2017年12月 4日 (月)

15歳で知的障害理由に不妊手術強制 「違憲」と提訴へ

旧優生保護法のもと、知的障害を理由に同意なく不妊手術を強制され、憲法の保障する幸福追求権を侵害されたとして、宮城県の60代女性が来年1月にも、国に謝罪と賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こす。原告側によると、同法による不妊手術の違憲性を問う訴訟は全国で初めて。
原告側によると、女性は幼い頃の麻酔治療の後遺症で重い知的障害が残り、不妊手術を受けさせられた。情報公開請求で7月に宮城県が開示した手術台帳には、「遺伝性精神薄弱」を理由に、15歳で県内の病院で卵管を縛る処置を施された記録があった。女性が事前に国や県から説明を受けた記録はないという。12月3日、東京都内であった障害者のシンポジウムで女性の60代の義姉が経緯を説明した。親族に障害のある人はおらず、「手術するために『遺伝性』という病名をつけたのではないか。納得できない」と訴えた。(朝日新聞:12月3日)


インターネットの書き込みについて考える。


記事の内容について記述する能力は有していない。しかし、この記事をニュースとして流すヤフーニュースのコメント欄に強い違和感を覚えたので扱うことにする。

コメントの代表例を示して進める。当時有効であった法律があるのだから悪くないという論理があった。この手の無理解は厭きれるよりない。原告が訴えている相手は国である。手術した医師や、手術に同意した親を訴えているのではない。これなら違法性はないで済む話だ。しかし、旧優生保護法が人権侵害を引き起こす欠陥のある法律で、それを放置したまま運用を許した国は、原告の幸福追求権を侵害したという論理で構成されている。重要なのは、旧優生保護法の目的として考えられていた、遺伝性の障害の拡散がないのに、それが懸念されることにしたと推定されるから訴訟を起こしたという事実である。それほど難しい問題ではない。この短い引用で充分表現されている。不足しているのは、一般法規と憲法を同列に理解するという拙さである。

障害があっては、子供を育てられないから、不妊手術は当然行われるべきことだというのも目に付いた。子供養育に国家資格が必要と考えているようだ。確かにコメントを読んでいると、そんな人物が沢山いる様な気になってくる。しかし、子供養育条件を満たす者などどこに居ようか。子供が生まれてから親になる。その前に何が分かるというのか。健康そうで、経済力もあって、それで子供を虐待する親を選別する手段でもあるのだろうか。
同様のコメントで、障害者が子供を産めば、税金で面倒を見るだけだから、社会全体として経済負担が増えるだけのお荷物だというのがある。今日、障害者の補助など、過去の手厚く扱われた時代に比べれば慎ましやかになったようだ。慎ましやかが妥当かどうかを知りたければ調べれば良い。実際のところ、苦労の多い生活を送ることを知るのはそれほど難しくもない。コメントは障害者の家族は、貧しい前提になっているようだ。平均より豊かな家庭もある。そちらの方が行政の支援は届き難くなる問題もあるのだが、まあ、ここまで複雑なことを考える者なら、不用意なコメントなんぞを書く筈もあるまい。

知的障害はあっても性欲はあり、本能のままに周囲を対象として、犯罪に繋がることがある、というのもあった。そのような事例もあるだろう。犯罪は処罰されねばならない。しかし、しそうだからと処罰する危険性について考えなければらない。準備罪とか予備罪とかいう呼び名の罪名がこれにあたる。先ごろ国会で話題になった、テロ等準備罪というのが代表的である。既にあるものに殺人予備罪がある。2年以下の懲役刑となっている。死刑または無期もしくは5年以上の懲役になる殺人罪との落差を感じよう。思想良心の自由に踏み込むことに慎重なのは、憲法に抵触する恐れも考慮されてのことだろうが、社会秩序からみて当然というのが今日の人権意識というものだろう。少数の例外で全体を代表させるという、大胆な論理展開である。


以前からこのブログで書いている様に、差別を嫌う立場を取っている。差別というのは、自分で決定不能な事実に因るものと理解する。学歴や職歴は自分の責任なので合理的な区別の範囲である。出身地や性別、年齢は自分で決めようもないから差別である。障害の有無も差別である。だから、心神耗弱や心神喪失で刑事罰を減じたり免れたりすることを許さない。少年犯罪の扱いも大人と同列で良いと考えている。障害や年齢は自己決定不能であるから、これを減刑の理由に用いれば差別に合理性を与える。少年犯罪を更生の機会を与えるなどというのは、子供を見下した主張と考えるのである。更生の機会を与えるのに反n対はしない。しかし、それは大人も子供も同列である。

分からないという事実に謙虚に向き合う姿勢がないのが、ネット空間でのコメントである。刹那的な思い付きで、他人を傷付けるのが好みの様だ。それで一向に構わないのだが、何かを考えるきっかけになるのならそれでも良い。それにしても、書き込み文章が似ているのはどういう訳なのだろうか。IDを取り換えて沢山投稿する者もあると聞くがご苦労なことだ。内容に乏しい者ほど激しく主張するというのは、国会で良く見られる光景ではある。国会議員が国民の代表である、つまり、ネットの民と同質であることを示している。ネットの民は、自分たちの代表が国会にいることに誇りを持つと良かろう。


障害者が何も出来ないという主張は、障害者を何も分かっていないという事実と驕りを示す。

2017年11月30日 (木)

日馬富士「礼儀、直すのが先輩の義務だと」 引退会見

大相撲の秋巡業中にあった暴行問題で、日本相撲協会に引退届を出し受理された横綱日馬富士(33)=伊勢ケ浜部屋=が11月29日午後、九州場所の宿舎がある福岡県太宰府市で記者会見した。日馬富士は「世間を騒がせ、支えてくださった皆さんに迷惑をかけて本当に申し訳ない」などと語った。
会見の冒頭、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が日馬富士の引退について、うつむき加減で文面を読み上げた。「本日、横綱の引退届を提出しました」。伊勢ケ浜親方は肩をふるわせ、その声は時折、上ずった。横に座った日馬富士は正面を見詰め、涙を見せることはなかった。日馬富士は10月25日、鳥取市内の飲食店で同じモンゴル出身の幕内貴ノ岩(27)に暴行を加えたとされる。「貴ノ岩関にけがを負わせたことに対し、横綱としての責任を感じ、本日をもって引退をさせて頂きます」と日馬富士。師匠とともに30秒近く、頭を下げ続けた。(朝日新聞:11月29日)


大相撲について考える。


事件の詳細が明らかになっていないが、加害者である日馬富士が責任をとったことから、暴行傷害事件があったのは確定した。しかし、被害者である貴ノ岩の怪我の程度は分からないままで、素手で殴ったのか、道具を使ったのかが分からないままである。怪我の程度が酷くて、貴ノ岩の競技人生に影響するようなら、引退したから済ませて良いという問題ではない。この怪我は、巡業の土俵でも、稽古中に発生したものでもない。飲食店において発生した事案である。
貴ノ岩の親方である貴乃花は、沈黙している。この偏屈な元相撲取りを理解するのは難しいが、確実なのは世間の常識というものとは遠いところに暮らしてきて、それが許される環境であったことである。この少数派である価値観からすれば、土俵上で対戦する相手と飲食を共にするのが不思議なのだろう。報道では高校時代の恩師が関係しているという話であるが、この原理主義者に受け入れ難い環境にあったと推定される。原理主義者でなくとも、モンゴル人同士で星の受け渡し交渉をしていたと疑われても不思議ではない。もう少ししたら、大相撲の八百長問題が週刊誌で報道されることだろう。

日本相撲協会というのは公益財団法人である。引退した者が協会の構成員として残る手段は、年寄りになるよりなく、その為には現役時代に十両以上にならないとどうにもならない。つまり、子供の頃から相撲漬けで、勝つことで大きな収入を得ていた者の既得権のような椅子である。そこに公益性があると思うことをぶっ飛んだ発想だと思うが、歴史と伝統のある世界と繋がりがあることを、社会の中で生きる為の手段、乃至はステータスととらえる者、多くは政治家の類である、が多く存在していれば、身体の大きな相撲取りを引き連れていることで見栄を張る、少し前のヤクザと違うところはない。政治家が社会に求められたヤクザだと認識すれば、その行動原理が古典的な任侠や今日の経済ヤクザに近似的に等しくても不思議はない。これは批判しているのではなく、人の行動原理とはその程度のものと主張しているだけである。
土俵上での事故なら再発防止策を検討する案件であろうが、飲食店での騒動など、協会が再発防止策を立案するものでもない。もしその必要を社会が感じるとしたのなら、協会の構成員が世間の常識と乖離した価値観で行動する者で成立していることが根本的な問題である。外部の有識者などいう、タニマチ気取りをくっつけるのではなく、企業経営的な異分子が入らないことには変化しないだろう。それを伝統文化を破壊する行為だと否定するのは正しいと思うが、伝統文化で商売をする輩に、公益法人の看板を掛けさせる道理などないというのは、確実な真理であろう。


第二団体が出来て、日馬富士がビール瓶を、貴ノ岩が栓抜きを持って土俵に上がり、審判席の貴乃花にビールをつぐ。

2017年11月29日 (水)

自民の差別的発言を批判=「性」「アフリカ」めぐり―野党

自民党議員から性的少数者(LGBT)やアフリカに対する差別的発言が相次いだことについて、野党幹部は11月27日の記者会見などで、人権意識が問われるとして厳しく批判した。
先に自民党の竹下亘総務会長は、外国の賓客が同性パートナーを伴って宮中晩さん会に出席するのは「日本の伝統に合わない」と発言。山本幸三前地方創生担当相はアフリカについて「あんな黒いの」と述べ、後日撤回した。民進党の増子輝彦幹事長は「政治家は自分の発言に責任を持たなければならない。軽口か本心か分からない」と指摘。山本氏が以前に学芸員に関して「がん」と発言したことを踏まえ、「常習犯だ」と非難した。立憲民主党の長妻昭代表代行は国会内で記者団に対し、「看過できない。『魔の大臣経験者』という状況だ」と述べた。共産党の小池晃書記局長は「人権意識、個人の尊厳、多様性を全く分かっていない」と批判。「人種差別の発言(をした人)は米プロバスケットボール協会(NBA)では永久追放になった。自民党そのものが問われる」と語った。(時事通信:11月27日)


政治家の発言について考える。


保守政党を自認する自由民主党の議員である。従来型の価値観に合わない思想を排除するのが当然と考えているようだ。彼等にも思想良心の自由があるから、どんな考えを持っていようと構わない。しかし、公的な立場があるのだから、差別や排除に繋がる考えを外に発信しるには、一定の思慮が求められるものである。
おそらくマスコミから指摘されれば、軽口が過ぎた程度の問題として、お詫びして済ませることだろう。軽口ではなく本心で、この思想を支持する団体が背後に控えているのだから、詫びなどしない方が潔いと思うのだが、自由民主党が差別思想を応援していると表明するのは、国際的に具合が悪い部分がある。本音と建て前という話に行き着く。この二つの立場を高速に切り替えるのは、この保守政党の伝統芸である。

黒人差別思想は持っているし、LGBTなどゲテモノ扱いだろう。日本の伝統というのは、男尊女卑だし、家族制度の過度な重視というものと理解して良い。伝統と主張する割りに、その理想形は明治時代に行き着いたりするので、伝統といっても米国の歴史より短いのかとがっかりしないではない。まあ、政治家の子弟だけが、この国のかじ取りを担う資格があるというのが、政治家の既得権意識の根本にあり、そこに既得権益が潜んでいる(別に隠れちゃいない)というのなら、結構新自由主義的ではないかと思うし、もしかしたら、階級の固定化により国民を指導していくと言い出しかねないとも思われる。それなら、朝鮮半島の将軍様と相性が良さそうな気さえしてくる。


政治家がバカでも許すが、勉強しない態度は許せない。

2017年11月22日 (水)

敗れた白鵬、土俵下で1分間アピール 立ち合いに不満

11月22日にあった大相撲九州場所11日目の結びの一番で、全勝の横綱白鵬が関脇嘉風に寄り切りで敗れた。しかし、白鵬は嘉風が勝ち名乗りを受ける土俵に上がろうとせず、首をかしげたり、腰に両手をあてたりして立ち合いが成立していないと約1分間アピールした。その後土俵に上がったが、嘉風が軍配を受けても今度は土俵を下りず、不満そうな様子を見せた。
嘉風はテレビのインタビューに対し、「横綱は『待った』と思って力を緩めたが、行司の『残った』の声が聞こえたのでそのまま続けた」と話した。白鵬は納得のいかない表情で土俵を後にした。支度部屋に戻った白鵬は、報道陣から「待ったという感じですか」と聞かれ「まあ、そんな感じだね。(ビデオで)1回でも見てもらいたかった。納得いかないわけじゃないけど、やっぱり呼吸が合わなかった」と語った。(朝日新聞:11月22日)


スポーツと審判について考える。


審判に抗議するのが大好きな競技に野球がある。その反対側に存在するのがラグビーということで良かろう。大相撲はラグビーに近い競技であったが、ビデオ判定が取り入れられたりと時代の影響を受けている。まあ、ラグビーも昔のままではないのだから、興業として見ると、観客の都合を取り入れない訳にはいかない事情もある。単純な分類としては、英国発祥の競技は審判が絶対で、新大陸系の競技は、絶対的な合理的判定を求める傾向が強いようだ。

さて、白鵬の態度である。微かな可能性として、土俵下の審判と同等の権利が、控え力士に与えられているから、土俵上の結果に物言いを付けることがある。白鵬は過去にこれを行ったことがある。これを横綱の特権と誤って理解し、土俵上においても適用されると信じたという仮説がある。まあ、ないだろう。
自分自身が競技者である場合に、判定に不服を申し立てるということは、どんな競技でも進行を停滞させること、もっと大きな問題として、競技の秩序を破壊させるという副作用があるから、許されないというのは当然である。よって、判定が確定した、というより、競技者に異議申し立ての権利などないのだが、競技者が不満を示すというのはあってはならないことである。
日本相撲協会は随分とこの大柄な横綱に気を使っていて、大した処分もしないようだ。まともな団体なら、出場停止処分にするところだろう。協会にそんな処分がないのだろう。仲良し倶楽部なのだから仕方ない。せめて、仲良し倶楽部の中では、もめごとは許されないことを横綱に教えておかないと、この先ややこしい問題が生じることだろう。


白鵬が行事を殴る日は近い。

2017年11月20日 (月)

沖縄米軍トップが謝罪 死亡事故、飲酒禁止指示も

沖縄駐留の米海兵隊員が那覇市で飲酒運転し死亡事故を起こした疑いで逮捕された事件で、在沖縄米軍トップを兼務するニコルソン在日海兵隊司令官は11月20日午後、沖縄県庁を訪れ、翁長雄志知事に「心からの謝罪」を伝えた。翁長氏は「米軍の対策は極めて不十分だ」と強く抗議した。
在日米軍司令部は同日、日本国内に駐留する全ての米兵に飲酒禁止などを指示したほか、沖縄に駐留する米兵には基地と自宅以外への出入りも禁じた。制限の期間は明確にしていない。冒頭、翁長氏に対し深々と頭を下げたニコルソン氏は「米軍を代表し被害者、そして遺族に哀悼と謝罪の意を表明したい。われわれの駐留の結果、事件が起き大変残念だ」と述べた。さまざまな再発防止策を講じてきたとした上で「努力が足りなかった。事件・事故削減への取り組みを強化したい」と強調した。これに対し、翁長氏は米軍の事件・事故が相次いでいるとして「再発防止に努めると言っても県民は疲れ果て、何ら信用できない。とても(米軍が目指す)『良き隣人』とは言えない」と厳しく批判した。事故は19日朝に那覇市の国道交差点で発生。米軍トラックが同市の男性会社員(61)の軽トラックと衝突し、男性は死亡した。那覇署は海兵隊員の男(21)を、自動車運転処罰法違反(過失運転致死)と道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで逮捕した。沖縄県警によると、男は逮捕前、任意の取り調べに「基地でビールを飲んだ」と話していたという。(共同:11月20日)


在日米軍について考える。


飲酒運転で軍人が死亡事故を起こしたことで、在日米軍トップが謝罪を表明したのだから、ある意味画期的な出来事と言って良かろう。そんな制限をいつまでも続ける筈もない。短ければ二週間、長くて一カ月というところで解除されることだろう。まあ、三週間というのが相場だろう。画期的な指示を出したことからすれば、それらしい言い訳は必要になるだろうから、兵隊に対する教育訓練の完了という言葉が付いて発表されることだと思われる。禁止の発表は大々的であったが、解除の方は静かに目立たぬように行われ、沖縄の地方紙のみが報道することになるかもしれない。いつもそんなものである。
ニコルソンは、説明で努力が足りなかったなどとほざいている。愚かな司令官である。兵士が非武装の民間人を殺したことを、努力不足と括るのなら、愚かな司令官の認識不足で部下の兵隊が大量に死亡しても、同じ言葉で括ることだろう。努力などという言葉は、目標を確定できない者が、道筋を描けないままに、不出来な結果に対して使う言い訳でしかない。自分の部下である兵士の生命を守ることを第一に考える司令官が口にする言葉ではない。司令官が部下に求めるものは、規律と訓練しかない。規律が崩れ果てているのなら、努力などという言葉で示される範囲で、効果的な対策など見出しようもないだろう。

アジアの下級民族を守ってやっているという意識であっても構わないと思う。しかし、規律も訓練も伴っていない兵隊組織など、ハリボテに過ぎない。役立たずの軍隊なら帰ってもらって結構だ。その先どうするんだという心配は、米軍が考える問題ではない。沖縄を自衛隊が守るか、あるいは中国人民解放軍に守って貰うか、朝鮮人民軍に駐留させるという選択肢を描くにしても、それは米軍ではなく、日本国民の判断することである。ネット上の右翼は、沖縄の問題を、マスコミが中国にコントロールされているというのが好みのご様子だが、右翼なら親米ではなく反米の方が潔い。米軍を追い出し、核武装して、北朝鮮はもとより、中国も韓国も蹴散らすと主張するのが良かろう。その上で、米軍が今度核爆弾を落とす場所が、名古屋か大阪か、あるいは東京かと考えるのが妥当な思考である。


宣戦布告して戦争を行う時代ではない。それでどうやって他国の領土に入るか考えよう。

2017年11月17日 (金)

ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)

政治家批判ばかり書いていても仕方がないと気が付いた。本当のところ、何も気付いた訳ではなく、単に飽きたというのが近いところだろう。まあ、本に八つ当たりするほうが、害が少ない気はする。著者には迷惑なことであろうとは思うが、そんな影響力のあるブログでもない。

本の作者は、篠田博之という人である。この手の本にありがちな、死刑廃止論者ということもなく、マスコミのあり方を問う仕事を行っている人のようだ。マスコミの役割を、犯罪報道を通じて主張するというところだろうか。本作では三名の死刑囚と、面接または手紙のやり取りを行った結果に基づくドキュメンタリーである。死刑囚は宮崎勤、小林薫、宅間守で、小林のみが出版当時確定死刑囚であったが、2013年2月21日大阪拘置所で死刑執行された。(出版年は2008年)
さて、死刑囚の話である。当然のことながら、死刑囚は最初から死刑囚であった訳でもない。 多くの場合には、犯罪者が死刑囚になっていく。この流れに、警察や検察、そして裁判所が関係し、容疑者や被告人、乃至は犯人と様々な呼称を使われながら、確定死刑囚になっていく。出世魚の類にしか思えないが、本の中に出てくる三名の思想にも死刑囚まっしぐらの気合いを感じるから、それほど外れたことでもないのだろう。
少し普通の話をしよう。死刑廃止論者と括られる人がいる。判決に間違いがあったら回復不能だと主張するし、そもそも、死刑という生命を奪う行為が国家に与えられていないという考えである。前者の間違いは、懲役1年の判決であっても許されないくらい、被告人の人生を大きく変えるものである。死刑だから回復不能というのは、生きていれば良いという思想のようだが、それで堅気のQOLが維持されるというものではない。ヤクザならという質問は想定していない。後者は思想良心の自由の範囲の話なので、否定はしないが、国家のありようなど、その国の国民が決めれば済むだけのことである。死刑は嫌いだと国民の多数が主張すれば法律の改正など簡単な問題である。海外の法律や、制度の辻褄が合わないことを理由に主張するのはレベルが低いと思う。海外の国は別の事情がある。イスラム圏の女性の活動制限をこの国で正しいとする理由がないのと同様に、逆もまた真というものである。サウジアラビアで女性の人権を叫ぶ、というのは、入国さえできないものだろう。嫌いだから制度を変えようでは、あまりに子供っぽいから、能書きを付けるにすぎない。
反対側に、死刑制度が犯罪抑止に貢献しているというのがある。そんなことはない。犯罪に手を染めて、捕まる可能性は、というより、逃げ切れる可能性を考えはするのだろうが、死刑になるか否かで犯罪を中断するなら、もっと早くに理性が効く。そうならないのは、理性が制御している範囲を超えたところにあるからだろう。この手の犯罪心理の報告は結構あるように思う。調べる気にならないから、放り出してしまう。
被告人の人権ばかり尊重し、被害者やその遺族の人権を軽く扱っているという主張もある。これは根本から間違っている。国が刑事犯罪者の人権を制限する(財産を奪ったり、行動の自由を制限したり、究極的には命を奪う)ことは、法律に明示しなければ憲法違反になる。ここにあるのは、国家と刑事犯罪者との関係についての取り決めを示しているに過ぎない。被害者の入り込む余地などどこにもない。新たに法律を作れば良いということになるが、犯罪者と被害者(遺族の場合もある)の間を調整するのは、民事訴訟しかない。犯人に殺された遺族が、犯人側と民事で示談が成立するというのは、刑事判決が出る前に発生するとはとても思えない。被害者遺族の感情を考えれば、などという言葉は、形式的には成立しても、裁判所の中で直接的な意味を持つこともないだろう。裁判官の心理的な言い訳に過ぎない。身内を殺された遺族が、犯人を殺したいと思ったとしても、この仕返しの代行業務を国は引き受けない。民事不介入というものである。この手の仕返しなら、中村主水やデューク東郷に依頼すべきことである。私なら、山田五十鈴に頼みたい。

てんで前に進まない。
三名の死刑囚である。三名に共通することに気が付いた。三名とも、あるいは著者も、死刑に対して純粋なのである。死刑という刑罰を恐れたり、あるいは逃げようとしたりするのなら、それはそれで想像の範囲にある。しかし、逃げないことで、犯罪者の品位が高いように考えているように見える。
彼等の期待に沿えないで申し訳ないが、死刑制度などというのは、人間が自分達の都合で拵えた制度に過ぎない。ここに神秘性など一欠けらもありはしない。ここに高潔な信仰心を向けると、高度に昇華されるということがあるのやもしれぬ。昔からこの国には、鰯の頭も信心からと言う。他人の思想良心の自由に踏み込まないというのを信条としているから、否定する訳にはいかないが、他人を殺しておいて、自分が特別な存在になるという思想など、ただただ醜いだけである。
自然科学的な神秘を見出しようもない死刑制度に、何を見出すというのか。人間の愚かさが導いた手法に過ぎないのに、そこに特別の価値があるように錯覚して、殺せ殺せを殊更に叫ぶさまは、生きたい生きたいと執着するのと違いなどない。社会からはじき出された存在であった者が、社内の内側の秩序としての存在である法律というプロセ スを経る間だけ社会の内側の存在になり、そして最後に再び社会の外に連れ出される手続きが死刑判 決である。外にあった者は外にしか帰られないとすれば、死刑は必然である。外にはじき出される過程に修正が掛けられれば、本人の更生と社会秩序の安定化に貢献するのだろう。しかし、死刑制度を 神格化している者に、その先の世界を示すヒントを与える能力はないようだ。

著者に望むのは、無理は承知で、教戒師へのインタビューを試みて貰いたかった。許されぬことであるのは承知している。


死刑判決の周辺の少しの時間だけ人間に戻れたとして、それで、と虚しくなる。

2017年11月16日 (木)

パナが高級ミラーレス一眼 10年目の節目に新戦略

パナソニックは11月16日、瞬時のピント合わせと強力な手ぶれ補正で機動性を高めたミラーレス一眼カメラ「G9PRO」を2018年1月25日に国内で発売すると発表した。価格は本体のみで21万円前後(税別)。パナソニックのミラーレスは高品質の動画も撮れる「GH5」が欧州や北米を中心に好調だ。18年はパナソニックがミラーレスの販売をはじめて10年の節目。静止画と動画の「2トップ戦略」で、次の10年のさらなる飛躍を狙う。(日本経済新聞:11月16日)


デジタルカメラについて考える。


カメラのデジタル化により、高級品であったカメラが消費商品へと移ったという話は何度も書いてきた。特にスマートフォンの普及により、カメラ機能の差別化が分かり難くなっているコンパクトデジタルカメラにおいては、商品ラインナップの縮小を余儀なくされている。それで高級一眼レフが売れているのなら、カメラメーカに不満はないのだが、そうもいかない事情がある。大きなカメラをぶら下げているのが、マニア臭が強くて抵抗を感じるということはあるのだろう。この隙間を埋めると、カメラメーカが期待する商品がミラーレス一眼レフである。CIPAが公表している統計で、データがある2012年以降の出荷台数、平均単価を四半期単位でグラフにしたのが下である。
M1
この期間全体の比較で、一眼レフは64.6千台、ミラーレスは28.6千台とミラーレスが少ない。平均単価も、一眼レフで30.1千円、ミラーレスで28.6千円と差が小さい。ミラーレスの位置付けは当初は、小型軽量の一眼レフ廉価版であったものが、廉価版が修正され高性能版に修正されたようだ。動画を扱える部分で、一眼レフとの差別化は可能であろうが、少々スマートフォンとの比較にとらわれ過ぎている気がしないでもない。まあ、コンパクトデジタルカメラの悲惨な状況からすれば、希望の星であることは間違いない。


カメラが沢山売れるのが幻像なのだが。

2017年11月15日 (水)

加計問題、論点深まらず 野党は追及継続へ

11月15日の衆院文部科学委員会の加計学園の獣医学部新設認可を巡る論戦は、問題の論点が深まらないままだった。野党は認可の妥当性についての説明が不十分だと繰り返し追及したが、林芳正文部科学相ら政府側は手続きは適切だったという説明に終始した。論点はなお残るが、野党が衆参両院の代表質問や予算委員会でどこまで具体的に究明できるかは不透明だ。
野党が今後も力を注ぐ方針なのが、今回の認可と「既存の大学・学部では対応困難」など学部新設4条件との整合性だ。政府が当初の原則を曲げ、恣意的に認可したのではないかと問題視する。だが、判断の妥当性を繰り返し強調する政府から、決め手となる答弁を引き出す戦略はみえない。野党側は認可過程の解明に必要だとして、文科省の大学設置・学校法人審議会の議事録を出すよう求めるが、政府側は議事録は作成しないとの立場だ。政府の情報公開姿勢も追及するが、世論に訴える新たな材料にも乏しいのが現状だ。もう1つの焦点と位置付ける安倍晋三首相の関わりも、これまでの論戦では具体的に示せないままだ。学園理事長の加計孝太郎氏は首相の友人。野党は加計氏の参考人招致で、首相に計画を伝えていたのではないかとただす構えだが、実現の見通しはない。仮に招致できたとしても、加計氏が否定した場合に、野党に反論できる材料があるのかは釈然としない。(日本経済新聞:11月15日)


国会審議について考える。


国会議員、特に大臣が、その職務権限を私的に使って、関係者に利益誘導するというのは、古典的な権力の濫用というものである。大学の許認可業務について、国会議員が関係していると疑われた時点で、濫用があったと推定するのは、一定の蓋然性があると信じる。これでは推定無罪の原則が損なわれるという指摘は当たらない。権力者にあるのは、推定有罪原則しかない。理由は単純で、権力は腐敗する、そして、必ず暴走するものである。これが動かせない以上、権力に対する監視は決して緩めてはならないのである。
反論として、権力者を陥れようと、マスコミを操作するものが生じるかもしれないというものがある。今回の問題も、この立場に立って、現政権、もしくは、安倍晋三に対する敵対心による情報操作だとする意見も見掛ける。そうである可能性は否定しない。しかし、安倍晋三の行動は軽率過ぎるし、安倍昭恵に至っては、はしゃいでいるとしか見えない。この夫婦はものを考えるという習慣が幼い頃から無いままに齢を重ねてきたように思える。行動に対する責任は取るというのが大人の作法である。躾のできていない子供には分からないかもしれないから、一縷の望みとして安倍洋子にでもお願いするよりないかもしれない。国難である。拒絶はしまい。

ご高齢の方に負担を掛けるのは忍びない。これらを横に置くとして、大学の認可が妥当なのかを検証するのは、国会の仕事として相応しいものである。地方のボロ大学が、県の資金を当てにして、新規学部を開設するというのなら、大学の運営に関してもう少し点検があって然るべきである。不認可になった大学として、幸福の科学大学というのがある。これはこの国の大学として不適切な大学であると結論するのに同意する。それなら、岡山理科大学はギリギリ妥当だとして、獣医学部として妥当なのかとすれば意見のあるところだろう。鳥インフルエンザなどの問題に関わる公衆衛生について、獣医の必要性が高まっているというのがあった気がする。獣医学科のコースで講義を設定するのが困難な代表例が公衆衛生である。少人数の学科に、専門性が高く、汎用性が乏しい講義を設定するのがどれだけ大変かを想像すると良い。公衆衛生の専門家になるのに、獣医学科のコースが最適でないが、この教育は欠くべからざるものである。国立大学で共同運営がなされている代表的な例である。獣医学に関わる直接的な教育人員が不足していることが原因ではない。
iPS細胞の実用化に向けて動物実験の環境整備が必要だという意見もあった。動物実験について、以前より厳しい管理が求められていることはどこに行ったのだろうか。新薬開発に用いる動物を使用するのに、慎重にならざるを得ない社会環境が発生している。動物実験反対運動は30年前にもあったと記憶するが、ここ十年位においては、毛皮コートに関する反対を欧米有名人がすることで注目が高まっている。iPSだけ特別という訳にもいかないだろう。単純に我が儘だというのは簡単だが、命を救う行為も、広義では同じである。

安倍晋三夫妻が関係したか否かを調査するのは大変だろう。国会の審議で、大学が必要な要件を満たしているのかくらいは明らかにしてもらおう。ロクでも無い大学があっても良いし、おそらく国家試験に合格する者も少ないことと思う。それでも、幸福の科学大学が認可されないのなら、この獣医学部も認可されなくて良いのではないかと思う。この間にどれ程の距離があるのかを示すくらいの責任は、行政機関にあると信じる。


この夫婦が入れる大学を設置基準にするなら、大学教育へのテロ活動だ。

2017年11月14日 (火)

プロ野球、日本版「チャレンジ制度」導入へ 来季から

日本野球機構(NPB)は11月13日、12球団による実行委員会を開き、審判の判定について異議がある場合に、監督がビデオ映像による検証を要求できるNPBリプレー検証制度を来季から導入することを決めた。大リーグで2014年から導入された「チャレンジ制度」の日本版で、日本での名称は「リクエスト」と決まった。大リーグと同様にストライク、ボールの判定以外の多くのプレーが対象となる。NPBは「一番大事なのはファン。正しい判定をすることがテーマで、審判員の威厳も保たれる」としている。
リプレー検証にはテレビ局の中継映像を利用するため、テレビで一般視聴者が見る映像と同じ。各球場に映像機器を設置して中継映像を録画し、「リクエスト」の際は審判団がその場で録画映像をチェックして判定する。確証のある映像がない場合は、審判団の判断となる。
監督が要求できる回数は1試合に2回まで。リクエストで判定が覆った場合は回数がそのまま継続される。延長に入った場合は回数がリセットされ、それまでの使用回数にかかわらず、延長で1回使えることとなる。ストライクやボールのほか、ハーフスイング、自打球、ボークなどの判定は対象外で、大リーグの運用と同じという。
日本では今季まで、リプレー検証として本塁でのコリジョン(衝突)を含むクロスプレー、二塁などでの併殺阻止の危険なスライディング、フェンス際への本塁打性の打球の三つを対象としていた。また、映像を確認するかどうかは審判員が判断していた。しかし、大リーグでは2014年からストライク、ボール以外のほとんどのプレーを対象にしたチャレンジ制度を導入。日本でも判定に対してより客観性を求める声が高まったことから、NPBのゲームオペレーション委員会では今年新たに「リプレー検証検討委員会」を設置し、制度導入を検討してきた。大リーグは莫大な費用をかけて全球場にカメラを設置し、すべての試合映像をリアルタイムで一括管理するシステムを構築。一方、日本では地方球場での試合開催など設備面が課題だった。ただ、日本でもCS放送などで全試合をテレビ中継しており、その映像を使うことで導入可能と判断した。(朝日新聞:11月13日)


プロ野球について考える。


スポーツで正しい判定がされることは、競技の安定性を高め魅力あるものにするだろう。さて、今回のチャレンジ制度である。審判の判定が間違っている可能性はいつでもある。その結果が勝敗を決定する要因になることも多いだろう。そこでビデオを用いて判定し、公正なゲームを実現しようという試みである。米国では既に実施されている。しかし、なんとも愚かな試みである。
リクエストは延長が発生しない場合には1試合2回までという。1回の確認作業で、5分は要することだろう。両チームが1回リクエストすれば10分となるが、きわどいプレーを扱うことを考えればもう少し伸びても仕方ない。愚かというのは、一番大事なのはファンとNPBは主張しているが、本当の思惑というのは、正しい判定が担保されるから、審判員が今以上に責められることはなく、負担軽減につながるということである。これを称して、審判の威厳もが保たれると主張している。

プロ野球の問題点として予てより指摘しているのは、試合時間の長さである。現状でプロ野球というのは、サッカーやラグビーに比べて試合時間が長い。相撲やボクシングと比べるのは違うだろう。同じ新大陸系の競技であるバレーボールが国際大会だと2時間を超えるのが普通になっている。試合時間の短縮を目的に、1998年にラリーポイント制の採用を行っている。競技を楽しむことに主眼を置くことが新大陸系の特徴である。それを人工的に感じるのだが、それで良いではないかと言われればそれまでの話である。感じているのは、楽しむことに重点を置けば、競技の頂点を目指す行為が軽くなるということである。
話を戻す。2017年の平均試合時間は9回試合のみの場合で3:08 (772試合)、全試合で3:13 (858試合) である。 過去20年の試合時間を下に示す。

■ 公式戦平均試合時間
    年        1997   1998   1999  2000  2001   2002  2003  2004  2005  20006
  9回試合のみ   3:09    3:14   3:12    3:14   3:15   3:08   3:13   3:19   3:13   3:10 
  (全試合)      (3:14)  (3:19)  (3:17)  (3:18)  (3:20)  (3:13)  (3:17)  (3:24)  (3:18)  (3:16) 


    年        2007  2008   2009  2010  2011  2012   2013   2014  2015  2016
  9回試合のみ    3:14   3:09   3:08   3:13   3:06   3:08   3:17   3:17   3:13   3:11 
  (全試合)      (3:19)  (3:13)  (3:13)  (3:18)  (3:08)  (3:10)  (3:22)  (3:22)  (3:19)  (3:17)


平均が3時間を切ることはない。18:30試合開始だと、21:30より遅い試合終了で、周囲は混むだろうから、電車で帰るようだと駅で乗れるのは22:00で、家に着くのは相応の時間ということである。つまり、子供を連れて野球の試合を観るというのは、ナイトゲームでは成立しない。家でテレビを観るにしても、小学生なら早い時間ではない。いい大人が、ビールでも飲みながらダラダラとやるのが、プロ野球観戦のスタイルということである。子供の野球離れが心配される。
ビデオ判定を1回いれれば5分は要するだろう。チームに2回の機会があれば、試合に合計2回発生するとすれば10分試合終了時間が遅くなる。興行として考える立場の人間が、これを気にしないで決定する様が滑稽である。
「一番大事なのはファン」とNPBは主張するが、NPBの相手にしているファンというのは、ごく少数の濃度の高い集団のようだ。正しい判定をすることが言うまでもないが、それを担保しないと審判員の威厳も保たれないとするなら、その程度に人格しか選手は持ち得ないということになる。
ラグビーのルールを引いてみよう。

「競技規則は、ゲームがラグビーの原則に従ってプレーされるのを保証するように適用されなくてはならない。レフリーとタッチジャッジはこれを、公平さと一貫性と繊細さと、そして最高のレベルにおいては、管理を通して達成できる。その返礼として、マッチオフィシャルの権威を尊重することはコーチ、キャプテン、そしてプレーヤーの責任である」

簡単な話である。レフリーが最終的な決定者で、それを尊重することを当然としている。野蛮な選手が、野蛮な競技をしていることが、ラグビーと決定的に異なるということだろう。どこを向いた運営規則の変更なのか、皆目見当が付かないのである。


不良学生の更生目的の競技の延長線上に、プロ野球があるように見える。

2017年11月 7日 (火)

トランプ氏歓迎の夕食会、元慰安婦招待 「独島エビ」も

韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が11月7日夜、トランプ米大統領らを歓迎するために青瓦台(大統領府)で催した夕食会に、日韓が領有権を主張する島根県の竹島の韓国名を冠した「独島(トクト)エビ」を使ったメニューが出された。夕食会には元慰安婦の女性も招待された。
大統領府の報道資料によると、「独島エビ」は春雨の炒め物の材料に使われた。竹島がある日本海で捕れたとされる。大統領府はねらいを説明していないが、米国側に竹島の領有権をアピールした可能性もある。夕食会に招かれた元慰安婦は、慰安婦問題をめぐる日韓合意の破棄を主張している李容洙(イヨンス)さん(88)。米国でも積極的に証言活動を行っている。夕食会でトランプ氏は李氏とあいさつを交わし、抱擁した。(朝日新聞:11月7日)


トランプ大統領のアジア歴訪について考える。


5日の午前10時過ぎに上空に大きな音がするので見上げると、そこにはいつもの軍用貨物機である C-130 の姿はなく、プロペラではなくジェットエンジンで、グレーの塗装ではなく、白地に青の塗装であった。トランプ号だ、と思ったが、それでない方であったかもしれない。羽田空港に降りることも交渉可能だろうが、米国のコントロール下にある飛行場である横田基地に着けるというのが米国の流儀である。東京周辺の上空の管制権はいまだ連合国軍最高司令官総司令部が担う状況にある。それでも少し日本に返還されたのではあるが。支配される国の国民は、空の上を行く支配国の飛行機をただ見上げるのである。念の為に記すと、連合国軍最高司令官総司令部は1952年に廃止され、現在では在日米軍になっている。
武器商人としてアジア各国に向けてセールスを行うトランプは、日本では北朝鮮の脅威を強調し、今回の韓国では北朝鮮と中国の脅威を理由に、もしかしたら日本の軍備強化への対応も含めたかもしれない、それで武器のセールスをしていく。この後の、中国では商機は乏しいかもしれないが、ベトナムやフィリピンなら中国の脅威が使える。武器が売れるなら、日本と韓国で違う話をするくらいなんとも思わない。そんなものだろう。

日本政府は随分とトランプにご機嫌伺いをしたようだが、韓国も負けてはいない。それでも、日本と彼の国とは習慣に差があり、主張の強さに差が大きくある。まあ、彼の国からすれば、この国の方が主張が激しいと批判される可能性もある。独島エビなる種類が存在するのを寡聞にして知らないが、報道によるとその場所で獲れたもの程度の意味ということだ。緩い定義であるが、過去から習慣化された言葉でなければ、間抜けな用法と笑われそうだ。この国ならと注釈を付けねばならないか。
元慰安婦を出すのは常習化している。人権問題として扱うべき事柄であるが、政治の道具として重宝している様子が見て取れる。日本軍の連行が事実でなく、朝鮮人が騙したという事実があったにしても、日本軍が横暴であったとする"事実"を動かすことはないから、韓国が歴史的な事実を調査することは今後も現れないだろう。歴史的な事実と異なるとする主張は、意味がない話である。朝日新聞の責任だというのも、局所的には正しくても、全体としてはさしたる意味など無い。韓国の都合に合った事実が重要で、朝日新聞の報道など傍証の一つに過ぎない。それなら何もしないでいるのかと主張する者もあるだろうが、声高に否定すれば悪さをした事実を隠そうとしていると主張するだけのことだ。静かに事実を調べ、公表する活動を継続するだけのことである。一般に、朝鮮語を操る日本人が少数しかおらず、軍人にそんな人物がどれほどいたか、いたとしたらどんな仕事に従事したかを想像すれば、朝鮮人の徴用など日本軍人が使いやすい朝鮮人に依ったものだと想像が付く。しかし、中曽根康弘が、「土人女を集め慰安所開設」と『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)と寄稿しているのだから、軍が何もしなかった訳でもあるまい。歴史調査というのは、自分にとって有利か不利かで取捨選択を行う種類の仕事とは決定的に異なるものである。


アメリカ人は随分と下品な振る舞いをする者を大統領に選んだものだ。この程度でも大統領になれると言う事実が、彼の国において大きな希望になっているのだら、よその国が批判する筋合いでもないが。

2017年10月27日 (金)

落選の希望・若狭氏、政界引退を表明 「年齢もある」

希望の党の小池百合子代表の側近で、今回の衆院選で落選した同党の若狭勝前衆院議員(60)は10月26日、BSフジの番組で「政治活動はいったんここで退く」と述べ、政界引退を表明した。
若狭氏は、小池氏が地盤としていた衆院東京10区を引き継いだが、自民党前職に敗れ、比例復活も逃した。若狭氏は「希望の党の後方支援をしていくが、年齢もある。元気でも65歳を過ぎたら若い人や女性に譲るべきだと考えてきた。(選挙がすぐにないことを考えると)自分は例外ですよとは、なかなか言いづらい」と述べた。若狭氏は検事出身。2014年の衆院選で自民から比例東京ブロックに立候補して当選。16年10月の衆院東京10区補欠選挙で当選し、今年7月の東京都議選で小池氏が率いる地域政党「都民ファーストの会」を支援することを理由に自民を離党した。(朝日新聞:10月26日)


希望の党について考える。


小池百合子の欲望の視線にあるのは、民進党の金と地方組織であった。そして、それは無残にも失敗した。若狭は小池の腰巾着であるのに、何を思ったか自発的な発言をして混乱を引き起こしている。小池は腰巾着以下にしか思っていない様子があったが、若狭はそれ以上と自認していたということだろう。この手の相互理解の乖離というのは珍しくない。そして、立場の弱い者は消え去ることと決まっている。

若狭が髭を剃ったのは、小池に叱られたのか、選挙戦略だったのか忘れたが、髭を剃ったらその前の顏は忘れたし、髭の無い御面相が貧乏臭かったのは覚えている。しかし、髭があってもうさん臭くはあった。どっちがというより、どっちもというレベルの話ではある。
古いところでは後藤田正晴が内務官僚上がりの政治家であり、亀井静香が警察庁出身である。若狭は司法試験に合格して検察庁を選んでいる。前の二人より頭が悪そうに見えてしまうのは残念だし、重みも感じられないというのも致命的である。若狭には亀井が見せる愛嬌も感じさせない。手ぬぐいを鉢巻にして頭に巻いて、「これでいいのだ」と叫ぶ器量があれば世間に見方も変わるのだろうが、私は頭が良いと主張している様は、ひどく滑稽である。そして何より、この滑稽さを指摘する友人がいないということが致命的である。

自分の時々の都合で、自民にくっついたり離れたりしていては、その先に明るい展望など描きようもない。弁護士活動をするより、テレビのコメンテータになりそうだが、それもすぐにネタ切れになりそうで残念な人である。


頭の良さに確信があれば、バカになれそうなものだが……。

2017年10月24日 (火)

最高裁裁判官国民審査の結果

最高裁裁判官国民審査について考える。


今回国民審査を受けた裁判官名と結果を下に示す。

  裁判官名    罷免を「可」     罷免を「不可」
  小池 裕     4,688,017      50,083,865
  戸倉三郎     4,303,842      50,468,175
  山口 厚     4,348,553      50,423,434
  菅野博之     4,394,903      50,377,132
  大谷直人     4,358,118      50,413,894
  木沢克之     4,395,199      50,376,858
  林 景一     4,089,702      50,682,354


毎度の結果である。罷免に関心を持つ有権者が少ないので、無記入で投票する人が多いと言われている。投票所管理者に何も書かなくて良いのかと質問する人もいるという。実際、そういう人を目撃した。管理者は、書かなくても良いですと答えていたから、誘導したようになっていた。最高裁判所裁判官国民審査法での違反規定を確認したが、禁止事項にはなっていないようだ。ようだというのは、この手の法律の常で、明確に示されていない場合の判断は危険だという理性による。公職選挙法は極限的に「べからず集」になっているのと比べれば、リラックスした内容になっている。国民からの審査を受けるつもりなどなく、形式的な三権分立を維持する為だけの仕事と、司法も立法も、行政府は権力の中心は自身にあると信じるから、司法のことなど気にはしていまい。
背景の勝手な想像はひとまず置くとして、5,000万人の人は何も書かずに投票し、400万人の人がすべてを罷免するとしている。両方の極に正解があったにしても、検討して何かを見出すのに役にはたたない。もしこれらに正解があるのなら、国民審査は不要で、これ以外の実際的な方法で審査するか、何もしないでも良いのいずれかになる。司法がそれほどまでに不信感を持たれていては国の状況としては危険な水準で、大丈夫だと全面的に信任するというのも、無知と怠惰が組み合わさったと言う意味で、権力者の下に存在する豊かな奴隷になり下がったということになる。
最も罷免票を集めた小池が68万票で、最も少ない林が8万票である。(偏った審査投票を当然したことを前提にしている、念の為) 国民審査で右端の人に罷免マークが付けられる傾向があるとする都市伝説があるが、都市伝説以上のものではない。実際、林は反対側の端であるが少なく、二番目の戸倉は三番目の山口より少ない。百歩譲って小池に端なるが故に罷免マークが付いたにせよ、それ以降は同水準であり、林がその集団より少ない理由にはならない。
戸倉から大沢までの35万人程度が考えて罷免にマークをし、小池はこれと同水準だが、33万人の人が白紙はまずいと思っただけだとしよう。しかし、林が8万票に留まる理由にはならない。考えて投票したのならば、林だけの事情があると考えるのが合理的である。その理由は、先の参議院選挙に対する一票の格差裁判で、唯一違憲状態と反対意見を提示したのが林である。この国の有権者の中で25万人の人が、一票の格差に合憲とした裁判官を罷免すべしと考え、違憲状態とした裁判官を罷免する理由なしと判断して審査投票をしたという推定は外れているだろうか。

全国でたった25万人と思えば大したことはない。しかし、衆議院選挙で、たかだか10万人の投票を獲得した程度でも当選する。無視して良い数字ではないし、何となく自民党に投票したというような気分の問題ではなく、一票の格差について考えて、合理的な判決を下さない、つまり、国民の権利を重視しない裁判官は罷免して当然と行動したとすれば、この意見は少数意見として捨てて良いものではなくなる。


多数意見で押し通すのは悪い習慣である。

2017年10月18日 (水)

名残り火 藤原伊織

選挙中なので、離れた話にする。


藤原伊織は、1948年生まれの小説家で、東京大学文学部を卒業後、電通に勤務しているときに作家デビューしている。1995年に賞金1000万円を目当てに、『テロリストのパラソル』を江戸川乱歩賞に応募して受賞する。翌年、同作で直木三十五賞も受賞した。賞金でギャンブルでかさんだ借金を返済する為であるというのは、この手の小説家のイメージ作りである可能性もあるし、事実であるということもあるだろう。つまり、どうでも良い話である。本を手に取って貰う仕事をしている人には重要なことなのだろうが、手にした人間には無関係な話である。しかし、本を置いた後に誰かに話すときに役に立つかもしれない。それがどうしたではある。
電通を退社してから数年でガンになり、2007年に亡くなっている。多くの作品を残している作家ではない。そして、表題の作品が完成した作品としては最後のものになっている。正確に題名を記せば、『名残り火 てのひらの闇II』となる。1999年に発行された『てのひらの闇』の続編となっている。基本となる登場人物が一致するのは当然のことである。最後の完成作品としているが、月刊誌に連載されてものの全38章中第8章までは著者が加筆、改稿作業を完了していたという。つまり、改稿作業が済んでいない作品ではある。

この先は、内容に触れる部分があることを予め書いておく。
主人公の堀江の友人の不審死を明らかにしていくという物語である。女性は、死亡した友人の妻の奈穂子と、堀江の元部下である大原、飲み屋のナミちゃんというところである。藤原の作品で女性が魅力的に描かれているという批評を見掛けるが、女性の描き方としては下手な方だと感じている。藤原が描いているのは男だけで、そのコントラストで女が浮かび上がるという図式である。作品は違っても、多くの作品で男はいつも同じスタイルだから、この安定感が周辺を浮かび上がらせる。いつも同じと物語全体を括るのも可能だが、作家の描き切れる世界など幾つもあるものでもあるまい。
この作品では、大原がとても薄くなっている。主人公の近くにいる存在として女を浮かび上がらせるというのは、主人公の周囲も念入りに書き込まれなければならず、病気療養が続いたであろう藤原の体力の問題もあったのではないかと想像してしまう。命の長さを変えられないのなら、数カ月、一週間でもよい、藤原の体調が優れる時間があったのなら、もう少し完成度が高まったことだろうと、無い物ねだりをしてしまうのである。主人公の書き込みでなくても、大原に言い寄る軽い男たちをもう少しクリアーにすることで、大原の内面も浮かび上がったのかもしれない。少なくとも、女性のファッションで何かを語る作家ではない。

校閲でも気になることがある。ナミちゃんはサクソフォンを演奏する。サクソフォン、普通にはサックスだが、木管楽器であるから、所謂ラッパに括られることはない。少なくともサックス奏者が、ラッパと呼ぶことはない。また、経営者として成功した礼節を知る大人である三上が、各式の高い店の表現に、敷居が高いを使うことに違和感を覚える。堀江も同じ用法をしているが、こちらならギリギリ受け入れられる。堀江より一回りは上であり、世間で注目される経営者が台無しである。作家の問題でもあるが、別冊文春に連載されたことを考慮すれば、編集側にも責任がある。書いたものを活字に置き換える、現在では電子データであろうからレイアウトするかもしれない、だけで本ができる訳でもあるまい。


人はいつか死ぬという話に至ってしまう。

2017年10月17日 (火)

校長「トラブルない」発言、遺族の抗議で撤回 中2自殺

福井県池田町立池田中学校(生徒数40人)で今年3月に2年の男子生徒(当時14)が自殺した問題で、自殺直後に開いた保護者説明会で校長が「トラブルはなかった」と説明し、遺族の抗議を受けて改めて開いた説明会で不適切な指導を認めていたことがわかった。
学校や遺族によると、生徒の自殺を受けた3月の説明会で、堀口修一校長は「学校でのトラブルはなかった」という内容の説明をしたという。だが、男子生徒は家族に副担任から叱責を受けていたことなどを打ち明け、母親も学校側に副担任の交代を申し入れていた。母親は、別の保護者からその発言を聞き、「息子は副担任のことを嫌だと言っていたのに」と不信感を抱いたという。その後、有識者らによる調査委員会の立ち上げが決まった際、遺族側は町教委などに「校長の発言を訂正してからでないと、(調査委の設置は)『はい』とは言えない」と抗議。その後の職員の聞き取りなどの調査の結果を踏まえ、学校は5月に改めて説明会を開き、堀口校長は3月の発言を撤回。学校の体制や指導に問題があったことを認めたという。母親は取材に、「学校は責任について本当に分かっているのか」と批判した。堀口校長は10月17日、朝日新聞の取材に対し、「初期対応でご遺族の気持ちを思いやった対応をすべきだったと反省している」と話した。(朝日新聞:10月17日)


中学校について考える。


池田町は福井県の中央部に位置する周囲を山に囲まれた町である。谷間に人口は集中し、面積の九割は山であるという。面積は194km2あるが、総人口は2,677人、世帯数は958世帯(2017年8月末)に留まる。この人口である。小学校は町立池田小学校、中学校は町立池田中学校があるのみだ。高校については、福井県立武生高等学校池田分校があるが2017年度をもって募集停止し、2019年度の廃校が決定している。この町を走る鉄道はない。
周囲の都市 (といっても、特段大きな街ではない) との接続も悪いから、ここ町で中学まで過ごすと、将来の為の判断をしなければならない状況になる。池田町役場から県立武生高等学校までの距離は約20kmである。町役場に近く、JA付近にある池田町稲荷バス停からJR武生駅への平日のバス時刻表を抜き出すと下のようになる。

■ バス時刻表
   池田町稲荷    JR武生駅
     6:40    →   7:35
     8:40    →   9:35

   JR武生駅     池田町稲荷
     16:56   →   17:56
     18:56   →   19:53


県立武生高校や県立武生東高は、JRの駅より手前ではあるが、駅から遠く離れている訳ではない。池田町の西に位置する越前市にある。北東側にある大野市や北西側にある福井市の高校に通学するのは、山深い道路を使っての30kmであるから現実的ではないだろう。勉強する気があれば、福井市に下宿するという選択肢が現実的なものになる。なんといっても、池田町は特別豪雪地帯に指定されている場所である。

さて、事故の確認である。学級担任と副担任が生徒を執拗に虐めたことで、男子生徒が自殺したと報道されている事件である。校長がトラブルがなかったと説明したのは、心情的には理解するにしても正しい行為ではなかった。しかし、東京の大新聞社である朝日新聞が校長を責めるのも、少々行き過ぎを感じてしまうのである。なぜそう感じるかと言えば、学年の生徒数が1ダースを超える程度で、教員の数も最小限である限られた世界で構成されている。生徒が副担任を嫌だと主張しても、別のクラスがある訳でもない。そもそも教員もそれほどいない。これを我が儘でないとするなら、こんな雪の多い山奥の町など嫌だと主張するのも我が儘ではなくなる。特段の解決策も提示できない課題であれば、我が儘とするのは妥当な気もするが、生徒を思いやる立場の人は、解決できないから我が儘で片付けるのは配慮が不足すると言うだろう。解決できなくとの話は聞くものということだ。
生徒が越前市への通学に難儀するのと同じく、教員や職員も町外から通勤するのは大変な場所である。つまり、学校の教職員はこの小さな町の構成員である可能性が高い。校長が教員の問題行動を強調すると、替りの教員の手配は困難であると想像して頭を抱えた可能性は排除出来ないだろう。そして、自殺した生徒に問題があったとすれば、他の生徒に問題が波及する可能性があり、情報は実質的にオープンな状況で扱われることも予想される。耳を塞ぎたい気分だろう。
1ダースの同学年の生徒も、小学校の入学から一緒であった者が多くいるだろう。産業のある土地ではない。外部から流入は極めて限定的である。生徒が自殺したという事実から目を逸らしてはならないが、マスコミが報道するのに慎重であることを求められる案件である。なぜなら当事者すべてが実質的に大きな家族のような関係であるからである。家庭の中の出来事に外部の者が土足で上がりかき混ぜる様は美しくない。校長は隠蔽しようとしたと批判するのはもっともな主張である。隠蔽でないと、フルオープンになるとなれば、新聞記者でも少しは考えを巡らせることだろう。有識者らによる調査委員会とは誰なのか。町立学校での問題発生であるから、町の教育委員会が指名するのだろうか。これとて、大きな家族の中の誰かに過ぎないのではないか。

誰が悪いとする犯人探しをしてはならないというのが教育の現場のルールだと思う。しかし、限定的な領域での作業は犯人探し以外にはならないだろう。校長の責任を問い、担任や副担任を処分し、皆いなくなったが替りの教員はやってこないという結論に全力で向かうことにならないか。報道にこの臭いを感じるし、自殺した生徒の親に感情というのは、こんな町など滅んでしまえと思うものだろう。


「学校は責任について本当に分かっているのか」、その先の責任も負っているのが校長である。

2017年10月16日 (月)

楽天が「下克上」、西武を下し最終Sへ パ・リーグCS

プロ野球のクライマックスシリーズ(CS)は10月16日、メットライフドームでパ・リーグ第1ステージ(S、3回戦制)第3戦があり、3楽天が2位西武を5―2で下した。楽天は1位ソフトバンクと対戦する最終S(18日・第1戦)への進出が決まった。
楽天は一回にウィーラーの適時内野安打で先制し、四回は相手の暴投で加点。五回に1点差とされたが、八回にウィーラーのソロ、枡田の2ランで突き放した。五回途中から八回まで無失点でつないだ中継ぎ陣も光った。(朝日新聞:10月16日)


プロ野球について考える。


テレビを見たらプロ野球の試合を中継していた。クライマックスシリーズという興行のようだ。野球は概してだらだらと長い。国際大会など、4時間を超えていた。試合だけではなくリーグ戦においても、だらだらとゲームを続けるようだ。現在の試合数は、リーグ内対戦が25回戦総当たりで125試合、別リーグの各球団との交流戦が18試合で、合計143試合を1チームが行う。4月には始まって、10月に入ったくらいに終わる。つまり半年間ということだ。これの後に、クライマックスシリーズが2週間、日本シリーズが1週間続く。10月末に終わるということになる。プロ野球の契約期間は2月1日から11月30日だから、2月、3月が春の準備期間としてキャンプを行い、11月 (ポストシーズンの試合に無関係なら10月から) に秋季の準備期間があるということになる。放送コンテンツとしての価値のあるのは、リーグ戦とポストシーズンのシリーズ戦だけになる。マニア相手は有料放送で対応するだろうが、商業的に成立するのかは疑問がある。年間契約の付録といったところか。
さて、ゲームに感じた疑問である。どちらも同じ様なユニフォームを着用している。公認野球規則に規定されていた筈と確認する。その前に野球の規則は、アメリカの野球規則委員会  (The Offical Playing Rules Commttee) の行う "Official Baseball Rules" の改正を参考にしつつ日本で行われる。つまり、日本は独自のルールで、アメリカのルールは、改定に他国の意見を聴くなどということはないから、こっちも独自のものである。つまり、野球というか、Baseboll に国際規則はない。World Baseball Classic などという一見格式のある様な大会があるのに、ルールの統一ができないというのは嘆かわしい。国際野球連盟 (International Baseball Federation =IBAF) なる組織があり、その上には世界野球ソフトボール連盟 (WBSC) がある。世界で広く普及しているソフトボールの組織と統合され、WBSCの下部組織に野球とソフトボールがあるという図式になっている。ソフトボールと一緒になったのは、オリンピック競技への復帰を目指したものである。ソフトボールの方で世界の140の国と地域が加盟している。
話を戻す。日本のプロ野球が使っている公認野球規則は、国内の野球すべてに適用されている。この規則の中にユニフォームの項があるのは3章の用具・ユニフォームである。ユニフォーム規定がa項と、プロ野球に適用されるd項を下に示す。

(a)  同一チームの各プレーヤーは、同色、同形、同意匠のユニフォームを着用し、そのユニフォームには6インチ
   (15.2センチ)以上の大きさの背番号をつけなければならない。


(d)  リーグは次のことを規定する。
      (2)  各チームは、ホームゲーム用として白色、ロードゲーム用として色物の生地を用いて作った2組の
         ユニフォームを用意しなければならない。

      [注] アマチュア野球では、必ずしもホームチームのときは白色、ビジティングチームのときは
         
色物のユニフォームを着なくてもよい。


プロ野球ではホーム用が白で、ロードゲーム用が色物とある。記事の試合では、ロード用を用いるべき楽天が、ホーム用を用いたことにより、両チームが類似したユニフォームという混乱を招いた。胸のマークは違うから同じではないという解釈はあろうが、ユニフォームをホームとロードで区別しているのは、接触プレーなどでの区別を明確にする為のものである。ユニフォームの規定はアマチュアを含め、リーグに委ねられている。日本のプロ野球では、ユニフォームのデザインなどに変更が有る場合には、事前にコミッショナーの許可を取る必要があるとされている。CSはパシフィックリーグの承認を得て、西武が事前登録されている第三ユニフォームを使用することを希望し、楽天がCSシリーズを勝った場合に、福岡で同じくロード用ユニフォームを使用する都合からホーム用を希望したことによって生じた問題である。福岡でホーム用を用いれば問題はないのだが、そうはしなかったのは、両者の意地の張り合いということだろうか。

ホーム用であっても、ロード用であっても、似通ってユニフォームは使用しないようにするのがコミッショナーの役目である。西武の炎獅子ユニホームと称する第三ユニフォームを、楽天に類似するから許可しないとコミッショナーが判定すれば混乱はそもそも生じなかった。コミッショナーの力の無さが示されている。復刻版など多数のユニフォームが使用されている状況も、制限を掛けるべきことだろう。日本プロ野球はアメリカに倣ってフランチャイズを決めてきた。これを拡大して、緩やかにチームカラーを固定化する方向に進めるのが興行として重要になるだろう。ころころ色を変えるのは、金持ちのお坊ちゃんの我が儘にしか見えない。験を担ぐ気持ちは理解しても、職業野球である。許されないことがあって当然だ。


公認規則で、昔はホームが白、ロードがグレーと表記された気がするが、確認出来なかった。

2017年10月12日 (木)

衆議院議員選挙情勢調査

衆議院議員選挙序盤の情勢調査をまとめる。


新聞各社の情勢調査結果をまとめる。朝日新聞もあったが、数字の表現が具体的でなかったので、三社を選んだ。小選挙区、比例区、全体をそれぞれまとめた。結果を下に示す。

■ 小選挙区調査結果 (定数:289)
              読売    日経     毎日
  自民         140+    200      221
  公明           9      9       8
  希望           7      3       21
  立憲民主        5     10+      12
  日本維新の会     1              6
  共産                           0
  社民           1              1
  日本のこころ      0       0       0
  無所属         11     30-      20
  -----------------------------------------
  未確定        115     30       7


■ 比例区調査結果 (定数:176)
              読売    日経     毎日
  自民          60     55      68
  公明           21+     25      22
  希望           30+     27      39
  立憲民主        35     30+      21
  日本維新の会    10             11
  共産                         14
  社民           0      0        1
  日本のこころ      0      0        0
  -----------------------------------------
  未確定         6     28       25


■ 選挙全体調査結果 (定数:465)
              読売    日経     毎日
  自民         260+    255      289
  公明          30+      34      30
  希望          37      30       60
  立憲民主       40+      40+      33
  日本維新の会    14-      10      17
  共産          20-      20      14
  社民          1       1        2
  日本のこころ     0       0        0
  無所属         11      30-      20
  -----------------------------------------
  未確定        52      45       0


未確定数が読売の小選挙区で大きいが、全体になると小さくなる。毎日は全体を振り分けして整理している。当たる外れるはともかく、不確定性を強調してしまえば調査の意味がない。何かを材料に判断した方が分かり易い。

ここでの結果は、野党の選挙体制が整わないうちにという安倍の目論見が当たったと言える。小池新党の動きによっては情勢が変化する余地があったが、小池は個人プレーしか出来ず、組織運営に関する能力がまったくないことが露呈してしまったことで、成果の限界が低くなった。致命的なのは民進党立候補予定者に踏み絵をさせたとされる報道で、リベラルと称される労組支援の厚い候補者を切り離した。この結果が、連合の支援が無くなった、つまり、地方での選挙活動の戦力を多いに失ったこと、放り出された民進党立候補予定者が立憲民主党をつくり、反自民の受け皿になったこと、共産、社民の間接的な支援も生じたこと、そして最大の誤算は、判官びいきで心情的に立憲民主党が優位にたったことである。
小池の戦術は、強い者に攻撃されて、それに対して正当な主張をする、か弱き存在を演出することから始まる。民進党に対する対応は、攻撃する側にまわってしまったので、根の腹黒さが前面に表れてしまった。こうなると、計算高いことばかりが強調されることになり、小池新党である希望の党で立候補した候補者も当てが外れたことだろう。

このままの状況で推移すれば、自民の圧勝という結果になる。しかし、不用意な失言があれば大きく崩れる。小選挙区制ではその効果が大きく出る。未確定になっている分など、容易に変化することがあるというのが、過去の選挙で示されている。


まあ、乱立すれば、自民に有利ではある。

2017年10月10日 (火)

森友学園、再生計画案を提出 負債97%免除で分割返済

民事再生法による経営再建を目指す学校法人森友学園(大阪市)は10月10日、再生計画案を大阪地裁に提出した。負債総額約30億円のうち約97%を債権者に免除してもらい、残りの約9千万円を2021年度から10年間で分割返済するとの内容。12月にも債権者集会を開き、賛否を仰ぐという。
同日、籠池町浪理事長と管財人の疋田淳弁護士が大阪市内で会見し、明らかにした。幼稚園の再生に努め、現在65人の園児を21年度には約150人超とし、収益を弁済にあてたい考え。22年をメドに保育所の機能も持つ「認定こども園」に移行し、園児数の安定確保を目指すという。債権者集会の決議には投票者の過半数の賛成と、賛成者の債権額が過半数という二つの条件を満たす必要がある。再生計画案には盛り込まなかったが、学園は国に対し、大阪府豊中市の国有地に建つ校舎の第三者への売却を要請中。売却で負債を半減できる見込みで、疋田氏は「取り壊しは10億円かかる。売るという解決方法しかない」と強調した。一方、学園は園児や保護者らが起こした3件の訴訟で、和解したことも明らかにした。籠池泰典・前理事長=詐欺罪などで起訴=について、町浪理事長は「連絡していない。私が引き継ぐと決意してから、一線を引いている」と述べた。小学校舎の建設を請け負い、最大の債権者である藤原工業(大阪府吹田市)の代理人は「再生計画案への賛否は、校舎の転売について管財人や国との交渉を進めた上で判断する」と話している。(朝日新聞:10月10日)


学校法人の民事再生について考える。


民事再生で97%を債権者に免除してもらうというのは破格の条件だろう。前理事長が刑事被告人になっている状況を考慮すれば、債権者は 3%返して貰うより潰してしまって良いと判断する可能性が高い。再建計画にいろいろと仮定が多い状況であるのは致し方無いのだが、そもそも政治家と癒着して甘い汁を吸おうと思ったことが、方々でほころびが生じたという事実と重ね合わせれば、検討不足というより、後ろ暗い仕事の結果と覚えたならない。
国から入手した土地の処理と、その上に建設した校舎の扱いが債権処理の中心課題である。これなら、民事再生ではなく、破産処理でも何も変わらない。従業員の雇用の維持や、取引先の商売の継続も、この学校法人ではあまり重要視される事情に乏しい。つまり、資金の回収のみとなると、経営能力に難がある学校法人は精算し、建物等を類似した学校法人に引き取って貰うというのが、回収額を最大化するのに有効な方法になるだろう。そんなことは債権者は百も承知であろうから、校舎の転売を行うことの重要性を主張する材料として、成立し得ない民事再生の話を表にしているように映る。これが有効な手段だとも思えないが、他に手段もないだろうし、安倍昭恵の名前に乗っかって美味い話に乗っかろうとしたことを隠すには、このような手続きが欠かせない事情があるのではないかと想像してしまう。


籠池泰典が被害者ぶっては、債権者が可愛そうではある。

2017年10月 2日 (月)

比例自民24%、希望14% 内閣不支持、支持を逆転

共同通信社は9月30日、10月1日の両日、衆院選に向けて有権者の支持動向などを探る全国電話世論調査(第2回トレンド調査)を実施した。小池百合子東京都知事が代表の新党「希望の党」が結成後、初の調査となる。比例代表の投票先政党は自民党が24.1%で、希望の党が14.8%となった。内閣支持率は40.6%、不支持率46.2%となり、前回調査(9月23、24日)から逆転した。
前回調査では、希望の党について「小池氏の側近らが結成する新党」と質問していた。自民、希望以外の比例代表投票先は、公明党が4.9%、共産党が4.9%、日本維新の会2.4%、自由党0.3%、社民党0.1%、日本のこころ0.4%となった。「まだ決めていない」は42.8%。衆院選後、衆参両院で指名される次期首相について、安倍晋三首相(自民党総裁)と小池氏のどちらが望ましいか尋ねたところ、安倍氏が45.9%、小池氏は33.0%だった。「分からない、無回答」は21.1%だった。(共同:10月1日)


支持率調査について考える。


選挙モードに入っているときに重要なのは、内閣支持率ではなく具体的な投票あ先であるとされる。まあ、そんなものなのだろう。ということで、解散が決まって以降の調査結果をまとめてみた。各社の発表値をそのまま転記しただけのものである。各社の質問形式の違いや、政党の並び方など、影響を与える要素はたくさんある。新聞社などの読者調査ではないから、会社の影響は受けないと思われるが、厳密に無関係とはならないだろう。少なくとも、各社を併記することで、N数を大きくして統計的な信頼性が高まるという可能性を信じることにして下の表を眺めてみる。

■ 各社調査「比例区ではどの政党に投票したいか」
   調査会社      共同     朝日     毎日      読売      NHK
  --------------------------------------------------------------------
  内閣支持率      40.6%     36%      36%       43%       37%
  不支持率       46.2%     39%      42%       46%       44%
  --------------------------------------------------------------------
  自民党         24.1%     32%    32%‐25%     34%      30.8%
  希望の党       14.8%     13%    17%‐19%     19%       5.4%
  公明党         4.9%      6%     5%‐5%      6%       3.8%
  民進           ―       8%     7%‐8%      ―       3.9%
  共産党         4.9%      5%     6%‐5%      5%       3.3%
  日本維新の会     2.4%      3%     4%‐2%      2%       1.0%
  自由党         0.3%      1%     1%‐1%      1%       0.3%
  社民党         0.1%      2%      1%       1%       0.6%
  日本のこころ      0.4%      0%      0%       0%       0.0%
  まだ決めていない  42.8%     29%    16%-17%    25%      40.4%
  答えない                                  7%      10.3%
     
  ※ NHKは支持政党/決めていないは支持政党なし

NHKは通例の調査になっているので、投票先ではなく支持政党になっている。これは参考にするとして、共同通信と新聞三社の結果は、傾向としては似ている。その調査も前回 (内閣改造後) 回復した内閣支持率が悪化し、不支持が増えている。最大与党が投票先になる割合が30%を切るようでは危険だと言われるようだが、共同、毎日ではこの水準に達している。安倍の解散判断が自民にとって良かったのかは、選挙結果で示されることになるが、現時点の評価が難しいのが、希望の党が不確定な部分が大きいことにある。民進をすべて飲み込むことを前提の調査と、両党が存在する調査になっていることが比較を難しくする。加えて、どちらにもなりそうでないから、結果は大きく変わりそうである。
小池は意味不明な政策を掲げて、意味不明は失礼か、両立不能な可能性のある言葉を吐いている。もう少し説明が必要だが、時間がないことも影響しているのだろう。小池が示しているのは、首相になりたいというギラギラした欲望である。これはくっきりと示されているから嘘はついていない。言葉など、欲望達成の為の手段に過ぎない。都知事選以降、小池が放つ言葉は、綺麗に聞こえるのだが、実行性はまったくなく、必ず先送りする、という特徴を有している。矛盾が方々にあっても、それだけのことと理解しているのだろう。批判しても始まらない。
少しは書かねばならないだろう。 寛容な改革保守政党を目指すという。希望の党に参加する元日本のこころの代表である中山恭子は、ガチガチの保守というより極右と呼んで外れてはいないと思う。明確なのは、寛容や改革が馴染まない存在である。参議院議員である中山恭子があわてて参加したのは、夫の中山成彬を当選させるのが目的である。中山成彬とは日教組批判以降の発言で、自民党を追われた身の上である。極右候補を連合が推すというのは、滑稽というか、時代が変わったと思うよりない。一方で小池は、憲法改正や安全保障関連法への態度で選別するとしている。この考えはあって良いと思うが、多様な人生を送ることのできる社会とは肌合いが違いそうだ。排除したいのは、自分より偉そうな人物という、しっかりとした小池基準があるようだが、きちんとした「しがらみ政治」を志向している様子が窺える。

小池が欲しいのは、民進党の持っている資金と、全国に広がる労組という支持母体ということだ。資金と組織が乏しい新党は、雰囲気でブームに乗るよりない。とはいっても、沢山の議員を当選させるには資金と組織が必須だ。小池は中山を迎え入れて、労組臭を薄めたかったのだろうが、複雑な臭いは腐敗臭により近付いたようだ。イメージ戦略としては失敗だ。まあ、若狭の不潔さと同じカテゴリーに分類されるだろう。
小池の目標は、自民公明を過半数割れに追い込み、希望の党の子分議員を一定数集めて自民との連立に流れ込むということが現実的なところだろう。この期に及んでは労組は不要だし、自民より過激な右翼は印象が悪い。もっとも嫌うのは、小池より偉そうにする人物なので、事前選別をするというのが、今回実施している踏み絵である。これで小池までダーティーなイメージになった。

ところで、安全保障が選挙の争点になっているようだ。具体的には、北朝鮮問題である。日本政府の立場は、朝鮮半島北部を占拠しているのが北朝鮮ということになる。国家として北朝鮮を認めている、つまり国交のある国は164カ国である。国連加盟国が192あって、国交がないのが26カ国ということになる。日本が認める韓国と国交があるのは188カ国でないのが4カ国となる。4カ国は北朝鮮の他に、シリア、キューバ、マケドニアである。どっちも国と認めるのが国際的に主流であるのに、日本は片側のみを認めている。
北朝鮮の軍事行動について確認する。北朝鮮が軍事独裁国家状態にあり、国の使える資金の多くを軍事に投じたとしても、国家予算が7500万ドルの国であるのだから知れたものである。米国の国防費は5000億ドルを超える。米国に戦争を仕掛ける国ではない。確実なのは戦争をしたら勝てない。国家が無くなってしまうほど規模が違う相手に、攻撃することを示唆している。この国への対応として、日本が防衛費を増やしても危険性に変化はないだろう。だから防衛費は不要だというのも違うが、防衛費だけで片付く問題でないことも明らかだ。
ということを踏まえて、と長いフリがあっての話である。朝鮮半島はひとつの国である。一つが韓国であるか、北朝鮮であるかは日本の知るところではない。つまり、朝鮮半島における、朝鮮民族の統治に関する問題、簡単に言えば内政問題である。韓国も北朝鮮も本音は別にあったにしても、一つの国であると主張している。ということは、内政不干渉の原則である。日本は韓国の政治体制の方が理解し易いし、受け入れ易いものである。しかし、朝鮮民族が主体思想を選ぶならそれは自由である。米国は内政不干渉の原則の例外規定である人道的介入を旗印に北朝鮮を追い詰めることだろう。しかし、日本がそれに付き合う理由もない。
北朝鮮が予告なしにミサイルを飛ばすのは問題であるが、人工衛星より高い高度で、日本上空を通過しただけのことだ。国防を大きな声で叫ぶ連中に、思惑が無かった例は過去にない。怪しげな主張をする政党に対して、朝鮮半島情勢は基本的に内政問題であるから、日本が積極的に関わる余地はないと宣言する政党があって良いのではないか。北朝鮮を無くすと過激な言葉を使っても、本当のところは、北朝鮮がそのままあった方が都合が良いという御都合主義が張り付いていそうだ。
かまってちゃん国家の北朝鮮も、国際ルール無視の子供国家の韓国も、あまり親しくなりたくない存在であるが、日本列島をカリフォルニア沖に移動できる訳でもない。北朝鮮の将来の面倒を誰が見るのが明らかにせよと、国連で発言したら叩かれるのだろうか。韓国は統一国家にするつもりがあるのか、中国が延辺朝鮮族自治州を拡大するのか、米国が信託統治するという時代でもあるまい (第二次大戦の結果、敗戦国から分離される地域と主張する論理は無理筋だろう)。ロシアが南下するというのも、極東地域の面倒を持て余し気味な状況を考えればテンポラリーな状態以外では可能性は乏しい。日本が介入すれば、大戦前に戻すつもりだと批判されるだけだ。何も出来ないなら、何もしませんと宣言するのも価値はある。小池並みのずうずうしさが必要だろうが、わあわあ騒いで何もしない政治家より優れた部分があると思うが如何だろうか。


枝野が代表になれば分裂すると言われたが、前原は投げ出しただけだった。

2017年9月28日 (木)

参院選、3.08倍差「合憲」 合区後の一票の格差 最高裁

合区が初めて導入され、「一票の格差」が最大3.08倍だった昨年7月の参院選について、最高裁大法廷(裁判長.寺田逸郎長官)は9月27日、「合憲」と判断した。合区による格差縮小を評価した。その上で、二つの弁護士グループが各地の選挙管理委員会に求めた選挙無効の訴えを退ける判決を言い渡した。
この日の判決は法改正に伴う格差縮小を評価しつつ、再び拡大することがないよう釘を刺した。自民党では、地元の不満が強い合区を改憲によって解消しようとする動きがある。格差が広がる懸念があり、国会の対応が問われる。最高裁が2010年と13年の参院選で連続して「違憲状態」と判断したことを受けて、国会は15年の公職選挙法改正で、鳥取と島根、徳島と高知の合区を含めた「10増10減」を実施。格差は13年の4.77倍から3.08倍に縮小した。この日の判決は「参議院の創設以来初の合区を行い、数十年間にもわたり、5倍前後で推移してきた格差が縮小した」と評価。15年改正の付則に「19年参院選に向けた抜本的な見直し」が明記され、さらなる是正に向けての方向性と立法府の決意が示されたとして、「違憲の問題が生じるほどの著しい不平等状態とは言えない」と、合憲と結論づけた。一方で、判決は選挙制度の仕組みを決める上で、投票価値の平等の要請が後退してもよいとはいえないと指摘。ただ、唯一の基準ではないとも述べ、都道府県の意義や実態などを一つの要素として考慮しても、国会の裁量を超えるとはいえないとの考え方を示した。 裁判官15人のうち、11人の多数意見。鬼丸かおる、山本庸幸両裁判官は「違憲」、木内道祥、林景一両裁判官は「違憲状態」とする個別意見を示した。(朝日新聞:9月28日)


一票の格差について考える。


このブログの定番ネタになっている一票の格差問題である。真面目に調べているのを三つ挙げるとしたら、大学教育と犯罪者問題と一票の格差となる。この隙間を、企業決算に関する数字で埋めていたが、最近は政治の悪口になっている。無駄なことなら書かなければ良いが、少しは読んでくれる人もいる。読者の為に書くほどの仕事をしてはいないが、書いておけば何かの役に立ちはしないかと自分自身の備忘録程度の価値はあろうと信じる。

さて、一票の格差の話である。1946年に公職選挙法が制定された。当然、選挙権について等しくあるべきだとする考えはあった筈だ。しかし、1947年当時、衆議院は 1:1.51 の格差があり、参議院では、 1:2.62 の格差があった。つまり、原理原則と実務とはかけ離れたものになっていた。いや、むしろ、実務的な作業負担を考慮すれば、1947年当時の格差は今日においても許容されるべき水準との認識が、最高裁判所においてある可能性さえある。参議院は出発の 2.62倍が、前回 4.77倍であったものを 3.08倍まで近付けたのだから、合格点であるという判断である。国会議員が国民全体の代表であることを否定し、地域代表であることを宣言する行為である。裁判所は法律をつくりはしないが、法律の問題点を指摘し得る機関である。何度も指摘しているが、嫌いなことを二つ書く。

  ・ 最高裁が一票の格差を違憲としない一方で、統治行為論を持ち出す態度
  ・ 国会議員が議員定数や待遇を自分達で決定するお手盛り方式

最高裁が国会に係る問題について冷淡であるのは、政治家など不浄の者として見下しているのだろう。国会議員は最高裁など勉強だけしてきた浮世離れした存在と軽くみて、有権者に頭を下げる振りだけしてやり過ごし、自分は特別に選ばれた存在だと信じて、自信の懐は温かくすることに熱心になる。どいつもこいつも、真面目に仕事をしろと言いたが、真面目に自己保身に励んでいるとなれば、足す言葉も見当たらない。
一票の格差があることを前提に、予算関係の審議などの投票には、地域の代表であることを前面に出して、株式会社張りに議会での一票に格差を係数として乗じたらどうだろうか。自分の存在が半人前以下だと言われたらプライドも傷付くことだろう。それで修正しようと思うのなら価値はある。まあ、国民全体の代表だから許されないのだろうが。
今回の最高裁の判決は、一票の格差是正に努力したねとお褒めの言葉を国会が貰ったということである。国会議員は恥を知れ。勉強だけしてきたやつらに褒められなくて良い。褒めて貰うのなら、国民からだと、声を大にして叫べ。

衆議院議員選挙が行われるので、小選挙区の一票の格差を俎上に載せることとする。小選挙区単位で比べようと思ったが、資料が見つからず、都道府県の選挙区単位で集計するのは根気が要る作業となる。今回は諦めて、簡単に集計可能な資料がある都道府県単位で有権者数と定数をまとめて、都道府県の議員一人当たりの有権者数を計算した。2012年と2014年は選挙時の数字を用い、2017年の有権者数は発表された資料が無かったので、2016年9月の数字を用いて、今回の議員定数で計算した。都道府県単位で今回と前二回の選挙でのヒストグラムを下に示す。

■ 衆議院小選挙区都道府県単位
   議員一人当りの有権者数ヒストグラム推移 (単位:千人)
       2016年   2014年   2012年
  200     0      0      0
  220     0      0      3
  240     0      1      2
  260     1      0      1
  280     2      6      6
  300     7      10      9
  320     5      6      6
  340     11      9      7
  360     6      5      3
  380     4      4      3
  400     6      4      5
  420     3      1      1
  440     1      1      1
  460     1      0      0
  480     0      0      0
  500     0      0      0

議員定数が300、295、289と減っている。議員定数を減らして、なんとなく、小さい方が減っているように見えるから、格差是正に適切な仕事なのかなあ、とも思える。そこで、都道府県単位での統計値で比較してみる。

■ 衆議院小選挙区都道府県単位比較統計値
           2016年     2014年     2012年
 平均      368,023    352,416    346,533
 最大      448,955    434,024    428,835
 最小      241,393    238,477    210,185
 標準偏差    43,706     42,592     52,500
 総定数       289       295       300
 最大/最小     1.86      1.82       2.04


最大になっているのはいずれも東京で、最小は2012年が高知、残りは鳥取である。
今回選挙で更に改善されたかと思ったら、最大と最小の比も、標準偏差も悪くなっている。平均値±σ (標準偏差) の間に68% が収まるというのが、正規分布の示すところである。2σくらいまで行けば良いのだが、95% 入るということは格差が大幅に是正されたということであるから、ここまでいくとは思えない。
選挙区単位で分析しなければ意味がないという意見もあるだろう。実際、東京都の小選挙区数は25あり、鳥取は2である。これを統計的に同じ重みとして扱うのは不適当だと考えるのは合理性が高い。少なくとも、小池百合子の記者への返答より、高度な論理性があると認識する。それでもこんな数字の比較をしたのには訳がある。選挙制度が都道府県を管理単位に実施しているという事実があるからである。
小選挙区の区割り変更を実施するとき、市が複数に分割される場合はままあるが、県を跨いだ選挙区はない。記事の選挙区例で、複数の県がいっしょになった合区が扱われているが、これは分割ではなく統合である。小選挙区で格差を是正しようとすると、都道府県の境界を守ることが大きな障害になっている。都道府県など行政上の便利の為にある仕組みに過ぎず、国家の在り方とは別の種類の問題に過ぎない。しかし、過去の習慣から逸脱することを極端に恐れる行政実務家は、こんな乱暴な考え方を採用することは決してない。

一票の格差を衆議院の小選挙区で解決するには、都道府県の枠を超えなければならない。もし、都道府県に意義を持たせたいのなら、参議院は有権者数に選挙区の面積を乗じたもので格差をなくすとでもすれば良い。扱う面積の大小に根拠の一部を求めるのは意味もあろう。ただしそれは参議院に限られる。そんなこんなはまた何れ。


政党など壊れても良いが、壊れた者しか議員にならないのは問題だ。

2017年9月27日 (水)

タトゥー施術に医師免許「必要」 彫り師に有罪判決

医師免許がないのに客にタトゥー(刺青)を施したとして医師法違反の罪に問われた大阪府吹田市の彫り師、増田太輝被告(29)の判決公判が9月27日、大阪地裁であった。長瀬敬昭裁判長は罰金15万円(求刑罰金30万円)の有罪判決を言い渡した。
増田被告は2014年7月~2015年3月、医師免許がないのに客3人にタトゥーを施したとして2015年8月に略式起訴された。翌月、略式命令を受けたが正式裁判を求め、タトゥーを彫る行為は、病気の治療や予防が目的の医療行為にはあたらないと主張していた。判決は医師法の定める「医業」とは、医師が行わなければ保健衛生上の危害を生ずるおそれがある行為だと指摘。タトゥーの施術は皮膚障害を起こす危険性があり、医学的知識や技能が必要不可欠なため、医療行為に当たると認定した。その上で、彫り師に医師免許を求めることは、保健衛生上の危害を防止するため合理的だと述べた。憲法の職業選択の自由、表現の自由との兼ね合いについては「憲法上保障される権利があるとしても、保健衛生上の危害の防止に優越する利益とまでは認められない」とし、施術は違法と結論づけた。(朝日新聞:9月27日)


刺青について考える。


刺青を施すことを生業にするには、医師の国家資格が必要であるとする判決である。刺青目的での捜査をするのは不思議だと思って調べてみると、消毒薬を売る業者の薬事法違反事件で捜査先に被告人の店舗が入り、その後、医師法違反容疑に変更されたようだ。
判決は、刺青をする業務に医師であることを求めている。ということは、被告人は医師法の規定するところの、無資格医業を行ったということになり、3年以下の懲役または100万円以下の罰金または併科という罪にあたる。大上段に振りかぶって無資格医業だと断定した割りには、罰金15万円とお安く済ませた判決である。被告人の罪状は3人に刺青を施したことになっているが、それ以前から実施していることだろう。29歳の年齢からすれば数年は継続して実施してきたことだろう。加えて、略式起訴を蹴って、正式裁判に判決を求めたことからすれば、暴力団関係者との取引もないと思って良さそうだ。

刺青に興味もないし、入れている人を見ると、何を考えているのかと訝しく思ってしまう性質である。それでも刺青を行う者が罪に問われるのなら、衛生管理に問題があった場合など、具体的な被害が確認されなければならないだろう。大阪府警の事案であるが、随分と筋の悪い方法を取ったものである。加えて、裁判官は愚かな判決を書いたものである。
医療での刺青には、形成外科の領域で行われる例があるようだ。それはタトゥーと称される刺青の群とは別の世界のものである。医師が刺青の大学で教育訓練を受けるとしたら、形成外科領域に限られるということになる。過去に兵庫県警が医師法違反で刺青を施した者を逮捕した例は、暴力団取り締まりを目的とした別件逮捕の類だろう。検索すると、逮捕の例は沢山出てくるが、裁判に至った例は見当たらない。起訴猶予になるか、いって略式起訴というところだろう。本気で医師法違反を目指すなら、法律で明確に示した方が良い。それをしないのは、現状の方が警察にとって使い勝手が良いということなのだろう。

医師の資格制度は戦後のものである。刺青師の歴史はずっと古いが、戦前は禁止されていた時期がある。警察犯処罰令によったが、戦後は直接的な規制は存在しない。そんな中で、職業選択の自由、表現の自由よりも強い制限を要求する判決には疑問を覚える。罰則を求めるのなら、保健衛生上の危害が生じたことが存在することが当然だ。この判決を厳密に解釈すれば、刺青教育を医学部で行う必要が出てきそうだ。まあ、刺青は実質禁止という理解で良い。大胆な判決である。


検察が使い勝手が良い状況を維持したいなら、起訴猶予を選べば良かった。

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