野田聖子総務相の夫・野田文信氏(旧姓・木村)が「元暴力団組員」だと週刊文春が報じた。
ここ最近スキャンダルが報じられた議員は、離党や辞職など何らかの「けじめ」をつけるケースが多い。野田氏にも「辞職論」が出ている。一方で「『元』だからどうでもいいだろ」として問題視しない声もあがる。(J-CASTニュース:9月21日)


文春砲について考える。


相も変わらず制裁を加える週刊誌の報道である。目立った者を叩くことを読者が望むから、商業出版を行っている者がそれに応じるのは当然であるという論理だろう。社会的な存在、公器として存在するというのは、どんな企業でも社会の中の存在として公器ではあるのだが、それを自社存在の正義として主張すれば、行き過ぎが指摘されるものである。
読者が望むからと主張しても、これは商業出版であるということを示しているに過ぎない。売れれば良いのかの自問自答を繰り返しているのが、出版会社の歴史であろう。芸能人や有名人のスキャンダルをスクープするのが文春砲の定義のようだ。当然、週刊文春に掲載されなければならないのだが。なんだか、週刊文春の編集部は、何かスキャンダルを暴かなければならないと、過剰に負担を感じて仕事をしているように想像してしまう。スクープと称して報道される内容が、出し抜いた記事ではあるにしても、社会的な関心が乏しい、あるいは価値が無いものになっていると感じるからである。例えば、隣の奥さんが野良猫に餌を与えるのは、社会の迷惑になる行為であるが、隣の奥さんは有名人ではないから報道に適さない。逆に、有名人であれば、酔って道路にしゃがみこんだ写真も価値があるとなりそうだ。
今回の報道で、野田聖子は有名人であるが、その夫は有名人ではない。野田が総理大臣になれば、安倍昭恵程度の価値はあるが、安倍昭恵は自らの行動により問題を生じせしめて報道の対象になっている。野田の夫が現在も暴力団関係者であれば、反社会的勢力だと報道する価値も出てくるのだろうが、元となるとそういう訳にもいかない。夫は文信といい、かつて京都の指定暴力団会津小鉄会傘下の昌山組に、幹事として所属していたという。夫は1999年と2005年に逮捕歴があり、それぞれ刑罰を受けたという。前科があるのは自慢にならないが、前科をもって必要以上の差別を加えることは、社会的に許されない行為となる。百歩譲っても、本人に向かって言うならともかく、その配偶者に矛先を向けるのは行き過ぎとなる。この手の話の先にあるのが、出自や地域に対する差別ということになる。

このブログで犯罪者や暴力団に関する事柄を扱っている。そのどちらも嫌いだ。特別な人権派を名乗る気持ちもない。それでも、差別を許すとロクなことが無い。過去に書いたが、差別と区別の違いは、自分自身で決定可能な結果に係る事柄によるのは区別、それ以外は差別である。野田は自分で夫を選んだのだから、夫の過去も背負う必要があるという論理もあろうが、それは行き過ぎだろう。結婚した後については連帯して責任を負うというのも分かるが、以前はその限りではあるまい。政治家として相応しくないと言う論理も変だ。政治家など国民の代表に過ぎない。これに特別な才能を要求するから歪な世界になる。平凡な国民の一人が、代表として選ばれたとする。選ばれた代表は、選ばれる前も後も、沢山勉強してひとつの仕事を任期中に成せば良い。それが代表を選ぶというものだろう。
不倫問題を指摘される議員があるが、それは家庭内の問題に過ぎない。法律に倫理を求める世の人からすれば、不貞行為は犯罪ではない (離婚の理由にはなる)。離婚したことが議員の適正に欠くとする意見もあろうが、そうでない意見もあるだろう。政治家は宗教家ではない。普通の国民の代表に過ぎない。代表というのは、資質として優れていることを表さない。それだけの話である。

暴力団員が行動を制限される世の中である。しかもこの前に元が付く私人が、メディアを通して公表される理由もない。妻が政治家で、国務大臣で、将来の首相候補であるとしても、公表する社会的な理由に足りない。


前科者に冷たい週刊文春を宣言するのをお勧めする。

2017年9月19日 (火)

二階氏、森友・加計は「小さな問題」=石破氏「国民は納得せず」

自民党の二階俊博幹事長は9月19日の記者会見で、学校法人「森友学園」と「加計学園」をめぐる疑惑について「小さな問題」との認識を示した。
衆院解散が断行されれば、野党側は国会で追及する機会が奪われるだけに、強く反発しそうだ。安倍晋三首相が衆院解散の意向を固めたことに対し、民進党など主要野党は「森友・加計の疑惑隠しだ」と批判している。これに関して二階氏は会見で見解を問われ、「野党がおっしゃるのは自由だ。われわれはそんな小さなというか、そういう問題を隠したりすることは考えていない」と反論した。一方、自民党の石破茂元幹事長は19日の読売テレビの番組で、疑惑から「逃げ切れるかどうかは分からない」と語った。石破氏は「まだ納得していない国民が多い。きちんとした説明ができるかだ」と指摘した。(時事通信:9月19日)


議会解散について考える。


解散は首相の専権事項だという考え方が永田町では主流のようだ。そうは言っても、首相である安倍晋三が、丁寧に説明責任を果たすとした、森友学園問題、加計学園問題を取り扱わない手段として、国会を解散して良い理由もない。ましてや、少々耄碌しているのではとさえ思える口調で、二階が小さな問題と言ったところで、何が解決する訳でもないし、野党の反発は必至となる。耄碌したようには老獪なと同義であるのが永田町のようだ。つまらない小競り合いを起こすのも、与党にとって悪くないという判断があるのかもしれない。

自民党の中でも、二階は解散が自民党に利があると判断し、内心でそれは肯定しつつも、石破はその先のことを睨んで、問題がある行動ではないかと指摘する。つまり、自民党内でも揺れる部分が残っていると言える。
安倍が解散する理由として、最大の言訳が残っていることにマスコミは気付いていない。自民党内でも考えが及んでいないようだ。それは、安倍が解散理由として、森友学園問題、加計学園問題で国民に政治不信を招いたことをお詫びし、議員を引退すると説明することである。議会解散の必要性は、政治不信を一掃する為であるから説明が付く。この方法であれば、自民党を気の毒に思う、というか、安倍を批判し過ぎたと感じる国民が増えるから、与党議員の減る数は小さくなる。

国会議員を気軽に辞める訳がないと思う筋もあろうが、政権を投げ出した実績のある御仁だ。今回は、本人の他に、ものを考える習慣の欠ける妻も関わっている。粘り強く行動するというのから最も遠い位置で暮らしてきた。根気のいる作業など続けるつもりもあるまい。
おじいちゃんの悲願を掛けた憲法改正が遠のくなら、自分がする仕事などそこにはもうないということである。そんな説明をされたら、解散を止める理由はないだろう。


七条解散は制限されて良かろう。最高裁が判断することはないだろうが。

2017年9月17日 (日)

あやかり新党:目玉政策に「一院制」

小池百合子東京都知事の側近、若狭勝衆院議員は9月14日、年内の結成をめざす国政新党について、いまの衆参二院制を一院制に変えるための憲法改正を目玉政策に掲げる方針を発表した。新党結成に向けて協議している細野豪志元環境相や小池氏も賛同しているという。若狭氏は国会内で記者会見し「一院制に反対する人は新党のメンバーにはなることはない」と表明した。
若狭氏は一院制の導入が議員定数削減や国会運営費の削減につながると主張。「衆参で同じようなことを繰り返し審議することは、スピーディーな国会運営の観点で極めて問題がある」と述べた。「国会議員は自分の議席があるので一院制の導入に消極的だ。『しがらみ政治』脱却の象徴として取り組んでいく」と強調した。(日本経済新聞:9月14日)


あやかり新党について考える。


国会議員は選挙命である。基本的な考え方や、理念を共有する政党と、選挙協力するなどと口にするが、そんな条件を満たすのなら同じ政党になれば良い。それでも一緒にならないのは、選挙に有利な条件を考えての判断である。国民の為に、有権者の意見に耳を傾けなどというのは、選挙に勝つ方法として身に付けた処世訓の類に過ぎない。
民進党が日本共産党との選挙協力に積極的になれないのは、共産党の組織力で得られる票数と、共産党アレルギーのある労組などの逃げる票数との天秤判断が出し切れないからである。過去に自民党と公明党だって同じことがあった。自民党を支持する宗教団体票と、公明党を支援する創価学会票の比較である。一般には前者の方が多いと想像されるが、選挙に命を賭ける数は後者が優る。結果、実際に投票される票数で見れば後者が大きいというのが今日の判断である。そして、政権を獲得できれば、他の宗教団体の票も逃げないということを学んだ。つまり、勝って政権を獲得することに正義であるということだ。民進党にはこの経験が決定的に不足している。

若狭が目指す政党は、小池人気にあやかるという、あやかり新党に過ぎない。小池がこの行動に冷淡とも見える行動に留まっているのは、小池の今後が、自民党の軒を借りて母屋を乗っ取る計画であるからで、新党は手段に過ぎない。若狭は小池あやかりで活動しても、若狭の放つうさん臭さが強烈で、小池人気を抑えてしまう。小池はこのマイナスを知った上での利用であるが、若狭に自覚はないだろう。検察出身者だから信頼されると思ったら大間違いで、マイナス評価しかつかないものである。難しい試験を通ったことと、社会的な信頼は等しくない。
若狭もまるで分っていない訳ではなく、小池人気だけでは何もないと言われそうだから、あやかり新党の目玉政策に一院制を入れたという訳だ。一院制にするとなれば憲法改正の必要も出るし、いろいろと面倒なことが多い。そもそも、存在する参議院を廃止する法案を、参議院に通すのだから、簡単な訳もない。出来もしないことを一つ入れて置けば、努力していますと言訳できるので都合が良いという考えなのだろう。

小池としては、小池人気で走れる期間は一年程度と思っているだろう。つまり、党の綱領や基本政策などというものは、準備できない状態が好ましく、その期間に選挙になった方が好ましい結果を得られる。とはいっても、都知事のままで国政選挙に身を乗り出し過ぎれば批判されるのは必定である。自民党が選挙で負けて、小池に協力を求めてくるというのが最善の結果であるのだろう。



あやかり新党だから、小池以外にあやかる日が来るかもしれない。

2017年9月 8日 (金)

前橋育英の剣道部でいじめ、加害側3人に自主退学求める

前橋育英高校(前橋市)の剣道部で、1年生の男子部員2人がいじめに遭い、学校側がいじめた側の1、2年生の男子部員3人に自主退学を求めたことが分かった。9月8日を期限に退学届の提出を求め、3人とも了承しているという。
同校によると、いじめられた2人は6月下旬から1カ月間、練習中に必要以上に竹刀でたたかれたり、無料通信アプリ「LINE」で悪口を言われたりした。学校側は7月下旬にこの事実を把握し、3人に話を聴いたところ、いずれも認めて反省しているという。今回の措置について、神山義幸教頭は取材に対し、2011年に大津市の中学生がいじめで自殺したことに触れ、「被害者保護を第一に、時代の流れなどを総合的に考えた」と説明。いじめられた2人は登校しているという。同部は現在、活動を自粛している。(朝日新聞:9月7日)


スポーツ高校について考える。


前橋育英高校には、男子は陸上競技、柔道、剣道、サッカー、バスケットボール、硬式野球、女子は陸上競技、サッカー、ソフトボール、バレーボール、柔道が強化指定クラブになっている。強化指定クラブというのは、学校の宣伝活動に供するクラブとして公認されているという理解で良いだろう。
前橋育英高校のホームページを見ると、高校サッカー界で国内有数の指導者として著名な山田耕介監督をはじめ、豊富な実績をもつ専任教諭を揃えている。加えて外部からコーチ等も招き、各競技において高いレベルの指導を実現しているという。宣伝活動には適切な資源を投じているという説明である。
続いて、前橋育英高校で身につけた技術や競技理論は、さまざまな分野への可能性を広げ、それらは選手としてだけではなく、教師や指導者などのスポーツに関連した職業に就く場合にも役立つとある。推薦入試やAO入試にもプラスとなるというが、スポーツを宣伝活動と位置付ける大学に進学可能という話で、学業との両立ということではない。誤解を招きかねない表現ではあるが、そんな学生が進学するとしたら、誤解の発生のしようもないと言われればそれまでのことではある。
更に、専門学校の先生方が外傷の処置(アイシング・テーピング)やマッサージ・リハビリなどについて連携講義を定期的に行うという。医師やスポーツトレーナーによる栄養学や生理学の特別講義も専門的知識の追求に役立つとある。また、鍼灸の先生による治療が無料で受けられるそうだ。 外傷の処置の話は、高校のレベルで聞きかじるのは間違いのもとになりかねない。節度のある指導が必要となる。栄養学や生理学については知っておく必要があることが沢山あるだろう。この時期の学生に大切なことは、後で学んでも自分自身には役立たない。鍼灸治療については、治療の必要性が日常的に高いのなら、栄養学や生理学的に予防する方法を検討した方が良いのではないかと思うが、競技特性によるものと理解することとしよう。

剣道部は強化指定クラブである。強化指定クラブに在籍するということは、学校に在籍する意義のほとんどがクラブ活動にあるということだ。クラブで問題を起こしたのならば、学校にはいられないという不文律があるのだろう。これを正しくないと指摘するのは容易であるが、強化指定クラブを是とするなら、受け入れなければならない。高校の教育の放棄だとする主張は、批評家の戯言である。それは一般入試で入った学生に適用される。強化指定クラブに入っているから上記の外部からの支援を受けられるのであろう。他のクラブでこれらを利用するには、高度な成績を上げていることが認められなければならないだろう。
剣道部は、強化指定クラブから外れるかもしれない。いじめられた二人も学校に居辛くなることだろう。いじめられた二人には教育上の配慮が必要だろうが、いじめた三人が退学するのは、剣道部の活動中止をどうしてくれるという学校側の都合を考えれば当然に思える。


学校が正しいとは思わない。スポーツだけする高校生は応分のリスクを負うものだと考える。

2017年9月 6日 (水)

AKB総選挙の沖縄誘致に交付金 外相批判・沖縄相容認

沖縄県がアイドルグループ「AKB48」の選抜総選挙の誘致活動などに国の「沖縄振興一括交付金」を使うことの是非をめぐり、閣僚の意見が割れている。河野太郎外相は就任前に、自身のブログで「次にどうつながるかはっきりした見通しもない」「補助金をもらってイベントをやるだけならば持続的ではない」と批判。江崎鉄磨沖縄北方相は9月6日の報道各社のインタビューで「県の判断に委ねるべきだ」として容認する考えを示した。
沖縄県は「沖縄観光の持続的発展に資する」として、6月17日に県内で開催された選抜総選挙の誘致に関わった地元企業に対し、3千万円の助成を決定。このうち2400万円が、県が使い道を自由に決められる沖縄振興一括交付金だった。地元企業が今後3年間、AKB関連イベントを実施することが前提だったが、結局、地元企業が8月に事業撤退を申し出たため、県は助成を取りやめるという。(朝日新聞:9月6日)

沖縄振興一括交付金について考える。


沖縄振興一括交付金は、沖縄の実情に即してより的確かつ効果的に施策を展開する為、沖縄振興に資する事業を県が自主的な選択に基づいて実施できる一括交付金が2012年度に創設されたとされる。「沖縄振興特別推進交付金」と「沖縄振興公共投資交付金」に区分され、前者がソフト交付金、後者がハード交付金とされる。内閣府の公表資料から、該当部分の説明をそれぞれ示す。

■ ソフト交付金
沖縄振興に資するソフト事業などを対象とし、移し替えせずに原則内閣府で執行する沖縄独自の制度。
  <主な対象事業>
   沖縄の自立的・戦略的発展に資するものなど、沖縄の特殊性に基因する事業
     ・ 観光の振興
     ・ 情報通信産業の振興
     ・ 農林水産業の振興
     ・ 雇用促進
     ・ 人材育成


■ ハード交付金
各府省の地方公共団体向け投資補助金等のうち、沖縄振興に資するハード事業に係る補助金等の一部を一括交付金化。原則各省に移し替えて執行。
   <主な対象事業>
     ・ 学校施設環境改善 (文部科学省)
     ・ 水道施設整備 (厚生労働省)
     ・ 農山漁村地域整備 (農林水産省)
     ・ 社会資本整備 (国土交通省)


AKB48の催しを交付金の対象とするなら、ソフト交付金の観光振興ということになる。これ以外を目的にすれば、方々から批判が巻き起こることは必定である。まあ、ハード交付金の方は、扱う省との協議が加わるから審査が厳密になしそうではある。建物を造ったりすれば、当然のことではあろう。ソフト交付金の方はといえば、単発の催しでも構わないという解釈は可能であるが、現実的には数年程度、この手の法律の想定としては五年くらい継続することが審査事項として求められるだろう。記事には三年を予定したとあるが、もう少し長くやる見込みというか構想であったと想像する。
AKB48選抜総選挙をこのブログでは何度も扱ってきている。これはこの商法の姿が醜く思えるからで、商売としては妥当でも、商人が手を出す仕事でないと感じるからである。もっと端的な表現をすれば、堅気の仕事ではない。芸能関係の商売が堅気の世界から遠いという意味ではない。博打打ちの領域に近く、なんだかマルチ商法にしか思えないのだ。まあ、子や孫からのリターンが期待できるものではないのだが。これが商売になるのは、社会環境と関連するのではないかという素朴な発想である。
もどす。AKB48の場所は、同じ場所で行う訳がない。常に刺激するのに、同じところではこの条件を満たさないからである。沖縄で開催するのは突飛であると感じたが、交付金があったということで納得した。これで算盤が合ったということなのだろう。人数が無暗に多い団体は移動費が嵩む。来年以降の沖縄開催を止めたのは、他への影響で採算が悪いと判断したということだろう。不手際が目立つ気がするが、妥当な判断ということではある。


沖縄県はお金の使い方に少々ルーズである。

2017年9月 5日 (火)

山尾氏の起用見送り 民進新執行部が発足

民進党は9月5日の両院議員総会で主要な役員人事を承認し、前原誠司代表率いる新執行部が発足した。幹事長には大島敦元総務副大臣を充て、代表代行に代表選を争った枝野幸男元幹事長を起用した。当初、幹事長や代表代行で起用する方針だった山尾志桜里元政調会長の人事案の提示は党内の反発を受け断念した。目玉人事の撤回で前原氏は出だしからつまずいた格好だ。
政調会長には衆院当選4回で50歳の階猛元総務政務官を起用。選挙対策委員長には枝野氏を支持した長妻昭元厚生労働相が就任した。国会対策委員長には旧維新の党出身の松野頼久元官房副長官が就いた。前原氏を支持したグループの議員に加え枝野氏を支持した陣営からも起用し、挙党態勢づくりをめざす。前原氏は当初、衆院当選2回で若手のホープとされる山尾氏を幹事長に抜てきし、清新さをアピールする考えだった。だが山尾氏の実務面での経験不足への懸念が広がり、衆院当選6回で代表代行に内定していた大島氏を充てる方針に転じた。前原氏はその後も山尾氏を代表代行で処遇する意向を固めたが、党内の反対論が強く主要ポストでの起用自体を断念した。前原氏は両院議員総会の冒頭で「人事のことでご心配をおかけしていることをおわびしたい」と陳謝した。党の要である幹事長人事の変更で、前原新執行部は出足から混乱を印象付けた。党内からは「1度固まった人事を覆すのは、党への打撃が計り知れない」との懸念が広がっている。(日本経済新聞:9月5日)


政党の人事について考える。


与党の場合には政府系の椅子もあり数が多いから、党の代表選挙後の人事に工夫のしようもあるが、野党の場合には党務に限定されて椅子が少なくなる。これがやっかみを生む要因で、露骨な功労人事をすれば批判される。鳩山が代表になった際には、露骨な功労人事と批判されたことがある。そうはいっても、選挙に骨を折った人に、何も報いるものがないというのも人情的には無理がある。この国のしっとりとした体質が拒むだろう。結局、良い按排を見出すよりないということになる。
今回の民進党の場合には、人気浮上を狙っている。前原の民主党時代のイメージを引きずる部分を排除して、新しい党であることをアピールするには、メディアへの露出が大きい山尾を幹事長に据えるという考えが出たのだろう。ちょっと待て、それには既視感がある。蓮舫が代表になったときと同じだ。そして、野田佳彦が幹事長になって、寄ってたかって叩いた。椅子取りゲームに敗れると、大きな声で不満を叫ぶのが党是になっているようだ。
当選回数2回の山尾が経験不足だという指摘のようだが、6回当選していれば大丈夫というのではなく、適性があるか否かの判断に、取って付けたように当選回数を理由に当てているだけに過ぎない。2回でも適正と能力があれば、少しの混乱はあっても成果は上がる。6回で適正の能力に欠ければ、混乱することは必至で、回数の言訳分だけ被害の拡大が生じる。

話を戻す。山尾が幹事長に適するのか否かについて何も知らない。しかし、新しい代表の前原が良しとしたのであれば足を引っ張ることは許されない。この党の最もだらしない部分である。これだから駄目なんだと言いきって良い。党の理念に合致するだの、妙な原理主義的な主張より重要なのは、党という集団で決まったことには従うという単純な行動原理が優先されるということだ。前原を選んだ、そして、幹事長を決めた。それに従うのは当然である。内定した人事に不満があるというのを拾っていったら、いつまでたっても何も決まりはしない。
この愚かな原理主義集団では、綱領や基本的な理念が違う政党とは組めないなどと主張する。これを口にすれば、民進党の党内の意見の不一致が問題になる。そもそも、自民と公明で一致しているかと問えば多くの疑問が湧くし、自民の中ならどうだと言えば、それはそれで問題がある。党内の一致が重要なのは、与党の場合には一定水準で確保されないと、国民は不安に感じるだろうから、党是はともかく、当面の方向性について位、明確にして貰いたいものだとは思う。少なくとも、民進党が直ちに政権を担うこともあるまい。ないことを前提にしてしまえば身も蓋もないが、政策実現は与党だけのものとするのは危険だ。少数者側の意見を汲む仕事も大切である。野党のままであることを前提にする必要もないが、与党の仕事に問題があることを明らかにして、代替案を提示するくらいのことは担って貰いたいものだ。
民進党と共産党との選挙協力で、民進党の支持母体である労働組合から不満が出て、反対する議員がある。民進党の保守系の議員には、そもそも共産党アレルギーがあって受け入れられないというのもある。労働組合でも、民進党を支持するのはブルジョア労組で、共産党を支持するのは貧乏労組と決まっている。ブルジョアというのは、組合員が安定した大企業や団体で労働している正社員であり、貧乏労組というのは、非正規や大企業でもはみ出してしまった組合員ということになる。労組と一括りには出来ないが、民進党は労働組合の力だけで与党になれることがないことも分かっている。原発廃止を掲げると、電力総連の都合が悪いとする意見が出てまとまらない。しかし、電力総連で何人国会に議員を送り出せるのかい。
政党協力を考える上で、綱領や基本的な理念で一致するのなら、同じ政党である。これが違っても、協力する利益があると確信するから一緒に行動するのである。この原理主義者は幼い。そもそも、一人一人の考えに違いがあり、部分で一致をみるから政党に属しているのだろう。完全な一致を求めるなら、入党時の資格試験に思想チェックでも設けるのだろうか。

愚かな民進党の話を終える。山尾の話である。幹事長を諦めたのは、山尾に不倫疑惑が生じたからだという。人気のキーワードである不倫である。昭和の政治家のように、妾が何人もいるというのは、今日の国会議員にいないだろうが、まったくいないということとなると少々怪しい。法律を最上の行動規範と考える連中からすれば、不倫に刑事罰がある訳ではないから不問であろう。不貞行為は離婚理由になるから、離婚訴訟にでもなれば不適切と判断しても良いかもしれない。山尾の件が不倫であったとしても、それはそれだけの話に過ぎない。夫や子供がどう思うかは、他人が口出しする問題でもない。文春は私的制裁機関の役割を担っているようだが、むしろこっちの行動原理を知りたい。

いっそのこと、民進党は議員候補になる人物に、過去に前科、逮捕歴、違法薬物の使用経験、不倫経験、非合法カジノ・違法風俗への立ち入り、ガールズバーに立ち入ってお小遣いをあげた経験について公表することを求めたらどうだろうか。もしかしたら、合法の風俗店への経験も明らかにした方が良いかもしれない。


政治家として、公平公正であることを疑われる行為以外に縛りが必要か。

2017年9月 4日 (月)

北朝鮮、6度目の核実験 人工地震とみられる揺れ観測

韓国気象庁と韓国軍合同参謀本部は9月3日午後0時29分に、北朝鮮北東部.咸鏡北道吉州郡(ハムギョンブクトキルジュグン)を震源とするマグニチュード(M)5.7の人工地震とみられる揺れを観測したと明らかにした。日本政府は、北朝鮮が2016年9月9日以来、6度目となる核実験を行ったと断定した。
日本の気象庁は揺れの強さをM6.1、米地質調査所はM6.3と発表した。核実験だとすれば、国際社会が強く反発するのは必至だ。トランプ米大統領は「すべての選択肢はテーブルの上にある」として、北朝鮮への軍事力行使も辞さない構えをみせており、対応が注目される。米国などの単独制裁に反対するなど、北朝鮮に対する圧力強化に慎重姿勢を続けてきた中国の対応も焦点だ。
吉州郡の豊渓里(プンゲリ)には核実験場がある。北朝鮮が「水爆実験に成功した」とする16年9月の前回実験では、M5.0が観測された。韓国国家情報院は8月28日の国会報告で、2本の坑道で実験準備が完了したと説明。いつでも実験が可能な状態だと報告していた。北朝鮮は今月3日付の労働新聞(電子版)で、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に水爆を搭載できると主張。水爆とみられる装置を視察する金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の写真を掲載した。北朝鮮はプルトニウム型と濃縮ウラン型の両方で核実験が可能とされる。日米韓は北朝鮮がすでに十数個の核爆弾を保有していると分析している。ヘッカー米スタンフォード大教授によれば、20年までに計50個の核爆弾を保有する可能性もある。
日米韓は、北朝鮮が水爆を保有しているとはみていないが、通常の原爆より大きさを4分の1程度にできるブースト型核分裂爆弾(強化原爆)の開発に成功した可能性も否定できないとしている。(朝日新聞:9月3日)


北朝鮮について考える。


国際的なかまってちゃん国家である北朝鮮は、米国と交渉相手にした貰いたいという願望を持っている。米国は金王朝を倒したい気持ちがあるのだが、韓国が北朝鮮を引き受けてくれないから、無理が効かない事情がある。この見方は西側に属する者の考え方で、中国からすれば、北朝鮮が自由主義側に属して、親米国である国と国境を接するというのは避けたい、というよりあってはならない事態である。中国が国境を接する国には、社会主義を1992年に放棄したモンゴルもあるが、面積は大きくても、貿易相手として中国に大きく依存しており、GDPも比較にならないくらい小さい。西側に位置する旧ソ連の国は、遠い国であり、国力も小さい。南側は高い山脈で囲まれているから心配は小さく、唯一問題なのはインドとの国境になるが、これは半世紀以上もめているところなので、すぐに片付く問題でもないし、この地域に限定すれば問題の程度は低い。つまり、都市部に近い東側で、自由主義国と国境を接するというのは中国の悪夢である。

核実験に戻す。核実験の成果を、地震測定技術を応用した手法で評価するのは一般的なようだ。しかし、事前にどこの場所で行うか、どのような種類の実験かを知っていて、最適な測定を行うのなら、その評価は蓋然性の高いものになるだろうが、恐らく、この辺りで実験を行うと言う程度の情報しか持たずに、測定場所も都合で決めている状態では、自ずと精度は上がらないということになる。
地震のエネルギーとしてマグネチュードが用いられる。地震という大きなエネルギーを扱う都合上、エネルギーの対数を取った単位である。マグネチュードが2増えると、エネルギーは1000倍になる。大きな違いがある比較ではこれで問題はないのだが、核実験の結果を外部から推定するのに少々不都合が生じる。今回の核実験に対して、日本と米国の発表ではマグネチュードで0.2の差がある。0.2というのは、エネルギーが2倍違うことになる。つまり、原爆か、強化原爆か、水爆かの判断をするのに、これだけでは情報が不足するか、確かな判断を下せないかが生じることになる。困った問題であるが、もともと西側の国に公開して実験している訳でもない。覗き見るのに限度があるのは当然とも言える。もう少しの時間を与えれば、精度の高い検討結果が発表されることと思う。

かまってちゃんに経済制裁を加えるのに、もう手がない状況になっている。中国、ロシアの協力があれば可能だが、こちらは別の思惑もある。石油輸出の停止はもっとも効果的であるが、これをやれば第二次大戦前の日本のような状況になりそうだ。中国と接続している石油のパイプラインは、石油の質が悪いこともあり、停止すれば詰まって使えなくなるという代物である。再開不能に近いとなれば、中国が引き鉄を引くのを躊躇う気持ちは分かる。ロシアは極東地域での低賃金の労働力として期待しているようだ。ロシア人がどれ程働かないのかという疑問も湧くが、横道にそれ過ぎると止める。
結局のところ、韓国が面倒を見ると言いださないのだから、金王朝を倒した後の図式を描け切れないというのが問題なのである。中国やロシアの都合を尊重しなければまとまらないのだから、米国や韓国の都合は後にする。最も血を流さない方式は、中国人民解放軍が平壌を制圧する方法になるだろう。北朝鮮と中国が戦争をする訳がないという意見はもっともだが、米国に朝鮮半島全体を支配させないのなら、米国から北朝鮮を守るという名目で侵攻し、現在の体制を倒してしまい、軍事政権を打ち立てるというのが実際的な作業になろう。軍のトップになり得る者がいるかどうかの問題があるが、なんとなれば、中国の傀儡国家にしてしまえば良い。国際世論の批判を防ぐには、ロシアと米国に事前に合意を取り付けて置けば済む話だ。こんな方法で検討していると想像するが、どうだろうか。


お坊ちゃんに、火遊びするとおねしょするよ、とスミダのお姉さんが教えなければいけない。

2017年8月31日 (木)

日野皓正さん、中学生をビンタ

ジャズトランペット奏者の日野皓正さん(74)が、東京都世田谷区で8月20日にあったジャズコンサートの最中、ドラムを演奏していた男子中学生の髪をつかんでビンタしていたことが8月31日、区教育委員会への取材で分かった。生徒にけがはなかった。
区教委は「生徒がソロパートでなかなか演奏を止めなかったため、進行に支障が出ると日野氏が判断し、中断させた」と説明。「日野氏の行為は行き過ぎた指導だったと捉えている」としている。一方、生徒は保護者に、自分の行動を反省しており今後も演奏活動に参加したいと話しているという。区教委によると、コンサートは区教委主催の体験学習で、日野さんらプロ演奏家の指導を受けた中学生約40人が約4カ月練習した成果を披露する場だった。区教委は「今後も事業を実施するため、日野氏側と話し合っていきたい」としている。(共同:8月31日)


少年の関係する案件の報道について考える。


日野皓正の指導について問題があるか否かの議論に流れている。それについては触れない。理由は簡単で、公表されている情報が乏しいからである。無論、暴力が問題だとするのは当然であるが、それだけで済む話でもあるまい。
報道されたことで、男子中学生やその両親は追い詰められたことだろう。そもそも、ジャズ演奏の世界など非常に狭いから、有名な日野皓正の指導に逆らったとなれば、ジャズドラムを続けていくのに差し障りが出てくる筈である。つまり、会陰総終了後に、少年の気持ちとは別に、日野に詫びを入れないことには仕方ない状況にあったと想像が付く。そうしなければ、この先演奏できなくなる可能性を考慮しなければならないのだから。
ドラムソロが任されることは事前に決まったことである。少年が想定された時間を超えて演奏するのは、少年の主張であり、これはそれまでの練習との関係があると思われる。スティックを取り上げられた後に、素手でドラムを演奏しようとする行為に、強い意志を感じる。しかし、少年の主張など報道されることもなく、そもそも少年の個人的な事情などオープンにする理由もない。つまり、少年の事情は感心の対象には成り得ないのに、報道の矢印は少年の内面を想像することに集中する。
少年の髪をつかんでビンタしたのが、日野ではない街の音楽愛好家であったのなら、その場で問題になり、当然のことながら大きく報道されることはなかった。つまり、ニュース性は日野皓正にあるのに、事情を理解しようとすると感心は少年に向かうという微妙なずれがここに生じる。そして少年とその家族は、体験学習の将来や、日野の世間からの批難や、もちろん、自身の近い未来の音楽との関わり合いについて、短時間に最良の結論を出すことを強いられる。少年の体験学習として最適なものかに大いに疑問がある。考えるまでもなく、日野と少年の力の差は大き過ぎる。日野が大きな力により強引な仕事をしたとしても、この活動が実質的にボランティアであることが言訳になる。一方少年は何も持たないなら、ただ叩かれるだけに終始する。

少年は自らの自由意志により参加していることだろう。それなら、結果に責任を負うのは、大人と何ら変わらないと考える。自由意志がない部分においては少年は保護されねばならない。この思想は、子供に寛容でないと指摘する人がいるが、寛容であることを拡大し、ある日突然、許容されなくなるのは悲劇である。
今回の少年、男子中学生は、ソロ演奏を暴走したことは咎められねばならないが、報道により社会から批判の中心に置かれるのは許されない。なぜ守らないのか。日野を攻める振りをして、男子中学生を晒し者にするだけのリンチを行っているのが報道である。


週刊新潮は、私的制裁機関として社会に認められているようだ。

2017年8月30日 (水)

麻生氏、ヒトラー巡る発言を撤回 「誤解招き遺憾」

麻生太郎副総理兼財務相は8月30日、派閥の研修会の講演で「ヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメ」と発言したことについて、「ヒトラーを例示としてあげたことは不適切であり撤回したい」とのコメントを出した。
麻生氏は「私の発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾」とした上で、「政治家にとって結果を出すことがすべてであることを強調する趣旨で、悪しき政治家の例としてヒトラーをあげた」と釈明。「私がヒトラーについて、極めて否定的にとらえていることは、発言の全体から明らかであり、ヒトラーは動機においても誤っていたことも明らかである」としている。麻生氏は29日に横浜市で開いた研修会で、「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と述べていた。(朝日新聞:8月30日)


麻生の発言について考える。


毎度おなじみ、身内の会合でウケを狙うという麻生体質が如実に出た発言である。ネット上に存在するライトな右翼思想 (軽薄なという意味で使ってはいない) の見解は、文章を正しく読めばヒトラー賛美でないのは容易に理解でき、言葉を恣意的に切り取るマスコミの操作だと指摘する。まあ、このような場合には、恣意的ではなく意図的が妥当だと思う。
こちら側の都合で解釈してはならない事柄が世の中には多く存在する。第二次世界大戦中のナチス党率いるナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺はホロコーストと呼ばれる。ヒトラーが忌み嫌われるのは、ホロコーストによるところが大きい。麻生がヒトラーを悪い例示として用いたとしても、当時の大日本帝国は、ヒトラーのドイツと、ムッソリーニのイタリアと枢軸国 (Axis Powers) を構成していたことを忘れてはならない。このグループが戦った相手は、United Nations つまり連合国である。日本語では区別があるが、要するに現在の国連である。
昔、枢軸国であった国の副総理が、ヒトラーを意識した発言をしたことを、United Nations 各国のカウンターパートがどう思うかという程度の想像力を求めるのは、特別に配慮するというレベルではなく、一般常識の枠の中に確実に収まる礼節と言って良いだろう。具体的には、米国の副大統領はマイク・ペンスである。共和党の保守派であり、ティーパーティー運動に参加しているキリスト教右派である。キリスト教右派というのは、キリスト教シオニストと近似的に等しいと思って良い。つまり、ユダヤ教徒と同じ方向に視線を置いている。大統領のドナルド・トランプは、娘婿がユダヤ教徒で、娘もユダヤ教に改宗している。
外交は厳密なプロトコルに従って行われるが、日本と米国の力の差は明らかである。麻生が、財務大臣として米国との交渉となれば、米国財務長官であるスティーヴン・マヌーチンがカウンターパートとなる。ユダヤ教徒である。副総裁としても、財務大臣としても、米国との交渉に不都合が生じることが約束された。事実は、たったこれだけの話である。

麻生は過去にヒトラーを例示した発言をして撤回している。当然、これはUnited Nations の国にも伝わったことだろう。迂闊にも、これを繰り返した。交渉のテーブルについた米国が、麻生が相手なら交渉しないと言うことが、いつでも可能な状態を麻生が作ってしまったということである。安倍が麻生を切れば任命責任が問われることだろう。これは稲田朋美の比ではない。切れば安倍も終わるということだ。安倍は切れない。ということは、安倍の政権を人質に取ったに等しいのである。よって、米国は表向き抗議しないことだろう。交渉の札は大事にしなければならない。
麻生の愚かさは、たかが身内の勉強会なるゴミ集会で笑いを取る行為で、日本国の国益を損なうことになったということである。麻生が、将来ドイツと組んで、米国を攻撃することを考えているのなら、そんなことは少しでも漏れてはならない機密情報である。そっちが本心であっても迂闊である。米国を攻撃するのは現実的でないから、北朝鮮と組んで韓国を攻撃するくらいが、フィクションの限度ではあろう。

麻生の自慢は、血統の良さとオリンピック出場である。血統は良くても、育ちは悪いとして、べらんめえ調で得意に話す。多くの時間を東京で過ごしているが、福岡県の出身である。自慢できる学歴はない。以前は、海外留学の記載があったようだが、自身のホームページで削除されている。学歴を自慢しないのは正しい判断のようだ。その理性を身内の会合にも活かして貰いたいものである。


ゴルゴ13に書いてなかったということなのだろう。

2017年8月29日 (火)

茨城知事に自公系新顔 安倍政権が全面支援 現職7選阻む

茨城県知事選は8月27日に投開票され、自民、公明が推薦する新顔の大井川和彦氏(53)が、7選をめざした現職の橋本昌氏(71)、新顔の鶴田真子美氏(52)を破り、初当選を決めた。内閣改造後初の知事選で、安倍政権は10月の衆院3補選の前哨戦と位置づけて大井川氏を全面支援した。惨敗した7月の東京都議選で対立ログイン前の続きした公明党との選挙協力も奏功し、政権運営は一息つく形になる。投票率は43.48%(前回31.74%)。
大井川氏は、現職では全国最多となる7選をめざした橋本氏について「継続ではこれからの茨城の発展はない」と多選を批判。経済産業省官僚やIT企業役員としての実績を訴え、支持を広げた。菅義偉官房長官を始め、閣僚や自民党幹部が次々と応援に駆けつけ、県議も全面的に支えた。現職の橋本氏は日本原子力発電・東海第二原発の再稼働反対を明確に訴えて選挙戦に臨んだ。原発が立地する自治体の現職知事としては異例の対応だ。無党派層の支持拡大を狙ったが、多選批判の影響は大きく、原子力政策についても急な方針転換への不信感などから支持は広まらなかった。原発の「廃炉」を掲げた鶴田氏も届かなかった。

  当 大井川和彦 (1)  無新 〈自〉〈公〉      497,361
     橋本昌       無現             427,743
     鶴田真子美    無新 〈共〉〈ネ〉〈新社〉  122,013
 

 ※〈 〉内政党は推薦・支持                   (朝日新聞:8月28日)


知事選挙について考える。

自民党幹部が大量導入された知事選挙である。森友学園問題、加計学園問題と叩かれる問題に事欠かない状態が長く続いている。自民党というより、安倍晋三の問題に近いが、これが伝統的な自民党の体質だと過去のことを思い返す人もあるかもしれない。そうなると、連鎖が続くという、続くではなく拡大してしまうから、何としてでも止めなければならないという位置付けの選挙となった。とはいっても、自民党の党員が関東で東京都に次いで多い県である茨城県だ。普通に勝利という流れなのだが、7選を目指して現職が自民を離れて立候補し、自民は公明もまとめて新人の大井川を推すということになった。つまり、保守分裂である。大量動員には意味がある。ついでに、内閣支持率の推移を下に示す。つい最近使ったばかりの使いまわしである。

■ 内閣支持率
    年・月    日経    読売    TV朝日  NHK
  2017年8月    46     42      38     39
  2017年7月    39     36      29     35
  2017年6月    49     49      38     48
  2017年5月    56     61      46     51
  2017年4月    60     60      50     53
  2017年3月    62     56      51     51
  2017年2月    60     66      55     58
  2017年1月    66     61      55     55
  2016年12月    64     59      52     50
  2016年11月    58     58      50     55
  2016年10月    60     57      50     50
  2016年9月    58     62      49     57
  2016年8月    58     54      47     53
  2016年7月    58     53      42     48


8月になって少し持ち直したが、十分に回復したとは言い難い。安倍不信が最大の要因であるから、地方選挙に自民党総裁は応援に行かないなどと言い訳しつつ、内閣と自民党とは違う雰囲気を醸して、支持層を固めるということになる。
現実的な分析としては、自民支持層は割れたので、公明の支持層とその周辺にあるF票が、大井川を勝たせたというのが正しいだろう。自民党が強い地域でこの程度であるということは、実質自民党である小池新党が争えば、公明党抜きでは負ける可能性が高くなる状況と思わねばならない。大井川の勝因としては、橋本が東海第二原発の再稼働について、「安全性と避難体制の実効性が確保されない限り原発の再稼働は認められない」などと、唐突に方針転換したこともマイナスに働いただろう。多選批判を受けても、これまでと変わらず安定した茨城県を続けると主張するのが、保守的な地域での正攻法である筈だ。方針転換して、保守層に不安を覚えさせてしまえば、多選による腐敗、これは安倍晋三とお友達の癒着の図式を思い起こさせる、を懸念させてしまって、マイナスが大きくなるばかりである。失敗である。


共産党、結構頑張ったと思う。安倍嫌いはここに流れたということか。

2017年8月24日 (木)

民進代表選、離党者対応で溝 前原・枝野氏

9月1日投開票の民進党代表選に向け、前原誠司元外相と枝野幸男前幹事長の両候補者は8月22日、日本記者クラブの記者会見に臨んだ。枝野氏は細野豪志前代表代行や長島昭久元防衛副大臣らの離党者を念頭に「しっかりと対抗馬を擁立する」と明言。前原氏は「総合的に判断する」と今後の連携に含みをもたせた。野党再編への姿勢でも温度差が目立った。
前原氏は東京都の小池百合子知事が実質的に率いる地域政党「都民ファーストの会」について「わかりやすい政治をしたことが都議選での躍進につながった」と分析。「大都市でこれからも地域政党ができるかもしれない。いろんな連携を取りながら力を最大化していく」と述べた。一方、枝野氏は「単独で政権を取る覚悟と努力が必要だ」と強調。「全国で本格政党として活動できる基盤は持っている。今ある地域基盤を強化することに全力を挙げる」と述べた。(日本経済新聞:8月22日)


民進党について考える。


民進党が忌み嫌う、というより、国民から見放された政権であった民主党のイメージを切り離したいというのが、この民進党の最初の課題だと認識しているようだ。よって、前回の代表選は蓮舫と玉木雄一郎が争ったのは目的に適っていた。しかし、今回は、前原と枝野で民主党色が強い代表選になっている。何をやっているんだか。
民進党のこの状況を打開する為に、議員個人として離党を考える者が出ている。通常ならこんな行動にはでないのだが、つい最近の東京都議会議員選挙で小池新党 (都民ファーストの会と称する) が旋風を巻き起こしたから、これにあやかろうと思う信者が増殖しているようだ。実際、都議会議員選挙でも選挙前に民主党系会派から都民ファースト系に宗旨替えして当選したという、御利益の恩恵を受けた都議会議員もいるようだ。
とはいっても、宗旨替えができるのは、民進党の右側に位置する人達に限られる。左側に構える議員には可能な御宗旨候補は、消滅の危機にある社民党か、さすがにこれは無理だという日本共産党となる。つまり、小池新党に流れ込んで地位を守ろうとする保守系の議員が、離党する可能性のある候補ということになる。
都知事である小池百合子の考え方は、新党によって首相になろうなぞとは思っていない。小池は過去に新党ブームに乗って国会議員になったものの、大臣になれたのは自民党であったときである。新党をチラつかせて自民党を揺さぶり、自分の価値を最大化した上で自民党に合流するのが現在描いている青写真だろう。小池が民主党の悪いイメージを引きずる民進党の議員を引き連れて自民党に合流するというのは、自民党内での地位向上にマイナス要因にしかならない。そもそも小池頼みの子分など、色の付いていない議員の方が都合が良いに決まっている。それからすれば、若狭だっていつ切られないとも限らない。

枝野が自民党に行くことはないだろうが、前原なら自民党であっても不思議はない。細野や長島と一緒に自民党に入党すれば良いだろう。自民党の古い体質を嫌ったこともあるのだろうが、"の"党の類で、継続して存在したものがない。一時のブームでは仕事は出来ないだろう。自民党に行かない理由は、究極的には埋没してしまうからに過ぎない。政治理念の一致などとほざている者があるが、同じ政党だから皆一致しているというのは、日本共産党か公明党くらいのものだろう。そもそも、野党で政治理念の一致もないものだ。野合と言われようとも、選挙で過半数を確保するのが、選挙命の国会議員の矜持というものだろう。


原理主義的な頭の固さが、国民の利益に通じるとは思えない。

2017年8月 8日 (火)

「日本ファースト」立ち上げ 小池氏側近が政治団体

東京都の小池百合子知事の側近、若狭勝衆院議員は8月7日、国会内で記者会見し、政治団体「日本ファーストの会」を立ち上げたことを明らかにした。設立日は7月13日。次期衆院選の候補者を発掘するため、政治塾を発足させることも表明した。9月16日の初回の講師には小池氏を招く。若狭氏は「有権者は自民でも民進でもない政党の存在を求めている」と語った。
7月の東京都議選で地域政党「都民ファーストの会」を率いて圧勝した小池氏の国政進出をにらんだ布石とみられる。野党第1党の民進党では、細野豪志前代表代行ら複数の現職議員が離党を表明。若狭氏らとの連携を模索しているとの見方もある。今後の野党再編のほか、安倍晋三首相が踏み切る衆院解散時期にも影響を与えそうだ。若狭氏は7月の東京都議選で都民フを支援。自民党を離党し、小池氏と行動をともにすることを明言している。今月6日のテレビ番組では、細野氏らと今後の連携に向けて協議する意向を示したほか、参加が見込まれる現職の国会議員についても、「(政党となるのに必要な)5人以上はいる」と述べていた。


政党名について考える。


都民ファーストの会であるから、国政政党となると、国民ファーストの会となりそうである。ところが、国民ファーストの会公認を掲げ、東京都選管の選挙公報でもそう記載された都議選候補がいる。後藤輝樹であるが、千代田区(定数1人)で立候補している。とはいっても、小池新党が国民ファーストの会を名乗ることは可能であるようだ。ややこしい状況が生じるから、好ましいことではない。共存して状態で、国政選挙となれば、衆参議員選挙比例選出議員選挙でどうするかということになる。後藤の会が、国政政党の要件を満たす可能性は低いから、比例区では小池新党が独占的に名称使用が認められたとしても、たとえば衆院小選挙区になれば、政党の名称保護の規定はないから後藤の会と競合することになる。マスコミ報道では、保護されない政党は、諸派扱いするのが通例であるが、選挙公報やポスターでは使用可能である。
後藤の会が、小池新党が国民ファーストの会の名称を使用した国政進出を睨んで、既得権を主張する為に名称を先に登録したという考えは成立するが、後藤がその通りですと言う筈もない。名称を売買するというのも、政党名であれば馴染まないところだろう。結論としては、国民ファーストの会の名称は使えないということになる。

若狭が、国民ファーストの会が使えないならと、日本ファーストの会なる名称を使うことにしたと仮定しよう。随分と国粋主義的な名称である。英語にすると、Japan First Party ということになろうか。おやおや、これだと、桜井誠が党首を務める日本第一党と同じである。桜井は、元在日特権を許さない市民の会の活動で知られる人物である。こちらは、国粋主義が似合いそうな団体ではある。
「の党 (会) 」、や「新党」という名称を用いる政党は、長く続くことはない。テンポラリーな使用であるのだが、本人たちは人気になりそうな名前と気に入るようだ。小池の経歴を確認すると、日本新党→新進党→自由党→保守党→保守クラブ→自民党→都民ファーストの会 と変わっている。保守クラブは、保守党所属の政治家が、自民党に加わる為の手続き上の存在に過ぎないから無視して良いが、非自民の保守政党の流行に乗って、自民党に行き着いたものの、そこでの存在感が薄くなったので他に動いたという様子に見える。このテンポラリーな政党を使って、自民党総裁を目指すと読めるのだが、穿った見方と言われるだろうか。


いっそのこと、Great Japan Patriotic Party の政党名を使って貰いたい。

2017年8月 4日 (金)

NECが小動き リチウムイオン電池から撤退

リチウムイオン電池事業から撤退する。電極を生産する子会社を中国の投資ファンド、GSRグループに売却することで最終調整に入った。投資負担の意味が薄らいでいると判断した。(日本経済新聞:8月3日)


NECについて考える。


NECの決算推移を確認する。下に示す。

■ NEC決算推移 (単位:億円)
  決算期       売上高       営業利益      純利益
  2017/03         26,650          418           273
  2016/03         28,248          914           759
  2015/03         29,355         1,121           573
  2014/03         30,431          691           337
  2013/03         30,716          920           304
  2012/03         30,368          420        -1,102
  2011/03         31,154           0           -125
  2010/03         35,831          494          114
  2009/03         42,156          -931         -2,966
  2008/03         46,171         1,122          226
  2007/03         46,526          163           91
  2006/03         49,299          149          -100
  2005/03         48,017          220           772
  2004/03         48,605          162           100
  2003/03         46,631          248          -123
  2002/03         50,842          -778         -3,079
  2001/03         54,097          930          566

1990年代にPCが失速し、2000年代にはDRAM事業が分社化し、半導体事業も分社化、2010年には携帯電話事業を分社化している。記事の自動車用電池の日産との共同開発は2007年に合弁会社が設立され、2010年に量産が始まった。日産とNECの組み合わせも、時代が時代なら不思議な組み合わせだが、そんな話を持ち出すご時世でもない。しかし、自動車搭載用には専用設計する必要があるのが専門家の認識であるから、電気自動車を開発する自動車会社は、電池会社と提携するのが必要ということになる。つまり、当時の日産、適当な天地会社がもうなかった、からすれば、NECしか候補がないという状態であった。電池が性能を決定する最大の要因であるのに、消去法で選ばざるを得なかったというところが日産の不幸である。
NECの事業売却は他にもある。オフィスコンピュータと称される製品がある。オフコンと呼ぶのが普通のようだが、略語は好まない。その昔、秋葉原で2F ミニコン売り場と看板があり、ミニコンピュータがあると喜んで2階に行ったらオーディオ機器しか見当たらなかった。ミニコンが、ミニコンポ (mini compo=和製英語だ) 、つまり小型のコンポーネントステレオを意味していた。オーディオ機器の展示があっても、DECのVAX-11が展示されている必要性もない。勘違いする方がどうかしているというものだが、ミニコンポと表示されていれば間違えることもない。
そのオフィスコンピュータであるが、この日本独自のアーキテクチャーである小型コンピュータは、1960年代から1990年代に全国の中堅中小企業や工場の情報化を後押しした。 しかし、1990年代、Windowsサーバーの登場で市場は一変し、年間出荷位台数は2000年の1万台から、2015年は1000台にまで落ち込んだ。 終わっているように見える商品だが、1万台以上がまだ現役で稼働中という。NEC、日本IBM、富士通が3強とされたが、NECが撤退を決めた。 2013年12月に新規出荷は停止しているが、既存顧客がある状況ではある。困った企業も沢山あることだろう。小さな事業所向けに最適化することが進むと、結果的にデータの汎用性に乏しくなるという傾向が出る。データの処理能力、容量が拡大している現在だと、データの汎用性を重視するが、どちらも不足していた時代の設計は、ベクトルが反対側に向いている。

上記期間で、売上高が半分になっているが、営業利益は似た水準で推移している。日本の巨大企業は贅肉が多いということになるのだろうが、贅肉と筋肉の区別など、ある瞬間の都合で決まるものに過ぎない。どっちも有効に使うのが経営者の手腕である。無能な経営者は使わずに壊死させると決まっている。腐ってから切り離しても仕方ない。腐る前に売ったとNECの幹部は説明するだろうが、このままで進めば十年後にはまた半分に売上高が減るかもしれない。何をするか、何をしたいかを明確に示すのが、緊急的に行わなければならない仕事であると感じる。


NECには半減期があるのだろうか。

2017年7月31日 (月)

昔の上司の思い出

古い特許の検索をしていて、社会人になって最初に配属された部署の上司の名前を見付けた。ファーストネームが珍しい人なので、フルネームで検索してみた。こんな仕事の動機など、単なる特許調査に厭きた気まぐれの悪戯に過ぎない。すると、歴史上の人物に混ざって、牧師のブログに登場している。何だか不快になったので、フルネームをダブルクォーテーションで括って検索する。歴史上の人物は霧散したが、牧師濃度が著しく高くなった。そして、5年前に亡くなったとあった。

入社するとすぐに米国進出が決定された。そして、半年ほどで上司というより、取締役から上司までのラインと、古い (と言っても入社5年前後である) 先輩たちが米国行きのメンバーに指名された。入社1,2年目の社員など予備役にもなれない存在である。当時の米国は、日本企業の進出を警戒し、就労ビザの発行審査がとても厳しくなっていた。これをパスする理由など見当たらない。実際、入社年次を経過している社員でも、審査に手間取っていた。その中でも、博士号を有する上司は別格で、ビザが下りるのが早く、半年したら先発隊として米国の子会社で勤務していた。つまり、上司であったのはこの半年間に過ぎない。
米国法人の設立は、当時でも現在でも、時代に無関係に無謀であった。製品の完成度が低いし、市場の要求が明確になっていなかった。特殊な限定された市場へアプローチするというような話を聞いたが、そんな市場などいつの時代にもありはしない。これに最も類似した市場は、とてつもなく高性能な製品を高価格で提供するというものである。しかし、これが成立するには、その先に高価格でも受け入れてくれる需要が確実であることが前提条件になる。つまりこのような市場は軍需である。しかし、軍事用の部品でもなかった。

日本と米国に分かれたまま開発作業は進展し、二年ほどで市場に受け入れられる程度にはなった。日本側には試作さえもままならない設備しかなかったので、量産工場である米国での生産という役割分担は必然的に決まった。この頃に、米国進出の上から二番目は、事業方針が合わずにいなくなった。四番目であった上司も立場は微妙であったと後で知る。一番上は、赤字会社を作ってしまったのだから、風当りは強かったことだろうが、この立場はその為にある。二年でここまで来たのだと胸を張るのが、このポジションというものである。

量産開始から暫くして、この元上司は米国で研究開発をすることになった。そんな時、日本に分析の依頼があった。どう考えても、米国の分析会社に依頼するのが正当な方法で、同じ会社であっても、日本に依頼すれば輸送費はかかるし、そもそも分析が専門でない部署への依頼である。結果の不安は、無駄銭の心配がある。そんな心配より、出銭を避けなければらない事情もあったのだろう。つまり、難しい立場であったということだ。
分析結果を報告してから幾カ月かしたら、元上司が日本に出張に来た。そのとき、ボールペンを貰った。通常の仕事を行って、何かを貰うという行為を好まない。しかし、免税店でほどほどの値段で買えるものと思えたから、有難く頂くことにした。
元上司はそれからほどなく退職した。米国資本の同業者に転職したという。十年近くが経過しただろうが、他所の取引先との打ち合わせで噂話に出た。そこでの立場も微妙であるのを窺わせた。何より、それから数カ月後には、その会社は会社更生法の申請をしてしまった。

元上司の奥様がブログを公開している。そこに、元上司がなくなる数カ月前に記したものがある。それによると、会社が倒産した際に、技術者をやめて、宗教家になることを決めたという。そして、それから日本の神学校で3年間訓練を受け、米国に戻った。牧会 (プロテスタントであるようで、神のみことばの説教と理解する以上の知識はない) を始めて4年で肺癌が見つかり、適当な治療法は乏しい状況であったという。亡くなったのはそれから2年後である。

誰かに連絡しようにも、5年の時間が経過している。元上司の家族には、米国出張時に1回家にお邪魔しただけのつながりしかない。それでも、もやもやした不快感を処理する為に、別のブログで亡くなったことを報告していた日本人牧師を知り、そこへメールをすることにした。失礼は百も承知の行為であるが、メールの文面を考えていて止まってしまった。同じ宗派であるのは当然だが、宗派は分かっても、キリスト教への理解が決定的に不足している。人の死に対する考え方は、宗教の違いにより決定的に異なる。普段意識することはないが、日本人であり、死生観については仏教の影響の元にあることを自覚することになった。
宗教的なニュアンスを極力排除するよう注意し、結果として、寂しいとか悲しいとかいう小学生の作文のような表現を用いることを受け入れメールした。その後、日本人牧師様から届いた返事も、クリスチャンではない者への配慮が行き届いたものであった。要らぬ気を使わせてしまった。
長い時間を経過してから人の死を知るというのは、まぬけな話だと思っている。恐らく日本人に対しても、この表現は誤解を生むだろうことを自覚する。知りようもない仕方のない出来事について、残念であることをまぬけと称している。それだけの話である。


ボールペンの先の金色は発色を失った。角も地の色が見えている。それに十分な時間である。

2017年7月26日 (水)

DRAMスポット価格が一段高 月初比3%上昇

代表的な半導体メモリー、パソコン用DRAMのスポット(随時契約)価格が一段と上昇している。指標品となるDDR3の4ギガ(ギガは10億)ビット品は1個3.19~3.28ドルで、月初と比べ3%程度値上がりした。
7~9月はスマートフォン(スマホ)の生産が増える時期。DRAMメーカーは生産能力をスマホ用に振り向けて対応しており、パソコン用の不足感が強まった。7月初めには米マイクロン・テクノロジーの台湾工場での事故が報じられ、値上がりに拍車をかけた。DRAMの品不足は2016年夏から続いている。パソコンやスマホのメーカーから「二重発注が需要全体の1~2割は出ている印象だ」(南川明・IHSテクノロジー主席アナリスト)との指摘もある。当面高値が続くとの見方が根強い。(日本経済新聞:7月26日)


DRAM価格について考える。


DDR3規格の製品の主な用途はPCである。スマートフォンのメモリも同じ仕様で使用可能だと思っていたが、高性能な製品で汎用などある筈もない。日本経済新聞の市場価格欄から、週間の取引価格の推移をグラフ化したのが下である。

Dram
PCの成長が期待できないのは、スマートフォンの普及で置き換えられた部分があるという説明で良かろう。スマートフォンも無条件に成長する市場でもないと認識されているから、半導体会社は、スマートフォンとPCを天秤に掛けて生産計画を立てるのが普通なのだろう。PC出荷台数の推移をガートナーの発表値をまとめた。下に示す。

■ Gartner Worldwide PC Shipment [ kpcs ]
   年      台数
  2003    169,058
  2004    188,978
  2005    218,626
  2006    239,424
  2007    272,452
  2008    302,207
  2009    308,341
  2010    350,904
  2011    365,364
  2012    352,701
  2013    316,464
  2014    315,866
  2015    287,675
  2016    269,717


2011年をピークに、その後毎年減っている。そんな中でPC用のDRAM価格が上がる要素は、PCでゲーム用とされるモデルが好調であるということのようだ。ゲーム用はメモリ容量を多く搭載する。そんなのは一部も出るだろうというのは、もっともな意見であるが、無視できないくらいこの市場は大きくなっているという。そのうち、ゲームについても扱おうと思っているが、ゲーム専用機以外の話は結構難しいというのは何度も経験している。


電車の中で、携帯型ゲーム機を社会人がやる時代である。PCがゲーム中心でも驚かない。

2017年7月19日 (水)

高島屋・阪急阪神など7社、お中元配送料でカルテルか

お中元やお歳暮などのギフト商品の配送料金を引き上げるカルテルを結んでいた疑いがあるとして、公正取引委員会は7月19日、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で、大手百貨店の高島屋、阪急阪神、近鉄(いずれも本社・大阪市)など計7社に対して立ち入り検査をした。
ほかに検査を受けたのは、そごう・西武(東京都千代田区)、大丸松坂屋(東京都江東区)、京阪(大阪府守口市)と、物流管理業の高島屋サービス(東京都中央区)。関係者によると、各社は2016年ごろ、協議のうえで、関西にある店舗で販売するお中元やお歳暮などの商品の配送料金について、従来の価格から100円程度の値上げをしていた疑いがある。また、15年ごろには一般商品の配送料金も約40~50円の値上げをしたという。
多くの社は、お中元やお歳暮の商戦にあわせて全国への配送料金を200円から300円に値上げしていたほか、無料から300円に引き上げた店舗もあったという。宅配業者への委託料の値上げなどが背景にあったとみられる。高島屋は同じ時期、関東の店舗でも配送料金を値上げした。カルテルの疑いが持たれている百貨店各社の売り上げの合計は、関西の百貨店全体の売り上げの大半を占めるという。日本百貨店協会によると、全国の百貨店の売り上げは16年までの20年間で約3兆円減っており、こうしたこともカルテルの要因となった可能性がある。公取委は、関西以外の店舗でも同様のカルテルがなかったか調べる。高島屋と大丸松坂屋は取材に対し、ともに立ち入り検査の事実を認め、「調査に全面的に協力する」とコメントした。(朝日新聞:7月19日)


カルテルについて考える。


カルテルというのは、複数の企業が連絡を取り合い、本来、各企業がそれぞれ決めるべき商品の価格や生産数量などを共同で取り決める行為をいう。この問題点は、市場の競争原理を実質的に制限することにあるとされる。本来なら安く買えたであろう商品・サービスを、高く買わなければならない状況が生じることになる。これが直接的な影響であるが、間接的には、非効率な企業が温存され、経済を停滞させる要因となるから、世界中で厳しく規制されている。
そうはいっても、その昔、銀行が大蔵省の指導に従う存在であった頃、つまり、護送船団方式であった時代、銀行の配布可能なカレンダーのサイズや仕様は決まっていたし、配布対象となる利用者のランク付けも共通にあった。ただし、これは表向きないことになっていたもので、大蔵省による指導によるものとされた。これを公正取引委員会が問題視したことを聞いたことがないから、金融機関は独占禁止法ではなく銀行法の制限のもとで自由競争を行うという認識であったのだろうと理解した覚えがある。
現在においても、他行ATM利用時の手数料が一律なのは、カルテルではないかとも思えるが、手数料は相見互いの関係にあるから同じである理由はありそうだ。しかし、2008年に、利用者手数料無料サービスを実施した東京スター銀行に対し、三菱東京UFJ銀行が東京スター銀行のATMでは自行のキャッシュカードが利用できなくした。当然のことながら、東京スター銀行は、三菱東京UFJ銀行が全国キャッシュサービスの規約に違反しているとして、三菱東京UFJ銀行に対してATM・CD提携の再開と損害賠償を求める訴訟を提起する事態となった。一審の東京地方裁判所は、三菱東京UFJ銀行の勝訴としたが、東京スター銀行は控訴し、2011年に和解が成立し控訴を取り下げた。手数料で商売をすることを銀行法が認めないと、天の声があったように見える。天の声なら、独占禁止法に抵触しない、というより、これが違法行為だと行政を執行する上で差し障りがあると認識したと思える。このケースは当該銀行間の取引契約に限定されたように見えるが、全国キャッシュサービスにぶら下がるすべての銀行に共通するから、銀行全体の都合により決定し、利用者は外に置かれるという図式は、そのままカルテルとなる。和解したのは、こちらの方向に行かないようにする為だったのではないか。経営破綻した東京相和銀行 (その前身は信用組合) を継承した第二地方銀行である。財閥系の銀行とは経営手法が違う。争えば、表に出してはいけない事柄が溢れてしまう。
銀行に自由競争などないと感じる。手数料で無料対応するサービスがあるが、携帯電話の契約のような複雑な設定で、無料であることより自由競争を設定していることをアピールしている様にしか見えない。ご自由にどうぞと思う。銀行業務が顧客に向かって仕事をしていないように見える。よもや、顧客満足度の向上を旨とするISO9001の認定など、銀行で取得しているところなどないだろうと思ったら、結構あったりする。悪い冗談だと思う。2015版への移行で返上すると信じている。

いつもと同じく横道に逸れた。百貨店の配送料金などカルテルで決めていて何ら問題がない世界である。安い商品を期待するなら、別の店に行く。多くの利用者が百貨店に期待するのは、届け先に、▲▲百貨店から届いたというアピールである。■■スーパーでは困るのである。手数料などカルテルですとうたってくれて良い。自分で宅配便業者を利用するより安いのなら不満はない。
公正取引委員会の仕事の問題は、この取り締まりし易いところに手を出すことにある。大きな工事のJVは、手続きを踏んだ談合であるのだが、その下でカルテルが行われたと動くことはない。しかし、地方都市の公園工事の入札で談合があったというのには、素早く反応する。自由競争こそが経済を発展すると信じるのなら、事業規模の大小によらず、競争原理を阻害する要素を排除するのが任務である。
百貨店関係なら、仕入れ業者に関わる問題は多くあると聞く。叩けばいろいろ出てくるだろうが、これだとただでさえ苦しい百貨店の経営は立ち行かなくなる。などと心配して、被害が限定的な配送料金にフォーカスするというのは、公正取引委員会のアリバイ作りにしか見えないのである。



大丸松坂屋が江東区なのに驚いた。

2017年7月14日 (金)

支持率急落に危機感 加計審査に首相出席、与党一転応じる

与党が一転して安倍晋三首相が出席する閉会中審査に応じた背景には、報道各社の世論調査で内閣支持率が急落したことへの危機感がある。野党は学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡る追及を強めている。8月3日にも予定する内閣改造前に一定の説明責任を果たしたと強調し、首相が逃げている印象が前面に出ないようにすべきだとの判断に傾いた。
与党側は当初、議論が平行線をたどり、幕引きにならないとの考えから、野党が求める首相出席の閉会中審査には消極姿勢を見せていた。7月13日には自民党の竹下亘国会対策委員長が民進党の山井和則国対委員長と会談した際にも「必要性を感じない」などと伝え、開催を拒否する方針を表明。これに山井氏は「首相は丁寧に説明すると言った。説明責任を果たすべきだ」と反発した。
竹下氏が民進側に首相出席に応じると伝えたのは、それからわずか数時間後。電話で伝えられた山井氏は「首相が応じるのは当然だ。遅すぎたくらいだ」と指摘した。与党内でも首相が拒否している印象が前面に出ると、政権への風当たりが一段と強まるとの懸念から応じるべきだとの声は出ていた。連立を組む公明党の山口那津男代表は13日の全国県代表協議会で「政府は引き続き国民の疑問にしっかりと説明責任を果たし、国民の信頼を回復しなければならない」と強調。12日には同党の大口善徳国対委員長が竹下氏に説明責任を果たすべきだと申し入れた。具体的な予算委の開催日程は今後、与野党で協議を進める。竹下氏は記者団に「来週以降のどこかの日で対応していこうと思っている」と述べた。現閣僚らによる答弁が必要だと野党が訴えていることも踏まえ、内閣改造前の開催を調整する。政府側は前川喜平前文部科学次官が「加計問題のキーマン」と指摘する和泉洋人首相補佐官の出席も検討する。首相自身は審議に応じる構えをみせるが、一方で竹下氏は山井氏に予算委の時間配分を与党と野党が1対1となるよう通告している。与党側の質疑時間で首相らの正当性を訴えたい狙いで、野党が応じない場合は予算委を開かないことも示唆した。ただ、政府と前川氏らの説明には食い違いもあり、不信感を払拭できるかは、なお不透明だ。(日本経済新聞:7月14日)


内閣支持率について考える。


官房長官の菅は内閣支持率について、「一喜一憂すべきでないと思っている」と答えるのが慣例になっている。一喜一憂しないと表明するのは、とっても気にしているという意味ではあるが、素直なマスコミは額面通りに報道する。この一年間の内閣支持率の推移を確認した。新聞とテレビとそれぞれ二社を比較として引用した。

■ 内閣支持率推移 (単位:%)
    年・月    日経    読売    TV朝日   NHK
  2017年7月    39     36      29     35
  2017年6月    49     49      38     48
  2017年5月    56     61      46     51
  2017年4月    60     60      50     53
  2017年3月    62     56      51     51
  2017年2月    60     66      55     58
  2017年1月    66     61      55     55
  2016年12月    64     59      52     50
  2016年11月    58     58      50     55
  2016年10月    60     57      50     50
  2016年9月    58     62      49     57
  2016年8月    58     54      47     53
  2016年7月    58     53      42     48


内閣支持率が実態を示しておらず、マスコミの操作した数字になっているとする意見をネット上で見掛ける。逆に、ネット上の数字は極端な思想の持主が大きく反映する傾向があり、その意味で信用ならない。マスコミの公表する数字の意味は、同じ方式で繰り返し調査していることに意義がある。アンケートの文章を改めると継続性がなくなる。このような要素を排除する工夫がなされていることが、最低限の統計的な確からしさを担保していると言える。ネットの書き込みなど、統計的な考え方など理解することもない考えの者であるように見受けられる。議論する相手ではない。
単独の数字で何かを語るのは危険がある。具体的には、NHKの51%と読売の61%で差があるから、読売が政府寄りの統計を操作しているとする意見が出てくる。アンケートの構成や、調査方法による影響が出るから、他社の数字の比較は無意味である。しかし、同じ方法であるのだから、51%が35%になったというのは意味がある。読売でも61%が36%になっている。この傾向を見ることが大切である。

内閣支持率調査の支持しない理由について、政府の政策が悪いではなく、大臣が信用ならないに動いていることが重要である。これを払拭するには、誠実に説明することしか方法がない。そこで、加計学園問題に説明するという結論に至ったが、これまで散々隠してみたり、奇妙な言訳をしてきて、役所の記録文書と思われる資料を怪文書と決めつけたのである。後に修正して、問題ありませんともならない。稚拙な対応をしたのは、後ろ暗いところがあったからと思われても仕方あるまい。
調査や審議といっても、形式的なもので、内容が伴うことはあるまい。それでお終いにしたいのだが、いい気になっているという印象を強く残すことになり、与党にとって良いことはなにもない。しかし、本気で調べると問題が出てくるので、痛しかゆしということになる。


ごめんなさいから始めれば、ことは小さく収まっただろう。

2017年7月13日 (木)

2人の死刑執行 金田法相では2度目 1人は再審請求中

法務省は7月13日、1990年代に女性4人を殺害し再審請求中だった西川正勝死刑囚(61)と、2011年に元同僚の女性派遣社員を殺害した住田紘一死刑囚(34)の死刑を執行した。金田勝年法相の執行は昨年11月以来、8カ月ぶり2度目(計3人)。再審請求中の死刑囚への執行は異例で99年12月以来。住田死刑囚は裁判員裁判で死刑判決を受けた確定者として、3人目の執行となった。
12年12月の第2次安倍内閣発足後では11度目、執行は計19人になる。同省によると、これで確定死刑囚は125人となり、うち92人が再審請求中となった。再審請求中は死刑を執行しない傾向があった。法務省には「執行を引き延ばすために、同じ理由で再審を繰り返す人がいる」との見方もある。一方、一家4人殺害事件で死刑判決が確定した袴田巌さんは再審開始決定で釈放され、昨秋には日本弁護士連合会も死刑廃止を宣言する中、波紋を呼びそうだ。金田法相は13日午後、臨時記者会見を開き、「いずれの事件も裁判所で十分審理した上で死刑が確定した。慎重な検討を加え、死刑の執行を命令した」と述べた。再審請求中の執行については、「再審請求を行っているから執行しないという考えはとっていない」と答えた。(朝日新聞:7月13日)


死刑制度について考える。


西川正勝死刑囚の主な容疑は、1991年のスナックママ連続殺人事件 (警察庁広域重要指定119号事件) である。被害者を下に記す。

  12月12日 兵庫県姫路市のスナック経営女性(当時45歳)を殺害
  12月21日 島根県松江市のスナック経営女性(当時55歳)を殺害
  12月26日 京都府京都市のスナック経営女性(当時55歳)を殺害
  12月28日 京都市のスナック経営女性(当時51歳)を殺害

手口に共通性が見られたことから広域重要指定されている。1992年に強盗容疑で逮捕されている。裁判で検察が主張した罪状は、強盗殺人(3件)、殺人、窃盗、強盗殺人未遂、強盗致傷である。再審請求を行っていたとされるが、過去の裁判を確認すると、第一審では全面無罪を主張した。二審では、姫路の事件についてのみ罪を認めたが、「人格・精神障害に加え、飲酒で異常酩酊下にあった」とし、責任能力を否定している。その他については無罪を主張した。最高裁の最終弁論で弁護側は、姫路の事件については認めたが、島根と京都の計3件について全面無罪を主張し、大阪の事件(強盗殺人未遂)については殺意を否定した。
判決はどの裁判でも、全面的に被告人の犯行として、死刑判決としている。被告人は犯行時35歳であったが、18歳の時に鳥取市内のスナックで女性経営者を包丁で殺害し、10年間服役している。その出所後まもなく、強盗致傷事件を起こし、また服役した。つまり、18歳から35歳までの17年間に、社会に出ていたのは5カ月に過ぎないという。
生い立ちにいろいろと問題があることを弁護側は主張している。情状を酌む為ということだろう。しかし、18歳以降の問題を考えると、更生の可能性を見出すのが難しい。それなら、むしろ刑務所の更生プログラムに問題がある事例だと主張する方が合理性を感じる。
最高裁の判決は、2005年6月7日である。その後も何度か再審請求を行っていたとされる。再審請求が、刑の執行を停止する要件には成り得ないというのが、法務省の立場である。死刑制度反対の立場からすれば、何をしても問題があるということになる。しかし、死刑制度を一定の合理性があると考える立場からすれば、制度の機能停止を狙った行為となる。法律を国民が支持しているという前提に立てば、違法行為でないにしても、法律を壊すことを狙っているのだから、道義的な犯罪だと言われよう。
裁判所が決して間違えないとは到底思えないし、検察は思い込みが激しそうだし、警察となると、ノルマ達成の為に無茶をするように感じる。狂暴罪じゃなかった共謀罪なる新たな取り締まり可能な便利なおもちゃを、警察に渡せば遊ばない訳がない。権力は暴走するものだし、確実に腐敗することになっている。偉い人は決して間違わないというのは、この国におけるある種の美徳として語られるが、現実社会ではこの美しさは失われている。そもそもないものをあると信じていただけかもしれない。現実主義者は、間違える可能性を排除してはならないのである。
しかし、この事件に関しては、間違いが入る余地が乏しい印象である。仮に姫路の事件だけで他は無罪と判断したとしても、死刑で良いのではないかという被告人ではある。こんなに雑に判決することはないだろうが、なんともやるせない仕事ではある。

三審制だから正しいという主張は、お止めになった方が良い。事実審を二回して、法律審を最高裁で一回するのが刑事事件の最大ということになる。法律審は、原審(控訴審)が認定した事実が、そのまま判決の基礎となる。殺人事件のような事案で、最高裁に持っていっても変わることが見出せないだろう。被告人が、東京近郊の刑務所や拘置所に入りたいという希望を叶える手段にはなる。
事実審二回もドラマのような展開には、なかなかならないようだ。刑事事件なら、検察の求刑に七掛けで結審に近い印象だが、判事が正しく判決文を書こうとしても、他の事案との公平性を無視することが出来ない事情があるから、結果は似たものになる。4人殺して、殺人の前科があるという被告人に、死刑の判決文を書けないのなら、弁護士に転じるのが良いということになる。


住田紘一死刑囚は、元同僚の女性を殺害した容疑で起訴されている。罪状は、強盗殺人、強盗強姦、死体遺棄・損壊、窃盗となっている。この被告人は犯行時29歳である。前科もない。裁判で事実関係を争うことはしていない。量刑だけが争点になっている。裁判の当初は、他にも女性を強姦しようとしていたとか、過去に交際した女性が結婚した相手を殺そうと計画したなど、心象を悪くすることばかり口にしたが、途中から反省を口にしている。永山基準からすれば、最高裁まで争われて不思議はない案件なのだが、地裁判決後に即日控訴したものの、その後被告人は控訴を取り下げ、確定している。
困った問題は他にもあって、この裁判は裁判員裁判で行われている。裁判員裁判の場合に、厳罰化の流れが出来てしまっている。これはプロの法律家である裁判官の判決と、裁判員裁判の判決が合致しなければならないという立場の人には具合が悪かろうが、判決方式という法律が変更されたのだから、その影響が判決に出るのは必然である。法律に違反していないのなら、それはそれで尊重されるべきことだと考える。それでも、裁判員裁判の判決が正しいか否かを、最高裁で憲法判断するのは有益であったと思う。しかし、被告人以外に利益を受ける者 (普通には不利益である) がいないから、裁判をすることが出来ない状態になった。この手の問題を、不利益を被る人以外が被告人席につけないことを考えると、最高裁とは別に法律や行政行為の憲法判断をする裁判所が必要な気がしてくる。
住田紘一死刑囚の事件は、遺体をバラバラにして遺棄するなど残忍なものであるが、その割に話題にならなかった。そちらの方が不思議ではある。この事件には、表に出来ない事情でもあったのだろうか。


法務大臣は、「人の命を絶つ極めて重大な刑罰。慎重な態度で臨む必要がある。裁判所の判断を尊重しつつ、法の定めに従って慎重かつ厳正に対処するべきだ」と述べている。法律が死刑制度を求めているのだから、法務大臣が個人の信条を理由に仕事を停止してはならない。役所が書く公式見解である。当然のことだろう。また、マスクをした役人が後ろにいたのだろうか。マスク不要になるよう、法務省の役人は、いっこく堂のところで修行をするのが良かろう。師匠と大臣など似たようなものだろう。


再審請求中を意識するなら、死刑執行に関して、裁判所の許可を求めるとでも言うのか。

2017年7月12日 (水)

蓮舫氏、戸籍開示へ 「二重国籍」問題沈静化狙う

民進党の蓮舫代表は、7月11日に開いた執行役員会で台湾との「二重国籍」問題について、自らの戸籍謄本を近く開示する意向を示した。出席者が明らかにした。これまで「個人的な問題」などとして慎重だったが、国籍を証明すべきだとの党内外からの批判を踏まえ方針を転換した。二重国籍を巡る疑念を払拭する狙いだ。
蓮舫氏の二重国籍問題は2016年9月に浮上した。自身は17歳の時に台湾籍を放棄したと説明していたが、台湾籍が残っていたことが発覚。蓮舫氏は台湾籍の離脱手続きをし、日本国籍の選択宣言をしたと説明している。ただ、戸籍謄本を公開していないことに一部から批判が上がっていた。11日の都議選総括のための会合でも、二重国籍問題について蓮舫氏に説明を求める声が上がった。政党支持率が上がらない要因として二重国籍問題を挙げる所属議員もおり、こうした批判に配慮した。(日本経済新聞:7月11日)


二重国籍について考える。


蓮舫が日本国籍を有していないのなら問題だが、問題は二重国籍である。その昔、アルベルト・フジモリが参議院議員選挙に立候補したことがある。比例で、結果は落選であったが、ペルーとの二重国籍は明らかである。当時は法律が現在と異なり、1985年1月の国籍法改正以前に二重国籍であれば、ここで日本国籍を宣言したと見做される規定があった。アルベルト・フジモリの問題は、日本では見做しで不問となったにしても、ペルーでは法律で二重国籍者が大統領になることを禁じているから、こちらは問題になる。
蓮舫の場合の問題は、台湾国籍を放棄したかが本質ではなく、過去に放棄したような話をしておきながら、蓮舫の言葉を信じれば、最近まで二重国籍であったことである。そっちを問題にするなら分かるが、二重国籍だった者を許さないというのは、出自による差別である。もし公的立場であるのだから、国民一般より厳しく求められる項目があって当然だとするのなら、被選挙権に二重国籍禁止を明示し、後で分かったら議員資格を失うとすれば良い。規定がややこしいのだが、成人になる前であるなら、二年間の猶予を与えていずれかの国籍を選択することを求めている。屋上屋を架すではないかと指摘されそうだが、作れない話でもないだろう。自民党が立法すれば良かろう。

民進党の不人気は、蓮舫の二重国籍の問題ではなく、共産党と手を組むのは嫌だとか、労働組合は尊重したい、否そうではないとか、もっと保守層に受け入れられる政策を打ち出したいとか、細かなことを気にし過ぎている。そもそも、そんな原理主義に走れば、十人未満の政党にしかならないだろう。共産党とも組めば良いし、労働組合の協力も得れば良い。新自由主義者も飲み込めば良い。そんなの政党ではないというのなら、自民党を見れば良い。極右と呼んでよい連中から、共産党の隣組として扱い可能な者まで幅広くいる。右翼集団になったのはごく最近のことで、それが今後も維持されるとは限らない。

蓮舫は代表を辞めれば良いし、代表など誰がやっても上手くいかない状況である。小沢一郎にでもお願いしたらどうか。それくらいの器が求められるということである。


戸籍の公開を当然に求めては、人権問題になるでしょう。

2017年7月 6日 (木)

「ミサイル、私なら原発より東京」 規制委員長が発言

原子力規制委員会の田中俊一委員長が7月6日、関西電力高浜原発がある福井県高浜町を訪れて地元住民らと意見交換し、北朝鮮のミサイルの脅威について、「(原発を狙うより)東京都のど真ん中に落としたほうがよっぽどいいんじゃないか」と述べた。「不適切だった」と後に釈明した。
田中委員長は、高浜原発3、4号機の再稼働を受けて、国の原子力災害対策指針などを説明するため、初めて同県を訪問。高浜町民約30人との質疑応答で、「ミサイル攻撃への対策は」との質問に、「原子力規制の範囲を超える」としつつ、「(敷地内での)大型航空機落下についての対策があり、相当の対応はできる」と説明。そのうえで、「小さな原子炉にミサイルを落とす精度があるかどうかよく分からない。私だったら東京都のど真ん中に落としたほうがよっぽどいいと思う。もう何万人、何十万人と住んでいるから」と述べた。田中委員長はその後、報道陣に「不適切では」と問われ、「戦争は絶対避けて欲しいが、戦争状態になったら原子炉だけの問題じゃないということ」「例えが不適切でないかといえば、不適切だった」などと釈明した。(朝日新聞:7月6日)


原子力規制委員会について考える。


田中俊一は9月に任期を迎えて退任すると先に報道があった。後任は山中伸介が予定されている。電子力発電に関する人選が、所謂原子力ムラの内輪で回していて、風通しの悪い組織運営と、利益誘導や都合の良い結論に導く傾向を指摘するむきがある。原子力発電所は扱っているモノがモノだけに金額で算出すれば大きな産業であるが、産業規模の広がりという面で見るとそれほどではない。そして生産するものは、電力でしかなく、産業廃棄物が放射性物質として国が管理する物であるから、自由競争というこの国を支配する経済原理から最も遠いところに位置している。
一度も官営になったことのない電力会社が、これだけ縛りのきついエネルギーで発電する理由が分からない。経営判断として、原子力発電を国に売って、民間企業としては化石エネルギーによる発電と送電で事業を構成するというのが、リスクを一定以上に大きくしないという理性というものだろう。百歩譲って原子力発電に可能性を見出すにしても、リスクヘッジをしなければならない。国か都道府県との合弁による発電会社までが妥協点である。事故があった場合に、企業が倒産することが決まっている仕事を、株主が承認する気持ちが理解出来ない。事故発生に関する保険を、ロイズが引き受けてくれるとも思えない。引き受けるのなら、日本国政府の裏書きは必須要件ではないだろうか。
誰も責任を問わない状況のまま、日本では原子力発電が稼働開始していく。稼働停止の判断は、民間企業である電力会社に致命的な経済負担を強いることになる。電力の安定供給を実現するには、原子力発電なしには達成し得ないという結論ということだ。しかし、事故が起きては手に負えないので、規則を明確にしようというのが、原子力規制委員会という組織の役割である。

北朝鮮のミサイルが落ちて良い日本の領土などある筈もないのだから、あっちよりこっちの方がましの発言が許されることもないのは、東京大学では学ばないかもしれないが、人生のある時期に学ぶものである。大学時代に学ぶかもしれないが、大学のカリキュラムには載っていないようだ。もしかしたら、Fラン大学と称される大学では、特殊教育として実施されている可能性もある。ビジネスマナーなぞという科目が単位になっている。田中俊一は学んだ方が良いことが沢山あると認識しなければならない。


知らないことが沢山あることを無視するのが、ムラ人の特性である。

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